危険な女
再び魔界に行くことになった。
少しは悪いと思ったのか、魔王の城に戻ると、部屋が前より広くなっている。
ふかふかのベッドに腰かけて、私は呟く。
「部屋なんてどうでもいいから、胸元にある魔法陣を消してくれればいいのに……」
これさえなければ、私は自由。
力ある魔族の言葉に従わなくても、生きていけるのだ。
大事なカフェを簡単に譲り渡した吸血鬼は、やっぱり許せない。彼に全権を委ねた魔王も、見る目がなくて腹が立つ。
もちろんあれは魔王の店で、私にはなんの権利もないとわかっている。けれど人間界での拠点は、魔族にとっても無駄ではなかったはずだ。
それなのに――。
「違う。悪いのは、店を奪い取ったヒロインと王子だわ。魔王を責めるのは、お門違いよ」
二人のことは、会うまでほとんど忘れていた。あのまま放っておいてくれれば、憎しみも薄れていたかもしれない。
だけど今、怒りがふつふつ沸き起こり、悔し涙が滲んでくる。
「わたくしが国宝を盗み出し、ピピを虐めたなんて嘘! それなのに王子はよく調べもせず、ヒロインの言葉だけを信じて魔の森に追放した。彼女は、悪役令嬢の私が死ぬとわかっていたはずよ」
ゲームならそれでいい。
でも悪役令嬢は、ここでは生身の人間だ。
そうと知りつつ罠に嵌めたヒロインは、私の死を望んでいたのだろう。
「自分さえ良ければそれでいい? だから平気で、店ごと奪ったの?」
悪役令嬢として、筋書き通り追放された私。生き延びようと模索して、ようやく自分の居場所を見つけた。
ところが、ヒロインや王子は私に気づいていないのに、ただ気に入ったというだけで店を取り上げたのだ。
「やっぱり、マズくしておけば良かった……」
努力が報われないなんて、よくあること。
頑張った分だけ返ってくるとは限らない。
だけど希望があるからこそ、人は生きていけるのだ。
なのに、その希望さえ取り上げられたら、生きることさえつらくなる。
「仕返しなんて、忘れかけていた。でも、あんなのが国王と王妃になったら、あの国は終わってしまう」
その点魔界は、魔王を頂点として秩序立っていた。
横柄な態度や鼻につく魔族はいるものの、規律を犯した場合はきちんと処罰される。ちなみに私を襲った魔族も投獄されて、罰を受けたらしい。
「まあ、人間だという理由で魔法陣を刻まれたのは、いまだに納得できないけれど……」
それでもこれには、便利な機能がある。
魔族の言葉がわかるし、害を為そうとするものがいれば撃退してもくれるのだ。
――魔王はまさか、そのために? 魔界での生活が、快適になれるよう?
「まさか、ね」
何をバカな、と首を振る。
戻ったばかりの私は、日頃の疲れが溜まっていたようで、変なことを考えてしまう。
気がつけば悔し涙も拭わずに、そのままぐっすり眠っていた。
*****
「ヴィオネッタ、戻って来たのだな」
「魔王様、人間とはいえ女性です。許可なく女性の部屋に入るのは、いかがなものかと……」
私――クリストランの言葉を無視し、魔王は彼女の青い髪を手ですくう。
ふと見れば、陶磁器のような白い頬には涙の跡がある。
よほど悔しかったのだろう。
「かなりしょげていたと聞くが……。クリストラン、きちんと説明したのか? 今の時期、王城側と揉めるのは得策ではない。だから撤退するのだと」
「……ええ、ええ。もちろんですとも」
ほんの少し言い淀むものの、澄ました顔で応えた。
大事なことをわざと省いて伝えたのは、この女の関心を魔王に向けないため。なのに当の魔王が、彼女を気にしている。
「さあ、もう戻りましょう。長居はよくありません」
「クリストラン、彼女は何か言っておったか?」
「何か、とは? 先ほどお伝えした通り、店を自分のものだと主張して、手放すのを嫌がっておりました」
嘘を織り交ぜ、肩をすくめる。
魔王宛ての手紙は、自分も目にした。
だからこそ、大嫌いな人間との交渉役を買って出たのだ……この女の泣きっ面を見るために。
残念ながら、あの場で涙は流さなかった。
人前では泣かなかった彼女も、一人の時は違うらしい。
涙の跡を見て胸のすく思いがするはずが、案外そうでもなかった。
――これは、どういう感情だ?
魔王はまだ、彼女の髪に触れている。
「そのことではない。ここでの不満とか、人間のいる世界に戻りたいとか……。やはり人は、人といる方が落ち着くのであろうな」
「さようですね。そんなことを言っていた気もします。我々だって、同類や眷属と過ごす方が安心するでしょう?」
魔王は何も応えない。
まさか、この女に惹かれているのか!?
「魔王様、たかだか人間を気になさるなんて。毒されでもしましたか?」
魔王の表情は動かない。
たぶん、人が珍しいだけだろう。
それでもこれは、由々しき事態だ。
危険な女を、一刻も早く魔王から引き離そう。
「ところで魔王様。海洋族の侵攻に、どう対処なさるおつもりですか?」
海洋族とは、魔界と接する海を拠点とする生き物だ。
クラーケンやシーサーペント、セイレーンや半魚人などが該当するが、我らに与していなかった。群れない限り恐れる必要はないが、今回は大群で攻めてきたらしい。
「どう、とは? 怯む相手でもなかろう。無論打って出る。いつものように、後は任せた」
「かしこまりました。どうぞお気をつけて」
「うむ」
魔王はその場で立ち上がると、眠るヴィオネッタに名残惜しげな目を向けた。
この方の前でも起きないとは――。
この女、やっぱりふてぶてしい。
「クリストラン。人間を嫌う気持ちはわかるが、彼女は別だ。ヴィオネッタが、我らのために成し遂げたことを考えてみよ」
睨んでいたら、魔王に気づかれ咎められた。
ここはおとなしくしておこう。
「そうですね。十分稼いでくれましたし」
「稼ぐ? ああ、人間の通貨のことか。我らはそれほど必要ない。クリストラン、お前の方が人間に毒されているぞ」
魔王の言葉に唇を噛む。
久々に人の世界に行ったせいで、思考まで染まってしまったようだ。
魔王が瞬時にかき消えた。
続いて部屋を出る前に、もう一度振り返る。
海洋族との戦闘中は、魔王もフェンリルも不在。
――ヴィオネッタ。あとわずか、ゆっくり休むがいい。
私はこっそり、唇の端を上げた。
ハッピーエンド……になる予定です(^◇^;)




