牢の中でもピンチです!
――なーんて余計なことを考えられたのも、最初のうちだけ。
「魔王様を呼び捨てるなど、とんでもないぞ、人間!」
すぐ横で声が聞こえたと思ったら、吸血鬼が私を怒るため、舞い上がっていた。
「……よい。クリストラン、ご苦労だった」
魔王は声もよく響く。
肘掛けに肘をつき、ため息をつく姿まで美しい。
「罪人を魔の森に追放するのはやめろと再三忠告したのに、人の愚かな頭では理解しがたいらしいな。よもや我の直轄地にまで侵入させるとは。ズタズタに切り裂き、見せしめにするだけでは気が済まない」
恐ろしい内容に、心臓が一気に縮み上がる。
「そうですね。傲慢な人間に、情けをかける必要などございません」
クリストランと呼ばれた吸血鬼が、嬉しそうに相槌を打つ。
魔王は面白くもなさそうに、長く尖った爪で肘掛けをコツコツ叩いている。
――悪役令嬢に覆い被さる黒い影は、やっぱり魔王だったのね。私、殺される!!
「…………」
悲鳴も上げられない。
無実の罪での追放も、この地に迷い込んだのも、私の意思じゃない。
ここまで来て、死にたくなんかないのに!!
なんとか目に意識を集中し、私は魔王を睨みつけた。
「ほう? たかだか人間が、我を睨むのか」
「貴様っ!」
吸血鬼が激怒する。
逆に魔王は冷静で、私を脅した吸血鬼を軽い手の一振りであっさり弾く。
「邪魔だ」
「申し訳ございません」
吸血鬼は空中で体勢を立て直し、その場で深々一礼する。
「我に刃向かう者を、楽に処刑するなどもったいない。ひとまず牢に入れておけ」
玉座から立ち上がった魔王が、私に向かって手を伸ばす。
すると私の着ていたシャツのボタンがはじけ飛び、胸元が熱くなる。
――きゃあっ。
身体が光ったかと思うと、続いて意識を奪われた。死亡フラグが目に浮かぶ。
――まさか私、これで終わりなの?
現在、絶賛埃っぽい牢の中。
やることもなく暇なので、胸に手を当て呟く。
「痛くもなんともなかったわ。もしかしてわたくし、魔法に耐性がある?」
胸元に刻まれたのは、握りこぶしくらいの魔法陣。
「これって罪人の印?」
私はイケメン魔王に、罪人認定されたようだ。
「結局、死に場所が変わっただけか……」
処刑の日は、追って伝えるとのこと。
その日が来るまで私は、蜘蛛の巣だらけの埃っぽい地下牢で過ごさなくてはならない。
魔界の牢は堅固で、三方を石の壁に囲まれている。正面は鉄柵の代わりに『吸血樹』の蔓で覆われていた。これはれっきとした魔界の植物で、触れると巻きつき血を吸うらしい。
「ほらよ、食事だ」
「……あ。どうも」
サイのような顔で鼻に角の生えた看守から、食事を渡された。
受け取った木のお盆には、コップの他に茶色がかった緑のスープと真っ黒な塊と、うごめく何かが載っている。何かは濃い紫色の物体で、触手のようなものまで見えた。
「うわ、怖っ。こんなものを与えるなんて、餓死させるつもりかしら」
「まさか。みんなこんなもんだぞ」
「え? なんで言葉がわかるの?」
返事をもらってふと気づく。
サイの看守は、不思議そうに首をかしげていた。
「わかるも何も、魔王様直々の刻印だろう? 魔力が宿っているから、当たり前じゃないか」
「そんなものなのね」
刻印って便利な機能だ。
びっくりしたけど、全然痛くなかったし。
気を取り直してご飯を食べよう!
牢の中での楽しみは、きっと食事だけ。
見た目はアレでも、案外美味しいかもしれないし?
私は濁った沼色スープを口に含んだ。
「うっ……」
両手で口を塞ぎ、噴き出したくなるのをとっさに堪えた。
「舌がビリビリする。味がないのに、これって何?」
スープは諦め、黒い塊に挑戦する。
「茹でた芋? にしてはゴムみたいな食感ね。口の中でねばつくし、しょっぱいってことは塩を入れすぎ?」
残るはうごめく野菜(?)のみ。
囓ろうとすると、触手の吸盤が顔に吸い付いた。
「無理無理無理。こんなの食べられない!」
再び口にする勇気はなく、しょっぱい塊も諦めた。
飲みものはというと……。
「真っ赤な液体? こっちも、嫌な予感がする」
ところが見た目に反し、飲みものだけはまともだった。
味は、前世で飲んだグァバジュースに似ているかな?
翌日以降も食事抜き。
いや、あるにはあるけど紫や黒や時々うごめく食事は『吸血樹』さえ避ける上、見た目以上にマズい。
「しょっぱいし酸っぱいし、硬いし美味しくないし、やっぱり無理だわ。見た目も味ものどごしも悪いって、相当ね」
サイの看守と手に水かきがついた看守が、私の発言を聞きつける。
「贅沢言うな。人間界でどれだけ美味いものを食べていたのか知らんが、ここではこれが普通だ」
「そうだぞ。同族や人間殺しが禁止だから、こんなものしかないんだ」
人間殺し?
看守の私に向ける目が気になって、思わず後ずさる。
「安心しろ。五十年前に今の魔王が魔界を統一してから、食事のための殺戮は一切禁じられた。たとえ人であってもだ」
安心どころか不安しか残らない。
油断した途端、お腹を空かせた魔物に頭からバリバリ食べられるのではないかしら?
震えたせいで埃が立って、思わず咳き込む。
「ゴホッ、ゴホッ」
「安心しろって言ったのに。魔王様の囚人に手を出すほど、俺らは命知らずじゃない」
「ああ。こんなもんでも魔力は得られるからな。でも、もう少しマシなものが食べたい」
「確かに。俺らはまだいいが、下級魔族は我慢の限界じゃないか? この前も……」
看守達は、私を無視して会話を続ける。
とりあえず命の危険はないようだけど、今のままではわからない。私は魔界の情報を集めるために、耳を澄ます。
それによると、魔界の食事は楽しむためではなく、魔力を保つための手段に過ぎないそうだ。味に期待しないのは、そのためらしい。
また、彼らは自分達のことを『魔物』ではなく『魔族』と呼んでいた。魔族は上級・中級・下級に分類されているようで、上級魔族は力も強く権力もあるみたい。
人で言う貴族、かな?
城で働く看守はたぶん『中級魔族』で、知能が低く力の弱い魔族は『下級』とバカにされていた。それぞれ自分より上位に逆らえず、全ての頂点に魔王が君臨しているようだ。
魔界にも人間社会のような身分制度があるなんて、思ってもみなかった。
「ああ、それからホウキと濡れた布だっけ? 持ってきてやったぞ。こんなもの、なんに使うんだ?」
「ありがとうございます。もちろん掃除です」
「そうじ? なんだ、それ」
再び話しかけられたのでお礼を言うが、看守は掃除を知らないようだ。
牢が埃っぽいのって、今まで一度も清掃しなかったせい!?
ランプの明かりで輝くのは、空気中に舞う埃。あとは蜘蛛の巣?
とにかくこの状況には耐えられないと、私は床をホウキで掃いた。
「……っと、その前に蜘蛛の巣か」
壁際の巣を全て取り払い、再びホウキに手を伸ばす。
その時、部屋の隅にある大きな埃に気がついた。
「あれ? さっき、こんなのあったっけ?」
黒い塊は二つあり、それぞれがバスケットボールくらい。ここまで大きいのに、なぜ気づかなかったのだろう?
「ま、いっか。掃除を続けよう」
貴族は掃除をせず使用人に任せているけれど、前世の私は社会人。広い料理教室を、ピカピカになるまで一人で磨いたこともある。
「とりあえず、ホウキで掃き出して……」
触れた直後、塊が動く。
「きゅーいー」
「きゅい、きゅい」
埃が鳴いた!?
違う、よく見れば頭に角が生えている。
埃、ならぬ角が生えた黒い毛玉の塊は、大きく跳ねると私に襲いかかった!