零話:Ⅲ
足跡を辿って着いたのは、先の教会と同じ、古びた木造建ての建物だった。用心深く近づいて窓から覗き込んでみると、床にばらばらと本が散らばっているのが見える。どうやら、この建物は図書館らしい。……こんな辺境の田舎町に、これだけの量の本があるなんて。
暗がりのせいで、床に転がっている本以外は殆ど何も見えない。念のため、正面の横扉からではなく、裏口から入り込む。黴と古びた紙の香りが鼻腔を擽った。
一歩、二歩と、音を立てないよう抜き足差し足で進んでいく。殆ど無駄な努力だと思うけど、念のため火は灯さないで進んでいく。中央部分に到達するも、人の気配は全くない。ふと、床に散乱していた、ぼろぼろの新聞の切れ端を拾い上げて、日付を確認してみる。案の定というべきか、大災厄が起きた年である皇歴492年で止まっていた。
「にゃー」
ふと、愛猫の鳴き声が右奥から。音の発生源に少しずつ近づいていくと、壁を背にして設置された長台に、閉ざされた扉が見えた。扉の上には、掠れた洋墨で「司書室」と書かれた標識が。ということは、ここが本の貸し借りが行われていたのだろう。そして、この扉の向こう側に、多分カグラがいる。
金属製の取っ手に手をかけるも、一瞬躊躇う。この扉は閉まっている、でも向こうでカグラがいるということは、誰かが意図的にカグラを招き入れたということに他ならない。即ち、これを開けてしまえば最後、僕は此処にいる人間達対峙することになる。
それでも、すべきか。あるいは、カグラを見捨てて逃げるという手もある。今までの旅路で会ってきた他の「旅人」の記憶が脳裏を過る。大体碌でもない奴ばっかりだ。とはいえ。僕に発生するかもしれない危険とカグラの命。
どちらを優先するか。天秤にかけるまでも無く、答えは決まっていた。
ゆっくりと扉を開けて。僕は息を呑む。
とても小さな部屋だった。壁伝いに本棚が所狭しと立てられ、沢山の本ががっちり詰め込まれている。床にも同じで、沢山の本が床一面に散らばっていた。部屋の中央には、小さな木製の丸机が一つに、安楽椅子が二つ。机には蝋燭が置かれ、小さな火が灯っていた。その横には、更に本が積み上げられている。
椅子には、小柄の人物が。暗灰色の外套を被り、安楽椅子に深く腰掛けている。カグラを膝に載せ、真っ白な手で頭を撫でていた。
「みゃーお」
ものっそい気持ち良さそうにカグラは鳴いていた。……僕の心配を返してほしい。
そして、その者の顔は。
「……子、ども?」
白と銀が織り交ざった長髪に、透き通るような白磁の肌、そして、右目上部から下頬にかけて斜めに刻まれた、深い裂傷の跡。僕の相棒のカグラを撫でていたのは、まだ年端もいかない、十四、十五ばかりの少女だった。
「き、みは」
まさか。まだ、この世界に子供がいるなんて。
もういない、もう見ることの叶わないものだと思っていたのに。
呆けた僕の言葉に呼応して、少女がカグラから僕へと視線を移す。その琥珀の瞳には、若干、いや、かなりの不満の色が。
「子どもで悪かったな」
とても不機嫌そうに、言葉を放つ。見かけと違って、随分と大人びた声色だった。
「……それは、その。失礼しました。貴方のような若人はとても珍しいものでして、つい無礼を」
「キミとて、そこまで歳を食っているわけでもなかろうに。あと敬語は止めてくれ、むずかゆい」
「申し訳ありま、あ、いや。違いますね、ええと、ごめん。……あんまし、敬語抜きで話すの慣れてなくて」
「謝ってばかりだね、キミは。……本当に、こんなんで大丈夫なのか?」
今度は、飽きれが混じった声色で。銀髪の少女は、独りごちてから。
「まあ、いいや。初めましてだね、「運び屋」さん。キミの噂はかねがね聞いているよ。私はイーリャという者だ」
「早速だが、キミに依頼したい。私を、「最果ての塔」へと導いてくれ」