地下水脈
彼はトンネルの壁面に設置している非常箱を開けると、懐中電灯を取りだし、私に投げて渡す。
「僕は暗闇でも見えるけど、君は見えないんだろう」
彼は崩れた壁を乗り越えて、真っ暗な穴に入っていく。
「本当に、ここへ行って出られるのですか?」
床も天井も壁も、天然の岩で、落盤が起こりそう。
彼はさっさと一人で奥へ歩き出す。一人で下水道内に取り残されるのは怖い。
仕方がないから、彼に付いて行く。
懐中電灯で辺りを照らすと、いかにも洞穴という感じ。
洞穴は下り坂になり、地下へどんどん進む。
空気が急に冷えてくる。ひんやりを通り越して、少し寒い。その寒さのせいか、まったく生物の気配がない。
下水道のトンネル内で私たちが走って行くと、ネズミやゴキブリが急いで逃げる気配があった。
でも、ここではそのような生き物の気配が全くない。さらに全く音がしない静寂。
もし懐中電灯が無ければ暗黒で、完全な死の世界。
日本書紀で、イザナキがイザナミを追って黄泉の世界へ行くという話があるけど、その黄泉の世界とは、まさにこんな所だろう。
高校生にもなれば、暗闇が怖いということはないけれど、ここは人間の来るところではないと、本能的に感じる。
「ねえ、やっぱり戻りませんか?」
「でも、今戻ると、彼らが待ち構えているよ」
彼はずんずん進む。
すると、ちょろちょろと、何かの音が聞こえる。
「何か音がしませんか?」
やっと彼が答えてくれる。
「水の流れる音」
「水の音?こんな地下の奥深くでですか?」
さらに歩くと、洞穴の端がぽっかりと開き、その先に川のような水の流れがある。地底の川の幅は5m以上ある。深さは暗くて分からないけど、幅から考えると、結構深そう。
私たちの目の前を右から左へ、結構速く、水は流れている。
川の天井は、私たちが来た洞穴より少し高い。
つまり、地中に直径5mくらいのチューブがあり、その下半分に水が流れている。
まるでトンネルの床に水が流れているような感じだけれど、さっきの下水道の水とは違い、汚いという感じがしない。臭いもしない。
懐中電灯の光で水面を見ると、キラキラ輝いて、透き通っている。川底は見えないけれど、とてもきれいな水だということは分かる。
「なんで、こんな地中深くに川があるのでしょうか?」
「京都の地下には、こんな水脈が縦横に走っているんだ。もともと盆地で、北の山脈からの地下水が、集まってくるんだよ。南には昔、巨椋池という大きな池があった。今は埋め立てられたけど、今でもそこの地下に集まって、淀川から大阪に流れるんだ」
地下水脈の川上の先は真っ暗で、どこから流れてくるのか分からない。それは川下も同じ。
完全の暗黒。この川脈に落ちて流されたら、助からない。
あれっ
洞穴は、この地下水脈で行き止まりと思っていたけど、水脈の縁の壁沿いに小路が付いている。
小路は1人がギリギリ歩けるくらいの、狭いもの。でも、天然の小路ではなくて、明らかに人の手で、床が平らに整地されている。
「さっ、行こう」
彼はその小路を進む。
「えっ、この小路は、人工ですよね。涼くんはこの小路を知ってて、ここへ来たのですか?」
「そう。巻物に書いてあった」
「前、巻物の内容を説明してくれた時は、たしかそんな話はしなかったと思いますが」
「3つの巻物をそろえて、最後の部分を頭の中で重ね合わせた。すると、この地下通路の地図が出来上がった」
「建設事務所で、巻物の中身の確認をした時、暗記したのですね。でも、この小路はどこに続いているのですか?」
「それは分からない。でも、こっちの方向へ行くと、×印があったから、出口かもしれない」
良かった。彼は、出口までの道順を覚えているんだ。
安心して付いて行ける。
しばらく進むと、地下水脈が二手に分かれている。
小路はその一方に付いていて、道なりに進む。
所々で、地下水脈は分岐したり、合流したりを繰り返し、まるで迷路みたい。
下水道トンネルも複雑だったけど、まだ規則性があった。
地下水脈は規則性もなく、水の流れのままに、いつどこでどう分かれるか分からない。
真っ暗で気が張り詰めているせいか、意外に疲れを感じない。時間の感覚が無いからかもしれない。
「どのくらい歩いたのでしょうか?」
「ほぼ1時間」
「何で分かるのですか?」
「体内に、時計があるから」
「あっ、それ、便利です。どのくらいの距離を歩いたのとかも分かりますか?」
「うん、約5㎞。ほぼ真北に向かってる」
「距離や方角も分かるんですね」
「うん、慣性ジャイロもあるから」
何気ない会話だけど、他の人に聞かれたら、びっくりするだろうな。
当然、周囲は誰もいないから聞かれない。
心なしか、少し登り坂になっているみたい。
小路の横の川幅がだんだん狭くなってくる。同時に水の勢いが急流になってきている。何となく、空気がさらにひんやりしてくる。
地下水脈のトンネルの口径もだんだん狭くなってくる。