落とし穴
目の前に落とし穴の壁があり、さっきまで走っていた通路の床は、私のはるか頭上に見える。落とし穴の底はとても深いようで、真っ暗で見えない。
落ちることより、暗闇の中に入る恐怖心を強く感じる。
あんな漆黒の闇の中に吸い込まれるんだ。
その時、誰かが私の手首を捕まえて、ガクンと私の落下が止まる。
そっちを見ると、涼くん。
彼も私と一緒に落とし穴に落ちたみたい。
でも、落とし穴の壁の出っ張りを片手で掴み、もう一方の手で私の手首をつかむ。
「引き上げるよ」
そう言うと、私を片手で彼の肩辺りまで持ち上げる。
「僕の首に抱きついて」
涼くんの首に、後ろから抱きつく。抱きつくといっても、おんぶみたいな恰好で。
上を見上げると、天上さんが落とし穴の淵にしゃがみ込んで、下を覗きこんでいる。それから、ぷいっと横を向くと、立ち上がって行ってしまう。
頭上で、落とし穴の蓋が再び閉まり、周囲は真っ暗。
「薄情な奴だ」
「私たちを助けてくれると、思っていたのですか?」
「いや」
私は足で彼の胴体をはさむ。
彼は、壁の出っ張りを探しながら、私をおんぶしたまま、一歩一歩両手両足で上る。
でも、突然止まる。
「どうしたのですか?」
「風が下から来る」
「えっ?」
確かに落とし穴の下から、微かだけど空気の流れがある。
涼くんが下を向き、何かを探すように、あちこちを見る。
「あそこに、横穴がある」
「どこですか?」
暗闇で、私には何も見えない。
「ちょっと下がったところの、あそこ」
涼くんが指射ししているような気配だけど、真っ暗。
「見えるのですか?」
「見えるよ、スターライトスコープだから。それに温度センサーもあるから、君のことも、はっきり分かる」
そう言ってくれるだけで、心強い。
「多分、あっちの方が抜け出せる可能性、あると思う」
「お任せします」
彼は私をおぶったまま、落とし穴を下り始める。
しばらく降りると、おぼろげに横穴が見える。
そこに降り立つと、私を背中から下す。
「出口の見込み、ありそうですか?」
「まだ、分からない。でも、この横穴から風が吹いてくる」
そう、確かにこの穴の奥から風が吹いてくる。そして、風があるのは、つまり、外界とつながっているはず。
でも、真っ暗で、どっちが上か下かも分からない。
「見える?」
「全然見えないです」
「じゃー」
彼は今度は、私を抱っこする。お姫様抱っこ。
これ、池袋のビル火災の時もしてくれた。
「また、つかまって。今度は軽くで良い」
そう言うと、彼は横穴を軽く走り抜ける。私には真っ暗で何も見えないけど、涼くんなら、ぶつかったりしない。
加速の度合いから、横穴が右に曲がったり、左に曲がったり、登ったり、下ったりしているのが分かる。
こんな地下深くで、出られるか分からない状態で、本当なら絶望してしまいそうな状況なのに、なぜか穏やかな気分になれる。
私は、そんなに抱っこされるのが好きなのかな?
赤ちゃんが親に抱かれたい気持ちが分かる。
この年でも、抱っこされるって、気持ちがいいんだ。改めて知る。
しばらくそんな状態で走っていたけれど、前の方にボーっと明るさが見える。
でも、外界の明るさではなくて、青白い明るさ。
段々、その明るさに近づくと、通路の壁に人が通れるくらいの穴が開いていて、その奥が光っている。
私と彼は、その穴を覗いてみる。
すると。