魔王様の料理番
――いやいや、魔王に限ってそんなことはないでしょう。
そう信じつつも不安は消えず、その場に立ち尽くす。
そんな私の目の前で、魔族達が一斉に二手に分かれた。魔王のいる階段までの一本道ができたため、進んでいくしかなさそうだ。
「そうか、ヴィーもとうとう……」
「わしには、わかっておったぞ」
料理長とドワーフは頷くけれど、私には何がなんだかわからない。
覚悟して一歩ずつ慎重に歩いていると、身体が突然浮かび上がった。
「きゃあっ」
「遅い、我をいつまで待たせる気だ?」
魔族達の頭上を勢いよく飛び越えた私は、気づけば魔王の膝の上。
横向きで抱きかかえられているため、恥ずかしいことこの上ない。
これだと、違う意味での公開処刑だ。
「ちょ、ちょ、ちょっと魔王様、これは……」
「黙っておれ。そなたの処分を発表する」
――やっぱり言い渡すのね。ただ、この姿勢で処分を発表される罪人など、魔界初、いえ、史上初ではないかしら?
魔王は私に腕を回したまま、声を発する。
「みなの者もよく知っていよう。彼女は人間だが、我が国の食糧事情を大きく改善してくれた」
魔王はそう言うけれど、実際はいろんな魔族が協力してくれた。
お米が食べられるようになったのも、黒芋が工夫次第で美味しくなるのも、みんなの助けがあればこそ。
「よって、ヴィオネッタの処刑を撤回する!」
「おおーーーっ」
「ギギギー、ギギギー」
集まった魔族の半数近くが、叫んでいるみたい。
私、自由になれるのね?
もういつ死ぬかなんて、怯えなくていい。
「彼女のこれまでの功績を考えれば、文句はないであろう。異議のある者は前に出よ。我が相手になってやる」
――いや、それだと異議があっても、誰も言い出せないんじゃあ……。
冷静に突っ込みを入れ、落ち着こうと努力する。魔王が金の双眸で、優しく見つめてきたからだ。
魔王が目を細めたため、やっぱり照れて目を逸らす。
近くを飛ぶ吸血鬼の視線が怖いけど、彼は異議申し立てはしないようだ。
「それから今後の処遇だが、彼女は我のもの。よって――」
「グオォォォン。ガルルルル、グワアァァ」
突然、低い唸りと吠える声が広間中に轟いた。
銀色の塊が、遠くからすごい速さで迫ってくる。
「チッ」
今の舌打ちは、魔王様?
彼に気を取られているうちに、大きな銀色が側にふわりと降り立った。
フェンリルのルーだ!
ルーは前足を舐めると、すぐ人の姿に変身する。
「異議あり。僕は認めない」
途端に広間はざわついて、私の顔も引きつった。
――もしかしてルーは、私の処刑を望んでいるの?
しかもルーは、魔王と睨み合っている。
二人の意見が異なるなんて、考えてもみなかったのに。
「ルーは、わたくしが嫌いなのね」
震える声で呟いた。
彼が私の側にいたのは、魔王がそう頼んだから。カフェを手伝ったのは、護衛のため。
それなのに、私はルーに甘えていた。
「なんで? なんで僕がヴィーを嫌うの?」
銀色の髪に青い瞳の美少年のルーは、きょとんとした表情で首を傾げている。
「え? だって今、異議があるって……。処刑の撤回を、認めたくないのでしょう?」
「まさか! 僕の異議は、その続き。魔王が言おうとしたことにだよ」
「言おうとしたこと?」
我のもの、っていう部分?
それならあれはいつものことで、そこに深い意味はない。
わけがわからず魔王を見ると、目尻がほんの少し赤くなっている。
ますますわからない。
処刑は撤回されたけど、さらに何かあるのかな?
ルーは、魔王の膝の上にいた私を引っ張って立たせると、彼の正面に立つ。
直後、指を鳴らした魔王が、周囲を青く発光させた。
「あの……」
「案ずるでない。防音壁を設けただけだ」
途端にルーが、魔王に詰め寄る。
「それなら遠慮なく。ねえ、抜け駆けするなら、もう手を貸さないよ。ヴィーを連れてここを出る」
「え? え? え?」
ルーの顔は、いつになく真剣だった。そして魔王も、険しい表情でルーを見ている。
――抜け駆けって何? もしかして、どっちが私を使うかで、揉めているってこと?
「チッ」
魔王は再び舌打ちすると、大きなため息をつく。
「早々に帰ってくるとはな。遠くにやった意味がないではないか」
「ヴィーのことなら僕が行くって言ったのに、用を言いつけて追い払うとはね」
両者とも言い争うのはいいけれど、他の魔族を待たせている。
それに私も。普段仲のいい二人の睨み合いには耐えられない。
「あのぉ。わたくしなら、かけ持ちの仕事でも構いませんよ?」
「はあぁ〜。当人が全くわかっておらぬとはな。やむを得ん、当初の話し合い通りにしよう。だが、その前に――」
魔王は私に視線を向けて、真顔で問いかける。
「ヴィオネッタ、今ならそなたを人間界に戻してやることもできるぞ。どうする?」
そう言いつつも、彼の瞳は不安の色を湛えていた。
魔王の真意は何?
彼も私がここに残ることを、望んでくれている?
自分の気持ちに正直に。
私はもう、振り回されるだけの悪役令嬢ではない。
「いいえ、人間界に戻る気はありません。わたくしはあなたの――みんなのいる、ここにいたいです」
魔王は満足そうに微笑むと、再び指を鳴らした。
途端に広間のざわめきや、間近で羽ばたく吸血鬼の咳払いが聞こえてくる。
魔王は前に進み出て、高らかに言い放つ。
「みなの者、待たせたな。処遇が決定した。ヴィオネッタは、我の専属料理番とする!」
次の瞬間、割れんばかりの拍手が響き、様々な鳴き声がする。
「嬉しいわ。これからは、好きな時に好きなだけ料理ができるのね!」
喜びが、後から後から込み上げた。
魔界にいて、これ以上の待遇があるだろうか?
私は興奮冷めやらぬまま、魔王に飛びつく。
「魔王様、ありがとうございます!」
「ハハハ、レオンでいいと言ったはずだが?」
その瞬間、大広間がどよめいた。
「魔王様が笑っていらっしゃる!」
「相手は人間なのに?」
「でも、あんなに楽しそうなお顔は、見たことがない」
慌てて離れようとするけれど、魔王が私を離さない。
「チッ」
今度はルーが舌打ちし、私の髪に甘えるように頰をすり寄せた。
「専属と言っても、側近も含まれるよ。ヴィー、僕の料理も作ってね」
「喜んで!」
応えた直後、吸血鬼の金切り声が飛ぶ。
「これだから人間は油断できないんです。魔王様もフェンリルも、すぐに彼女を離しなさい!!」
機嫌のいい魔王と不機嫌なルーと、もっと不機嫌な吸血鬼。そして、愉快な仲間達。
私はこれからも、この地でみんなとともに生きていく。
私はこの日、めでたく魔王様の料理番に任命されたのだった。




