第三話 とある使い魔の我慢の限界
「菱山のボンクラ共、いつまで何やってんだ!」
絵梨花ちゃんの護衛依頼を受けてもう四日、明後日には香苗ちゃんと絵梨花ちゃんは春休みが終わり学校が始まってしまう。この四日間松島邸で俺がした事は、二人の魔法の訓練を眺めるだけ。
他の組織を経由して仲裁を頼んでみると言った松島会長からは何の連絡も無い。もちろん松島邸に菱山組の連中が現れる事も無かった。
要するに暇なのである。
「まったくどいつもこいつも…S市の利権が欲しいんだろ?だったら兵隊連れてすぐに攻めてくりゃいいじゃねえか、それをいつまでもちんたらちんたらしやがって。こっちだってそんなに暇じゃねえんだよ」
「無職のおじさんが暇じゃなかったら、この世界のどこに暇な人がいるっていうのかしら?」
絵梨花ちゃんが独り言に反応して、容赦無く俺の心を抉ってくる。
「ダメだよ絵梨花ちゃん。お兄さんはお仕事なんてしなくていいの、だって私が養うんだから」
養うって貴女まだ小学三年生でしょう…
「はいはいわかったわかった。俺の事は良いから魔法の訓練に集中しような。」
膝の上に座っていた香苗ちゃんを降ろして二人にそう告げた俺は絵梨花ちゃんの部屋を出た。行き先は一階の玄関近くにある応接室だ。松島会長からタバコはこの部屋で吸うように言われている。松島会長も喫煙者だが、幼い絵梨花ちゃんの手前喫煙する場所は応接室だけにしているらしい。
ソファに腰掛けた所で松島ファイナンスの社用携帯が鳴った。発信者は白石くん。
「黒川の兄貴、交渉は決裂だ。ウチの若い衆が菱山組に襲われた」
そうこなくっちゃ、楽しくなってきたぜ。
***
泉中央総合病院に着くと病室の前で白石くんが待っていた。いつもの落ち着き払ったインテリヤクザ振りではなく、配下を襲われたせいか苛立ったように貧乏揺りをしている。
「待たせた。状況は?」
「墨田会に仲裁を頼みに関東まで出向いている親父からはまだ何の連絡もありません。親父がいない隙を狙ってきたのか、昨夜近くで飲んでいたコイツらが因縁をつけられたみたいで、」
聞いてみればどこにでもあるようなヤクザの喧嘩だった。近くに事務所を構えて大小様々な嫌がらせをして手を出させる、それにやり返す形で戦争を始め、縄張りを広げて行くのが昔からの菱山組の手だと白石くんは言う。
「ただ、今回は少しおかしいんです。コイツらも多少腕に覚えはあるんですが、菱山組の連中と揉めた時は全く身動きすら取れなかったようで…」
ベッドに仲良く並んで寝ている三人の組員は打撲、骨折程度はしているが命に別状は無さそうだ。ただ、全員虚ろな目をしていて余り生気を感じられない。
薄らと魔力の残滓を感じる。
多分、生気を吸われているな。エナジードレイン系の魔法を使われた後は大抵こんな感じになるものだが、
「お前らが喧嘩になった相手は普通のヤクザだったか?」
我ながら質問の意味がわからないが、こう聞く以外にないよな。普通のヤクザって何なんだよ。
まあ間違いなく悪魔が絡んでいると思う。
何でこっちの世界に悪魔が居るのかはわからないけど、魔法が無いこちらの世界でエナジードレインの被害にあった人間がいる。香苗ちゃんが見つけた悪魔召喚の本の件もあるし、小学校の司書も悪魔だった。
「いえ…普通に飲んでいたら菱山組の連中に因縁つけられて、居酒屋の外に出たら女が待っていたんですよ。そいつの目を見たら身体が動かなくなって…」
怠そうに組員の一人が答えてくれた。
女、か。
「白石くん、コイツらを襲ったのは多分人間じゃない。アンタらには少し荷が重そうだ。ここからは俺に任せてもらうぞ」
「そうですね、三人から人間とは少々違う魔力を感じます」
「あら、何が相手でも絵梨花が負けるなんて事は有り得ないわ。白石、大船に乗ったつもりで任せていいのよ」
俺の後ろからひょっこり現れて好き放題言うだけ言って飛び出して行こうとする香苗ちゃんと絵梨花ちゃん。
「ダメだ、二人はお留守番な。白石くん、二人にアイスでも買ってやってくれるか?」
その首根っこを捕まえて白石くんに引き渡す。
後ろの襟首を掴まれてジタバタする二人が猫みたいで可愛い。
「あ、ダメだよ。敵に女がいるって聞いたもん、お兄さんはモテないからすぐに騙されちゃうんだから。私がついて行ってお兄さんに寄って集る悪い虫はプチっと潰してあげないと」
「せっかく覚えた魔法の実験台に丁度良いわね、白石、いつまで私の襟首を掴んでいるのかしら、早く放しなさい。命令よ!」
悪魔と思わしき人物が女って事と、俺がモテない事になんの因果関係があるんじゃい。
「二人に実戦はまだ早い。それに約束したよな?魔法は危ない事には使わないって。約束破るならもう魔法は教えられないな」
ジタバタするだけで二人は身体強化魔法は使っていない。もし二人が全力で暴れたら白石くん一人じゃ抑えきれないだろう。そのくらいは二人もわかっているようだ。
香苗ちゃんと絵梨花ちゃんの頭をひと撫でして病院から出た俺は人目を避けるようにして泉区の外れまで歩いた。
「この辺でいいだろう。いるんだろ?出てこいよ」
一人で言ってたら恥ずかしいなんてもんじゃ無いが、幸いにしてソイツはすぐに姿を現してくれた。もうちょっと遅かったら恥ずかしさと寂しさで泣いちゃう所だったぜ。いるんだろ?出てこいよ。キリッだって。うわーさぶい。
「何を身悶えしてるのさ、おかしな男だね」
さっきまで誰もいなかった空き地、俺の正面に姿を現したのは二十代前半くらいの細身の女だった。肩くらいで揃えられたボブカット、化粧っ気は無いが肌がツヤツヤしている。ちょっと険のある目つきに赤フレームのメガネ。仕事の出来るOLさんみたいな奴だなあ。
「すぐに出てきてくれてありがとう。ちょっと泣いちゃおうかと思ってた所だったよ」
さてさて、人間の生気を吸うって事は淫魔か吸血鬼と相場が決まってる。どちらも美しい種族ではあるが決定的な違いが一つある。
目の前の女の薄い胸板から少年のような尻にかけて、ジットリとした目付きで舐めるように観察する。
「チッ、吸血鬼か」
「今なんで舌打ちしたのさ!?」
あぁん?何で舌打ちしたかって?そんなんわかれやボケが。そりゃ付き合うならスレンダーな方が好きですよ、香澄ママみたいな。でもさ、サキュバスならこう何かエッチな攻撃とかしてくれるかもしれないじゃない、知らんけど。それがお前、そんな理系の男子大学生みたいなガリっとした体付きしてスーツにメガネって、あれか、出来る女アピールか?それで吸血鬼とか言われても何の期待もできんっちゅーの。
「念の為に聞いておくけど、何かこうエッチな攻撃とか無いよね?」
「あるわけないでしょ!そう言うサービスがして欲しかったら国分町行って一時間二万円払いなさいよ」
はあー(クソデカ溜息)
「お前らみたいな化け物が菱山組の味方してるのは不都合ありまくりなんだよね。人間のクズ同士の喧嘩なんだから、人外がそこに介入するのはどうかと思うわけ。わかる?理系男子ちゃん」
人払いの結界を周囲に展開して抑えていた魔力を解放すると、徐々に女吸血鬼の顔色が青褪めていく。普通の人間と思って舐めてかかったのが運の尽きだぜ。
「ちなみに結界もきっちり張ってるから逃げられないぞ。跡形も無く蒸発させられたくなかったら菱山組について洗いざらい謳ってもらおうかね」
ニヤニヤ笑いながら近づく俺と、俺の魔力に当てられたのか腰を抜かして後ずさる女吸血鬼。これどっちが悪役かわからんな。
「いやっ、やめて近寄らないで!」
「そう言うなよ。たっぷり可愛がってやるからよ」
あー、今の俺の顔、絶対知り合いに見せられないよなあ。でもしっかり脅して情報吐かせなきゃいけないし。た、楽しんでなんかいないよ?
「そこまでよ!変態中年!」
「さすがにそれ以上は見過ごせませんね、お兄さん、歪んだ欲求があるのは否定しませんが私以外に見せるのは良く無いですよ?」
女吸血鬼が結界の端まで追い詰められ、その目尻から涙が溢れた瞬間、背後から俺を容赦なく罵倒する二つの声が聞こえてきた。
「お前ら、留守番してろって言ったよな?」
苦々しく笑って振り返って見ると、そこには見慣れた二人の幼女が立っていた。まるで悪役を見るような目で俺を見つめながら…
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