君には秘密
「嫌なことは数えても減らない」
嫌なことなんて数えたことがない。無駄じゃないか。
「嫌なことも無駄なことも経験よ。大切な宝物」
カオルさんはどんな経験も宝物だという。まあ、分かるけど。中学生になって、親が勝手に決めた家庭教師。それがカオルさんなんだけど、大学生には見えないかわいらしい人で、僕の初恋の人になった。勉強の教え方も上手いし、おしゃれで僕の服も選んでくれた。数学が苦手で集中力が続かない。それを見越したカオルさんが空気を変えた。今日はあと何ページかなと漠然と思ったことを感じとったのだろう。
「うん、宝物。ナルくんの大切な宝物はなあに?」
机の中にある、カオルさんに彼氏がいるって聞いてしまったので(写メを見せてもらった。彼氏はものすごくイケメンだ。敵うわけない)、結局、出さずじまいのラブレターのことなのか、勝手に恋して失恋した経験のことなのか分からなかったので黙っていた。
「アタシの宝物はね」
初夏を思わせる日差しが、サッと陰になり、世界が変わったことを教えてくれた。
「おばあちゃんのハンバーグ。すりごまを入れるのがコツ」
あれ? 怖い話じゃないのか。カオルさんは「見える」人。何にもないところに向かって、喋ったり手刀切ったりする。僕は怖い話が苦手だ。カオルさんも分かってる。以前、帰り道でカオルさんと会った時、大変な目にあった。一緒に歩いていただけなのに。ラブレターださなくてよかったと思ったのもウソじゃない。あれから、カオルさんはものすごく気を使ってくれている。
「玉ねぎは、1個をみじん切り。炒めても生でもオーケー。ひき肉は、アタシは豚肉が好き。量は400グラムくらい? ま、好きなだけ。卵1個と牛乳1/4カップをといて、パン粉を1カップひたして」
ハンバーグくらい、作れる。餃子もいける。ってかカオルさんが料理? 化粧バッチリ前髪バッチリ。ツインテールはしっかりカールがかかっていて、ロリータパンクな格好に派手なつけ爪。
「白のすりごまをたっぷり。たっぷりよ。塩コショウは適宜ね。あとはあまりこだわらないで、にぎにぎにぎにぎ」
カオルさんはエアクッキング。そのつけ爪で作るんだろうか。
「丸めてフライパンね。ひっくり返したらお湯入れて蒸し焼き。生焼け防止」
取り出したらそのフライパンにケチャップとウスターソース入れて軽く煮詰めたら出来上がり。
「おばあちゃんはケチャップ多めだった。大根おろしとポン酢でもいいよ」
おいしそう。カオルさんは、すっと顔を上げた。窓の外を見上げる。かわいい横顔に見とれる。チークは新色だそうだ。僕には分からないけど。
「でも、おばあちゃん、死んでた。林の中でもう骨になってた。アタシ、つけ爪はがれるくらいに地面掘って。あっ」
死んでた? 地面掘って? やっぱり怖い話だったのか? 死んだおばあちゃんがハンバーグの作り方を教えてくれたってか? 何で? 何のために? カオルさんに料理なんて、それこそ、無駄じゃないのか? あ、無駄も経験? いや、おばあちゃん、死んでんだったら経験とかもうどうでもいいから。ザアッと足元から鳥肌。
カオルさんはツインテールをブンっと振り回して青ざめた僕を見た。パチンとウインクして、最高のテヘペロで締めくくった。
「やだ、ハンバーグの話したかっただけなのに。ごめんね。あーあ、言っちゃった」