魔界は案外
それから数日後。
私は出入りの行商人と、初めて顔を合わせた。料理長が不在のため、発注を任されたのだ。
「へえ、あんたがヴィーか。話は聞いているよ」
「初めまして。初対面で失礼ですけど、あなたも私と同じ人間……ですよね?」
赤毛が混じった茶色の髪にがっちりした体格の爽やかな青年は、どこからどう見ても人だった。魔界に通う者がいるとは、心強い。
「いいや。俺は、あんたらの言う『狼男』だ。満月の晩にはこっちでおとなしくしているから、まだ正体はバレていない」
「バレていないも何も、今、バラしていらっしゃるような……」
「ハハ、違いねえ。別にあんたならいいよ。で? 小麦粉の注文が減ったのは、あんたの仕業だって?」
青年は笑顔を引っ込め、仕事モードに切り替わる。
「すみません。黒芋の粉と米粉を混ぜたもので代用できると判明したので、少なくしました」
「いんや、責めているわけじゃない。重いものが減って、俺としては喜ばしい限りだ。魔界と人間界との往復は、骨が折れるよ」
「結構、頻繁に行き来するのですか?」
「まあね。城の客はそれなりのもてなしを望むし、上級魔族は高級品を好むから」
「そうだったんですね」
「極上の葡萄酒やエールは、今でも人間界から取り寄せているよ。あっちに休憩所でもあれば別だが、廃墟の多くが取り壊された。おかげで毎回日帰りだし、月夜の晩には出歩けない」
「まあ」
崖の上にあった石の扉は、荷車を引く狼男が利用するのかもしれない。
彼が出現させたせいで、あの日私がここに来たのだとしたら?
もしそうだとしても、狼男を恨む気持ちはない。
突如、ある事実に気がついて愕然とする。私は狼男が去っても、その場に立ち尽くしていた。
――魔界は私にとって、居心地がいい?
その思いは、快く面会に応じてくれた魔王の前で、一層強くなる。
「ヴィオネッタ、考え込んでどうした?」
「た、大変失礼いたしました」
「いや、その程度で怒る我ではない。続けよ」
「……はい。先ほど出入りの商人と話していて、気づいたことがあります。人間界に店を出してはいかがでしょうか?」
「出店? なぜだ?」
「両界の往復は、骨が折れると聞きました。向こうにお店があれば、その売り上げであちらの品物が調達できます。なおかつ、保管庫としても利用できるでしょう」
「簡単に言うが、過去に例がないわけではない。骨董品店や古書店などだ。幽霊や魔物が出るとの噂が立てば、人は簡単に寄りつかなくなるぞ」
なるほど〜。そういう店での目撃情報が多かったのは、そのためか。
魔族は普段から、人の生活に食い込んでいたらしい。
だけど私が提案するのは、いかにも、なお店じゃない。
「ええっと可愛らしいお店なら? ばっちり変装して、タピオカがメインのカフェなんてどうでしょう?」
「タピオカ? それは、例の飲みものか?」
「はい。あれなら、人間の世界でも人気が出ます。原料は全てこちらのものなので、売り上げはそのまま仕入れに回せるでしょう」
前世でタピオカは、ブームとなった時期があった。甘くて不思議な食感は、今世でもきっと受け入れられるだろう。
「ふむ。だが、どうしてそなたがそこまでする? 魔族を思うかの言動は、なぜだ?」
本当に、どうしてなんだろう?
最初は単に、処刑を撤回してほしいだけだった。
死の恐怖に怯えることなく、自由になりたいと望んでいたのだ。
でも今は、ここでの生活が楽しい。
愉快な仲間とともにいて、料理のできる毎日が嬉しい。
もふもふに癒やされて、気のいい魔族に心配されて、時には驚き時には喜び合って、互いを認め合う関係は、心地いい。
「答えたくなければ、それでも構わぬ。出店については了承した。そなたに一任するが、良いな」
「はい」
ほら、また。
魔王は私を認め、まるでここにいていいと言ってくれているかのようだ。
鼻の奥がツンとして、慌てて部屋を出た。
そのまま過去を振り返りつつ、廊下を歩く。
――元婚約者の第一王子エミリオ様は、「女性が意見するなど小賢しい」と私を責めた。料理をすると「貴族のくせに」とバカにされ、差し入れた手製の焼き菓子を投げ返されたこともある。
『痛っ。エミリオ様、あんまりです!』
『ふん。そうまでして、僕に取り入ろうとしているのか。まったく。こんなもので喜ぶと思われるとは、心外だ』
『わたくしはただ、召し上がっていただきたくて……』
『お前のように太れと? それが迷惑だと言っている。出て行け』
たまにしか会わないからこそ、嫌われたくなかった。けれど彼が愛したのはヒロインで、私ではない。
そこでふと、王子をすっかり忘れていた自分に気づく。
「彼に恨みはあるけれど、恋はしていない。あんな性格だと、なおさらよね」
その点魔王は違う。
彼は私を、見た目で判断しない。
「……って、恋じゃないから! 初めの印象とは違うってことを言いたかったの」
一人で照れて、誰にともなく言い訳する。
魔王は私を処刑すると言いながら、未だに実行していない。
胸の刻印は、傷つけるというより守っているかのよう。
私の努力をバカにせず、認めてくれた。
そして好きなだけ、料理をさせてくれるのだ。
もふ魔にフェンリル、サイクロプスやドワーフ。ガイコツ、ゴブリン、ジンに狼男。
死神は無口でゴルゴンはスイーツ好き。
いたずら好きのハーピーと吸血鬼はむかつくけれど、直接手出しはしてこない。
魔族のことを思うと、自然に顔が綻んだ。
「魔界は案外、わたくしに合うようね」
だからこそ、心から彼らの役に立ちたかった。




