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けやぐ

作者: 山田聖次

















け や ぐ




                 山田 聖次













1.


 それはT村で初めての打ち上げ花火だった。三発が準備されていたが、一発目は途中で大きく横の田んぼにそれてしまった。しかし、二発目、三発目は暮れなずむ初夏の夕空に舞い、見事な花を咲かせた。

 主催者である村の青年団は、土手に並んで花火を見、感動の涙をこらえきれずにいた。

 何せ、たった人口三千人の村に、青森県中から千人余りの若者たちが集まり、民泊をしながら、さまざまなスポーツや芸能、演劇、人形劇などでしのぎを削ったのだ。

 そのフィナーレに村の青年団では、とっておきの花火を企画した。

 発火係のカンジとトオルは、一発目、煙筒に着火するのに失敗した。慣れないことに腰が引いてしまい、煙筒が横倒しになってしまったのだ。それでも、二発目、三発目は気合いを入れて煙筒を立て直し、何とか役割を果たした。花火が無事打ち上がると、二人とも腰を抜かして田んぼにしゃがみ込んでしまった。


 そもそも、この青森県青年大会を村に誘致しようと独断で決めてきたのは青年団長のトモキだった。そのトモキに他の団員たちは食ってかかった。

「千人もの若者(わげもの)んどをどごさ泊めるだば?」

(じぇん)っこはどげすんだば?」

「役場や公民館の駐車場だけではクルマ駐めらえねはんで、まねって!」

 等々、反対の理由は挙げればきりがなかった。

 しかし、トモキの決意は固かった。

「おめだじ、ごじゃごじゃしゃべるばって、なんで青年団やってるだばへ?若者(わげもの)んどが交流して、村おごしをするためだべさ。えば、青森県中の参加者と交流してえど思わねなへ? こんないいチャンス、そうはあるもんでねえど。宿泊は民泊、(じぇん)っこは基本的には県の予算、クルマは相乗りで来てもらう。それで文句あるなへ?」

 議論は長々と続いた。幾晩も話がまとまらずに結論が先延ばしにされた。けれども最後は、

「わがった。へば、わ一人でもやるっ!」という団長のひとことで開催が決まってしまった。


 それからは準備で大わらわ。村をあげての大イベントになるため、まずは村長に協力を依頼したが、これも開催に難色を示し、首を縦に振るまで何度も足を運ばなければならなかった。

 開催すると決まると、村長も恥をかかせてはならないと、村の予算から三十万円をひねり出してくれた。

 その三十万で、看板屋のアキラが歓迎の看板をつくり、鳶のショータが役場の屋上から垂れ幕を下げた。女子たちは歓迎パーティーのために大量のおむすびを握り、腕によりをかけて郷土料理をこさえた。そして、フィナーレに花火を打ち上げることも決まったのだ。

 こうして、紆余曲折を経ながらも、村の青年団は何とか青年大会を無事終えることができた。

 大会を成功に導いた苦労と充実感が花火に表現され、団員たちは感動に身震いし、自然と涙が止まらなくなった。


2.


 未だ盛夏の夜も明けない午前三時。

 トモキは慣れた手つきで新聞に広告を挟んでいった。折から、紙面には歴代首相としては初めて靖国神社を参拝した中曽根首相のモーニング姿が大きな白抜きの見出しとともに各紙に掲載されていた。

 トモキの家は村で唯一の新聞屋。村に配布されるすべての新聞がここから配布されている。とはいえ、トモキが小学校の時に父親が脳溢血で亡くなった上、母親は病弱で、実質的な大黒柱はトモキが担っていた。作業は、母親と小父小母、青年団員でいつも下痢気味で仲間に笑われる“ゲーリー”が担当している。ゲーリーの家は専業農家だが、減反で規模を縮小し実入りが少なくなったので、アルバイトとしてトモキを手伝っていた。

「中曽根サンはやっぱり今までの総理とは格がちがうな。なんちゅうか、一本筋が通ってるんだべ」

 小父さんが老眼鏡を下げながら新聞を見てひとりごちた。

「なあも、総理大臣が靖国神社さ参拝したら、憲法違反だべ」

 トモキがやんわりと反論する。トモキは新聞と一緒に「朝日ジャーナル」や「世界」を愛読する社会派だ。

「ヤスクニジンジャっつーのは、そんなに立派な神社なのがや。ウジの親爺が鎮守さまさ賽銭やるのとどう違うんだ?」

 ゲーリーがトモキに訊く。

「あのな、戦争さ行った人がたが祀られてるのが靖国神社だ。それだげだば問題になんねえんだばって、戦争を起ごした人がた――戦犯ちゅうんだげど、そた人も祀られてっから、中国や韓国のほうがら文句が出るだね。それに、総理大臣が公務で独自の宗教さ参るのはどんなもんかなってー意見もあるしな」

「ふぅーん、むずがしいんだな」と、ゲーリー。

「いやぁー、中国や韓国から何を言われでも、戦争で国のために命を捧げだ人と祀るのが人情だべ」

 小父さんは相当中曽根総理に肩入れしている。

「そーだべが」

 トモキは小父さんを傷つけないように、やさしく話題を切り上げた。


「ところでゲーリー、最近青年団の定例会の集まり(あづまり)に来る人がた、少なくなったな。アキオもトオルもチー子もサユリもどうしてまっただべ」

 手を休めずにトモキが訊いた。

「みんな忙しいみてえだ。それに青年大会をあれだげ盛り上げで成功させだべ。何か、心に大きな穴っこ空げたみてえになってるんでねべが。わもそれは同じだもの」

「なあも、青年大会を成功させだがら、次は何をやるがって考えていくものだべな」

 少々苛立ちながらトモキは乱暴に言った。

「次って言ってもな、秋になればみんな稲刈りで忙しいもの。秋祭りをやったら、もう俺んどは出稼ぎだ。青年団で何かやるって言ってもわがんねど」

「‥‥‥‥」

 トモキは心の中でむっとしたが、表情には表さないようにした。

「わは、出稼ぎのごど考えだら、うんこしたくなってきた。便所借りるよ」

 そう言ってゲーリーは席をはずした。 


 その日、朝刊を配り終えたトモキはご自慢のジムニーをガンガン飛ばして、青年団員たちの職場を回って歩いた。まずは、役場。トオルとチー子を訪ねる。肥満気味で汗っかきのトモキはもう全身びしょびしょだ。

「団長、きょうは何事だべ?」

 そう尋ねるトオルに

「おめだづの顔、見に来ただけだ。定例会さもこねはんで」と、トモキ。

「最近、なんか、こう疲れちゃっててね。ごめんね、団長、定例会サボって」

 ポニーテールにした髪を指でいじりながら、チー子が応えた。

「なあんだ、なはさぼったのが。しようがねえな。今度の定例会には、ふたりとも出てこいよ」

 団長の命令だった。


 ジムニーはもう実をつけ始めようとしている緑の田んぼ道を飛ばしていく。次の目標は、事務局長のコーヘイがいる農協だ。

「何か、みんなやる気がねえみてえだな」

 炎天下、トモキは首からタオルを掛けた相棒のコーヘイに愚痴った。

「何か、目標を失っちまったんでねえが。次に青年団でやることったら秋祭りの金魚すくいとヨーヨー拾いだべ。なんか、こう、スケールが小っちぇえんだな。青年大会みてえに盛り上がる取り組みはねえもんだべが?」

 さすがに、事務局長だけあって、コーヘイは団員の気持ちをしっかりつかんでいるなと、トモキは感心した。

「うーん、なるほど。あのな、思いつきだばって、演劇なんかをやったらどうだべ。文化祭で村の人たちに見てもらうんだ」

 実は、お盆に東京で劇団に入っているトモキの弟が帰省してきて、演劇論をだいぶ聞かされたのだった。頭でっかちの弟の話を最初は受け流していたトモキだが、だんだん熱を帯びる弟の話に、青年団での取り組みにならないものかと想像をめぐらせていたのだ。

「演劇ってば、何をやるんだ?」

 コーヘイの質問にトモキはこのところ考えていたことを思い切って話した。

「わが脚本を書いでみる。それで、みんながキャストになったり、裏方やったりすれば、何となくまとまるべ。ほら、南部の青年団で取り組んでいるようなやづよ」

「うーん、おもしれえ話だども、みんな乗ってくるがな? たぶん団長の脚本次第だな」

「まぁ、任せとげって。今度の定例会で演劇やるごどをわがみんなにしゃべるはんで、なはみんながやる気になるように雰囲気をつくってくれや」

「わがった」

 コーヘイの返事は前向きだった。


 トモキは帰りがてら、アキラの店に寄った。村で唯一の看板屋であり、小規模ながらデザインも手がけ、一部印刷も請け負った。

 店には、たまたまアキラの恋人で隣のN町のエツコが来ていた。

「なあも、エツコさ来ていだのが。今日は会社は休みが?」

 化粧っ気もなく、そばかす美人のエツコが答える。

「今日は代休なんです、この間の日曜日、仕事だったがら」

 アキラはデザインを手がけでいたらしく、仕事用のデスクにスタンドの明かりが点っていた。

「アキラは今年も出稼ぎさ行ぐのか?」

 トモキが尋ねると、煙草に火を点けながらアキラが言った。

「なあも、わの出稼ぎっちゃデザインの勉強のようなものだもの。銭にはならね」

 実際、アキラが冬場勤める事務所はデザインと印刷を手がける中堅の会社だった。アキラは農業をやっているわけではないが、このT村では冬場は雪で仕事にならないのだった。

「アキラがいなぐなると寂しくなるな」

 エツコを冷やかすようにそう言うと、エツコは

「アキラが東京にいるうちに、二人でディズニーランドに行こうかって話してるんです」と、顔を赤らめた。

「いやあ、これはまいった。どうもごちそうさま」

 N町に住んでいるとは言え、エツコはいつもアキラといっしょだった。そのため、青年団のメンバーともすっかり仲良くなっていた。


3.


 テツはいかにも津軽の人らしく、寡黙で表情を顔に表さない若者だった。そのテツが、さすがに肝を冷やした。

 ご自慢のスカGをバックでパチンコ屋の駐車場に駐めようとしたとき、クルマの後ろから悲鳴が上がったのだ。

 びっくりして、クルマを止め、後方に回ると、一人のおばあさんが倒れていた。

「大丈夫ですか? どこが怪我はありませんか?」

 かすれた声でテツが訊くと、

「大丈夫だ、大丈夫だ。足をひねっただけだ」

 と、おばあさんは足を片手でこすりながら答えた。

「一応、病院さ行ったほうがいいんでねが」

「んだな、そうすべ」

 テツは注意深くおばあさんを抱え、スカGの後部座席に乗せた。

 病院に着くと救急の窓口に回され、医者が足を曲げたり、ひねったりしながら、どこが痛いかを訊いた。その後、レントゲンを撮り、骨に異常がないことを確認すると、テツはほっとして全身の力が抜けてしまった。

 一応、警察に届けたほうがいいという病院のアドバイスに従い、電話で事情を話したが、肝心のおばあさんは痛みも治まったようで、「警察なんて呼ばねでけ」と、軽く足を引きずりながら帰りたがった。

 おばあさんを引き留めているうちにパトカーが到着し、テツはまず免許証の提示を求められ、何度も細かに状況を聞かれた。しどろもどろながら懸命に状況を話しているうち、おばあさんはパトカーで送られて家へ帰ってしまっていた。

 幸いなことに、テツは保険を使うこともなく、警察から聞いたH市内のおばあさんの家に菓子折を届けるだけで済んだ。

 しかし、もともと気の弱いテツはこの事故をきっかけにスカGに乗るのが怖くなってしまった。仕事の自動車整備工も何となくやる気が失せて、休みがちになった。

 心配する父親に事情を話すと、父親はクルマに乗らなくてもいい農協の受付の仕事を探してきてくれた。どうも、地元の議員さんに頼み込んだらしいことを、後々テツは職場で聞かされた。

 テツは地元T村の農協に戻って来て、コーヘイから青年団に入るようにしつこく誘われたが、快い返事をすることはなかった。


4.


「なあも、また団長の独断ですか」

「演劇なんて小学校以来やったことがねえべ」

 その夜、公民館には久しぶりに青年団のメンバーがそろい、演劇をやるというトモキの提案で、喧喧がくがくの状態になっていた。「村の文化祭っちゅったら十一月の末だべ。これから、演劇やるなんて無茶でねな。アキラやゲーリーは出稼ぎに出ることだし‥‥」

 トオルがトモキに食ってかかる。

「いや、俺は年内は村さいる」と、アキラ。

「演劇っつたら銭がかかるべ。どうすんだばへ?」

 コーヘイのリンゴ園に勤めているカンジが聞く。

「それは教育委員会さ相談する。それに、青年大会の銭も余っているしな」

 トモキが余裕で応える。

「まあ、まあ、みんないろいろと語ることがあるべが、ここはひとつ、次の定例会に見せてくれるっつう団長の脚本を読んでみて結論を出すべ」

 そういうふうにまとめたのは、事務局長のコーヘイだ。

 みんなはまだぶつぶつと文句がありそうだったが、その晩、青年大会の打ち上げも予定していたので、議論はひと息ついた。


 トモキは筆が立つ。それまで、考えていたいろいろな台詞を一気に原稿用紙に書きなぐった。

主人公の若者がつくったリンゴが、ひどい台風で根こそぎやられてしまう。それを、青年団はじめ村中の人たちが支え、若者は立ち直り、台風にも負けない新しい品種を生み出すという実にクサい青春ドラマ。タイトルは「もう一度」。無口でぼくとつで、だが一本気な役が主人公に与えられている。

 トモキはその脚本を弟に速達で送った。弟からは、さっそく赤字がいっぱい入った脚本が返ってきた。それは、それぞれの役のキャラクターが見事に浮かび上がった脚本に変わっていた。


できあがった脚本を団員の数だけコピーするために、トモキは農協にいるコーヘイのところに出かけた。すると、購買課の窓口にテツが座っている。

「なはどして、こごねいるんだば?」

 トモキが聞くとテツはぼそりと「いや、ちょっと」と答えた。

「今度、青年団でこんな演劇をやるこどになったんだ。えば、来ねな!」

 そう言って、コーヘイのために用意した脚本一冊をテツに渡した。 テツは無言で頭を下げた。


 次の定例会。

 みんなは黙ってトモキの脚本を読む。

ページをめくる音だけが公民館に響く。作者のトモキは落ち着かずに、貧乏揺すりばかりしている。

「どうだば、みんな。なかなかの傑作だと、わは思うんだばって」

 コーヘイが沈黙を破った。

「うん、ぐっと来るね。主人公はいかにも津軽の人間だ」

 前回は消極的だったカンジが言う。

「主人公を励ます青年団長が素敵だわ。トモキとは大違い!」

 サユリのひと言にみんながどっと笑った。

「それじゃあ、これでやってみるが」

 コーヘイの提案にみんな無口で頷いた。

トモキはほっとしたとともに、心の中では苦笑いをしていた。みんなが、いっしょになって何かをつくろうとしている。

 そのときだった。

「お晩です」と言って誰かが公民館に入ってきた。

 みんなの視線が部屋の入り口に集中する。

 なんとやってきたのは、あのテツだった。コーヘイがあれほどまでに勧誘したテツだ。その手には、みんなが持っているのと同じ脚本が握られている。

 すると、テツがぼそりと言った。

「この芝居の主人公、わがやる」

 その場にいた全員があっけにとられた。


 テツはなぜそのような突飛な行動に出たのか――恥ずかしそうに本人が当時を振り返ってくれた。

「あの頃は、ただ仕事して、ウチに帰って遊びに出る毎日に虚しさを感じはじめていたス。それに、主人公がなぜか自分に似ているような気がして――知らないうちに足が公民館に向かって、主役を引き受けたんだなス」


5.


 演劇の準備は着々とすすんでいった。大道具は看板屋のアキラがつくり、照明は鳶のショータと決まった。音響は、エレキギターを弾くカンジが担当し、全体の演出は団長のトモキが担った。

 要はキャストだった。テツは黙々と脚本通り演じてくれるが、周りを固める役者がどうしても一人足りなかった。

 そこでアキラが、エツコに役を与えたらどうかと提案した。

 しかし、この提案は見事に団員の反発を食らった。

「エツコに文句はねえが、N町の人間がT村の青年団に入るわげにはいがねえ」

「その通りだ。エツコはN町の青年団に入るべきだ」

「私もそう思う。エツコさんには悪いけど、団長に人数通り収まるように脚本を書き直してもらうしかないと思う」

 みんながふるさとのT村にこだわった。

 そんな意見を受けてたまたま居合わせたエツコは大泣きしてしまった。アキラはエツコの肩を抱いて、公民館を後にした。

「団長、どうしたもんだべ」

 自らも主人公の父親役を引き受けたコーヘイが、トモキを公民館の外に手招いて訊いた。

「うーん、難しいな」

 トモキは腕組みをしてそう答えた。

「今さら脚本を書き直すのも容易でねえしな」

「うーん」とうなりながら、「ちょっと考えさせてくれ」と、トモキはコーヘイに告げた。


 演劇の準備は急ピッチ。大道具もできあがり、照明や音響もスタンバイとなった。この頃になると、団員たちは毎晩公民館の大広間に集まっていた。ここには、舞台もあるし、古いながら照明・音響も整っていた。

「おーい、みんなちょっと聞いでけー」

 トモキがそう言ってみんなを集めた。

「キャストの件だども、やっぱりエツコさやってもらうこどに決めだ」

 エツコはアキラの後ろに隠れるようにしていたが、トモキのひと言を聞いて本当に驚いたようだった。

「団長、それはエツコがN町に住んでるはんで、まいねって言ったべ」

 そう食ってかかったのはカンジだった。

「そうよ。この演劇の主催はあくまでT村青年団でしょう? そうしたら悪いけどエツコさんに出る幕はないわ」

 サユリがカンジに同調する。

みんなも、「んだ」「んだ」と頷く。

「いやあ、カンジやサユリの言うとおりだ。エツコはN町の人間だがら演劇には出られねえ。へば、エツコさT村の人間になってもらえばいいでば」と、トモキ。

「団長、それはどういうことなの」

 チー子がすかさず訊いた。

「だがら、エツコさT村に来てもらうってこどだ」

「えーっ、まさかそれって」と、サユリ。

「ケッコン!?」続けてチー子の興奮した声。

「んだ」

 目を輝かせてトモキが言う。

 一同、あっけにとられてしばし沈黙。

「へば、アキラはエツコにプロポーズしたのが?」

 トオルがアキラを詰める。

 アキラは後ずさりしながら、「いいや‥‥」と言って、口をぽかんと開けている。

 エツコの頬はすでにリンゴのように赤く染まった。

「へば、アキラ、ここでプロポーズへっ!」

 コーヘイの声が響く。

「んだが‥‥」

 呆然とするアキラ。けれど、ここでアキラは気を取り直してエツコに訊く。

「エツコ、おめえはT村さ、いや、わの家さ来てけねべが?」

「わだしは、アキラの行くところならどこにでも付いでいく」

 エツコはそう言うとハンカチに顔をうずめて泣き始めてしまった。

「これで、えべ」

 トモキが大きく頷くと、誰からともなく拍手が湧き起こった。

「なんか、俺、急に腹が痛くなってきた」

 ゲーリーがそう言ってトイレに駆け込んでいく。


 師走を間近に控えた十一月の日曜日。

 村の文化祭のトリが、T村青年団の演劇「もう一度」だった。

 ふだんから寡黙で不器用なテツが、主人公を地でいった。台詞のとちりは何度かあったものの、キャストも全員なかなかの好演だった。

 ただし、ゲーリーだけは幕間にトイレに三度も駆け込んだのだが‥‥。

 アキラの大道具は立派なものだったし、音響・照明にもノリがあった。

 そして、最後の緞帳が下りた途端、充実と感動の大波がみんなを飲み込んだ。

 出演者・スタッフが全員横一列に並び、再び緞帳が上がる。満場の拍手の中、こらえきれずに涙があふれてくる。


 こうして、トモキ作「もう一度」は、文字通り、もう一度みんなに感動を与えたのだった。


6.


 ここで僕のことをちょっと書かせてもらう。

 僕は大学受験に失敗し、地蔵通りの入り口にあった果物屋でパインのたたき売りをしていた。人情味のあふれた小さな店で夜遅くまで通行人に声を掛けるという仕事で、終電近くになると、仕事帰りの酔ったおじさんやキャバレーのホステスさんたちが、一〇代の僕を冷やかしながらも高価なメロンなどを買っていってくれた。

 僕は、大学へ行くよりも、何か物書きになりたかった。そこで、大学で社会教育を教えていた小父に相談すると、「ものを書くには人間観察が必要だ」と言われ、地域青年団の全国組織である日本青年団協議会(日青協)を紹介された。

 ここで僕は幸運にも全国紙である「日本青年団新聞」の編集を任され、全国の青年団を訪ね、くるま座になって話を聞き、夜も更けると酒を酌み交わすということを繰り返すようになった。

 しかし、東京からひょいっと青年団を訪ね、一晩か二晩厄介になり、それを稚拙な文章にしていくという生活が、地域に根を張り懸命に活動している仲間たちに対してひどく傲慢であるかのように感じ始めていた。

 いっそのこと、僕自身がどこか「地方」に移り住み、そこで生活をし、青年団の仲間に加えてもらって、ともに活動をするほうが誠実ではないかと考えたのだ。

 要は、自分の目線が「中央」からのものになっていて、同じ仲間としてではなく、あくまで客人として扱われているのではないかと不安になったのである。

そんなときに僕はT村の青年団に出会うことになる。


7.


 T村青年団の忘年会は、演劇の打ち上げと、アキラとエツコの結婚を祝う会を兼ねた、めちゃくちゃなパーティーとなった。出稼ぎ先からゲーリーもわざわざ帰郷して参加したし、来賓には教育長や歴代の青年団長も参加した。僕もT村の噂を聞きつけて取材を兼ね、末席を汚すこととなった。

 五千円という会費制にするために、アキラは自ら自分の結婚式を祝う会の看板を書いたし、エツコは他の女子団員といっしょにウェディングドレスを縫った。隣のH市の仕出し屋から料理が届き、酒屋からは薦被りが運び込まれた。

 堅苦しい挨拶が終わると場は一挙に盛り上がりをみせた。もはやだれも自分の席に座っている者はいない。あちこちにくるま座ができて談笑に花が咲いた。

 公民館の大広間には、ステージ上にアキラとエツコの席が設けられていたが、一度は新郎新婦の席に座ってみたいという独身者たちが、アキラとエツコを壇上から引きずり下ろし、ちゃっかり新郎新婦の席に座って、Vサインで記念写真に収まっていた。

 しかし、残念ながら祝う会にはエツコの両親の姿はなかった。長女であととりの彼女の両親は、この結婚に賛成しなかったのである。そこで、ショータとカンジがビデオカメラを持ち込み、会の様子を記録していた。教育長や歴代の団長たちの挨拶から始まり、アキラの謝辞までをもれなく撮影し、編集を加えた上、エツコの両親に渡すのだという。

 僕はその思いやりにいたく感激した。


 その晩、僕はトモキの家に泊めてもらった。トモキの部屋で寝るのは二度目だった。以前、十和田の青年団を取材したときに、やはり、あちこちに本が積み上げてあるこの部屋で話を聞き、そのまま雑魚寝をしてしまったことがあった。

 この晩、僕はとても考えさせられる話を聞いた。

「もう寝ようぜ」といって、トモキは自分のベッドに、僕はベッドの下に敷いてもらった布団に入り、部屋の電気を消した後だ。

「ヤマダさん、わ、自民党に入っただ」

「……」

「あんた自民党きらいだべ。でも、村を変えようと思ったら、ここでは自民党に入るしかねぇんだよ。軽蔑すっか?」

 トモキは当時、六カ所の核燃サイクル計画に心を痛め、モーレツに勉強していたのだ。

「これだけ勉強している人間を軽蔑するわけはないじゃないか」

 僕は、そう応えるのが精一杯だった。 

 他人を表面的な党派性だけで考えてはいけないと、身をもって教えてくれ、同時に地域社会の保守的で狭量な現実を知らせてくれたのが、トモキだったのだ。

 

8.


 テツはすっかり青年団になじんだ。

 トモキに脚本を書いてもらい、年に一本ずつ演劇をつくり、村の文化祭と県の青年大会で上演することも恒例となった。

 青年団に入って三年目の総会で、テツは事務局長を引き受けた。団長はコーヘイである。トモキは村の活動には参加しているものの、青森県の青年団の役員になって、県内の青年団を組織していく仕事に追われていた。

 総会後の打ち上げは例年になく盛り上がった。高校を卒業したばかりの新入団員が数人いたこともあり、それぞれ一人ずつ自己紹介をした。

 新入団員のしどろもどろの自己紹介に、団員から黄色い声が飛ぶ。それを抑えるのが、事務局長のテツの役割だった。ひととおり自己紹介が終わると、最後にテツが言った。

「わは事務局長になったんで、今年の演劇の脚本は、わに書かせてけねべが」

「やれ、やれ!」という声とともに拍手が起こる。

 しかし、H工業高校時代の同級生だったトオルやカンジは、テツの成績をよく知っていたから、「大丈夫か?」と不安を抱いていた。


 T村では雪が溶け、春が来た。緑が燃えるような夏が過ぎ、収穫の秋を迎える。そして、この頃から演劇の準備が始まるのだった。

 だが、そろそろ演劇の準備を始めようかとみんなが思い始めた頃、悲しいニュースが小さな村を駆け巡った。

 テツのお袋さんが脳梗塞で亡くなったのだ。村を挙げての葬儀に青年団のメンバーも参列した。亡き母が送られるとき、黄金色に実った稲穂が秋の風に揺れた。


「テツにはお姉さんがいたべ」

 カンジが誰にともなく訊く。

 公民館での定例会。テツが出席できないようになって、どうしても会議は暗くなりがちだちだった。

「お姉さんは私の三コ上で、岩手に嫁いでいるわ」

 チー子が答える。

「それじゃあ、家の面倒をみるわけにはいがねえな」と、カンジ。

「テツの家はたいへんみてえだ。爺さまがボケ始めているらしいんだども、テツやテツの親爺のこと心配して徘徊するようになったんだと」と、ゲーリー。

「ああ、俺、テツのごど考えでだら、また腹が痛くなってきた」

「爺さまだけじゃねえ。テツの親爺さんは、連れ合いを亡くして力が抜けちまったのか、朝っぱらから酒飲んでるらしい」

 そう言ってトオルが続ける。

「親爺さんの気持ち、わがるな、俺」

「それでさ、日頃の料理や洗濯、掃除なんかが、テツに回ってくるから、私、この間、コーヘイとチー子と三人でテツの家さ手伝いに行ったの」

 てきぱきと行動するサユリが報告する。

「男世帯はウジがわくっていうでしょ。結構、たいへんだった、掃除するの‥‥」

「わは畑仕事を手伝ってきた。テツも畑まで手が回らねえとみえて、トマトが腐ってだ」と、コーヘイ。

「ああ、こんな具合じゃ今年の演劇はちと無理でねえが」

 トモキが低い声でつぶやく。

 誰もが「仕方ねえ」と思い、静寂が続いた。

 そのときだった。

「お晩です」と言って、なんとテツが公民館にやってきたのだ。

「わ、脚本書いだ。みんな、読んでけねが」と、脚本をトモキに渡す。

 それは、まるで「わが主人公やる」と言って、テツが始めて公民館を訪ねてきた時を彷彿させるようだった。

「いそがしいはんで、わは帰るげど、意見あったら聞かしてけ」

 そう言ってテツは公民館を後にした。

 団員一同、狐につままれたような気になった。


 その晩、テツの家の電話は鳴りっぱなしだった。テツの書いた脚本をめぐって、団員たちがひっきりなしに電話をかけてきたのだ。

 その脚本とは――ひとりのしがない青年団員が突然母親を亡くし、深酒する父と高齢の祖父とのつらい三人暮らしが始まる。青年団活動と家事・仕事の両立に悩まされながらも、主人公は団員たちに励まされ、悲しみを乗り越えていく――それは、テツの経験そのものだったのだ。

 電話では脚本の内容への驚きばかりか、注文も相次いだ。その日から、青年団では急ピッチで演劇の準備が始まる。これまでの二作とは違い、みんなが何度も何度もテツの気持ちや父の気持ち、爺ちゃんの気持ちを話し合い、脚本を練り直した。テツも、忙しいながらも爺ちゃん役を演じることになった。

 こうしてできあがったT村青年団の創作演劇「風、かわるとき」は、村の文化祭で観客の涙を誘ったばかりでなく、青森県の青年大会で最優秀賞に輝いた。県大会で最優秀になると、毎年十一月に東京で開かれる全国青年大会に派遣されることになる。全国大会での公演に向けて、毎晩のように練習が続く。


 その頃、僕はたまたまT村を訪れたのだが、脚本を渡されて絶句してしまった。セリフがすべて津軽弁で書かれていて理解できないのだ。ただし、それは青年団のみんなも承知の上で、「全国大会はおまけみたいなもの。ディズニーランド行って遊んでくるサ」と、ちゃっかりしたものだった。

 そして、全国大会。無欲で演じた「風、かわるとき」は何と日本一の最優秀賞に輝き、全国アマチュア演劇協議会創作脚本賞まで受賞してしまった。

 表彰式後、僕を訪ねてくれたトモキは涙でぐしょぐしょ。泣きながら笑い、笑いながら泣くといった具合だった。興奮して話す津軽弁は、やはりよく理解できなかったが───


9.


 その後、僕はことあるごとに何度かT村を訪れ、津軽の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。そんなある時、下戸でチョコレートパフェ専門のトモキが、僕をH市の知り合いの飲み屋に連れていってくれた。

 女将に「わのけやぐだ」と紹介する。

 「“けやぐ”ってのは客のことかい?」と聞く僕に、トモキは笑って答えず、代わりに女将が答えた。

 「“仲間”って意味だね」

 改めてそう言われると、妙に照れくさい感じだが、その晩の酒は本当に美味かった。


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