焼却
それから、天上さんは近くに落ちている黒革のカバンを拾い、中身を確認し、満足そうに言う。
「無事回収完了」
私と涼くんの方へ向いて聞く。
「大丈夫だった?」
「はい、特にケガもしていないです」
「さっきの砲撃はびっくりしたね」
胸ポケットから簡易型の双眼鏡を取り出すと、はるか遠くの海上を見る。
「海自の護衛艦たかなみ、か。政府もこのことは把握していたんだな。それにしても仕事荒いなー」
いえいえ、あなたたちも十分荒いと思う。深夜に銃撃戦を行って大きな音が周辺一帯に響いているし、黒煙は濛々と立ち上っているし。
彼はカバンの中身の書類を取り出すと、ライターで火を点けようとする。
「燃やしてしまうのですか?」
一生懸命回収しようとしていたから、大事な文書なのかと思っていた。
「ああ、そうだよ。これがあると、いろいろと不都合が生じるからね」
「でも、それって、重要な文書なのではないですか?近衛文麿って教科書で読んだことがあるし、天皇の御璽が付いているのなら、どこかの博物館に寄付したりして残しておいた方が良くないですか?」
「それが我々の使命だから」
「我々?」
天上さんや桐生さんは一体どういう組織で、何のために動いていたのか不思議だったけれど、組織の使命で動いていたということ?
よく分からないという、少し不満そうな顔を私がしていたのかしら。天上さんは続けてくれる。
「これがあると、米軍が日本から撤退するきっかけになるんだよ」
「米軍?そうなのですか?でも、なぜ?」
「米軍が日本の軍国主義と闘ったというストーリーが崩れるからさ。このK文書は日本に共産主義の脅威が差し迫っていたことを示しているだろ。当時、一部の政治家と軍部が日本の共産化をもくろみ、それに脅威を感じた資本家はアメリカを巻き込んで、日本が共産主義の国になることを防いだ。太平洋戦争の目的はアメリカに占領されることであり、それに反対する日本軍を壊滅させることだったんだ。このK文書が表ざたになれば、アメリカは日本の資本家に利用されたということが明らかになってしまう。それは20世紀以降のアメリカの外交史における唯一の成功例が消えてしまうことを意味する」
分かる?という感じで私を見る。
「つまりアメリカが戦争をして勝てば、その相手国は経済復興し世界的な経済大国になるという無邪気な自信。第2次大戦後のアメリカはベトナム戦争、アフガン戦争、湾岸戦争、また中南米の左翼政権への介入を繰り返したけれど、それらは全て太平洋戦争後の日本占領の成功とその後の日本の高度経済成長が自信の源なんだ。それがもし仕組まれたもの、八百長であるとしたら?アメリカは一気に自信喪失し、かつてのモンロー主義に逆戻りして、北米大陸に引きこもってしまう。それはとても困るんだ。なぜなら海外に展開する日本企業にはけつ持ち、後ろ盾が必要であり、自衛隊にその能力はないから。それなのにアメリカの外交は日本以外はことごとく失敗して、日本だけが特殊だったと疑われつつある。80年前世界中をペテンにかけ、自国とアジア全域の防共をアメリカに丸投げした日本のメッキが剝がれつつある。我々は米軍が引き続きアジアに駐屯し、そのために日米安保が継続されることを望んでいる」
つまり、共産主義にならないために、戦争をした?無茶苦茶じゃないですか?
「でも、そのために、何万人、いえ何十万、何百万という人が死んだじゃないですか」
「我々、正確には我々の先代だけど、その使命は命を守ることではなくて、資本を守ることだから」
「資本を守る?」
うんうんと彼はうなづく。
「学校で習っているだろう?それに、国内にも海外にも堂々と宣言しているじゃないか。日本は資本主義だって」
資本主義って、そういう意味だったの?
言っていることが分かるような分からないような。これ以上聞いて煙に巻かれそう。質問ばかりでウザったいと思われそうなので、そろそろ切り上げないといけないとは思いつつ、でも、肝心の所を知りたいので最後の質問。
「あなたたちは、一体何なんですか?」
彼はどう答えるか少し考えあぐねた挙句、ちょっとぼかした表現をする。
「日本の経済界、の総意ってところかな」
そう言って彼はライターでK文書の端に火を点ける。火がめらめらと燃え広まって数秒で灰になってしまい、早朝の港の風に散っていく。
東の空に陽が昇る。
朝日を見るのは久しぶり。小さい頃は元旦に初日の出を見たいと言って荒川の土手まで見に行ったこともあったけれど、最近は睡魔に勝てず、つい寝てしまっていたから。やっぱり朝日は新鮮。新しいことが始まる気がする。他の人にとっては何でも無い普通の日の始まりだけれど、私にとってこの2日間は九死に一生を得た2日間だった。
ちょっと待って。2日間?
ということは今日は月曜日?
学校だ。今から大急ぎで帰っても間に合わないだろうから、遅刻の連絡をメールしなくっちゃ。
私は携帯を取り出すと、急いで学校宛に遅刻連絡のメールを書き始める。
遠くから消防車のサイレンの音が聞こえる。それも何台も。
「我々も、そろそろ撤退しよう」
天上さんに急かされて、私と涼くんは車で駅に向かう。