生まれる前
私の名はソフィア・サルキシャン、アルツァフ共和国で看護学生だった。
アルツァフ共和国、私たちは独立を宣言して、世界で3か国は承認している。ただ、残念なことに、世界ではアゼルバイジャン共和国のナゴルノ・カラバフ自治州と言った方が通じるの。
2年前、私が17才の時、アゼルバイジャン軍が私達の国に侵攻してきた。
朝いつもと同じように起きたら、停電になっていたの。テレビも、電話も、携帯も、全部使えなくなった。最初はただの停電だと思ってた。お母さんが朝食の仕度が出来ないとぼやいていたわ。停電は直らず、翌日も続いた。
私は首都ステパナケルトから少し離れた村に住んでいた。
テレビもラジオも使えないし、当然インターネットも繋がらず、外の世界がどうなっているのか、全く分からなかった。
近所の家のおじさんが、アゼルバイジャン軍が首都を攻撃していると、村の各家に伝えて回って、私の家にも来た。
私はすぐに近くの集会所に行った。
アルツァフ共和国、つまりナゴルノ・カラバフ州は、アルメニア人が70から80%を占めていて、残りの20から30%はアゼルバイジャン人。
でも、国土としては、アゼルバイジャンの1自治州という扱い。
アルメニア人と、アゼルバイジャン人は民族が違うの。
アルメニア人はキリスト教で、ロシア人に近い。一方、アゼルバイジャン人はイスラム教で、トルコ系。
だから、ずっと昔、祖父母のソ連時代からナゴルノ・カラバフ州はアルメニアへの併合を求めていた。当時はモスクワへの陳情という、至極真っ当な穏健な方法で。
約30年前の両親の時代に、当時のペレストロイカのタイミングで、ソ連からアルメニア、アゼルバイジャン共に独立。さらにナゴルノ・カラバフ州はアゼルバイジャンから独立宣言し、アルツァフ共和国と名乗った。
当然、アゼルバイジャンは反対し、アルツァフの独立の仕方が強行だったので、両者の仲は悪くなった。アルメニアはアルツァフを支持し、アルメニアとアゼルバイジャンの間で、最初は散発的な紛争が勃発。だんだんエスカレートして、正規軍による衝突、いわゆるナゴルノ・カラバフ戦争が起きた。
この戦争は6年続いた。
結果はアルメニアの勝利で停戦。ナゴルノ・カラバフ自治州はアルメニア軍の保護の元、アルツァフ共和国として実質的に独立できた。
戦争が終わっても、仲が悪いのは変わらず、いつアゼルバイジャンが攻めてくるか分からない状態だった。
そんな時代に私は生まれた。
看護学校に入学し、ほとんどの学生がそうするように民兵団にも所属、衛生兵として訓練を受けた。
17才のある日。
アゼルバイジャンが攻めてきた。