プロローグ 2 自由自在
机に倒れ込む。
まっすぐ伸ばした背中がくの字に倒れ、私は魔学校四年の教室を睨めまわした。長方体の部屋には長椅子と長机が埋め込まれ、階段状のようにせり上がっている。西側には廊下、東側には窓が備えられており、遮光用の木窓が備え付けられていた。
バタッ。
教室の最後尾、もとい私の隣の席に緑の魔女見習いが続けて倒れる。緑のローブが破けた跡はなし。三角帽が凹んだ形跡なし。身体の異常な点はなし。少し髪が乱れているが、許容範囲内だろう。
「……フィーも叱られたの?」
首が縦に振られる。声も出したくないほど絞られたようだ。
私は「あはは……」と苦笑いを返す。数刻前、私も四年生担当の教諭にこってり叱られてきたので、その苦労は身にしみるほど伝わった。
隣に座る彼女の名前は、フィー。魔学校に隣接している魔法都市出身の少女である。小柄で幼い容姿だが、実際は三歳年上である。それを知った時は、天地がひっくり返るくらいの驚愕したものだ。
しかし、いろいろと相談に乗ってくれたり、愚痴を聞いてくれたり、とお姉さん能力を遺憾なく発揮してみんなから慕われる存在でもある。自分も編入したてにお世話になった事が多々あり感謝してもしきれない。フィーが一緒だったからこそ、学校で独りぼっちにならなかったのだ。
くるっ、とフィーが首を回して視線を向けた。今にも泣きそうなほど瞼に涙を蓄えている。これは愚痴が零れるな、と予感した。
「ひどいんだよー、『だいたいおまえが弱いから七光りが調子に乗るんだぁぁぁ』って言うんだ……先生としてどうなの」
――それは、確かに駄目だろ……。
だが、起き上がり、ぷぅ、と頬を膨らませた緑の魔女見習いに、反論の声がかかった。
「残念。それだけですか。もっと怒ってくださって構いませんでしたのに……」
瞬間、穏和な草食動物のようなフィーの表情が牙をむいたように吊りあがった。牙は一つ前の席に座っている少女に向けられている、
威嚇の標的にされた彼女は、紫色のイブニングドレスを着こなし、その上ふらつくことなく立ち振る舞う。まさに優雅。セミロングの上に鎮座した紫色の三角帽は原寸より小さく、まるで髪飾りのように主を際立たせている。整えられた眉とぱっちり開いた目は柔らかな印象を与えた。
しかし、彼女は一種の近寄りがたい雰囲気を持っている。その要因が彼女の役割であった。
「委員長、いたんだ」
声をかけると紫の魔女見習いことエーテルは振り返る。律義に事を成す彼女は入学初期から現クラスを纏める委員長に抜擢された。クラスメイトとの信頼は固い――はずなのだが、
「あらぁ、それはどういうことでございますかぁ。おしえてくださりますぅ、委員長さまぁー」
「しょうがありませんわね。フィーさんはおバカですものね」
「はぁ? おバカなのはエーテルさまではありませんかぁー」
ピキッ。緑の魔女見習いの額に青筋が浮き上がる。
イラッ。紫の魔女見習いの頬が引きつった。
二人の間に火花が散る。
「はぁ……」
この通り二人は相性が悪いのだ。クラスの皆から慕われるフィーと信頼を得ているエーテル。確かに仇敵同士かもしれない。
「…………ところで、間に挟まれた私はどうしたらいいの」
「もちろん私の見方をしてくれるんでしょ?」
「あら、それはアイさんが決める事でしょう」
再び火花が散り、言語の応酬が続く。確か辞書にこの状況を指す言葉が書いてあったな……えっと、同族嫌悪だったか。
とにかく、間に挟まれた自分はただ怒鳴り合いを静聴するしかなかった。
――誰か……助けてください……。
心中で叫ぶと、答えるがごとく教室のドアが開いた。担当教諭が入室する。
「こらぁぁぁ、なにしているぅぅぅぅ!! 早く席に着けぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
教諭の一言で教室内の雑音、雑談が消えていった。エーテルも前を向き筆記用具を取り出す。さすがは委員長だ。一方、フィーは未だ舌を出してライバルをけん制しているが、知らんふりしておこう。
案の定、担当教諭に「フィィィィ!! それは俺に向けたのかぁぁぁ!!」と肉食動物さえ威圧する睨みを浴びせられて、彼女は首と手を思いっきり横に振った。それでやっと大人しくなる。
私もほっと一息吐いて、筆記用具を机の引き出しから引っ張りだした。同時に学校の天辺に設置された鐘が辺り一面に鳴り響く。授業開始だ。
これから始まるのは世界史。教諭の長い説明が始まり、私は茫然とそれを聞き流す。
私は四年前魔学校に編入してから、いろんなことを知った。
例えば、この世界についてだ。
魔法で満ちたこの世界には二つの国がある。一つは魔法で発展した魔法国、もう一つは魔法を否定し、様々な仕掛けを駆使して発展した機械国だ。互いに王様がいて、その臣下がいる。魔法育成学校の創始者――校長もその臣下の一人だ。そして現在、二つの国は当然のように争っている。先のフィーとエーテルと同じだ。まったく相容れぬため喧嘩が起きる。
担当教諭が魔法で宙に世界地図を描きだした。だが、地図には二つの大陸しか存在しない。東の大陸と西の大陸、今では魔法国と機械国をそのまま具現化した物だ。
「いいかぁぁぁ、十年前に終わった魔法国と機械国の長い戦争は皆勉強したはずだぁぁぁ。では何故争いが起きたのか、原因は何だ。七光りぃぃぃ答えろぉぉぉぉぉ」
教諭が私に人指し指を付き立てた。
「ムッ、またアイを目の敵にしているよ」
フィーが頬を膨らます。時々、担当教諭は特別に編入された自分をねたんで意地悪な質問をすることがあるのだ。今に始まったことではない。私は「まぁまぁ……」とフィーを宥めて立ちあがった。
「戦争の原因は魔法が世に溢れたことです」
背筋を伸ばし、威風堂々と発言する。
「魔法とは、魔素を使い、この世の元素を作りだして起こす超常現象です」
無から有を生み出すこの現象は、魔法暦――文字通り魔法が確立されてから数えた暦――の初めにとある科学者が生み出した技術だ。酸素、窒素、二酸化炭素など空気中には多数の元素が存在するが、その中から魔素と呼ばれる元素が発見されたのが起源である。
魔素はいわば『何でも作れる』元素だった。一個体では何の効果もないのに、複数で反応させると全く別の元素になる不思議な……それこそ魔法のような奇怪な物質。
「魔法が世界の中心になり人々の生活は劇的によくなりました」
例えば水を作ろうとする。一般的には二つの水素と一つの酸素を材料にして水が作られるが、魔法を使えば、つまり魔素を二つ結合してしまえば、同じ水分子が出来上がるのだ。魔素で作り出した物体は、作り手の意思である程度の範囲、一般に魔法射程と呼ばれる範囲まで自由に動かすことが可能。水を宙に浮かせることも出来てしまう。
自由自在。
たったそれだけのことでも、人々に与えた影響は凄まじいものだった。水を操るだけでも給水、配水の苦労が減り、文化は発展する。
もちろん水だけではない。風、火、水、土、無機物……ありとあらゆる物質を操れる。こうして、都合のいい物が作れる魔素――しいてはそれを操る魔法が世界の中心になっていったのだ。
「ですが『そんな怪しい物は使えない』と魔法を受け入れられない人間も現れ、その人々が集まり独立したのが今の機械国になります。あとは先生が教えてくださった通り、魔法の有無について争いが起こり戦争へと発展しました…………これでよろしいですか」
教諭の片眉がぴくぴく動いた。額には青筋が浮き出ていたが、何も言えず「フンッ」と鼻を鳴らして背を向けた。着席していいという合図だ。静かに席に着く。
フィーは教諭の悔しがる顔を見てクスクス笑い、エーテルは飽きもせず私に敵対する教諭に呆れていた。
――こうして当たり前のように授業を受けるなんて……戦争時代だったら想像もできなかったんだろうな。
二人を眺めていると自分さえもほんのり暖かな気分になった。これが平和だ、と実感できる。いつまでも、この生活が続けばいい。そう感じさえした。
「……ん、どうしたの? こっちをじーと見つめちゃってさ」
フィーが私の視線に気づいて笑いを止めた。
「ううん、何でもない」
私は首を振り再び教鞭をとる教諭へ視線を戻した。ペンを進める。
「変なの……」
どこか揚々とした様子の私を横目に呟く。その言葉に笑い物にされた教諭が過剰反応をみせた。ここぞとばかりに指名する。
「フィィ――――――、おまえ後で職員室に来ぉぉぉいぃ――――――――――」
「えぇぇぇ、何で私だけ?」
「おまえが一番むかついたからだぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
――こいつ最悪だ。
教室にいた誰もがそう感じる中、「えぇ……」と緑の魔女見習いは再びへたり込んだ。まるで日に干される海藻のように背中が縮む。その後の授業は教諭の説教で埋め尽くされるだろう、と皆が想像でき、誰もがため息を吐いた。