魔王の怒りの矛先は?
「間違ったことは言ってないし、平気よね?」
さすがに前世やゲームの話はしていない。
魔王の顔が曇って見えたのは、たぶん私の気のせいだ。
「あと、会っておいた方がいいのは……。ドワーフのお爺さんかしら?」
私は地中に続く長い道を、ゆっくり下りていく。
いつからか封印は解かれ、見えない壁に阻まれることもなくなっていた。
金属を打つ懐かしい音に、自然と笑みが零れ出る。
「こんにちは。お元気でしたか?」
「なんじゃ? 今は仕事中……なんと、ヴィーではないか!」
「ええ。帰ってきたのでご挨拶を、と思いまして」
「やはりな。お前さんが『ここが嫌で戻る気もないと言って、出て行った』という噂は、嘘だったのじゃな」
「噂? わたくしのことが、噂になっていたのですか?」
「そうじゃ。近頃食事の味が落ちたのは、人間の娘が出て行ったせいだと評判になっておったわ。じゃがわしは、すぐにピンと来た。お前さんは魔族使いは荒いが、自分にも厳しく見込みのあるやつじゃ。ここが嫌なら、自力で改善するじゃろう」
「それは…………ありがとうございます」
元いた場所では悪役で、疑われることの多かった私。そんな私を、魔界のみんなは信じてくれるのね。
ああ、そうか――。
だから私は、ここに帰りたかったんだ。
「なんじゃ? お前さん、泣いておるのか?」
「……すみません。会えたことが嬉しくて」
「おかしなやつじゃ。『きっしゅ』がないようだが、今回だけは許してやろう。好きなだけここにおるといい」
「ありがとうございます」
ドワーフは口は悪いが、懐が深い。
弟子に慕われているのは、優しいからなのね。
魔界に戻った私はその日、久々にゆったりした気持ちで床に就くことができた。
それから数日後の早朝。
気配を感じて目覚めると、魔王がベッドの脇に立っている。
「ま、まま、魔王様! え? 何? ……ええっと、鍵がかかっていたはずですよ」
寝起きで頭が上手く働かない。
昨夜は確かに施錠した。
というより、彼はなぜこんなところにいるの?
「鍵など我には関係ない。出かけるから、早く仕度せよ。服はそこにあるのを使え」
「そこって、どこ……ええっ!?」
魔王が指さす先を見ると、仕立てのいい外出用のドレスがかかっていた。
青いドレスは襟元や袖、裾の白いフリルが特徴的で、腰には水色の絹のリボン。お揃いの生地で作ったと思われる帽子には、目の細かい白いベールが付いていた。
貴族らしい恰好は久々なので、恐縮してしまう。
「でも、あの、これ、その……」
「御託はいいから、早く準備しろ」
「承知しました。今から着替えますね」
「うむ」
腕を組んだ魔王は、そこから動かない。
まさか着替えの間中、ここにいるつもり!?
「あの……着替えますので、一人にしていただけますか?」
「なぜだ? 手伝いがいるやもしれぬだろう?」
いやいやいや。
手伝いがいるとしても、さすがに魔王はダメでしょ。
それとも魔族は、異性も平気で手伝うの?
「えっと……。貴族の世界では、着替えは侍女が手伝うものです」
「そうか」
そうか、じゃないでしょ。
我ながら脂肪が落ちてスリムになったと思うけど、下着姿は人様に見せるようなものじゃない。
「はっきり言いますね。一人で着替えられるので、出て行ってください!」
「本当か? 遠慮せずとも良いぞ」
「遠慮なんてしてません! 恥ずかしいんです!!」
「我は全く恥ずかしくないが?」
動こうとしない魔王の身体を押すと、胸板が結構硬かった。
な~んて、感心している場合じゃない。
「お願いです、レオンザーグ様!」
「そなたの響きはなかなかいいな。レオンと呼んでくれたら、考えてやってもいいぞ」
「あのね、いい加減にしてください。レ・オ・ン!!」
「ククク、冗談だ」
魔王は楽しそうに笑い、次の瞬間かき消えた。
――魔王が笑った!?
いつもと違う魔王の様子に、不安が押し寄せる。
――まさか私の死亡フラグ、また復活した?
慌てて仕度し、城の入り口で魔王を待つ。
部屋に入って急かしたにも拘わらず、魔王はなかなか現れない。
大事な用でも入ったのだろうか?
「待たせたな。行くぞ」
登場した魔王は、金糸で縁取られた黒が基調の上下を着ている。ところどころに鮮やかな青が入り、ハッとするほど美しい。
中は白いシャツで、首元も白いクラバットというきちんとした盛装姿だ。隙のない着こなしに、思わず目が吸い寄せられてしまう。
「どうした?」
見惚れていた私は、我に返って首を小さく横に振る。
「……いえ。あの、行くってどこにですか?」
「時間がない。話は後だ」
彼は私を外に導くと、羽織ったマントに包み込む。
「え? ここ、これは?」
「おとなしくしておれ」
黒い翼を広げた彼は、私を抱きしめたまま空を飛ぶ。
「うう……」
「どうした? 苦しいのか?」
ドキドキするため、確かに呼吸は苦しいような。ちなみに吸血鬼の時は、全く問題なかった。
「大丈夫……です。それより、どちらへ?」
魔王はまだ、答えない。
連れて行かれたのは、見覚えのあるいつもの場所だった。
凝った彫刻の石の扉が、崖の上に立っている。
「人間界? でもわたくし、魔界に戻ったばかりなのですが……」
「わかっておる。だからこそ、けじめをつけに行く」
「けじめ?」
「そうだ。そなたを悲しませた者どもに、文句を言わねば気が済まない」
「え? それってつまり……」
「王城に乗り込むぞ。そなたが魔界に属する以上、しかと縁を切る」
あれ? 私、言ってませんでしたっけ?
縁ならもうとっくに、ぶつ切りに切れているのですが――。




