0.始まりは異世界転移からの死
不破 悠はごくごく平凡な少年だ。但し、ごくごく平凡というのは、勉学や運動に関して他者よりも秀でたものが無いという意味を指している。
容姿は少女と見間違うほどの可憐さを含んだ顔立ちで、線の細い小柄な体格と相まって相応の服装に着飾り少女の様に振舞えば、誰もが男だと思わないだろう。それこそ、そういった嗜好の持ち主には垂涎ものともいえる。
もっとも、本人にそんな趣味も無ければそうした輩に絡まれるのは御免被る訳だが――。
あとは酷く存在感が薄く、周りから忘れられる事が多々あった事か。そうした要因を除けば、本当に平凡な少年だ。
「……ここは、どこでしょうかね?」
目を覚ますと、見知らぬ光景が目の前に広がっていた。果てしなく広がる荒野、生き物はおろか木の一本すら見当たらない。少なくとも、自分が見知った地ではないのは確かだ。付け加えて言うなら、自分が住んでいる国でもなければ、自分が知る限りにおける世界の何れにも該当しない。
「所謂、異世界転移というものでしょうかね?」
学校のクラスメイト達の間で流行っているラノベや漫画の中で起こっている出来事。物語の主人公が見知らぬ世界へと飛ばされ、超常じみた能力を与えられて世界を救う英雄となったり、或いは自由気ままに過ごしたり……。とりあえず、挙げればキリが無い程に数多の作品が存在している。
「事実は小説より奇なり……ですかね?」
不破 悠もそうした作品は好んで手にしていたし、そうした出来事に遭遇したら……と想像する若者の一人だった。だが、同時にそんな非日常的な出来事が現実に起こる筈が無い。あくまで創作の中の出来事なのだと思っていた。
「夢……って事はなさそうですね」
頬を抓ってみるが、残念な事に痛みを感じる。付け加えて言うなら、夢で有るなら抓った瞬間に、自分が見知った世界へと意識は戻っている筈なのだ。
次いで、悠は自身の身の回りについて確認した。服装は通っている高校の黒の学ラン制服と履き慣れたスニーカーで、他の荷物は何一つ無い。後は、今に至る以前の記憶を振り返ってみる。確か、何時もの様に屋上で昼食を取った後に昼寝をしたのだ。その日は日差しが暖かく、どこか心地よい感じだったのを覚えている。
「一先ず、歩き回ってみましょうか」
ここで思案した所で答えは出てこないし、状況が変化する訳でもない。そう判断した悠は、一先ず歩きながら把握する事にした。
テレビやネット等では、遭難した場合は下手に歩き回るのは悪手とあったが、少なくとも自分が本来居た世界とは全く異なるのだ。その常識が通用するとは到底思えないし、何よりここで助けを待つにしても、その間を凌ぐ為の道具が何一つとしてないのだ。
故に、来るかどうかすらも分からない助けを待つよりは、敢えて自分から動いて状況を打開する事を選んだ。
「……とはいえ、こうも変わり映えしない景色ばかりが続くと、結構参ってきますね。お腹も空いた上に喉も乾いてきましたし」
どれ程歩いたのかは分からない。歩けど変わり映えしない荒野の景色、食料はおろか水すら確保出来る場所すらないのだ。空腹や喉の渇きは、悠の体力と気力を奪っていく。そうでなくても、帰宅部だった悠に長時間の運動は極めて過酷なものだった。
しかし、足を止める事は出来ない。足を止めれば絶対に動かなくなる。それが分かっているから足は止めない。
「流石に、こんな所で野垂れ死ぬのは嫌ですからね……」
訳の分からない地で、訳も分からず死ぬのは御免だ。そういう一心で只管歩き続けた結果だろうか、遠くに岩壁のようなものがあり、その一部に洞窟とおぼしき入り口がぽっかりと空いていたのだ。
「洞窟……とりあえず、あそこに入ってみましょうか。少なくとも、ここを彷徨い続けるよりはマシな筈ですし」
長い時間歩き続けて疲弊しきった身体に鞭を打つ様に奮い立たせ、悠は洞窟まで向かう。
洞窟に到着し中へ入ると、下へと降る階段があり、壁には淡い光を放つ鉱石が点在して、その光が明かりの代わりとなって洞窟内を照らしていた。
「随分と深いですね。地の底まで続いてるとかでしょうか?」
壁に手を付きながら、ゆっくりと降りていく。どこまで続くのか分からない程に、階段は下へ下へと続いていたのだが、やがてそれも終わりが見えてきた。
階段を降りきって先へと進むと、開けた場所へと出る。そして、そこにあったのは――庭園だった。
一面に咲く花や植物。そして水が引かれた水路が在り、庭園の中央には大きな木がそびえ立っている。
「凄い、荒れ地の地下にこんな場所があるなんて」
目の前に広がる光景に、悠は息をのんだ。草木一つ生えてない場所に、こんな場所が存在していたのだ。
驚きを隠せず見入っていたが、空腹を告げる様に鳴った腹の音に、現実へと引き戻される。
「う……っ、そういえばお腹が空いて仕方がないんでした」
腹の音がなったのも、漸く食料や水を確保出来ると思って無意識に安堵したかもしれない。悠は一先ず水路へ近づき、水路に引かれた水を手ですくって飲んだ。喉の渇きを水が満たし潤す。喉の渇きを満たして少しだけ気力が回復した悠は、庭園の中央にある大樹へと足を運んだ。
大樹は庭園を包んでいるのではと思うほどの大きさで、詳しい人が見れば恐らく樹齢千年は軽く超えているのではないかと思われるが、樹木について詳しくない悠には、とてつもなく大きな樹という認識でしかなかった。
とりあえず、これだけ大きな樹があるのなら果物なりあるのでは?と思い探してみると、樹の根元に林檎の様な果物が落ちていた。
「リンゴ……でしょうか?」
見た目は林檎に酷似しているが、実際はどうなのだろうか?と思いつつも、空腹には敵わず迷わずその果物を口にした。
一口食べてみた所、空腹だというのも相まってか凄く甘い。一口食べたのを切欠に、悠はその果物を一心不乱に食べ尽くす。一つ食べ終えると、傍に落ちていた同じ果実を拾い、食べ始める。落ちているものを食べるのは如何なものかと思うかもしれないが、それ以上に空腹が勝っていた。流石に空腹で他に食べるものがないのなら、それを食べた方が良いと思ったからである。
「ふぅ……思った以上に食べ過ぎたみたいですね」
喉の渇きと空腹が満たされれば、後は疲労を癒す為の睡眠を身体が欲するのは当然の事である。それに、折角眠るのならあんな荒野よりもここの方が格段にマシだ。
「さて、これからどうしましょうかね……」
寝そべったままの体勢で、悠はこれからの事を考える。一先ず、食料と水は確保出来たと言えるだろうが、これからの行動方針は具体的には決まっていない。しかし、これらの事を考えようと思った矢先、睡魔がやってきたのか瞼が重くなってきた。
一先ずこれからの事は、起きてから考えよう……そう考えながら、悠の意識は落ちた。
●
『……こっちだ、早く、ここまで来るのだ』
「……っ!?」
どれ程眠っていたのか、何かの気配と声に悠は目が覚めた。
一先ず睡眠自体はきちんと取れたのか、思考も冴えており身体の疲労感も無い。
「いったい、何でしょうか……?」
起き上がって辺りを見回してみるが、視界に映る範囲で人やら動物やらの姿は見たらない。しかし、確かに何かしらの気配は感じたのだ。
「……気味が悪いですね」
うすら寒いものを感じつつ、再び辺りを見回してみると庭園の一角、入ってきた側の入り口の反対側に、人一人が入れる程の大きさの入り口が開いているのが見えた。どうやら、目が覚める切欠となった気配は、そこから感じられる様だ。
「とりあえず行ってみましょうか。何やら不気味な感じもしますけど」
それが何なのかを確かめるべく、悠はその入り口へと向かっていく。入り口へ近づくにつれて気配は強くなっていき、入り口の前に辿り着くと、ひと際強く感じ取れた。確かに何かの気配が感じられる。
近づいていく間も、断続的にだが声も直接響いてくる。
「とりあえずこの中からの様ですね。とりあえず、危険な感じはしなさそうではありますけど」
無論、危険ではない確証は無いのだが、仮にその気配に危険性を感じて近づかなかったとして、声が聞こえなくなる可能性が無いとは言えない。それに、先程から断続的に直接響いてくる声に、何やら強い意思を感じている。まるで、自分を呼ぶかのように。ではどうするか――
「調べてみましょうか。少なくとも何なのかが分かれば、それだけでも違いますからね」
何より、声の主の正体が何者なのかも気になるところだし、何故自分に語り掛けてくるのかも知りたい。そうした理由の為、悠は入り口へと足を踏み入れた。
こちらの方も、庭園へとやってきた際に通った通路と同じく、明かり代わりの淡い光を放つ鉱石が点在して埋め込まれていた。庭園の感じからして、自然に出来たものとは考えにくい。恐らく誰かが手を加えたものだろう。
「あの庭園は、こうして語り掛けてくる人の持ち主でしょうか?でも、それなら入った時点で何かしらの対処を取ってきても可笑しくはない筈ですけど……」
相手の意図が分からない以上は、あれこれと推測を立てた所で答えは出ない。だからこそ、こうして直接向かう事にしてるのだからと言い聞かせ、悠は歩を進めていく。
暫く進んでいくと、再び開けた場所へと出た。広さとしては庭園よりも遥かに小さく、いわば小さな広場みたいな空間だ。その中央には柱が突き立っており、長い銀色の髪をした女性が鎖で柱に括りつけられていた。
「……人?でも何でこんなところに?」
女性は見る者を釘付けにする魔性めいたものを含んだ綺麗な容貌で、身体つきもすらりとした肢体だが、しっかりと強調されるべきところは強調されている。少なくとも、世の男達の大半が間違いなく目を惹く代物だ。
そんな容姿をした彼女だが、一糸纏わぬ姿で両手に枷を嵌められ、鎖で吊り上げられてる形で柱に括りつけられている。
悠もまた彼女の容姿に目を惹いていたが、それ以上に目についたのは彼女の周りを取り囲む様に描かれた模様だ。少なくとも見慣れない言語の様なもので描かれているが、どんな意味が込められているのかはさっぱり分からない。
「恐らくですけど、この人の筈ですよね……」
何故、彼女がこの様な場所で囚われの身となっているのかは分からないが、この部屋に入った際に断続的に聞こえてきた声が途切れた事から、恐らく彼女が声の主であり、自分をここに呼び寄せた存在なのだろうと結論付けた。
「まぁ問題は、どうやって起こすか……でしょうか?」
あと少しの所……正確には、彼女の周りを囲む様に地面に描かれた模様を境界として、何やら見えない壁のようなもので遮られているのか、そこから先へ近づく事が出来ない。近づけない以上は彼女に接触する事が出来ず、確認する術がない。
その為、先ずはこの部屋をくまなく探してみる事にした。仕掛けの類であるなら、それを解く為の何かがある筈だと。しかし、そういった仕掛けの類は全く見当たらない。壁や足元に不自然な所がないかと、目を凝らしてくまなく調べてみたがそれも無い。
次いで、模様自体を調べてみる事にした。模様のどこかにこれを解除する何かがあるなら……と思ったが、結果は同じ。
「……お手上げですね。こういったものに関する知識なりがあれば、また違ったのかもしれないですけど」
生憎とそんな知識は欠片も無い。もっと言うなら、仮に解く為の仕掛けが見つかったとして、それを解けるかどうかは別物である。
「あとは、彼女が起きて自分から解いてくれるとかしてくれればでしょうかね……」
ぼやきながら、見えない壁を平手で軽く叩く。
こんなもので壊れる訳が無いと思っているが、唯の一般人に過ぎない自分には打つ手がない以上、どうしようもない。
「はぁ……お腹も空いてきましたし、一先ず……っ!!」
帰って食事をとろうかと呟こうとした所で、ぞわりと――背筋に悪寒が走った。
虫の知らせという奴だろうか――直後、悠は反射的に地面に向けて飛び込む様に倒れ込む。
何故その行動を取ったのか理解出来ない。だが倒れ込むのと入れ違う様に、先程まで自分の頭があった辺りに、何かがかすめる様な感触と風切り音が耳についた。
倒れ込んだ姿勢から、恐る恐る視線を後ろへ向ける。そこには、漆黒の騎士甲冑に身を包んだ騎士らしきモノが、深紅の刀身を持つ剣を横薙ぎに振り抜いた姿で立っていた。
「……っ!?」
何時現れた?どこから現れた?それよりも、自分はまだ生きている?
とにかく理解の範疇を超えていた。理解の範疇を超えた故に、まともな思考が働かなくなっていた。
先程まで居なかった筈だ、そもそもそんな甲冑を着ているなら音で分かった筈だ。音もなく近づいてきた?いや、それ以前に気配すら感じなかった。だとすれば、自分が咄嗟に取った行動は、偶然にも無意識のレベルで運よくそれを感じ取った事による結果に過ぎない。
「……っ!!」
心臓の鼓動が破裂しかねない程に早くなる。全身が総毛立ち、小刻みに震えている。
早く立ち上がれ、立ち上がってこの場から逃げ出せ――と。しかし同時にこうも思考する。逃げるとして何処に?どうやって?それ以前に、目の前に立つこの訳の分からないモノから逃げられるのか――と。
『……マサカ、コイツヲ開放シニ来タ者ガ居タトハ』
くぐもった片言の言葉で、騎士らしきモノが呟く。発音自体が独特で聞き取りづらいが、どうやら言語として認識出来るらしい。
『イヤ、ソレヨリモ……貴様ハ何者ダ?結界ニ触レルマデ気配スラ感ジナカッタガ』
「……は?」
騎士と思しきモノの言葉に、悠は思わず間の抜けた声をあげた。
どうやら、存在を認識出来なかったのは相手側も同じだという。理由は分からない、ただ相手の言葉通りの認識で言うなら、悠がこの結界とやらに触れた事で、相手は侵入者、つまりは悠の存在を認識出来たという事だ。そして先の行動の感じから、この騎士と思しきモノはその侵入者を排除する為に現れたのだろう。
『何ニセヨ、ソレヲ開放サセル訳ニハイカナイ。封印ヲ解カレル前ニ、ココデ貴様等ヲ排除スル』
――訂正、どうやら自分とこの囚われの身となっている女性を排除しに来たらしい。
「冗談、じゃないですよ……」
振るえる身体を奮い立たせ、ゆっくりと女性の前に立ちはだかる様に立ちはだかる。
背後に居る女性は、見ず知らずの赤の他人だ。もっと言うなら、得体のしれないという点においては目の前に居るこの騎士と同じだろう。しかし、目の前の騎士は明確にこちらに対して敵意と殺意を見せており、あまつさえ後ろにいる女性をも手に掛けようとしている。
吐き捨てる様に吐いた言葉は、それらも含めた自分が置かれている状況に対する理不尽への呪詛。立ちはだかったからといって、何が出来る訳じゃない。
「こんな、訳の分からないところに飛ばされて……訳も分からず殺されるなんて」
それでも、吐き出さずにはいられない。
怖いのは事実、どう足掻いても自分が死ぬのは確定事項。覆しようのない事実で結末、それでも――
「はいそうですかと殺されてやるものかっ!!」
何もせずに死んでやるものかと、無意味だとしても最期まで足掻いてやると意志を示すが如く叫びながら、悠は騎士に向けて駆け出した。
『ソウカ……』
一言、まるで無意味だと言わんばかりに短く告げると、騎士は悠に向けて剣を突き立てた。
「かっ、は……」
自身の身体を貫く刃を、傷口から溢れ流れ出る血を眺めながら、悠は己が身に起こっている出来事をどこか他人事の様に感じていた。
ごふ……と咳き込み、口から血が溢れ出す。口の中に広がる血の味が気持ち悪い、身体を貫かれて痛い筈なのに痛みを感じない。身体に力が入らない、そのまま崩れ落ちそうなのに、皮肉にもその身を貫いた剣の刃が支えになってるのか、倒れる事が無い。
「嗚呼……僕はここで死ぬのかな」
悠はぼんやりとこれから訪れるであろう結末を考える。
自分は英雄でもなければ、正義の味方でもない。何処にでもいるただの一般人だ。そんな一般人が、背後にいる女性を助ける為に、目の前に立つ化物と対峙して勝てるなんて事自体が有り得ないのだ。
アニメや小説、ゲームの主人公じゃないのだから、そんな都合よく超常じみた力を覚醒するなんて無いのだし、そもそも自分が出てきた事で余計に状況を悪化させたに過ぎないだろう。
「僕は馬鹿だ。無力だって分かっているのに……」
それでも、何もせず死ぬよりは足掻いてみせたかった。
それに合わせてずるりと自らの身を貫く剣の刃が引き抜かれ、ぐらりと前のめりに身体が自身の血で出来た血溜まりに倒れ込む。
視界が歪み、意識が遠のいていく。
『嗚呼、感謝するよ少年。君のお陰だ……』
悠の意識が完全に落ちる寸前、聞いた事のある声が遠くから響いてくるのを感じた――。