魔王様に直談判
「しまった、寝過ぎ!」
慌てて瞼を開くと、元は白かったと思われるクリーム色の天井が飛び込んだ。
「あれ? ここってどこ?」
硬いベッドはふかふかで、内装も与えられている部屋より豪華だ。ただし、奥の棚には液体の入った瓶が、その横の本棚には革表紙の難しそうな本がぎっしり並べてあった。
清潔で、消毒薬の匂いがする。
「医務室かしら? 魔王城にも医務室ってあるのね。でも、なんでこんなところにいるの?」
首を捻ると、昨夜の自分が頭に浮かぶ。
「確かコカトリスのソテーを食べた後、胃が痛くなって……」
あの痛みは食あたりに近かった。
やっぱり腐っていたみたい。
氷室を修理しないと、また同じことが起こる。氷室の穴蔵は不衛生なので、本当は冷蔵庫のようなものが欲しいところだ。
料理長の馬鹿力のせいで調理器具もガタガタだし、その多くは取っ手が取れている。
料理をするには道具にもこだわりたいが、処分保留中の身で贅沢は言えない。
お腹のあたりをさすってみると、痛みは綺麗に消えていた。昨夜、飲み薬のようなものを飲まされた気がする。
――あれは誰? 誰が私をここに運んでくれたの?
「もしかしてルー? あの後食べに来て、倒れたわたくしを発見したとか?」
覚えてないなんて、もったいない。
銀色狼の背中に乗ったはずなのに……。
扉が勢いよく開き、黒い塊がゴムまりのように飛び跳ねながら入室する。
「きゅいーー!」
「ぎぃー、きゅいきゅーい?」
「あなた達!」
ヴィー、大丈夫って言ってるの?
可愛いもふ魔は、持ち場にいない私を心配して駆けつけてくれたようだ。
心配…………して?
ベッドで上半身を起こした私に乗り上げて、嬉しそうにボンボン跳ねている。
――可愛いけど、地味に痛いわ。
「もしや昨日は、あなた達が?」
「きゅーい?」
やっぱり違うみたい。
たぶんルーが運んでくれたから、会ったらお礼を言わなくちゃ。それから診察してくれたお医者様にも。
医者の姿はないものの、ベッド脇のテーブルに小さな紙がある。
だったら書き置きを残しておこう。
魔王の刻印は便利で、書いた文字も魔族のものに変換されるみたい。
『昨晩はお世話になりました。助けてくださってありがとうございます。ご恩は忘れません。ヴィオネッタ・トリアーレ』
サインを終えて、悩む。
私は眉間に皺を寄せ、トリアーレの部分を二本の線で消した。
「婚約破棄され家族からも見捨てられたわたくしは、ただのヴィオネッタ、よね」
「ぎぃー」
「ぎーい?」
「ああ、そうね。ヴィーよ。あなた達が呼んでくれるから、ヴィーでも素敵に聞こえるわ」
私は自分の足でしっかり立つと、椅子にかけてあったマントを拝借し、身体に巻きつけた。
扉を開けるなり、誰かとぶつかる。
「ごめんなさい。……って、魔王様!?」
頭に二本の立派な角が生えた魔王は、今日もとっても麗しい。
黒髪には艶があり、金色の瞳は謎めいている。全てのパーツが整った顔はこの世のものとは思えず、背が高くスタイルもいい。
恐ろしいけど美しく、つい見入ってしまう。
「ぎゅいーー」
「ぎゅいー、ぎゅいー♪」
明るいもふ魔の声を聞き、我に返る。
もしや『魔王』って言っているの?
こんなに喜ぶなんて、彼らは魔王が好きなのね。
でも私は、彼が嫌う『人間』だ。
逆鱗に触れてはいけないと、扉の前から慌てて飛び退く。
「失礼いたしました。どうぞ」
魔王は中には入らずに、金色の瞳で見つめた。黒を基調とした赤が差し色の服には金の刺繍が施され、憎らしいほどよく似合う。
魔界の食事はマズいけど、仕立屋の腕はいいみたい。
「具合はどうだ?」
「具合、と申しますと?」
反射的に聞き返した途端、昨夜のことだと気づく。
「あ。おかげさまで、全快しました。ほら、この通り」
ガッツポーズをした直後、マントがはらりと床に落ちた。
――いけない。薄着一枚のはしたない姿を、魔王の目に晒してしまったわ。
「申し訳ありません」
「いや」
無表情で応えた魔王が、床に落ちたマントを掴む。そのままバサリと肩にかけ、もの問いたげに首をかしげた。
――まさか、このマントって……。
魔王のものなの?
置き忘れていたのを取りに来て、勝手に借りた私と遭遇?
「重ね重ね、申し訳ありませんっ」
「構わぬ。だが、食糧事情を改善すると明言した本人が、倒れてどうする」
――ごもっとも。
よく通る声は、妙に説得力があった。下々のことまで気に懸けるなんて、魔王も大変ね。
「無理をせずとも、必要なものがあれば用意させよう。クリストランに言えば、しかるべく手配を……」
「お願いがあります!」
吸血鬼の名を聞き、即座に叫ぶ。
嫌みったらしい彼より、魔王に頼みたい。
「調理場の氷室が故障して、食材が保存できません。それから鍋やフライパンなどが破損しています。できれば鉄でなく銅製の方が、雑菌の繁殖を防げるのですが……。調理には、道具が不可欠です!」
一気に口にしたけれど、こんな雑事は魔王の仕事ではない。
「ならば、一筆書いておこう。道具のことは任せるから、鍛冶場で直接交渉するがよい」
「え? お聞き届けくださるのですか?」
「言い出したのは、我だ」
魔王が腕を上げた途端、何もない空間に羊皮紙のようなものが出現した。長い爪で文字を記すと、文字が青く発光する。
「鍛冶場への道は、その者達が知っている。これを見せれば通れるはずだ」
「きゅーい」
なんと城の中には、鍛冶場まであるらしい。
魔王は羊皮紙を私に渡すと、話は終えたとばかりに踵を返す。
私は慌てて呼びかける。
「魔王様、お待ちください!」
「なんだ。まだ何か?」
「ご存じだったら教えてください。わたくしをここまで運んでくださったのは、誰ですか?」
魔王は急に、険しい顔をした。
「些細なことを聞いてなんになる? お前の処分は延期で、中止ではない。我を満足させなくば、直ちに処刑する」
――ですよねー。
前言撤回。魔王はやっぱり魔王だ。




