養護教諭 安芸原素子
拙作「扉の向こうの あなたは だあれ」のアンサーにあたる作品です。
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春はきらいじゃない。新しい出会いに期待しているわけではないけど、惰性に流れた付きあいを清算するいい機会。養護教諭なんて仕事に就いたのも一人になれる時と場所を手に入れたかったから。
それなのに前の学校はひどかった。授業をさぼりたいだけの生徒達に、できの悪いサラリーマンみたいな教師達。おかげで手間がかかったのなんのって。今度の学校では、教師たちも、うるさい生徒たちも、保健室のことなんか忘れて自分らで好きにやっててくれたらいいのに。
スラックスとTシャツの上に白衣をはおって、開けはなった窓から桜の花びらが舞いこむままにして、デスクワークにいそしむのがこの季節の楽しみ。
でも、静かな時は望んだほど永くはもたなかった。ノックもせずに部屋に飛びこんできたごっつい男子生徒のせいだ。
1.
「すんませーん、休ませて下さ〜い。2年F組、足代秀雄っていいマース。」
ぎょろぎょろと目を動かせて、そいつはなんの断わりもなしにズカズカ入って来ようとした。…はああ〜〜、やっぱりこの学校にもいた、お約束の不良学生。岩を削り落としたようなコワモテの顔、背は高すぎもせず胴長足短。ただ、体はずいぶん鍛えているみたい。動作もきびきびとして、格技のひとつもやっていそう。
先手必勝、
「ちょっと待ちなさい。」
額に手をあて、口を開けさせる。
「熱なし、咳なし、腹痛でもなさそうだ。休む必要なんて微塵もないっ!」
射抜くほどの眼光で睨み付けたつもりだが、制服を着た北京原人は悪びれずに言った。
「やだなー仮病じゃないっすヨ。ほらこのアゴの所、羽柴ってゆー凶暴な不良にパンチされたんす。手当てして下さいよ。やっぱお姉様のよーな優しいかたに看病してもらわなきゃ〜。」
こいつ目が笑ってる。
「そのコなら前に会ったわ。美術部の子だっけ? とても凶暴には見えなかったけど。それよりお姉さんがもっと分かりやすい傷、付けたげようか?」
「わーははは、参った、降参です。安芸原素子先生、でしたっけ。たいした度胸っすね! ――あ、でも俺サボりに来たんじゃないです。寝るんなら教室で寝ますから。本当は…」
扉の後ろに隠していたらしい段ボールを持ってきた。
「?」
開けてみると、…黒猫が一匹、丸くなっていた。
「昨日道で拾ったんです。はじめ気色悪いなあって思ったんだけど、コイツむちゃくちゃドジで、俺が振り返ったら車にぶつかってやんの。…専門外かもしんねぇケド、診てやってくれませんっすか?」
…ふうん、こいつ思ったよりかいいとこあるじゃない。ぞんざいな言い方だけど、ちゃんと敬語も使ってる。ちょっとだけ、気に入った。
「分かった、預かったげる。その代わりちゃんと『あなたたち』は授業に戻んなさい。……扉の陰のコ、居るのは分かってるのよ。」
「? 俺一人で来たはずだけど。羽柴でも来たんかいな?」
この目と言いっぷりは嘘ではなさそうだ。
それじゃあ『誰』が。胸の奥で何か警告音が聞こえた気がした。
が、かまわず私は扉に近付き、そして、開けた。
ガララッ…。
軽い、目眩。……なにも、何も見えない。
白い闇が広がっていくよう。意識が遠のき、
透明になっていくような…。
…とん、とん。
あ、ノックの…音?
オネガイデス、オネエサン。
だれ? 私の「心」、ノックしたの…。
オネガイ、スコシダケココニ
イサセテクダサイ。
何?
…不思議。
誰か分からないけど、あなたの気持ち、
分かるわ…。 …ワタシモ。
あなたは、私。 アナタハ、ワタシ。
私は、アナタ。 ワタシハ、あなた。
「ワタシ(あなた)」は.......。
「ワタシ」は、会いに来たの。遠い、寂しいところから。このひとに、会いに.....。
2.
オネエサンの体はなかなか思うようには動いてくれない。なにせ久しぶりだもの。こんなに「ほんとう」の身体って重く、熱く、痛い程に神経が張り巡らされていたんだ。
――あの人は前の街のプレハブで会った時と同じよう、目をギョロギョロさせ、肩をいからせている。あの時ワタシには体はなかった。怖い、思い出とともに亡くしてしまっていたわ。それでもずっとあそこで応えてくれる人を、ワタシは待っていた。
寂しくて、心細かったワタシに、言葉をかけてくれたあなた。怒ったワタシに本気でぶつかってきてくれたあなた。自分から「扉」を開けてくれた、あなた…だから。
「先生、どーしたんスか? さっきから独り言いったり、妙な体の動かし方して。まるで操り人形の…え?」
きょとんとしている彼を、オネエサンの腕が、優しく包みこむように抱きしめる。目線は同じくらい。大好きな歌手の舟木さんより、ちょっと線が堅いかな。彼の厚い胸から伝わる鼓動が、少しだけはやくなった…。
「…連れてって、あげるね」
微笑みながら彼の耳もとでささやく。くすくす、真っ赤になった。
「え、なななんスか?ちょちょちょーっっと、は、話し見えねえです!」
「ワタシ、あなたに会いに来たの。遠い、寂しいところから。――連れてってあげル。『ト・ビ・ラ』ノ・ム・コ・ウ……」
「!」
抱きしめて背中にまわした手から熱いものがしたたり落ちた。オネエサンの爪が彼をひきさいたみたい。うめき声がもれる。ぎりぎりとあばらが軋む音。それと一緒に彼の鼓動も弱まっていく。モウスグツレテイケル…
それなのに、彼、私を抱き返した。強い、暖かいちからで。
「 …先生、あんたそのネコと同じ目ぇしてる…。傷ついてんのに、意地はって、そのくせメチャメチャ寂しいって。…逃げねえから、俺。一緒に居てやるよ。」
振り絞るような声で、彼はつぶやいた。
とん…とん…。穏やかなノックの音。それは彼の鼓動。それといっしょに彼の温もりが伝わってくる。ワタシは、ワタシハちからがこめられない。もうオネエサンの手を持ち上げることもデキナイ。ホソい、泣キ声が聞コエル。
ワタシガ泣イテイル。涙、トマラナイ。トマラナイヨ。
オネガイ、モウ、ヤサシクシナイデ……。
…
もう、いい? ……ウン。
この子を、まだ連れていく気なの? ウウン。モウ、イカナキャ。
…気持ち、解け合ってたとき、あなたのこと
分かったわ。悪い気はしなかったわよ。
でも、もしあのまま力を加えていたら…この
腕を噛み切っても止めていたわ。
ゴメンナサイ…ゴメンナサイ…。
前のところへ戻るの? イイエ、モットアカルイ
トコロヘ、イクワ。
「オハナシシテクレテ、アリガトウ。ソシテ、ゴメンナサイ…。」
私の唇を使って、最後に彼女はそう呟いた。
3.
白い、闇が晴れた。私の心は「私」だし、体もちゃんと動かせる。どうやら「ワタシ」…ノックしてきた彼女は、無事に明るい処へ逝けたようだ。
さて、問題は血と、私の涙と鼻水でぐっちゃぐちゃの、この心優しき原始人=足代をどう納得させるかだな。足下では黒猫がしたり顔で笑ってやがる。
少しだけ、この学校でやる気がわいてきた。勢い良く手を引き剥がし、私は叫んだ。
「少年っ! 私に惚れるなヨ〜〜〜っっっっ!!」
・・・おわり。
お読みいただきありがとうございます。
「扉の向こうの あなたは だあれ」の足代君のショートホラー続編です。ちょっと趣向を変えて女性の目から見た一人称で進めてみました。乱文でスンマセンでした。