ドラゴンの正体
王子や騎士の悲鳴が徐々に遠ざかる。
私は炎の前で胸を撫で下ろした。
どうやらドラゴンのおかげで、命が助かったらしい。
「今のは偶然? それともわたくしを助けてくれた? でも、ドラゴンって魔界にいたかしら」
魔界で会った覚えはないが、小さな頃に見た記憶ならある。
夕日に浮かぶ鱗が美しく、幼いながらも見とれていたっけ。
そのドラゴンが突然、辺りに轟く咆吼を上げた。
王子達を魔の森から追い出せて、喜んでいる?
向きを変えたドラゴンが、羽ばたき炎をかき消した。さらに、草地に降り立とうとしている。
衝撃を覚悟するものの、着地は非常に優雅だ。
黒い鱗に金の瞳の雄々しい姿。
間近にそびえたドラゴンに、なぜか恐怖は感じない。
「綺麗だわ……」
感想を、ぽつりと漏らす。
その瞬間、ドラゴンの大きな身体は霧となってかき消えた。
「え? あれ?」
黒い霧が中心に集まり、何かを形作っている。
それは、すごく見覚えのある姿。
私が会いたいと願ったその人だ。
「ドラゴンは、あなただったのね!」
「ヴィオネッタ、久しいな」
「レオンザー……――魔王様!」
ドラゴンの正体はなんと、黒髪に金の瞳の魔王だった。人型の魔王はいつも通りの美貌で、赤と黒の衣装が森の緑に映えている。
「そなたなら、レオンで構わぬ。ヴィオネッタ、危ないところであったな」
「ええ。あの、助けてくださって、ありがとうございました。ですが、魔王様がドラゴンに変身できるとは、知らなくて……」
「言っておらぬからな。この姿でないと、急いで界をまたげない」
「界をまたぐ?」
「ああ。魔界から人間界へ。我を呼んだのは、そなたであろう?」
「呼んだ? いいえ」
魔王を呼んだ覚えはない。彼を想って、胸に手なら当てたけど。
もしかして、それが呼んだことになるのかな? 私の危機を察するなんて、魔王の刻印、便利だけどちょっと恥ずかしい。
「ともかく、間に合って良かった。帰るぞ」
「わざわざ送ってくださると? 魔王様は、わたくしの滞在先をご存じなのですね」
「滞在先? いや、当然我が国へ帰るのだ。そなたに危害を加える者どものいる世界になど、未練はなかろう?」
未練はないが、これだけは言っておきたい。
「そうですね。ですが、人間の中にはいい人もいますよ」
魔王と視線が絡み合う。
彼は私を見つめたまま、切れ長の目を細めた。
「まあ、な。そなたを見ればよくわかる」
今のは褒め言葉?
でも、私を魔界から追い出すように命じたのは、魔王本人のはず。
「ええっと、魔王様。確認ですが、わたくしは魔界を追放されたんですよね?」
「追放? なんのことだ?」
「え? だって、魔王様がご不在の間に出て行くようにと……」
「なんだそれは。そなたこそ、『魔界にいるのがつらくなった。人のいる世界がいい』と、泣きながら訴えたのであろう?」
「え? え? え?」
そんなことを言った記憶は、全くない。
だって私は、吸血鬼との会話をはっきり思い出せる。
『……ご自分のいない間に、あなたを連れ出すよう命じられました』
『本当ですか? 本当に魔王様が、わたくしを追い出せと?』
『しつこいですよ。私が魔王様の名で、嘘をつくはずないでしょう?』
吸血鬼とのやり取りを正直に話すと、魔王は険しい顔をした。
「クリストランめ。我を謀ったようだな」
「騙したということですか?」
「うむ。そなたの方から申し出があった、と我には言いおった」
「いいえ。人のいる世界に帰りたいなどと、言った覚えはありません!」
「そうか……。ちょうど開戦前で、そなたのことはやつに任せるしかなかった。泣くほどつらいものを、引き留めても仕方がなかろう?」
「いいえ。つらいどころか、毎日楽しくて――」
可愛いもふ魔達の鳴き声や、大声で笑う料理長。寝そべってあくびをするルーなど、思い出すだけで笑みが浮かぶ。
「じゃあ、わたくしは追放されたわけではないのですね?」
「当たり前だ。我がそなたを追い出すはずがない」
腕を組んだ魔王は、疑われて心外だという顔をする。その表情がおかしくて、私はクスリと笑った。
魔王がふいに、私の顎をすくう。
「して、ヴィオネッタ。そなたは、我とともに帰る気はあるのか?」
帰る場所がある。
側にいていいと、言ってくれる。
私はこれからも、そんなあなたの役に立ちたい。
「もちろんです。人間でもいいなら、喜んで」
「人間というより、我はそなたがいい」
まるで告白のようなセリフに、たちまち頬が熱くなる。
そんな私を見つめ、魔王が微笑んだ。
「綺麗……」
思わず本音が零れ出た。
魔王は片方の眉を上げている。
「いや、そなたの方こそ綺麗だ」
「えっ?」
――魔王様、いったいどうしちゃったの!?
「まだ言っていなかったか? 我はそなたの穢れなき心を、羨ましく思う」
――あ、顔じゃなくて心ね。
それもそうか。魔王の美貌は圧倒的で、ただの人間が敵うとは思えない。
ドキドキしている私をよそに、魔王は手の一振りで石の扉を出現させた。
中に入ると、そこは魔界の崖の上。
当然のように抱きしめられて、空を飛ぶ。
「あ、あ、あの! これだと距離が近いので、ドラゴンの背中が良かったのですが……」
「無理だ。界をまたぐには、超高速で移動せねばならん。人間の身体など、ひとたまりもなかろう。しかも我に乗るなど、まだ早いわ」
「……そう、ですか」
憧れのドラゴンには、乗れないらしい。
いや、待てよ? まだ早いということは、いつかは乗ってもいいってこと?
このドキドキは、ドラゴンに乗る自分を想像したから。魔王に抱きしめられているせいじゃないと、思いたい。
遠いあの日が甦る。
七歳だった私は、この世界で初めてドラゴンを目にし、前世の記憶を取り戻した。
『綺麗……』
夕日に輝く姿に感動し、思わず口にした。
あの時見たドラゴンも、もしかして――?
戻ってすぐ、吸血鬼の頭の上には魔王の雷【本物】が落ちた。
「いくら魔王様と言えども、不意打ちは……」
吸血鬼は私を見るなり、目を開く。
「お前……なぜここに?」
「どうしてだと思う? 貴様、よくも我を謀ったな」
魔王の言葉で、吸血鬼は全てを悟ったらしい。
「魔王様! お聞きください。私は貴方のためを思って……」
「うるさいっ」
魔王の怒りは相当で、電撃が続く。
吸血鬼は、可哀想なほどボロボロになっていた。
「魔王様、もうその辺でいいのでは?」
私はたまらずとめに入るが、彼の怒りは収まらない。
「いいや。クリストランは我を騙し、我のものに手を出した」
――手を出した? いえ、追い出されただけですよ?
変な言い換えはしないでほしい。
ところで、我のものって何!?
次から最終章です(^^)




