第一話 とある使い魔の義憤
俺の方に流し目を一つくれて絵梨花ちゃんが会長室を出て行くと、松島会長がポツポツと語り出した。
「ウチの孫がすまねえな、兄さん。二親亡くしてこんな爺に育てられたもんだからすっかり生意気に育っちまって」
「それがわかっているならもう少し厳しく躾けたらどうだい?」
俺の問いに松島会長は好々爺の顔に戻って首を振る。
「それが出来たら苦労はしねえよ。孫なんてのは遠慮なく甘やかせるもんでな」
まあ俺もその気持ちはわかる。
もし俺に子供が出来ても厳しく育てようって思うが、姉や兄の子なら遠慮なく甘やかすだろう。まあ俺一人っ子なんだけどさ。
「兄さんが知ってるかどうかわからんが、ウチの組は上部団体も傘下の組織も無い独立独歩でな。それこそ戦後の復興期からこのS市に根を張って、地域密着型でやらせてもらってるんだが…」
今時一本独鈷で組を運営しているってのは大変な事だろう。大抵の組織は菱山組、伊那豊組、墨田会の三つの広域暴力団の傘下となっている。特に日本最大とも言われる菱山組は日本全国に二次団体、三次団体を持ち、海外からも危険指定組織として認知されている。その構成員は少なく見積もっても二万人と言われている。
「十年ばかり前にS市の震災復興利権に食い込もうと、菱山の三次団体がこの街にも事務所を構えたんだ。狙いはウチと揉めて、そのまま戦争。で、ウチを潰してS市の利権を吸い上げるか、上手くウチを傘下に入れてS市に手を伸ばすつもりだったんだろうな」
「でも今も松島組が一本でやれてるって事は?」
「ああ、追い返したよ。デカい犠牲を払っちまったがね」
松島会長が自嘲したような笑い方をするのを初めて見たな。
「絵梨花の両親、儂の息子とその嫁さんは菱山組に拐われて殺されたんだ。儂に似ずに出来の良い息子だった。堅気として商社に勤めていてな、嫁さんとも職場で知り合ったって言ってたな」
松島会長はそこまで言ってから、グラスのブランデーを一口飲んで舌を湿らせて、吐き出すように続けた。
「あれは絵梨花が二歳になるかどうかって頃だから七年ばかり前か。ウチと菱山の三次団体だった虎城会はまだ本格的な抗争に入る前でな、お互いに手詰まりだった。こちらはシノギの邪魔をされる訳じゃないし、向こうとしても喧嘩を吹っ掛ける口実もない。そんな膠着した状況の中で、ウチの息子と嫁さんが拐われたんだ。要求はすぐに来たよ。松島組が菱山組の傘下に入って四次団体になる事。儂は涙を飲んで断った。暴対法で締め付けの厳しいこのご時世、四次団体なんぞになった日には上納金に次ぐ上納金でウチの若い衆はすぐに干上がっちまうよ」
一般的に菱山組が一次団体、その組員はそれぞれ自分の組を持っている、これが二次団体。さらにその組の中で役職持ちが自分の組を持つ事を許されて立ち上げるのが三次団体だ。四次団体と言えば枝葉も枝葉、ただ上納金を搾取されるだけの存在となる。
菱山組クラスの広域暴力団ともなれば警察のマークも厳しい。その四次団体になったのでは構成員のシノギだけではなく本業の貸金業にも影響が出るだろう。
「自分の組を守り、若い衆を助ける為に儂は息子夫婦を見捨てたのよ、翌朝、S港の外れに息子夫婦の遺体が浮かんでいるのが見つかった。外傷は無かった為か事故扱いで警察は動いてくれなかった」
握り締めた松島会長の手が震えている。
「儂はすぐに虎城会の組長と若頭、幹部数名を攫ったよ。そいつらがどうなったかは、まあ言わなくてもわかるだろう。それから程なくして虎城会は解散し、菱山組はS市から撤退した」
長い昔話を終えた松島会長が大きなため息を吐いた。
「なあ松島会長、このタイミングでそんな昔話をするって事は…」
「ああ、また菱山がこの街に手を伸ばしてきたようだ」
俺もこのM県で生まれ育ったからには、十年前の震災を忘れてはいない。当時は東京で学生をしていたが、実家を流され親戚や友人を何人か亡くしている為か当事者意識は根強い。
確かに震災復興やお隣の県の原発廃炉作業に食い込むヤクザが多いのは知っていたがあくまでメディアを通しての情報でしかなかった。こうして明確にその相手がわかると、ぶつける先が出来たことで俺の怒りのベクトルは全て菱山組に向かっていた。
「なあ、俺に任せてくれたら一日もかからずに菱山の直参組長全員を跡形もなくこの世から消してやれるが、どうだ?」
今俺は香苗ちゃんや香澄さんには絶対に見せられないような顔をしてるだろう。
「兄さん、落ち着いてくれ。アンタの気持ちは嬉しいがそいつは最後の最後まで取っておいてくれ。あれだけの巨大組織のトップが一日で消えるなんて事態になったら、その構成員二万人をコントロールできる人材すらいなくなる。待っているのは手綱を外されたチンピラ二万人による暴動だ。儂らヤクザの喧嘩に堅気の皆さんを巻き込む訳にはいかねえよ」
「俺も堅気のつもりなんだがね?」
「兄さんは別物さ。ヤクザよりタチが悪い」
目を見合わせて俺と松島会長が笑い合う。
「先月あたりから街中で関西系のヤクザをよく見かけるようになったらしい。恐らく菱山の下部組織の人間だろう。今のところはまだ偵察段階だろうが、ウチの若い衆にイチャモン付けてくるのも時間の問題だ。だが、最初から喧嘩腰って訳にもいかねえ、墨田会の若頭補佐がム所時代のダチでな、そっちのルートから仲裁してもらって戦争にならねえように収めるつもりだ。長くてもひと月あれば収まるだろうから、兄さんにはその間の孫の護衛を頼みたい。」
もちろん交渉が決裂したら、あとは命の取り合いしか道は残ってないがね。そう言って松島会長はニヤリと笑った。
***
松島ファイナンスからアパートに戻った俺を待っていたのは香苗ちゃんによるお説教だった。曰く外出が長い、くっついている時間が減った、だから今夜は一緒に寝る事を所望する。だってさ。
やれやれ、どんな三段論法だよ。
これじゃ暫く仕事で外に出る時間が増えるなんて言ったら何を要求されるやら。
意を決して暫く護衛依頼で家を空けると伝えたところ、香苗ちゃんが予想の斜め上な事を言い出した。
「絵梨花ちゃんはお友達、だから私もお兄さんに着いて行って一緒に守ります」
どうしてこうなった?
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