魔界に出戻りました
私はまず、城の調理場を訪ねた。
「ヴィー、よくぞ戻ってくれたな。会いたかったぞ」
一つ目の料理長は笑い、抱擁しようとする。
怪力の彼に砕かれてはたまらないと、私はさりげな~く距離を取る。
「わたくしも。無事に帰れて嬉しいです」
「嬉しい?」
「ええ」
「自分で出て行ったのにか?」
「いいえ。誰がそんなことを?」
「いけすかない魔王の秘書だ」
「まあ……」
なんと吸血鬼は、調理場のみんなにも嘘をついていたらしい。
先ほどの、魔王の怒りはもっともだ。止めに入らず、もっと雷を落としてもらうんだった。
ちなみにボロボロになった吸血鬼は、当分休養するらしい。
「やっぱりな。うさんくさいと思っていたんだ。責任感のあるヴィーが、仕事を放って急に出て行くわけがない」
「そう思ってくださるなんて、光栄です。引き続きお世話になりますね」
私は料理長や、他の仲間に頭を下げた。
「おう」
「こちらこそよろしく」
「早速だが、レシピでわからなかったところを聞いていいか?」
「喜んで!」
「喜んで? おかしなやつだな」
調理場のみんなは苦笑い。
しまった。酒場のくせが出てしまったようだ。
親切な宿のおかみさんには、手紙で事情をしたためよう。もちろん、魔界に戻ったことは伏せて。
私を歓迎してくれたのは、調理場だけではなかった。
もふ魔達は私を見るなり飛びついて、黒のもふもふした身体をぐりぐり押しつける。
「ぎー、ぎぃー」
「ぎーいー、ぎーいー」
――なんだろう? 幸せしか感じないんだけど。
「ぎー、ぎゅいー?」
「ぎー、ぎゅいー、いっきゅ?」
「ええ。魔王様と一緒に帰ってきたわ」
「ぎゅいー、ぎゅいー」
「ぎー、ぎぃー」
もふ魔達は私の手から下りると、嬉しそうに床をぴょんぴょん跳びはねた。
魔界ではお馴染みの光景に、私の胸が熱くなる。
「本当に、帰ってきたのね」
しみじみ呟く私の前で、もふ魔が可愛く身体をかしげる。
「ぎー、きゅーー?」
「きゅー、きゅー」
「ええっと、きゅーとはルーのことよね? そうか、ルーにも挨拶に行かなくちゃ」
銀色の毛並みのフェンリルは、元気でいるかしら?
カフェでは散々こき使ったので、私を恨んでいたりして。
すれ違った犬の魔族にルーの居場所を尋ねると、魔王の部屋にいると教えてくれた。
吸血鬼はいないから、今がチャンスだ。
魔王の私室の前に立った私は、正気に返る。
――お仕事中なら、邪魔してはいけないわよね?
慌てて離れようとしたところ、扉がひとりでに開く。
「ヴィオネッタ、そこにいるのはわかっておる。入れ」
「失礼いたします」
響く魔王の声を聞き、急いで中へ。
フェンリルのルーは寝そべっているかと思いきや、美少年の姿で席についている。
二人は黒曜石のテーブルを挟んで、何やら話し合っていたみたい。
「ヴィー、聞いたよ。同族に襲われたんだって?」
私は魔王とルーを交互に見た。
二人とも、真剣な目をこっちに向けている。
「同族というより、魔の森と接する国の第一王子に、です。彼とわたくしには、深~い因縁がありまして……」
「聞いてやるから、話してみよ」
――いいの? 魔王やルーは全てを聞いても、私を嫌わないでいてくれる?
迷ったのは、ほんの一瞬。
私は思いの丈を、次々口にする。
「わたくしは元々、第一王子と婚約していました。けれど、国宝を盗みある女性に嫌がらせをしたという嫌疑で、ある日突然、婚約を破棄されたのです。家族にも見捨てられ、さらに魔の森へ追放されました。新たに王子の婚約者となったのは、わたくしを陥れた女性です」
「宝を盗んだって? でも、実際は違うんでしょう?」
「ええ。偽の供述だけで証拠はないのに、調べてもくれなかったの。もちろん、盗みもいじめもしていません」
「信じるよ。ヴィーが、そんなことをするはずないもんね」
断言するルーと、無言で頷く魔王。そんな彼らを見て、涙が出そうだ。
二人とも、家族でさえ聞き入れなかった私の言葉を信じてくれるのね。
「あれ? じゃあ王子は、別の女性に堂々と乗り換えたんだね。ヴィーを追い出したから罪悪感を抱くこともない、と」
「……う」
ルーったら、そんなにはっきり言わなくても。ただ、つまりはそういうことだ。
魔王は渋い顔のまま、続きを促した。
「わたくしがこちらに来たのは、ほんの偶然です。狼から逃げるため、石の扉に飛び込みました。そこからは、ご存じの通りで……あ」
「どうしたのだ。まだ何か?」
「ええっと、人間界に出店したカフェを取り上げたのも、第一王子と今の婚約者です。わたくしとは気づかずに、料理が気に入ったとの理由だけで」
「それは、僕がいなかった時の話だね?」
「ええ。でも、もしルーがいたとしても、彼らは同じことをしたでしょう」
「ふうん。ヴィーは、僕が彼らに負けるとでも?」
「いいえ。ただ、店で騒ぎを起こせばこちらが不利になります。魔界の店だと判明すれば、攻め込む格好の口実を与え、両者の関係が悪化するでしょう」
そこで私はハッとする。
吸血鬼があっさり店を譲ったのは、もしかして、そのことを恐れて?
たとえそうでも、明らかに説明不足だ。
わがままなヒロインのせいで、魔界が被害を被るなんて許せない。
だからきちんと伝えておこう。
「魔王様、第一王子は婚約者である女性の言いなりです。ドラゴンのおかげでいったん撤退したものの、懲りずにここへ騎士を送り込むかもしれません」
「へえ、ドラゴンねえ」
面白そうな顔のルーを、魔王は完全に無視。考え深げな表情で、私に尋ねた。
「それは、なぜだ?」
「それは……すみません、わたくしの料理が一因です。カフェでは主に、魔界でしか採れない食材を使用しておりました。在庫切れとなった粉を欲しているようです」
「ならば、正規の手続きを踏めば良い。第一王子とやらは、そんなこともわからぬほど愚かなのか?」
「…………はい」
返事を遅らせたのが、せめてもの情けだ。
ゲームのせいかもしれないけれど、王子はヒロインに逆らえない。
「ふむ。我らが負けるはずはないが、領土をうろちょろされては目障りだ。何度言ってもわからぬ国王にも、釘を刺す必要があるな」
「そうだね。僕が行こうか?」
魔王とルーは、真剣な表情で協議している。
二人の邪魔になってはいけないと、私はそそくさと部屋を後にした。




