表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/56

あなたがいなくても

「ギネラ、おい、ギー」


「……はい!」


 そうか。今の私は、ギネラと名乗っているんだった。

 一階の食堂兼酒場を手伝う私――ヴィオネッタは、慌ててお客の元に行く。普段は厨房(ちゅうぼう)にいるけれど、人手が足りない時にはこうして注文を取っているのだ。


「エールを追加してくれ」


「喜んで!」


「その言葉、不思議だよな〜。ところでギーは、誰かに似ているよな。この辺に姉妹(しまい)はいないか?」

 

「いいえ、姉妹はおりません。それとも私、口説(くど)かれている?」


 とっさに冗談でごまかした。

 でもこのお客は以前、カフェで見かけたことがある。


 今の私は地味な茶色いスカートに、白いエプロンを付けていた。黒く染めた髪は束ねて、後ろで一つに結んでいる。緑の瞳は変わらないけど、人違いだと言い張れるはずだ。

 

「確かにどっかで見たんだがな。……ああ、わかったぞ!」


 ポンと手を打つ男性に、お盆を抱えたままぎくりとしてしまう。


「なんと言ったかな。以前は評判だったけど、今はガラガラの甘いものを出す店だ」


 ガラガラと聞くと、胸が痛い。

 あのお客でいっぱいだった店内は、通りがかった時にはお客がいなかった。

 私は慌てて話を変える。


「そう。それより、うちの食事はどう? ちゃんと味わってね」


「ああ。もちろん美味しいよ」


「ありがと」


 けれど、話を聞きつけた別のお客が乗ってきた。


「その店には、僕も行ったことがある。元は人気の店だが、人手に渡って変わったらしい。妻が、以前よりかなりマズくなったとぼやいていた」


「だろう? うちの女房も、おんなじことを言っていた。そんでもって『あんたは酒場で楽しめるからいいわよね』と、きたもんだ。あの店の味が落ちたのは、俺のせいじゃないっての」


「わかる。うちも一緒だよ」

 

 談笑し、意気投合する男達。

 反対に、私はどんどん沈んでいく。


 笑顔の絶えないあの店は、今はもうお酒のネタにしかならない。

 このままどんどん忘れられ、消えていくのか?


浸っ(ひた)ている場合じゃなかったわ。早いとこエールを運ばなくちゃ」


 吸血鬼からもらったお金は、宿代と辻馬車代を払っただけで、残りは全て取っている。

 王都で泊まったこの宿は、運良く料理ができる人を募集していた。そこで私はここに留まり、老いた料理人の補助として働いているのだ。


「お待たせしました。当店自慢のエールです」


「ありがとう。なあ、ギネラは甘いものは作らないのかい?」


 問われた途端、なぜか魔王が頭を()ぎる。


 初めてタピオカを口にした時、彼は黒い(かたまり)(のど)に詰まらせ、咳き込んでいたっけ。それがちょっぴり可愛くて、思わず笑った覚えがある。


「ギネラ、おい、ギーってば!」


「はい? ……あ。ええっと、甘いものは苦手です。酒場には、おつまみくらいがちょうどいいかと」


「さっきからボーッとしてどうした? ま、いいや。作れないなら仕方がない。……やっぱり別人みたいだな」


 ボソッと(つぶや)く男性は、それ以上追求してこなかった。

 私は作り笑いを浮かべると、別の注文を取りに行く。




 真夜中。

 シンとした厨房にいる私は、一人ため息をつく。


 自分で名前を変えたのに、人から「ギー」と呼ばれるのには、まだ慣れない。

 これがもふ魔達なら……。


『ぎぃー』


『ぎー、きゅいきゅーきゅ?』


 そんなふうに可愛く鳴いて、私を心配してくれた。


 心優しい仲間に囲まれて、楽しく過ごした日々。苦労もたくさんあったけど、あの時間が(なつか)かしく、戻れないと知った今、余計に愛しい。


「そうだ。看板もしまっておかなくちゃ」


 片付けを終えても、フェンリルは床に寝そべらない。


「今日はお肉がたくさん余ったの。これだけあれば、喜ぶ顔が見られたのにね」

 

 自分の部屋に帰っても、もふ魔達は現れない。


「一生懸命手伝ってくれて、助かったわ。ヴィーという自分の名前に誇りが持てたのは、あの子達のおかげよ」


 鍋の持ち手が壊れても頭をかくサイクロプスはおらず、修理してくれるドワーフもいない。


「ドワーフは怒りながらも、新品同様に直してくれたわ。お礼にいろんなキッシュを差し入れたけど、シンプルなのが好きだったわね」


 そして魔王。

 魔界中の敬意を集める彼の、圧倒的な美貌も微笑も、もう見られない。


「刻印を消さずに追放したのは、私のことなんてどうでもいいからよね? それなのに、こんな繋がりでも喜ぶなんて、自分でもどうかと思う」


 胸に手を当て、考える。


 魔界からは、なんの(おと)沙汰(さた)もない。それはきっと、魔王が私を追放しろと命じたせいだ。彼は私を、役立たずだと判断したみたい。


 でも感謝こそすれ、魔王を責める気持ちはない。

 だって彼は私の料理の腕を認め、刻印の力で守ってくれた。光の球を浮かべてくれて、魔界の種族や食材と(かか)わるきっかけも作ってくれて。


 死亡フラグだらけのつらい日々。

 そこから救い出してくれたのは、彼だ。

「処刑する」と言いつつ本気でないのは、早くに見て取れた。


『残虐非道』と言われる魔王は、実は優しい。だからこそ、魔族も彼を慕うのだろう。


「大丈夫。あなたがいなくても、私は元気よ」


 ひとりぼっちの厨房で、そっと呟く。


 宿のおかみさんは親切で、忙しいけど平和に過ごしている。二度と魔界に戻れなくても、私はここで生きていく。


 気づけばこうして、魔法陣の刻まれた胸に手を当てるのがくせになっていた。

 人間界に戻れて喜ぶべきなのに、時々寂しく感じてしまう。


「こんな日が来るってわかっていたら、甘いものをもっとたくさん作ってあげるんだったな」


 今さらどうにもできないけれど、それだけが心残りだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ