もふ魔と私
二つの黒い塊に襲われた途端、看守の声が甦る。
『俺らはまだいいが、下級魔族は我慢の限界じゃないか? この前も……』
――私、このまま頭から食べられちゃうの!?
「嫌ーっ」
とっさに叫んでしゃがみ込み、頭を両手で覆う。
生きたまま囓られるなんて、そんな!
「……え? もふ?」
気がつくと、頭の上にもふっとしたものが乗っていた。
黒い毛玉は私を囓るどころか、満足そうに鳴いている。
「きゅいきゅいきゅい♡」
「きゅーい♪」
――えっ!? この毛玉、魔族じゃないの?
そろそろと手を引き抜いて、むんずと掴む。
毛玉はあっさり捕まって、抗議の声を上げる。
「ぎゅいっ! ぎゅーいっ」
私は立ち上がり、捕まえた一匹を眼前に掲げた。
もふもふした手触りの黒い毛玉はまん丸で、手足はなく、顔だけみたい。
頭のてっぺんには角が一本ついていて、眉は怒ったような逆ハの字。けれど、つぶらな瞳と数字の3を横にした感じの口元が愛らしく、怖さを全て打ち消していた。
反対側の背中の部分には、申し訳程度の小さな羽がある。
――これが、下級魔族?
「やだ、可愛いっ!」
ぬいぐるみのような感触で、ついつい抱きしめた。
「きゅい?」
それを見たもう一匹も、なぜか腕に乗ってくる。
「きゅーいい、きゅーいい」
ねだっているように聞こえたため、二匹まとめて抱きしめる。
「可愛いくってもふもふだ~」
「きゅいっ♪」
「きゅいきゅい」
私の勘違いなどではなく、喜んでいるみたい。
「声が聞こえたが……ああ、インプか」
遅ればせながら、サイの看守がやって来た。黒い毛玉を抱っこする私を見て、顎に手を当てる。
「インプ?」
「人間界では、『小悪魔』と呼ばれているんじゃなかったか?」
小悪魔? この黒い毛玉の塊が?
抱いていた悪魔のイメージとは、だいぶ違う。小悪魔と言うより、これはどう見ても……。
「『もふ魔』、よね」
「きゅい?」
一匹が、つぶらな瞳を私に向けた。
だからちょっと、どうしてそんなに可愛いの!
「イタズラ好きだが知能は低く、好物は虫だ。害はないが、飽きたら投げて寄越してくれ」
サイの看守はそう言うと、興味なさげに遠ざかる。
同じ魔族なのに、扱いが雑!
「インプって呼ぶのはねぇ……。『もふ魔』でいい?」
「きゅいきゅ?」
「きゅいきゅ、きゅいきゅ♪」
「……あ、ちょっと」
私の手を抜け出して、床を跳ねる『もふ魔』達。
これって、気に入ってくれたんだよね?
払い落とした蜘蛛の巣が舞い、埃が飛び交う。
せっかく掃除したけれど――。
可愛いから、まあいいか。
魔界には、食事を楽しむという行為がない。
料理は変わらず激マズだった。
食事が喉を通らなかったせいで、私はみるみる痩せてきた。
「魔界の食事って、ダイエットには最適ね」
そしてもう一つ。
魔界には、掃除の概念もない。
綺麗なところは魔王のいる広間と、私が今いる独房だけ。
可愛らしい『もふ魔』達が手伝ってくれるおかげで、ここはいつも清潔だ。
「きゅいーーー」
「ぎゅいーーー」
「待って。そこはさっき拭いたばかりよ!」
おか……げ?
運動にもなると、私は雑巾がけを習慣としていた。
彼らも私の真似をして、掃除に参加する。
身体を張って転がるのはいいけれど、埃だらけの身体では拭いた意味がない。
「ストップ! もう転がらなくていいから」
「きゅい?」
「きゅいきゅい?」
また、もふ魔達は食の細い私を心配してもいるようで、どこからかネズミを捕まえ、持ってきてくれる。
「きゅーきゅ」
「どうぞって言われても、これは食べられないの」
「きゅいー?」
「きゅーー」
「悲しそうな目で見たって、無理なものは無理だから」
ある程度意思の疎通ができるため、独房でも寂しくない。人間を嫌わない魔族もいるとわかった私は、生き延びる方法を必死に考えていた。
「ひどい扱いは受けていないから、話せばなんとかなるかもしれないわね」
そんなある日、私は仲良くなったもふ魔に、自分の名前を教えることにした。人差し指で鼻を指し、ゆっくり発音する。
「ヴィオネッタよ。私の名前、ヴィオネッタ」
「きゅいいっきゅ?」
「きゅきゅいっきゅ?」
「そう、ヴィオネッタ。言いにくければ、ヴィーでもいいわ」
「ぎーー」
「ぎぃー」
「そうよ。上手ね」
私の友達は、この『もふ魔』だけ。
もふもふは偉大で、撫でるだけでも癒やされる。
何より全く害がなく、ただただ可愛い。
「さ、私の名前はもう覚えたでしょう? おいで」
「きゅい」
「きゅーい」
我先にと飛びつく姿は、素直で愛らしい。
二匹といると、心が安まる。
これで食事さえまともなら、まだ耐えられそう。
しかし、現実はそんなに甘くない。
もふ魔達に名前を教えた翌日、それは突然やってきた。
「出ろ。魔王様のお召しだ」
「心して歩けよ」
いつもの看守ではなく、私を迎えに来たのは別の魔族だった。フードを目深に被り腰に剣を下げるという、人で言う兵士のような恰好をしている。
誇り高くあろうと、私は背筋を伸ばして前へ進む。緊張と恐れでドキドキする心臓に反応したのか、胸元の魔法陣が赤く点滅している。
「きゅ?」
「きゅい?」
いつものように遊びに来たもふ魔達も、何かを察したらしい。石の廊下を歩く私の横を不安そうに飛び跳ねている。
「お前達、邪魔だ」
「向こうへ行け!」
もふ魔達は兵士の言葉を聞き入れず、ギリギリまで私について来た。
「ぎぃー」
「ぎー」
「そうよ。私はヴィー、忘れないでね」
精一杯の笑みを浮かべて、二匹を見つめた。
連行された大広間に足を踏み入れた途端、もふ魔達の目の前で扉が閉まる。
「ぎぃーー!!」
「ぎーーー、ぎぃーいー!」
閉じた扉の向こうから、悲しそうな鳴き声が聞こえてくる。
「せっかく覚えてくれたのに、もう会えないかもしれないのね」
鼻がツンとするけれど、こんなところで泣くわけにはいかない。最後まで諦めてはいけないと、自分に言い聞かせた。
兵士に導かれるまま奥に進むと、玉座に腰かける魔王が見えた。手前にいるのはやっぱり吸血鬼で、私を見るなり目を見開いている。
「……誰だ?」
――誰って、失礼な。
ムッとした直後に思い当たる。
――そうか。ほとんど食べていなかったから、かなり痩せたものね。
今になって悪役令嬢らしいスタイルになるとは、皮肉な運命だ。
魔王は別で、以前と同じく冷静だった。
私は圧倒的な美貌の彼を、ひたと見据える。