第五話 とある使い魔の顛末
一番奥のベッドで俺と同年代の女性が身体を起こした。何処と無く香苗ちゃんの面影がある。
他の患者も入院している病室だからか、足音を抑えるように小走りで母親に駆け寄る香苗ちゃん、パタパタと言うスリッパの音を追うようにして俺も病室に入った。
「貴方は…?」
香苗ちゃんのお母さんが胡散臭そうな目でこちらを見る。そりゃ十歳に満たない自分の娘がこんなおっさんを連れてきたら不審に思うのも仕方ないよね。しかもチンピラが着るようなジャージの上下だし。
「あー、はじめまして。黒川と言います。香苗ちゃんとは友達と言うか、使い魔として雇用されてると言うか…」
「は、はぁ…」
お母さん困ってるな…
俺だってこんな状況上手く説明できる自信なんて無いわ!異世界から呼び戻されて悪魔ぶっ殺して借金取りしばき回して、どんな一日だよ。なんて日だ。
それにしても香苗ちゃんのお母さん、顔色ヤバいな。白通り越して静脈の青みがかって来てる。腕もめちゃくちゃ細いし。
香苗ちゃんが言うには癌って事らしいが、恐らく膵臓癌とか自覚症状出ない類の癌なんだろうな。親戚のおばさんが昔膵臓癌で亡くなったけど、痛みや自覚症状の出難い膵臓癌は見つかった時点で手遅れになってる場合が多い。親戚のおばさんもそうだったし、今の香苗ちゃんのお母さんはそのおばさんの末期の頃と同じ顔色をしてる。
まあ何にせよやる事は一緒だ。
さっと香苗ちゃんに目配せすると、香苗ちゃんが手に提げたビニール袋からラベルのないペットボトルを取り出す。
いつも思うけど何でポーションってフラスコみたいなガラスの瓶に入ってんだろうね、そんなん渡されても怪しくて飲めないよ。だから適当なミネラルウォーターのペットボトルに詰め替えて来た訳ですよ。
「お母さん、これ飲んで」
差し出されたペットボトルに、お母さんが少々怪訝な顔つきで口を付けたのを確認した俺と香苗ちゃんは目を見合わせて微笑み合った。
癌細胞自体はこれで消え去るだろう。あとは暫く入院して体力を回復させれば問題無い筈だ。回復ポーションもあるけど、癌が消えて更に体力まで完全回復してたら医者もびっくりするだろうし、そんな珍事をマスコミに嗅ぎつけられても困るからな。
その後、暫し雑談して俺と香苗ちゃんは病室を後にした。
***
「お兄さん、ありがとう…」
病院からアパートまでの帰り道で香苗ちゃんがぽつりと言った。
「気にすんな。俺も香苗ちゃんのおかげでこっちの世界に戻る事が出来たんだ」
帰り道でもアパートに戻ってからも、香苗ちゃんにせがまれるままに色々な話をした。大体が異世界での事と魔法について。香苗ちゃんはなまじ才能があるせいか魔法には興味深々だった。あの罠に使われてた悪魔召喚の本を認識して起動させられただけでも、異世界で一端の魔法使いになれるくらいには才能がある。
「ねえお兄さん、私にも魔法って使えるのかな?」
「香苗ちゃんは魔法が使いたいの?」
「うん!」
いい笑顔で笑う香苗ちゃん。
この二日間でやっと見せてくれた屈託のない九歳らしい笑顔だ。
「わかった。簡単な魔法から教えて行くけど、これだけは守ってくれ。他人の目のある場所では使わない事。お兄さんとの約束だ」
こちらの世界に戻って来てから知った事だが、魔法を使う為の力、魔力と呼ばれる物は大小様々だが誰でも持っている。これは異世界でもそうだった。ただ、体系的にその力を使う為の技術が研究されていないから、誰もその力の存在に気付いていない。
魔力の存在を感知して、コントロールする事が出来れば、後は属性として発言させるのみ。異世界の人たちは水が生成される仕組みや火が燃える原理を知らなかったから全てを呪文に頼っていた。
魔力を火に変え放つ、ただそれだけの事に何節もの詠唱が存在した。
「まずは魔力の感知とコントロールだね。それじゃ俺の手を握って」
「うん」
小学三年生と密室で握手、うん、事案だな。
でも魔力を持っていてもその存在を感知できないなら師匠が外部から魔力を流し込んで魔力が身体の中を通る感覚を覚えてもらわなきゃいけない。決して疾しい気持ちは無いよ。
「これから俺の魔力をちょっとずつ流して行くから、魔力の流れが感じられたら教えてね」
向かい合わせに座って、俺の左手から香苗ちゃんの右手に魔力を流して行く。香苗ちゃん本人の魔力を阻害しないよう少しずつ、少しずつ流し込んでいく。
「なんか温かいのが手から肘に…」
「そう、それが魔力だよ。暫く流したままにしておくから自分の中にある香苗ちゃんの魔力と俺の魔力の区別が付いたら次のステップに進もう」
魔力を感じる訓練をしながらも、今度は香苗ちゃんが色々な話をしてくれた。父親である岩沼健次郎が二年前に亡くなった事、父親の経営していた会社が倒産し借金がある事がわかったこと、昨年から母親が体調を崩していた事、先月ついに母親が入院してしまった事、その辺りから怖い顔をした大人が部屋を訪ねて来るようになった事。
九歳にしてはしっかりと喋るな、やっぱり苦労してるからだろうか。
取立てに来ていたヤクザももう香苗ちゃんの前には姿を現さないだろうし、母親の病気も癒えた。あと数日で退院できる見込みかな。
そうなったら俺は用済みだ。
もう二度と香苗ちゃんには悲しい思いはして欲しく無いし、悪魔を喚び出すなんて事はしなくていい生活に戻って欲しいね。
***
それから三日で香苗ちゃんは魔力の感知に成功した。まだ春休みだった香苗ちゃんは俺が来る前まではだいたい毎日学校の図書室で時間を潰していたらしい。昼間家にいるとヤクザが来るってのもあったし、元来本が好きな香苗ちゃんにとって図書室はいい避難場所になっていたみたいだ。
「それじゃ、自分の魔力が感知出来た所で、今度は魔力のコントロールをしてみようか。魔力を右手に集められる?」
香苗ちゃんがうんうん唸りながら右手を前に突き出している。可愛い。
「そんな右手に力を入れなくても大丈夫。身体中に散らばって存在する魔力が感知出来ているならそれの流れに方向性をつけてあげるだけでいいんだよ」
教えようとしているのは光を灯す魔法、魔力さえコントロールできていれば、そこまで難しい魔法じゃない。向こうの世界なら夜に家の灯りを付ける代わりにちょっと手元を明るくしたい時とか、そんな使い道程度の魔法だった。
「魔力が指先まで来たら、魔力を指先から十センチ先の空間まで流す感じで、後は光をイメージしてこう唱えるんだ」
『ライト』
イメージするのはガスランタン
流し込む魔力がガス、その量が光量を調整する。後はイメージと魔法を起動するタイミングだけ。
何度か試していると、一瞬だけ香苗ちゃんの指先に微かな光が灯った。イメージしたのが蛍光灯の光だったのだろう、幾分硬質な白の強い光だった。
「やった!やった、出来た!」
一瞬だけでもライトの発動に成功した香苗ちゃんがはしゃぎ回る。
「見てました?今ちょっと光りましたよね?」
「ああ、ちゃんと見てたよ。後はずっと光らせ続けられるように出力のコントロールに慣れればいい」
はしゃぎ疲れたのと魔力の使いすぎから来る倦怠感の為か、香苗ちゃんは電池が切れるようにテーブルに突っ伏して眠ってしまった。
そっとブランケットを肩にかけてやってから、物音を立てないように部屋の外に出る。
「おう白石くん、わざわざすまんね」
アパート前の道でアイドリング中のBMWが待っていた。運転席には今日だけ俺の専属ドライバー兼、松島組若頭の白石くん四十二歳
「いや、このくらいなら構いませんが、あの娘に何も言わずに出て行って、後で泣かれますよ?」
「明日には母親も退院するだろうし、いいタイミングなんだよ。俺も五年間行方不明になってたようなもんだから一編実家帰って色々手続きもしなきゃいけないし」
BMWの後部座席に滑り込むと、事前に買って置いた星が七つプリントされたパッケージのタバコの封を切って口に咥え、百円ライターで火をつける。
異世界じゃ葉っぱを詰めるタイプのパイプタバコか葉巻しかなかった。戻って来てからも香苗ちゃんがいたから遠慮して吸わないようにしていたがもう我慢の限界だ。
「あっ、黒川のアニキ、この車禁煙なんですよ」
また白石くんがみみっちい事言ってやがる。
とりあえず運転席のシートを軽く蹴っておく。
「いいから黙って北を目指せよ。ゆっくり行っても二時間ちょっとだ。のんびり行こうぜ」
クソヤクザの車なのに白石くんのBMWは静かなエンジン音で滑る様に走り出した。
「さよなら、香苗ちゃん。元気でな」
小さく呟いた声とタバコの煙は、細く開けた窓から後ろに向かって流れて消えていった。
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