私は負けない
「完っ全に騙された……」
私は今、見知らぬ町に一人ぽつんと立っている。
馬車を乗り継ぎ、吸血鬼のクリストランに連れて来られたのが、夕方頃のこと。
『新しい店』という言葉に胸躍らせて、ついて来たのが間違いだった。
「死亡フラグ、というほどではないけれど。まさか、初めての場所に置き去りにされるなんて……」
置き去りにされるのは、これで二度目だ。
最初は森で、次は町。
以前森で狼に襲われた時は、死ぬかと思って怖かった。
「今回の方がまだマシね。魔族は、人間より優しいのかしら?」
もちろん皮肉だ。
吸血鬼はここに到着するなり、小さな革袋を私に投げつけたから。
『では、ここで。あなたはもう、魔界に必要ありません。せめてもの情けで、当面の金を用意しました』
『え? お店の話は?』
『ああ、本気にしたのですね? もちろん、あなたを連れ出すための方便です』
『ひどいっ』
『ひどくても、これが我らのやり方です』
『我ら? じゃあ、魔王様もご存じなんですね?』
『……もちろんです。ご自分のいない間に、あなたを連れ出すよう命じられました』
吸血鬼が、首を大きく縦に振る。
だけど今、ほんのちょっとためらったような。
『本当ですか? 本当に魔王様が、わたくしを追い出せと?』
『しつこいですよ。私が魔王様の名で、嘘をつくはずないでしょう?』
反論できない。
魔王を慕う吸血鬼が、彼に逆らうとは思えないからだ。独断で私を追い出したのなら、吸血鬼は魔王の怒りを買ってしまう。
期待外れだった?
魔王は私を、役立たずと決めつけたの?
急に全てが虚しくなって、私はその場にくずおれる。
そんな私に目もくれず、吸血鬼は早々と姿を消したのだった。
それから半刻後。
私はスカートについた泥を払って立ち上がり、知らない場所で途方に暮れる。
「これからどうしよう? 革袋の中身は金貨と銅貨。当分このお金で凌げるとして、その後は?」
冤罪だって晴れていないし、家族にはもう戻れない。女一人で生きていくには、厳しい世の中だ。かといって、結婚するにしたって相手が……。
そこでふと気づく。
「刻印は? 魔法陣が刻まれたままなんだけど!?」
なんてこった。
奇妙な印が残ったままでは、結婚だって無理だ。
「絶対魔界の役に立ったよね。そのお返しが、これなの?」
突然怒りがこみ上げた。
――魔王にしろ吸血鬼にしろ、私をなんだと思ってる?
いいように利用され、捨てられたなんて認めない。
とりあえず、今夜の宿を探そう。
今後のことを考えるのは、それからだ。
無事に宿に泊まれたものの、夜になってもなかなか眠れない。私は何度も寝返りを打つ。
「待てよ? 吸血鬼の言葉だけを信じるのは、危険だわ。魔界にだって、わたくしの味方はいたはずだもの」
もふ魔にフェンリル、サイクロプスの料理長。調理場の仲間やドワーフのお爺さん。ガイコツのスクレットやゴブリン達、狼男。
その誰もが私を嫌い、邪魔だと感じていたとは信じがたい。
そして魔王。
自由に料理をさせて、私の意見を聞いてもくれて。私の前で時々くつろいだ表情を見せてくれた彼が、本当に追い出せと命じたのだろうか?
「胸が痛むのは、悲しみのせい? それとも……」
深く考えてはいけないと、上掛けを被った。
宿の粗末なベッドは硬くて背中が痛むけど、贅沢は言えない。節約しようと、安い部屋を選んだのは自分だから。
「どんなにつらくったって、諦めたりしない。今までだって、そうやって生きてきたでしょう?」
半ば自分に言い聞かせるよう、わざと口に出す。
知らない場所にいるせいか、いつもより眠りは浅かった。
翌日。
少しは回復したせいか、前向きな考えが浮かぶ。
とりあえず今いる場所を知りたくて、情報を集めることにした。唯一の書店で地図を買い、現在地を確認する。
「なるほど。ここは、王都よりかなり南側なのね。魔の森は北西、王都は北北東にあるみたい」
石の扉は、人間界のいろんな場所に通じているようだ。魔の森からは、思ったよりも遠かった。
元貴族なので、読み書きには困らない。さらに前世は社会人。一人暮らしも経験済みだ。
「ふっふっふー、いいこと考えた。『木を隠すなら森の中』作戦よ。王都に行きましょう!」
木を隠すなら~とは、同種のものに紛れると、目立ちにくいということ。つまり人の多い都会に行けば、それだけ見つかりにくい。
「向こうもまさか、わたくしが王都にいるとは思わないでしょう」
取り上げられたカフェやお客様のことも気にかかる。せっかく通ってくださったのに、何も言えずに離れてしまった。
影ながらでも、店の今後を見守りたい。
そうと決まれば早速実行!
その前に。
私の青い髪は、非常に目立つ。
宿のおかみさんに雑貨屋の場所を聞き出して、そこで一番安い染め粉を買った。青い髪を茶色く染めるはずが、まさかの紫色。
「何これ。余計目立つじゃない。ケチったのが、良くなかったのかしら……」
さらに買い足しあれこれ試してみたところ、髪はとうとう緑がかった黒色に。
「まあ、地味でいいかもしれないわ」
ちょっと涙目になりながら、自分に言い聞かせる。
同じ黒でもあの人は、艶があって綺麗だった。圧倒的な美貌で威厳があり、なんでもできるのに優しくて……。
「魔王じゃなくって、もふ魔のこと。黒いしとっても可愛いし」
言い訳していて悲しくなった。
自分はもう、あの場所には戻れない。
「ほらほら、落ち込まないと決めたでしょう? 私は負けない。自分の力で、道を切り拓くのよ」
十日後。
十分休養できたとして、私は辻馬車を乗り継ぎ王都に向かう。王都の家賃は高いため、住み込みの働き口を見つけたい。
滞在中の宿屋に相談したところ、問題はあっさり解決。私は従業員として、そのまま宿で働くことになった。




