巻物
翌日、学校で山田さんから巻物を受け取ると、夜、家で涼くんに見せる。
涼くんはすでにバイトから帰っている。
池袋のアニメイベントの次の週から、涼くんはバイトを始めた。
「バイト探してくる」
と、急に出かけて行った。
涼くんは食べないし、飲まないし、汗もかかないから服を洗濯する必要もない。充電の電気代がどのくらいかかっているか分からないけど、目に見えないから意識できない。
だから彼の収入が特に必要という訳ではないんだけれど、自分からバイトしたいというのであれば、止める理由はない。
「駅前のホストクラブとかで、ホストとかするんだろうな。そうしたら、月100万くらいすぐ超えるだろうし。そのうち、私なんか相手にしてくれなくなるかも。」
なんて思ってた。
口が悪いというか、私を小馬鹿にしている尊大な態度とか、接客業には不向きな要素もあるけれど、多分彼の頭脳なら、その辺りは演技できるだろう。
そうしたら30分くらいで帰ってきて、
「決まった。交差点のコンビニ」
と言う。この辺で、交差点のコンビニと言えば、歩いて5分くらいのコンビニ、1軒しかない。
「そうなんですね」
私は拍子抜け。
と、こんな事情で涼くんはバイトに行くようになったが、夜シフトではないので、夕方には帰ってくる。
「これが、昨日言っていた巻物?かなり古そう」
巻物を閉じる紐は脆く、途中で切れていて、用をなさない。
巻物を食卓の上にコロコロっと転がして開く。
かなり横に長い緑色の和紙の台紙の上に、それより少し小さめで、所々に染みのある薄い灰色の紙が貼りつけてあり、そこにくずし字がつらつらと縦書きで書き連ねられている。
紙はかなり脆く、ちょっと力を入れれば破れそう。
先頭の崩し文字が、何となく雰囲気から”雲隠”と読める。
「雲隠?源氏物語の一帖に、そんな名前のものがあった。たしか、タイトルのみで中身は無く、幻の帖と呼ばれている」
彼はじっと集中して字を追い、時々巻物を少し転がし、読む場所をずらす。
30分ほどで、一通り全部読み終わった後で、言う。
「ある貴族が出家して、最後には亡くなる話」
「貴族って?」
「主語が書いていないので、分からない。でも、雲隠というタイトルから源氏物語の1節だとすると、光源氏じゃないかな」
「光源氏?古文で習ったような気もするし、習ってないかもしれないし」
「そんなことも知らないの?紫式部の源氏物語の主人公だよ」
紫式部、平安時代の女流作家、女官、歌人。源氏物語の作者として有名。小倉百人一首に彼女の歌がある。
藤原為時の娘で、式部の呼び名は父親の官名式部丞から来ていて、当時は藤式部と称している。後に「源氏物語」の主人公・紫の上にちなんで紫式部と呼ばれる。
藤原宣孝に20歳で嫁ぎ、21歳で一女を生むが、23歳で夫と死別。28歳の時、一条天皇の后・彰子さまに家庭教師役として仕え、34歳まで続ける。その後は諸説あるが不明。
涼くんが呆れたようにざっと紫式部について説明してくれる。
「何か、謎っぽい話はありましたか?」
「特にない。権勢のあった人が年老いて訪れる人も少なくなり、最後は誰に看取られることもなく亡くなるという、悲しい話」
「ふーん、そうなんですね。山田さんのおじいちゃんは、何が謎だったんですかね?」
涼くんも、首をかしげる。
「でも、源氏物語の雲隠なら、唯一欠落している帖なので、貴重ではある。君の友達は、どうやって、この巻物を手に入れたか聞いてる?」
「山田さん、私の同じクラスの子なんですが、その子のおじいちゃんが、知り合いの旧家の蔵の中で見つけたものを、譲ってもらったんです。大学の研究室で調べたり、自宅に持って帰って調べていたりしたらしいけど、定年退官して、そのまま自宅で調べ続けてたって、聞きました。おじいちゃんのライフワークだったらしいです」
台所へ行き、ぶどうジュースを飲む。なんだかのどが渇く。
彼は、巻物をジロジロと見て、紙の質や文字の墨の上を指で軽くなぞったりする。
「こういう古文書は、江戸時代辺りの写本が多いけど、これは紙質も墨も約1000年前のもので、偽物ではない。平安時代に誰かが書き写した写本の可能性もあるけど、紫式部の直筆の可能性もある」
私はジュースのコップを持って、食卓へ行き、彼に話しかける。
「あまり、山田さんのお役には、立てなかったですね」
「ただ、ちょっと気になる点はある」
「何ですか?」
彼は巻物をコロコロを転がして、最後の部分を指さす。
「ここ。”三書あつめたまへ”。直訳すると、この巻物と同じようなものを3つ集めろ、と。そして、その後ろ」
その後ろに、染みなのか意図した模様なのか、落書きのような図がある。
「模様なのか、それとも何か書き損ねたものなのか、不明だけど、何か意味がありそう」
よく見ると、ランダムな図の中に、所々漢字がバラバラに散っている。
「何でしょうか?昔の人のことだから、筆の練習でしょうか?」
私はもう興味を失くして、明日、山田さんに返すつもりでいる。
やっぱり、こういうのはもっと専門家にお願いするべきだと思う。私たち素人では、雲をつかむような話。