あなたは誰?
一つ目の料理長は、大量に収穫した野菜とコカトリスを見てかなり気を良くしていた。
「さすがはフェンリル様だ。美味しいものをたくさん作ってさしあげなさい」
うん、まあね。頑張ったのはルーともふ魔で、私はほとんど活躍していない。
ただ、作りたいのはやまやまだけど、ルーはコカトリスを一羽丸ごと囓っていたから、もうお腹いっぱいだと思う。調理場に来ない日もあるので、作りすぎたら無駄になる。
ただでさえ氷室の調子が悪く、生ものは保存が利かないようだ。
「とりあえず塩漬けにして、余った分は鶏肉のソテーね」
自分の夕食も兼ねているので、もちろん手は抜かない。マンドラゴラの葉っぱも一緒に調理して、美味しくいただこう。
そう思っていたら――。
「料理長ってば、うっかり下に落っことしたのね。紙に包まず、そのまましまったみたい」
なんとコカトリスの肉が、汚れてさらに変色している。
短時間で傷むのは、料理長より氷室に原因がありそうだ。
「でもこれ、全部無駄にするのは嫌だわ」
ルーのおかげで手に入ったし、お腹もペコペコだ。
「火を通せばいけるかな? もったいないもんね」
肉が縮まないようフォークを刺して、皮目からパリッと焼く。岩塩と葡萄酒を加え、ニンニクとトルナマトを長時間煮込んで作ったソースをかけてれば完成だ。
仕上げにマンドラゴラの葉っぱを添える。
「確かチーズもあったはず♪」
熟成したチーズは別の穴蔵にあったから、問題はないだろう。
赤紫色のトルナマトに黄色のチーズを削ってかけた。
緑色のマンドラゴラの葉と薄茶色のお肉。
彩りも美しく、香ばしい香りが食欲をそそる。
「いっただっきまーす」
シンとした調理場に、私の声が響く。
夜中の食事は身体に悪いと言われるけれど、好きなものを食べると明日も頑張れそう。
お肉は焼き加減が絶妙で、味はほぼ鶏肉だった。
ニンニクとトルナマトのソースはパスタにも応用できるから、次は多めに作って保存しよう。
びっくりしたのはマンドラゴラの葉で、見た目も食感もホーレン草だ。しかも味がしっかりしている。
「命懸けで引き抜く人の気持ちが、ちょっぴりわかった気がするわ」
全て綺麗に平らげて、満足のため息をつく。
「ごちそうさまでした。今日の食事は、ルーともふ魔達のおかげね」
城に住む魔族達も、コカトリスの豪華な夕食に舌鼓を打ったことだろう。
食べた後はお片付け。
ところが突然、胃が痛む。
「痛っ、痛たたたたた……」
焼け付くような痛みに襲われて、お腹を押さえてうずくまる。
「まさか毒? マンドラゴラの猛毒が、葉っぱにもあったんじゃあ……」
恐ろしい考えとともに、額に玉の汗が浮かぶ。
吐き気はどうにかこらえたものの、恐怖がせり上がる。
――私、魔界の食べ物のせいで死ぬの? でも、猛毒なら即死よね。じゃあ、毒じゃなくって食あたり?
「ダメだ。力が入らない」
焼けるように胃が熱く、身体もだるい。
力なくその場に倒れた私は、そのまま目を閉じた。
ひんやりした床が頬に触れたため、ほんの少し気が紛れた気がする。
――処刑を待たずに死んだら、魔王も驚くわね。吸血鬼は……喜びそう。
このタイミングで命を落とすなんて、思ってもみなかった。食い意地が張っていたのは認めるけれど、まだ生きていたい。他に試したい料理も、いっぱいあったのに……。
耐えがたい痛みに襲われた私。
そこから先は、何もわからなくなった。
*****
小舟に乗ってゆらゆら揺れている。
――おかしいわ。第一王子のエミリオ様と婚約して以降、私には船遊びすら許されなかったのに……。
湖でボートに乗ったのはいつのこと?
アヒルの足こぎボートが良かったのに、ヘリコプターの足こぎボートに案内されてしまった。
『がさつで男の子のような見た目だし、ちょうどいいじゃない』
そう言って笑う母を見返したくて、料理を始めたっけ。それからどんどん楽しくなって――。
『料理』と浮かんだ直後、胃から何かがせり上がる。
「苦しい! 降ろして」
「もうすぐだ。もうすぐ部屋に着くから、我慢するがよい」
そんな無茶な……。
けれど耳に響く低音が心地よく、不思議と吐き気は収まった。
――この声は、誰のものだろう?
「エミリオ様?」
婚約者の名を呼んでみる。
返事がないので、違うみたい。
確かに彼は、もう少し高い声だ。
私は最近、エミリオ王子の憎々しげな声音を聞いた気がする。
――あれは、いつのこと?
急に胸が苦しくなって、痛む胸に手を添えた。
……いや、違う。苦しいのではなく、ムカムカする。
「もうダメ。早く降ろして!」
「よく頑張ったな。褒めてつかわそう」
つかわすって……。
偉そうな言い方でも、その声は優しい。
そのまま柔らかい何かの上に、そっと下ろされた。
――あれ? ここって、ボート乗り場じゃなかったの?
誰かの手が、額に落ちた私の青い髪をかき上げる。
その手は大きく優しくて、どこか安心できた。
ずっとこうしてもらいたいけど――――あなたは誰?
「だが、頑張りすぎは禁物だ。寝る間も惜しんで働いていると聞く。人間は怠惰な生き物だとばかり思っていたが……お前は違うようだな」
「人間は」って、自分だって人なのに、変な言い方ね。
「弱ったところに腐りかけたものを食べたせいで、倒れたのでしょう。ただでさえ人は、弱い生き物です。水薬を処方しますか?」
この人もおかしな言葉を使っている。
わざわざ「人は」って付け加えなくてもいいでしょう?
覚えのない匂いがするけど、ここはどこ?
「ああ。我はこやつの行動を、もう少し見てみたい。この世界を変える者になるか、それとも否か」
「買いかぶり過ぎでしょう。だって人間ですよ?」
ほら、また人間って――。
二人とも上から目線で、とっても失礼だわ。
「それはそうと、先日もわざと非情を装いましたね? 初めから、殺すおつもりなどなかったのでしょう?」
「なんのことだ。無駄口を叩かず、さっさと仕事しろ」
「仰せのままに」
若い声の方が威張っているみたい。変なの。
「さて、できました。こちらを飲ませれば……」
「貸せ」
口に何かが押し当てられたので、そのまま飲み下す。
誰かに優しくされるなんて久しぶり。
この世界の両親は厳しく、彼は冷たくて……。
――この世界って? 彼って誰?
「あなたがご心配なさるとは。この人間に、そこまでの価値があるのですか?」
「さあ、な。だが、インプやあのフェンリルを手なずけた。案外大物かもしれん」
「……はあ」
インプって小悪魔のことだっけ?
フェンリルは空想上の生き物よ。
胃の中で暴れ回っているのは、まさか小悪魔!?
とめどない妄想が次々浮かぶから、この声もきっと幻だ。




