失意のヴィオネッタ
「大変申し訳ありませんでした。本日は、閉店とさせていただきます。もちろんお代も要りません」
「ここまでするとは、なんの恨みがあるんだろう?」
「恨みではなく誤解なので、話せばきっとわかってくれるでしょう」
「大丈夫? 警備隊を呼んで来ましょうか?」
「いいえ、平気です」
街の警備隊は、王城の息がかかっている。
たとえ駆けつけたとしても、見て見ぬ振りをするだろう。
魔界の助けはまだ?
応援を頼んだのに、手紙は届いてないの?
「おや? これはこれは、ひどい有様ですね」
中に戻ると、真っ黒なフードを被った人物がいきなり現れた。
この出で立ちは――――魔族?
期待して走り寄るものの、フードを下ろした顔を見て、がっかりしてしまう。
――どうして彼が……。
やって来たのは、吸血鬼のクリストラン。
尖った耳を長い茶色の髪に隠し、赤い瞳で店内を見回している。
「なんだ? お前、こいつらの仲間か?」
「どこから来た」
ドスの効いた声を出す男達。
吸血鬼は、彼らに目もくれず、私に向かって口を開いた。
「報告書の金額を水増ししましたか? こんな状態でよく、繁盛させましたね」
「いいえ。それは今日、この方達が暴れたせいで……」
「おい、お前! 俺達を無視するとはいい度胸だな」
「そんな細っこくて止められるとでも? 優男はすっ込んでな」
私の話を遮り、男達が威嚇する。
けれど、吸血鬼はイライラした様子でモノクルに触れていた。
「今は話し中です。見てわかりませんか?」
「はあ? お前、俺達をバカにするのもいい加減にしろよ」
「バカにする、とは? すでにバカでしょう? 二度手間は非効率です。無駄なことはいたしません」
やれやれ、と首を横に振る吸血鬼は、めちゃくちゃ相手を侮辱している。
男達が顔を見合わせた。
ようやく意味に気づいたらしく、拳を振り上げる。
「貴様っ!」
「てんめぇー」
「邪魔ですよ」
吸血鬼のクリストランが手で扇ぐ。
すると屈強な男二人が、一気に店の奥まで吹っ飛んだ。
「ぐふっ」
「うう……」
そして呻いたきり、動かなくなってしまった。
「それで、どこまで話しましたっけ? ……ああ、繁盛させたというところからですね」
「あの、彼らのことは……」
ごろつき風の男達は、壁にぶち当たって気を失っている。放っておいていいのかな?
「手加減したので、そのうち目が覚めるでしょう。それより、この店には魔王様も満足しておられましたよ。よく頑張りましたね」
「えっ!?」
思わず耳を疑った。
吸血鬼が、私を褒めている?
それに魔王も。
秘書官を通して伝言を寄越すってことは、本当に満足しているのだろう。
胸の奥がほっこりする。
私は温かくなった胸に手を当てて、喜びを噛みしめた。
「だから、もう十分です。撤退しましょう」
「……え?」
驚きに目を丸くする。
満足しているのに、もう十分、とは?
「なぜですか? せっかく軌道に乗ったのに。撤退なんてできません」
「それは、あなたのわがままでしょう? 人間界にいたいからという理由で、魔王様のお心を煩わせるなんて」
「違います! 私はただ、魔界の役に立ちたくて!!」
「役に立つ? だったらなぜ、人間相手に揉めたんですか?」
「それは……王城側から仕掛けて来たことで……」
「だから仕方がないと? それが、わがままだと言うんです。この店はもう、諦めてください」
「嫌です!」
ここを離れれば、自分の居場所を失ってしまう。
魔界での私は、厄介者かつ魔王の囚人。仲間の優しさに頼るだけの、ただの居候だ。
「あなたの意見は聞いていません。……ああ、ちょうど良いところに来たようですね」
吸血鬼は、私の背後にいる誰かを見て、目を細めた。
慌てて振り向くと、開店前にも来た役人がそこに立っている。
「お前、店の用心棒か?」
「いいえ。この店のオーナー代理です」
役人の問いに、吸血鬼が答えた。
クリストランは魔王の秘書官なので、確かに間違ってはいない。
「そうか。昨日も話したが、この店の明け渡しを要求する」
「わかりました」
「反対しても無駄……え? 今、なんと?」
あっさり応じたクリストランに、城の役人は驚きを隠しきれない様子だ。
「承知いたしました。店員を引き上げさせて、そっくりそのまま渡せばいいんですね?」
「うえ? ……あ、ああ」
「そんな! せっかくのお店が!」
「あなたの意見は聞いていません。私はこの方と話しているんです。さ、こちらが建物の権利書です」
吸血鬼は上着の懐から権利書を取り出すと、さも当然のように差し出した。
これには、役人の方がびっくりしている。
「対価も礼金も支払うつもりはない。それでもいいのか?」
「いいも何も、それがそちらの望みでしょう?」
「ああ。しかし……」
城の役人は戸惑い、手を伸ばすのをためらっている。高圧的な口調だが、実はいい人なのかもしれない。
「お互い上には逆らえず、大変ですね」
こんなに愛想のいい吸血鬼を、私は見た覚えがない。
――クリストランは人間嫌いのはずだよね? もしやさっさと帰りたくて、適当に交渉しているんじゃあ……。
訝しげな視線を注ぐものの、完っ璧に無視された。
これまで時間をかけて大事に育ててきた、笑顔いっぱいのお店。それが彼のせいで、あっという間にヒロインの手に渡るのだ。
到底納得できるはずもなく、私は彼に詰め寄った。
「どうしてですか? なんでそんなことをするの!」
たまらず叫んだ私をよそに、吸血鬼は役人に書類を押し付ける。
「あ?……ああ。協力に感謝する」
「どういたしまして」
「急なことで、汚い手を使ってすまなかった。男達は、こちらで回収しておこう」
城の役人は、嘘くさい笑顔の吸血鬼ではなく、私に向かって話しかけている。
店で暴れた男達は、役人が裏で手を回したものらしい。
手段を問わない相手に、簡単に店を譲るなんて信じられない!!
怒りのあまり声も出ない私に、役人が同情的な視線を注ぐ。
「今さら遅いが……。実を言うと、俺の娘もここを気に入っていた。どこで店を出すにしろ、次は必ず応援する」
良心の呵責を感じてなのか、そう言い添えた。
彼も根っからの悪人ではないのだろう。だからこそ、開店前に忠告に来たと思われる。
反対虚しく、カフェの権利を失った。
私は失意のまま荷物をまとめ、店をとぼとぼ後にする。
悪役令嬢は、どこまでいっても悪役なのかもしれない。
懸命に生きようとあがいても、その先には不幸が待っている。




