魔王登場
暗い空に赤い二つの月。
はるか遠くの高台には、いくつもの尖塔を持つ城のようなものが建っている。そこから今いる崖の下まで、家らしきものがひしめいていた。
奇妙な鳥の声が聞こえるし、不気味なうなりは風の音?
ここは、凶暴な狼の方がマシだとさえ思える暗くて異様な世界だ。こんな場所、ゲームの中にも出てこなかったのに……。
「何これ。ここ、どこ?」
怖くなって後ずさると、石の扉はあとかたもなく消えていた。
「なんで? 元に戻れない!」
森のどこかに、魔界に続く道があると噂されていた。
でもそれが、道ではなく扉だとしたら?
「ここって…………魔界!?」
額に脂汗が浮かぶ。
悪役令嬢のヴィオネッタは狼に引き裂かれ、悪魔のような影に襲われていた。それって、ここのこと?
「ギイギイ」
「ガァーキィィー」
奇妙な声が真上で聞こえ、慌てて暗い空を仰ぎ見た。そこには羽の生えた人が、二人も浮かんでいる。
――違う。手の部分は翼で上半身は女性、下半身は鳥の足だ。それなら名前は……。
「ハーピー?」
「キイィィィーーー」
超音波のような鳴き声に、耳を塞ぐ。ハーピー達はみる間に近づくと、私に向かってかぎ爪を伸ばす。
明らかに、死亡フラグだ!
「キャーッ、キャー…………あ?」
「ギイィィィ」
「ギギギギギ」
引き裂かれると怯えたものの、気づけば宙に浮いている。
私を掴んだハーピーは、重い体重を支えようと必死に羽ばたいていた。
ここで暴れたら、間違いなく転落死。
おとなしくしていよう。
奥に見えた城に到着した。
そこで、ペタペタ歩く水かき付きの魔物に引き渡される。
「あの……わたくしはこれからどうなるのでしょう?」
「##▲○●%&?」
ダメだ、言葉が通じない。前後を挟まれているので、逃げ出せそうにもなかった。
連れて行かれたのは、床に白と黒のタイルが敷き詰められた広々とした場所。室内というのに壁に沿って木が生えて、天井には星が浮かんでいる。
奥の真っ黒な階段には赤い絨毯が敷かれ、一番高いところに細かな装飾付きの空の玉座。その手前に人らしき姿が見えた。
「教えてください。ここは魔界ですよね? わたくしは、これからどうなるのでしょうか?」
呼びかけるが、その人は黙ってこちらを見下ろしている。
――まさか、言葉が通じない?
彼は黒い翼を広げると、一瞬にして私の前に降り立った。
「人間、発言の許可を与えていないのに、勝手にしゃべるとはどういう了見ですか?」
「……え?」
よく見れば、その人は耳が尖っていた。肩までの灰色がかった茶色のストレートの髪に赤い瞳で、金色の鎖が付いたモノクル(片眼鏡)をかけている。
恐ろしく美しい顔立ちだけど、翼はこうもりみたい。
この姿って――。
「吸血鬼?」
「馴れ馴れしいぞ、人間!!」
怒鳴られた途端、触れられてもいないのに床に這いつくばる恰好となった。
目に見えない力が働いているから、これは魔法?
それなら彼が、ゲームに出てきた悪魔なの?
「た、助けてください」
魔界で一番偉いのは、確か魔王だ。
悪役令嬢を覆う影の正体が、悪魔ではなく魔王だとしたら?
残虐非道と伝承されてはいるけれど、言葉が通じるなら耳を貸してくれるかもしれない。
「魔王様。取り乱してしまい、失礼いたしました。わたくしは偶然、この地に迷い込んだだけです。どうかお助けください」
「魔王様? はっ、その発言こそ失礼です。ただの人間が偉大なお方を口にするなど、無礼極まりない」
じゃあ、どうしろと?
つい反抗的な気分になるが、慌てて言葉を飲み込んだ。
ただこれで、魔王は別にいるとわかった。
……って、わかったからってどうなるの。
恐ろしいのは吸血鬼だけで十分なのに、まだこの上がいるらしい。
「偶然だろうとなんだろうと、人間の分際で魔界に侵入するなど許せません。よって、即座に処刑する!」
――ああ。
絶望が身体を駆け巡る。
悪役令嬢ヴィオネッタは、どうあがいてもバッドエンドで命を落とす運命みたい。
「……と、言いたいところですが、お決めになるのは魔王様です。たとえ人間であっても、勝手に殺すなと厳命されていますので」
紛らわしい言い方しないでほしい。
だったら魔王さえ現れなければ、セーフだ。
ホッとする私の目の前で、吸血鬼が勝ち誇ったように笑う。
「ああ、ちょうどお戻りになられたようですね。処刑の許しをもらいましょう」
「そんな!」
玉座に注目すると、黒い霧のようなものが徐々に集まっていた。それは明確な形を作り、角の生えた姿を出現させる。
魔物達が一斉に、玉座に向かって頭を下げた。
「これが…………魔王?」
思わず漏らすと、続く声が奪われた。
さらに両手を広げた磔の姿勢で、玉座の前に宙づりにされてしまう。
この身体をあっさり浮かび上がらせるとは、さすが魔王。
……って、感心している場合じゃない。
どれだけ力を入れても動かないため、私はただ魔王を眺めた。
濃い青に金の刺繍が入った豪奢なマントに身を包んだ魔王は、短めの黒髪で頭に立派な角が生えている。意外に若いが、驚くべきはその顔だ。
――これほどの美青年、今まで見たことがないわ!!!
鼻筋が通っているのはもちろんのこと、すっきりした目元には煌めく金の瞳。高い頬骨に形の良い唇や顎のラインなど、全てにおいて完璧だった。圧倒的な美貌は、どれだけ見ても飽きない。
『カルロマ』の制作会社も惜しいことをした。
彼をヒーローにした方が、ゲームはバカ売れだったような……。