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さやけき月を愛でる君  作者: 森戸玲有
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呪術の痕跡

◆◆◆


「な、何をっ!?」

「だから、大声はよしなさいって」


 東宮は、柔らかく維月を諌めた。


(さすがだわ……) 


 激しく動いたのに、烏帽子に乱れがない。


「あんまり、ここで騒ぐと、私の従者も貴方の女房たちも、即刻駆けつけて来ますよ」

「し、しかし」


 ……くつがないではないか。

 東宮が沓も履かずに外に出るなんて、前代未聞だ。


(私の沓を差し出すべきなのかしら?)


 困惑していたら、東宮は維月の目と鼻の先に近づきつつあった。


「あっ」


 恥じらいも忘れて、維月は東宮を凝視してしまった。

 切れ長の漆黒の瞳に、高い鼻梁。薄い唇。

 非の打ちどころもないくらい、整った顔立ちをされている。華奢ではあったが、背は高く堂々としていた。

 今日は、政務のついでのようで、先日の寛いだ直衣とは違い、凛とした衣冠姿だった。

 今まで、維月が会ったこともない、高貴で優美な御方……。


(やっぱり、この御方は主上になられるんだわ)


 澄良親王。

 御名前のとおりだ。

 そこに東宮がいるだけで、場の空気が澄んでいくようだった。


「ずいぶん、じろじろ見ますね? 私に何か憑いているのですか?」

「あっ、わっ、不躾に申し訳ありません!」


 さすがに不敬だ。

 維月が慌ただしく後退ると、東宮は目を丸くして、その姿を追っていた。


「……貴方は、感情豊かなのですね?」

「すいません。莫迦なのです」

「謝ることはありませんが」 


 ぽつりと言って、東宮は首を傾げた。


「まあ、確かに、常識から逸脱していますけどね。仮病まで装って、男装までして、こんな所に一人でいて、挙句、先日のことは忘れて欲しいと言ってくるなんて。作戦変更をやめて、自信満々に犯人を捕まえると息巻いているということは、貴方なりに、呪詛の犯人についての目星がついたということでしょう?」

「……あ」

「つまり、貴方と仲良くしていた方が、犯人を刺激するということですか? くだらないな」


 言下に一蹴した割には、東宮の黒い瞳は揺らいでいた。

 ――図星だ。

 どういうわけか、東宮と面会したことで、維月が張っていた網に敵が痕跡を残したのだ。

 それにしても、維月が良かれと思って口にしたことは、疑惑だけを東宮に抱かせてしまったらしい。本当に莫迦だった。


「それで、一体誰なんです? 私は昔から、帝や陰陽師たちに、呪詛を仕掛けられているなどと言われ続けてきましたが、そのような道具も目にしたことがありませんし。この通り、身体も頑健です。まったく見当もつきませんけど?」

「それは、まだ……。お話できるほど、確定とは言い難いんです。申し訳ないのですが」

「私には言えないと?」

「とんでもない! そういうわけじゃないのです。ただ私の判断では……」

「いい加減、きっちり話してみたら如何ですか? もし、貴方が私に、実家のことや貴方自身のことを信じて欲しいと思うのなら、少しでも私が納得するような事情説明が必要でしょう?」

「事情説明……ですか」


 維月の頭の中は、混乱の嵐が吹き荒れていた。


(困ったわ……)


 父からは、東宮には何も話すなと命じられている。

 維月にとって、東宮は雲の上の人だ。

 しかし、更に父の命令は、神仏からの啓示にも等しかった。

 ひとしきり考えてから、維月は差し当たりないことだけ話すことにした。


「実は……。私、夢を見て」

「夢?」

「ええ。それで、手掛かりを探して、男装して後宮内を歩いていたのです」

「呆れた人ですね。また帝の妃たちから、陰口を叩かれますよ」

「別にそれは、気にならないのですが」

「いや、気にした方が良いと思いますよ。貴方が後宮に長くいるつもりがあるのなら、もっと……」


 と、そこまで捲し立ててから、東宮ははっとなって、唐突に話題を元に戻した。


「……夢って、ここ淑景舎しげいしゃを見たのですか?」


 戸惑いながらも、維月は頷いた。


「あっ、はい。ここだと思います。私、部屋からほとんど出たことなかったので、見つかるかどうか心配だったのですが、分かって良かったです」


 後宮の端にひっそりと佇む殿舎。

 蔀を開けたりして、手入れはされているが、今は、無人らしい。


(絶対、ここだわ)


 鬼の形相をした女性が、まさしく、月草の植わっている近くに何かを埋めていた。

 まさか、そんないわくつきの場所が、維月の部屋のすぐ隣だとは思ってもいなかったが、これも運命なのだろう。


 ――維月は、夢の中で呪術の痕跡を辿ることが出来る。


 もっとも、古い痕跡を辿ることは出来ないし、東宮の近くにいないと不安定だったり……と、扱い辛い能力には違いないのだが……。


「こちらにお住まいだった方って、どのような方なのでしょう?」

「まさか、夢如きで、ここにお住まいだった御方を疑っているのですか?」

「滅相もございません!」


 大げさなほど、首を横に振っている維月に、溜息を零した東宮は、そっぽを向いて答えた。


「どうせ、すぐに分かることだから、お答えしますが、こちらは私の腹違いの弟の母君、桐壺の更衣殿が昨年までお住まいだった場所です。弟の喪が明ける頃まで、そちらにおられましたよ。私も今でも仲良くしてもらっています。今は、山科で静養に努めておられるはずです」

「弟君の母上様……ですか。確か、東宮さまの弟君は、二年前……」

「ええ、亡くなりましたよ。その辺り、九曜家の方が詳しいでしょう?」


 東宮の目が、探るように細くなった。

 敵意に似たような、謎の緊迫感に、維月は身体を震わせる。


「申し訳ありません。残念ながら、私はそのことについて、父からほとんど知らされてないのです」

「ほとんど……ね」

「二の宮が身罷われたと、そのくらいしか。本当です」


 真摯に主張すると、今まで頑なだった東宮の気配がふわりと和らいだ。

 そして、檜扇で巧みに表情を隠しながら、独り言のように語り始めたのだった。


「貴方が父君から聞いた通り、私の弟は二年前の呪詛騒動の折に、急逝しました。弟は才気渙発で、これからの時代を担うに相応しい人でした。あんなに頑健な人だったのに、あっという間に逝ってしまって。私はいまだに、あの人が何者かに殺められたのではないかと疑っているのですよ」


 東宮の声が震えていることで、維月は改めて自分の言動を後悔した。

 やはり、父の指示なしに、気安く話してはならなかったのだ。

 謝らなければ……。

 維月は、更に一歩後ろに退いてから、深々と頭を下げた。


「失礼いたしました。私、東宮さまに、大変お辛いことを思い出させてしまいました」


 東宮にとって、弟君は大切な方だったのだ。

 二年前の件に遺恨があるのなら尚のこと、「呪詛」に対して、東宮は敏感になってしまうかもしれない。

 維月や九曜家に対して、殊更冷たい態度を取っていたのも、合点がいく。

 維月は、この尊い御方を悲しませたり、苦しませたりしたくはないのだ。


(ずっとお健やかに、御心を乱されず、過ごして欲しいだけなのに……)


 一体、何を話したら、気持ちが凪ぐのだろう?


「あの……東宮さま」

「何ですか?」

「畏れ多いことですが、私、少しだけ……。ほんの欠片だけかもしれませんが、東宮さまのお気持ちが分かるような気がするのです」

「貴方に……ですか?」

「実は、私にも兄がいて」

「はっ?」


 生温い微風が、二人の間を吹き抜けた。

 同時に、姫様……と、自分を探す声が聞こえてくる。

 維月のお抱えの女房だけなら、ここまで騒動にはならなかったが、東宮の突然の来訪によって、大事になってしまった。

 急がなければ……と、維月の口調は自然早くなった。


「私の兄は、体が弱かったため、出仕はしていませんでしたが、私と兄は、とても仲が良かったんです。兄は真面目で、とても優しい人で、私の自慢でした」

「……まさか、貴方の兄君も?」

「ええ」


 維月は小さく頷いた。


「私の兄も丁度二年前のその頃、あっという間に亡くなってしまったんです」

「それは、真実の話ですか?」

「その頃は、父も喪中で出仕していなかったはずですよ」

「でも、そんな……。私は知りませんでした。太政大臣は、いつも宮中にいるかいないか分からない人なので。でも、普通そのような大事、私も誰も知らないはずが……」


 もはや東宮は動揺を隠さず、ぼそぼそと呟くばかりだ。

 おそらく、頭の中で別のことを考えているのだろう。


(私のこの話を信用できるか、どうか……かしら?)


 それで良いのだ。

 維月は信じてもらいたくて、話しているわけではない。


「人の命って、儚いですよね。ある時、突然いなくなってしまったりして。けど、それを無念だと決めつけるのも、生きている者の思い上がりだと思うのです。きっと、あの人は幸せだったのだと、この世のお役目を果たせたのだと思ってあげないと、辛いじゃないですか? 私も……自分が死んだ時、そう思ってもらいたいから」

「貴方は、寂しくないのですか?」

「もちろん、少しは……。でも、私もいずれ兄の処に逝きますから。兄の死を悲しむのは、自分がこれからも生き続けることが前提だからだと思うのです。いずれ逝くことが分かっていれば、そんなに悲しくない。不思議ですよね」


 維月は微笑みながら、再び月草の方に視線を落とした。

 九曜家の屋敷の庭にも、月草は咲いていた。

 兄は小さい頃から身体が弱くて、外に出て見ることも叶わなかったのだ。

 だけど、自分は幸せだと、いつも笑っていた。


「貴方は……」


 ぽつりと呟いてから、東宮の手が、ゆっくりと維月に伸びてきた。


(あっ、また、私、失敗した?)


 小娘が知ったようなことを吐くなと、頬を叩かれるのなら、仕方ない。 

 目をつむって大人しくその時を待っていると、しかし、東宮の指先が維月の頬に触れるか否かのところで、瀬野の怒鳴り声が乱入してきた。


「姫様、一体何処にいらっしゃるのですか!?」

「大変、もう戻らないと……」


 よりにもよって、瀬野に見つかったら、どんなお小言を食らうことか……。

 しかし、動きだそうとした維月を庇うように、東宮の方が先に背を向けた。


「……朱音あかね

「えっ?」


 東宮は振り返ることなく、そのまま告げた。


「幼少の頃に亡くなった母が、私のことをそう名付けて呼んでおりました。私は女人みたいで嫌だとごねていましたが、男子が健全に育つために、女子の振りをして呪いをするのだと……。母は言って聞きませんでした。今はもう、私に対して、その呼び名を使う者は誰もいません」

「東宮さま?」

「それは敬称です。私のことは、朱音と呼んで下さい。たとえ限られた時間であっても、貴方とはまたお会いする機会があるかもしれませんから」

「そんな、私ごときが……」


 だが、維月の言葉を皆まで待たずに、東宮は再び軽やかに渡殿に上って、何食わぬ顔で簀子を歩き始めてしまった。


(……朱音……さま)


 脳内で反芻してみて、維月は生まれて初めて、胸が一杯になるような切ない感情を味わった。

 けれど、東宮の意図は、さっぱり読めなかった。

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