九死に一生
それからどれ程の時間が経ったか分からない。自分がどういう姿勢で、何をしているのかも分からない。
ただボヤっと宙に浮いているみたい。なんとなく周囲が明るい気がする。のどかな雰囲気。
お花畑?でも海の底が明るい訳がないし。これが死後の世界?
誰かが近付いてきて私の肩に触る。そしてかなり強い力でガタガタと私の肩を揺らす。
この人は何をしているのだろう?
遠くで私の名前を呼ぶ声が聞こえる。
”矢野さーん、矢野さーん”
どこから声が聞こえるのだろう?
声はもっとはっきり聞こえるようになる。
「矢野さーん」
急にまぶしくなり、視界がはっきりする。目の前は砂浜、そしてその先に波打ち際がある。
ドンッと背中を強くたたかれる。かなり強い。雰囲気から強く叩いたつもりは無さそうだけれど、もともと力の強い人だから抜き加減が分からないっぽい。
横向きにされてもう一度背中を叩かれると、気管に詰まっていた海水が口と鼻から一気に吐き出され、片頬を伝わって砂浜に流れ出る。
ゴホッゴホッと咳き込み、鼻がツーンと痛い。でも息が出来るようになり、意識がはっきりする。
ここはどこ?なぜここにいるの?
誰かが私を覗き込むようにしている。ちょっと年上の男の人。多分今背中をたたいた人。
この人は誰?
よく見ると潜水用の黒のウェットスーツを着ている。近くに酸素ボンベが脱ぎ捨ててある。
ここはどこかの海岸。海岸以外は何もなく、どの方角もずっと海面ばかりで、さらにその先に水平線が見える。少し離れた所に唯一小高い崖があり、その上に建物が建っている。どこかの島のよう。
あっ、別荘の窓から海に落ちたのね。
私は思い出す。
「あの、涼くんは?」
「もう一人の子の方?あの男の子は、ちょっと、遅かったかも」
と言って彼は顔を暗く伏せる。周囲を見渡すと少し離れた砂浜に、涼くんが倒れている。
「涼くん!」
私は彼の元に駆け寄り、体を揺らす。全く反応しない。後ろからさっきの人が
「もう息してない。脈も無かった」
涼くんはアンドロイドだから、もともと息や脈は無い。海水が染みこんで壊れたのでなければ、あの小さなリモコンみたいな端末が原因なはず。ソフィアはあれを彼のズボンのポケットに入れていた。私は彼のポケットに手を入れゴソゴソと探る。
あっ、あった。
端末を取り出す。手の平より少し小さめなサイズで、長方形。モードと表記がある横に番号をダイヤルで選べるようになっている。他に使い方の分からないスイッチがいくつかあって、一番上に電源マークのようなものがあり、隣に赤のライトが小さく点いている。私は電源マークをペコッと押す。ライトが赤から緑に変わる。
「涼くん、起きて」
再び彼の体を揺らす。
「うーーん」
と言いながら、彼は目を開ける。
「あれっ、ここは?」
「島の海岸。私たち、別荘の窓から海に落ちたの」
「落ちた?なんで?」
「ソフィアに、涼くんが操られたのよ」
「あー、そうか」
彼は頭に手をやり、悔しそうにする。
「ソフィアたちは?」
「さあ。もういないみたい」
彼は周りを見渡す。近くに別の男が立っているのに気付き、凝視する。
この人は私の名前を知っていた。誰だろう?そしてなんとなく見覚えがある。どこかで一度会っているような気がする。
その時、ふっと思い出す。少し前にバイト先に現れて私をナンパした大学生。桐生さんだ。彼の宿泊先のホテルで涼くんと鉢合わせして、涼くんとちょっとやりあった後、気絶して倒れている姿を見たのが最後だった。あの時は私服で、今はスキューバ用のウェットスーツだから、雰囲気がちょっと違ってすぐには思い出せなかったけれど。
でも、なんで桐生さんがこんな所に?
涼くんは、桐生さんを覚えているのかいないのか、はっきりしない顔をしている。ただ覚えていたとしても、以前は不審人物という位置づけだった人だから、警戒しているみたい。
桐生さんは、私と涼くんが大丈夫なことを確認すると、立ち上がり遠くに向かって頭上で両手で大きく丸を作る。
彼の向いた先を、1人の男の人が歩いてくる。それも海岸の砂浜には場違いの、サラリーマンが通勤の時に着るような典型的なビジネススーツと黒の革靴で。
砂浜を革靴で歩くのはかなり大変そう。何かポリシーでもあるのかしら。
でも、その特徴と桐生さんがいることから、相手がだれが連想できた。天上さんだ。
京都の地下洞窟で藤原道長の財宝を競い合って、最後には大蛇にともに追われて一緒に逃げた、あの天上さん。
地下洞窟をスーツで探検するのも変だったけれど、今回も南国の小島の海岸にスーツで登場というのも相当浮いている。
「矢野さん、大丈夫?」
天上さんも私の名前を憶えていた。2人ともかなり前にほんの一時、それも仲間としてでは無い関係だったのに、よく名前を憶えているのねと感心する。
「2人とも怪我がなさそうで良かった。この島に上陸しようとしていた時に、お2人があの建物の窓から海に落ちるのが見えてね。すぐに桐生を救援に向かわせたんだ」
「そうだったのですか。ありがとうございます」
「早速で悪いけど、私たちも出発しよう。あまり時間が無い」