ざまあの時間です 1
「痛いっ、痛い、痛い、痛い……」
「……え?」
なんと魔王は強く握ったピピの手を、口元どころか自らの頭上まで持ち上げた。
これには国王もエミリオ王子もびっくりで、口をポカンと開けている。
「痛いってば! 早く下ろしなさいっ」
「嫌だ」
「はああ? あなた、この私を誰だと思っているの!!」
宙づりのまま暴れるピピだが、魔王は彼女の手を放さない。
「知らん」
「知らんって、あんたね! 私は……」
「国王陛下に進言する。この品のない下女を、いつまでのさばらせておくつもりだ?」
「なっ、ななな…………」
下女と言われたヒロインは、怒りでワナワナ震えている。
進言と言いつつ尊大なのは、彼が魔王だからかな?
ことなかれ主義の国王は、相変わらず何もしない。
「貴様、その汚い手を放せっ!」
いち早く我に返った王子が、美貌の青年――魔王に怒鳴った。
「わかった。確かに汚いな」
「あっ……痛!」
パッと手を放したため、ピピが床に尻餅をつく。
一方魔王は涼しい顔で、ハンカチを取り出し自分の手を拭いた。
「ちょっと! 急に放すなんて痛いじゃない!!」
「ぶ、無礼な。そういう意味じゃないっ。彼女は、この僕の婚約者だぞ!」
青年に扮した魔王はすぐに手をとめて、皮肉っぽく笑う。
「それはそれは。大変お似合いですね」
「なんだと!」
「何よ。歓迎してあげたのに、こんな侮辱を受けるなんて許せないっ。ねえ、この失礼な人達を、懲らしめてやって!!」
ヒロインのピピが、今度は王子にすがりつく。
――あれが歓迎?
ちょっと待とうか。失礼なのはあなたでしょう? それに人達って言っても、私は何もしていない。
「ああ、任せろ」
エミリオ王子がピピの言葉で頷くけれど、羨ましいとは思わない。
確かに魔王の言う通り、ピピと王子は自分勝手なところがお似合いだ。
こんなふうに余裕で構えていられるのは、隣に魔王がいるから。彼が側にいるだけで、私は何も怖くない。
「貴様、覚悟しろ。我が国で勝手は許さんっ」
王子が怒鳴って剣を抜く。
近くの兵士も彼に倣って剣を構えた。
魔王は、バカにしたように肩をすくめている。
「もう少し楽しめると思ったのだがな。愚か者の相手は疲れるわ」
「貴様っ」
「殿下に続け!」
一斉に飛びかかる彼らと同時に、魔王が低く手を上げた。そこから波動が広がって、王子や兵士はなぎ倒されていく。
「ぐわっ」
「うわーー」
「きゃあっ」
傍観していたヒロインまでもが倒れているから、すごい威力だ。
「ふむ。この姿だと、加減がわからぬな」
「レオン……」
思わず名前を呟くけれど、もちろん止めたりなんかしない。
「ぐぐぐ……貴様、いったい何者だ?」
剣を支えに、いち早く立ち上がったエミリオ王子。
魔王はそんな彼を見て、片方の眉を上げている。
「ほう? 一応王子というわけか。愚かだが、しぶとさだけは褒めてやろう」
「なんだと! 貴様、どこまで僕を愚弄すれば気が済む……」
「やめんか!!」
その時突然、国王が立ち上がる。
さすがに頭にきたようで、顔が真っ赤になっていた。
「客人! いや、客人というのは嘘だな。正体は恐らく、他国の魔術師か? お前達、すぐに捕らえ……」
「うるさい」
魔王が手を伸ばした途端、閃光が走る。
見れば、たった今まで国王の座っていた金の玉座が、真っ二つに割れていた。
「こ、ここ、これは!? ま、まさかまさかまさかまさか……」
国王が、青くなってぶるぶる震えている。
魔王はふっと微笑むと、自らの変身を解く。
鋭く尖った角に、引き締まった立派な体躯。
黒髪はなぜか床につくほど長いが、瞳はいつもの金色だった。相変わらずの美貌で、威風堂々とした佇まいは圧倒的だ。
「あ、あなた様は――……魔界の王!!」
「父上、何を言……なっ」
国王陛下とエミリオ王子が、親子揃って固まった。
ヒロインは、口をあんぐり開けている。それでも好奇心の方が勝ったらしく、魔王の上から下まで目を走らせていた。
「愚か者め。十年前、二度目はないと言ったはずだ。我が領土である森を荒らした責任を、直ちに取るがいい」
「申し訳ありません! 魔界の王よ、どうか心をお鎮めください」
壇上から素早く下りた国王が、驚くことに土下座する。
王子も隣で膝をつき、同じように頭を下げた。兵士達も慌てて礼の姿勢を取る。
――あ、なるほど。人間界と魔界とは、そういう力関係なのね。
ただ、ヒロインだけは床に両手をついたまま、ポカンとしていた。
「申し訳ない? だったらなぜ、魔の森に人を送り込んだのだ? 追放だけでは飽き足らず、兵まで入れるとはな」
「兵? エミリオ、それは本当なのか!」
「責任逃れはやめてください。父上だってご存じのはずでしょう?」
「なんだと! それは……」
「チッ。お前達、ごちゃごちゃうるさい」
舌打ちした魔王が、国王親子の間に電撃を放つ。
吸血鬼に放ったものよりかなり弱いが、それだけでも軽く怪我をしたようだ。
片手で頬を押さえた国王が、必死に言い募る。
「た、たた、大変申し訳ございません。ですがそれは、凶作のせいです。食べられるものがないかどうか、探索中でして」
「そ、そうです! 調査するうち、たまたま兵が侵入したのでしょう。きつく叱っておきますね」
国王も王子も嘘ばっかり。
本当に食べものがないなら、タピオカ粉のために魔界に騎士を派遣している場合じゃないでしょう?
兵のせいにしているけれど、先頭にいたのは王子だ。
「ふむ。凶作だったのか」
「ええ、ええ。そうです」
「蓄えが少なく、困っておりまして……」
国王父子の嘘は、まだ続く。
魔王は顎に手を当てて、考え込む仕草を見せた。
――まさか、二人の言葉を信じているとか?
「そうか。ならば、最も大切な宝を手放してくれたこと、感謝せぬとな。そこの下女なら、なんの役にも立たなかったであろう。もっとも、その女は魔界に足を踏み入れた時点で、即座に処刑する」
魔王はそう言うと、ピピを一瞥した。
国王と王子は顔を見合わせるものの、わけがわからない、といった表情だ。
「あの……。魔界の王、一つ伺ってもよろしいですか?」
「なんだ、言ってみろ」
「大切な宝とは……魔界に足を踏み入れるとは、なんのことですか?」
魔王は腕を組み、エミリオ王子を尊大に見下ろした。次いで私に顔を向け、ベールを取るよう合図する。
宝とは言いすぎだけど、言われて悪い気はしない。
私は二人の前に進み出て、被っていた帽子ごとベールを外す。
次回、ヴィーのターン?




