第1話 記憶喪失と国王への謁見
私は廊下に出てから、しばらくの間、まともに顔を上げられずにトボトボとアリエッタの後ろを歩いていた。
しかし、すれ違う王宮の人々の衣服が、私の服とほぼ同じデザインであることに気付き、徐々に恥ずかしさが薄らいでくる。
──うーん。これがこの世界の普通の服なんだ。せっかく異世界の王女様に転生できたのに、こんなデザインの服は凄く残念……。でも、受け入れていかないといけないよね……。
私は諦めの境地に至り、前を歩くアリエッタの背中を見るようにして、ゆっくりと視線を上げる。
すると、作業服のようなものを着た超イケメンが、前方の視界に入ってくるのが見えた。
「…………ぇ?」
その超イケメンは、隣にいる真面目そうな男性と何かを話しながら歩いており、しばらくして、私とすれ違う。しかし、こちらには一切目もくれず、そのまま後方に通り過ぎていった。
私はその後ろ姿を見送ると、前方のアリエッタの肩をオバサンの時のように図々しく揺すりながら、前世の年齢を忘れて黄色い声を上げた。
「きゃぁ~!! 超イケメンよ!!」(アリエッタに聞こえる程度の小声)
「なっ、なんですかっ!? ソフィア様、どうしてここで奇声を!? 『超イケメン』って何ですか!?」
「あの超イケメンは何をしている人ですか!? あの服装からすると、この王宮の修理や工事を行う人? それとも、お掃除をしてる人?」
「いきなり、なんて失礼なことを……。『超イケメン』の意味は分かりませんが、あのお方は職人や召使いではありませんよ。……というか、ソフィア様の『元』婚約者、レーゲンス公爵家のアレン様じゃないですか」
「……へ? 『元』婚約者? ……今、『元』って言いました?」
「……もしかして、ソフィア様は、アレン様に『婚約破棄』されたことも忘れたフリをしているのですか?」
「…………ぇ?」
…………。
…………。。
…………。。。
ウソでしょ~~~っ!? 私、婚約破棄されてるの!? この若さでっ!?
王女に転生してから早くも、二回目の私の心の叫びであった。
「ソフィア様があまりに破天荒で、礼儀が無くて下品ですから、愛想を尽かされたんですよ……。しかも、アレン様の妹君を魔法学園でイジメていたんですから、婚約破棄されて当然です」
「いっ、いじめ? 私が、あの人の妹さんをいじめたの?」
「ソフィア様の私室に、鬼の形相で怒鳴り込んできたアレン様を覚えていないんですか? 私はあの日、王族であっても本当に『婚約破棄』されてしまうのだと、心の底から驚きましたよ。……ちなみに、ソフィア様が王国史上初らしいですけど」
「…………」
──この王女、一体何をしでかしてるの? アリエッタさんが冷たいのも、転生前のこの王女のせい?
「……奇声を上げてしまって、すみませんでした」
私の謝罪に、アリエッタの目が点になった。
「……ソフィア様が謝るなんて奇跡です。私は今日、夢でも見ているんでしょうか?」
アリエッタは驚きつつも、国王との謁見の時刻が迫っているため、すぐに気を取り直して前を向いて歩く。私はそのまま項垂れると、アリエッタの後ろをトボトボとついていった。
──この王女、他にも色々としでかしている気がする……。
それから約10分程、階段を下りたり、いくつもの角を曲がったりしながら、最終的に大きな廊下を進んでいく。そして、荘厳で巨大な扉の前に辿り着いた。その扉の高さは、大人の身長の二倍ほどだ。
この世界の衣服は貧相だが、建物に関しては随分立派だ。もしかすると、この世界の文化は、建築技術に秀でる方向に発達しているのかもしれない。
アリエッタが扉の前の守衛の兵士に声を掛けると、扉の左右にいた兵士の一人が扉の中に入っていった。そして、しばらくして、その兵士が戻ってくる。
兵士はそれぞれ左右の扉の取っ手を持つと、二人でタイミングを合わせて、大きな扉を同時に手前に開けた。
「ライゼンハルト王国、第一王女ソフィア様、ご入来!」
扉が開くと、アリエッタが私の前に立ち、私を先導するように歩き始めた。
──へぇ~、こういうところは王国っぽいのね~。
私は、やっと見られた『王国』に相応しい大仰しさに気後れしながらも、アリエッタの後ろについて謁見の間らしき部屋に入っていった。
「ソフィアよ。よくぞ参った」
「…………ぇ?」
壇上の玉座に座る国王の姿は、……まるでどこかの工場長のようだ。私は目をゴシゴシと擦る。
王女の年齢から推測して……いや、私はまだ王女の年齢すら知らないが、父親である国王は四十代から五十代に見えた。
その風貌は髭を生やした渋いイケオジだが、……服装があまりにも場違いで格好悪い!! いや、工場長はもちろん立派なんだけど、金髪碧眼のイケオジが、玉座に作業服で座ってるのは似合わない!!
「…………」
「ソフィア様っ! 何してるんですか! 早く私の隣に跪いて下さいっ!」(小声)
「ぇっ? ……あっ、はいっ!!」
私は言われるがまま、アリエッタの隣に慌てて移動して、壇上の玉座に座る国王の下に跪く。
すると、隣のアリエッタが「陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう恐悦至極に存じます」と、どこかで聞いたようなセリフで挨拶を始めた。
この世界、侍女と王女が同列に跪いて、王女の代わりに侍女が挨拶まですることに驚いた。侍女は謁見の間にすら入れないのが前世の常識だが(ただしネット小説の常識)、この世界では侍女の権限が強いようだ。
「ソフィアよ」
その呼び掛けに、私は跪いたまま視線を上げて、工場長……いや、国王を見た。
「魔法学園はどうだ? 一年前に特別学級を作ってやったが、さすがに一つぐらいは魔法を覚えることができたか?」
……え? 魔法? この世界、魔法なんて使えるの? あと、「特別学級」って?
私は国王の質問に答えられず、唇を震わせながら、助けを求めてアリエッタの方を見た。すると、アリエッタは口元に手を当てて、声をひそめて私に耳打ちする。
「ソフィア様! いい加減に記憶喪失ごっこはやめてください。ソフィア様の魔……習得……は、『レイ』ですよ」(小声)
アリエッタの言葉が一部聞こえなかったが、私には王女としての記憶が全く無いため、今はアリエッタから言われるがまま答えるしかない。
私はすぐさま正面に向き直ると、満面の笑みで国王の問いに答えた。
「陛下! 私は『レイ』という魔法を使えるそうです!」
「……『レイ』? はて? 初めて聞く魔法の名だな。どんな魔法だ?」
すると、隣のアリエッタが今にも倒れそうな顔で額に手を当てつつ、私の腕をギュッと引っ張った。
「……ソフィア様。私が言い方を間違えたようです。ソフィア様の魔法習得率は『ゼロ』でございます。つまり、ソフィア様は魔法を何も習得されておられません」
「…………は?」
私はアリエッタの言葉に、顔を青くして唖然とする。しかし、国王の前で、黙ったまま呆けているわけにはいかない。
私は気を取り直すと、すぐさま自らの回答を訂正した。「過ちては改むるに憚ることなかれ」である。
「もっ、申し訳ありません! 訂正いたしますっ!! 私、何も魔法が使えないようです! つまり、『ゼロ』です、『ゼロっ』!」
「ソフィアッ!! ゼロを強調せんでもいいっ!! こんなに皆が腐心しているというのに、そなたはいまだに魔法が一つも使えないのかっ!?」
国王は私を責めるように言いながら、顔を真っ赤にして、玉座に前のめりになった。
──あっ、ヤバい……。これ、マジギレってやつだ。
私は激怒する国王に釈明するため、頭を深く下げて国王に謝罪した。前世の経験上、こういう時には、とにかく謝るしかない。
「もっ……申し訳ありません! 私、今までの記憶がないのです! ですから、先程は正しくお答えできませんでした! ……まあ、魔法が使えないという回答は変わらないんですけれども。……とっ、とにかく、理由は分かりませんが、私には記憶がないのです!」
私が恐る恐る顔を上げると、国王は少し目を見開いて、私をじっと見ていた。
「……なに? ソフィアの記憶が無い、だと?」
私は異世界から転生してきたことを隠しながら、今日ベッドで目を覚ますまでの「第一王女ソフィアとしての記憶」が全く無いことを国王に説明した。
隣で跪くアリエッタは口元に手を当てて、「え? 記憶喪失ごっこじゃなかったの?」と、目を丸くしながら私の話を聞いている。
国王は私の説明を聞き終わると、手を顎に当てて髭を摩りながら、堅い表情を浮かべる。
「……そうは言っても、この国の言葉は話せるのだな?」
「あっ……はい。なぜか皆さんの言葉は分かりますし、私も話せるようです」
確かに言われてみれば不思議だ。私の意識は前世に近いため、日本語しか理解できないはずだ。しかし、目覚めた瞬間から、侍女のアリエッタが話すこの国の言葉を理解できた。もしかすると、私はこの世界の文字も読めるのかもしれない。
「そうか、ソフィアは記憶を失くしてしまったのか……」
国王は玉座にどっしりと座り直すと、肘掛けに肘をつきながら、私をジト目で見る。
「……ソフィア。本当だろうな?」
「はい」
「絶対に、絶対に本当か? ウソではないだろうな?」
「はい、本当です」
「絶対に、絶対に、ぜ~ったいに本当か?」
「ホントに、ホントに、本当~ですっ!!」
どんだけ信頼ないの、この王女……。
「……ウソをついていたら、王位継承権剥奪の上、即刻処刑するぞ?」
「えっ!! そんなことで、実の娘を処刑しちゃうんですかっ!?」
私は跪いたまま、目を真ん丸にして、父親である国王を見た。しかし、私の驚きの視線を受けても、ジト目で私を見る国王の表情に変化はない。
……えっ? これ、マジで言ってる?
私は慌てて言葉を続けた。
「本当の話ですっ! 必要なら、私を試して頂いても良いですっ!!」
私は大声で叫びながら、ついに立ち上がった! ……いや、立ち上がってしまった!
……あ、ヤバイ。王女が国王の前で立ち上がるのって、アリ? ナシ? ……やっぱり、ナシ?
「……えーっと、すみません。私、足がしびれちゃいまして……」
国王は肘をついたまま、「はぁ」っと溜息を吐く。隣で跪いていたアリエッタも、私を見て大きな溜息を吐いた。そして、謁見の間にいる多くの人達から無数の溜息が聞こえた……。
「……余には、いつも通りのソフィアに見える。そなたが記憶喪失だということを、余は信じられぬな」
国王のその言葉に、私は再び焦った。このままだと、イヤな予感がする。
処刑はされないにしても、転生前のソフィアの罪で、どこかに島流しにされたりするんじゃないんだろうか? 転生前のソフィアが何をしでかしたかは知らないが、私の直感が危険を告げていた。
「本当ですっ! 記憶喪失なんです!! 信じてくださいっ!!」
私はそう言って時間を稼ぎながら、必死に記憶喪失を証明する方法を考えた。
──えーっと、うーん、うーん。どうやったら、私の記憶喪失を証明できるのかな? ……実際は記憶喪失じゃないけど。うーん、うーん……。
そして、10秒ほどして、私はひらめいた。
──そうだ! この方法ならどうかな?
「陛下、陛下っ! 提案がありますっ! ちょっと聞いて下さい!」
「……なんだか急に馴れ馴れしくなったな……」
国王は相変わらず呆れたような表情で、私をジト目で見ている。私は本当にこの人の娘なのか、不安になってきた。
「私が昨日まで嫌いだった食べ物をお出しください! それを食べて見せましょう。それから、勉強をとにかく頑張ります。魔法ですよね? 魔法なんて夢のような勉強、私はしたくて仕方がありません! 是非、今すぐにでも勉強させてください!」
──もしソフィアが想像通りのワガママ王女ならば、偏食で勉強嫌いなはずだ。実際、魔法を一つも覚えていないし、私の直感は正しいはず! ……ただ、この世界の食事がゲテモノでないことを祈るだけだ!
国王とアリエッタは、立ったまま大声で力説する私をじっと見つめていた。
そして、しばらくして、国王がゆっくりと口を開いた。
「……分かった。だが、嫌いな食べ物を食べるという提案は却下だ。食べ物は我慢して食べることができてしまう。ゆえに、もう一つの提案を採用するとしよう」
国王は小さく呟くようにして、私の提案の一部を受け入れた。
「ありがとうございますっ!! では、魔法の勉強を頑張りますっ!!」
私は頬を紅潮させながら、両手を胸の前でグーにして、可愛い仕草で感謝の言葉を述べた。しかし、国王はそんな私にも、一切表情を変えなかった。
「……ただし、条件がある。一週間以内に魔法を一つ覚えて、余の前で披露せよ」
国王はそう言いながら立ち上がると、最後に私を蔑むような目で見た。
「一週間後、もし、そなたが余に魔法を一つも披露できなかったら、ソフィアから王位継承権を剥奪して、正式に廃嫡とする!」
その瞬間、謁見の間にいた貴族と役人・兵士がざわめいた。国王の隣に立っていた宰相らしき人物も、大きく目を見開いて国王を見る。私も、国王の言葉に固まったまま、何も言えなくなった。
──えっと、「廃嫡」って、私が女王になれなくなるってことだよね? 正直な話、あまりショックは受けてないんだけど……。でも、この世界、「廃嫡」になったら王女様じゃいられなくなるのかな?
謁見の間に、何とも言えない沈黙が流れた。役人たちの息を呑む音だけが響く。
──まあ、国王が突然、娘から王位継承権を剥奪して廃嫡にするなんて言ったら、みんな驚くよね。
……と勝手に思っていたが、どうも役人達がヒソヒソと話している内容がおかしい。次第に皆が笑顔になり、ついに宰相らしき人物や王の側近達が声を出した。
「陛下! やっと……やっと、ご決断されましたか! ご英断です!」
「これで、陛下の後継者の問題が解決しますぞ! 早速、公爵家から次期国王の候補を選ばなくては! あと、ソフィア王女には臣籍降下していただいて、どこかの辺境の領地に早々に追い出し……いえ、即刻、公爵として着任していただき……」
…………。
…………。。
…………。。。
…………え? マジ?
私の「廃嫡(予定)」は、王宮の役人や兵士達に大歓迎されていた!
皆の歓迎ムードに目を丸くして驚く私に、国王がとどめの一撃を加える。
「……記憶喪失のそなたに教えてやる。今までのソフィアは、十年掛けても魔法を使えなかったのだ。そもそも、魔法学園の授業は三分で逃げ出し、そなたに専属で付けた家庭教師は、心の病気を理由に一週間ごとに交替していた」
国王は苦虫を噛み潰したような表情で、さらに話を続ける。
「それを苦にした王妃、……つまり、そなたの母親は、いまだに体調を崩したままだ。そなたが余の唯一の嫡子であるというのに……。なんと情けないことだ」
私は国王の言葉を聞いて、自分が唯一の王位継承権を持つ王女だという事実を初めて知った。
「正直なところ、今の王家の血が余の代で途絶えるのは悲しい……。だが、王国のためだけではなく、王妃のためにも、そなたを早々に廃嫡にした方が良いと考えている」
国王はアリエッタに視線を向ける。
「……そういえば、今のソフィアの侍女は、何人目の侍女だったか?」
「私は13人目の侍女でございます。……ですが、私もそろそろ、将来のことを考えております」
アリエッタは跪いたまま、床に視線を向けて答えた。
「……大儀であったな。心身を大切にせよ」
国王の労いの言葉に、アリエッタの目から涙がポタっと落ちるのが見え…………ることはなく、アリエッタはひたすら嬉しそうに笑いを堪えていた。「国王陛下の了承が得られそう。いつ辞めてやろうかしら……」と怪しげに呟いている。
国王は再び私を見ると、少し強めの口調で私に話し掛けた。
「ソフィアよ。一週間後に、そなたが魔法を使える可能性は限りなく『ゼロ』に近い。だが、しっかりと励めよ。余はそなたの父親ではあるが、同時に、多くの民の上に立つ国王でもある。一週間後、そなたの評価に関しては、決して情け容赦はしないから覚悟せよ」
国王はそう言った後、壇上の袖に向かい、国王専用の出入口から退出した。
私は国王が退出した謁見の間で、空席になった壇上の玉座を呆然と見上げ続ける。私は転生していきなり、大ピンチに陥った──。