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タイム・ループ

作者: APA・EPA(あぱえぱ)

11:30AM. Jun 5th,1965. 40th year Shyowa period Jp・・・ タイム・インジケータは英語表記で昭和40年の日本空間に接近しつつあることを示した。ターゲット・ポイントを認識したセンサーは、ただちにリファレンサーを起動し、自動的に情報を収集して解説モードの準備に入った。


だが、この車はまだあの危険ゾーンを突破していない・・・。

「あせるな、もう少しだ・・・。」


ハンドルを握る手が少しこわばって来た。高速で浮遊しながら走る車体の運転は嫌いではない。だが、ここはTM(タイム・トンネル)ハイウェイの中だ・・・フロントグラスの右下、視界を遮らない辺りにリアモニタが自動検知し表示した、後方の遥か未来から来た時空警察の覆面カーを、さりげなくやり過ごす。

そのあとから次々に柔らかな色彩の光を点滅して、幾つもの異次元人のライトカーが飛んで来ては、高速で過ぎ去って行く。

高速で疾走している巨大なトンネルは、緩やかにカーブしながら、遥か彼方の消失点に消えている・・・。

その消失点に向かって、さらに加速する。


平成時代初期のモデルをチョイスしたステアリングの感触は軽快だが、久しぶりのマニュアルモードにしたハンドルの保持はさすがに少々疲れて来た。“おまかせ”運転に切り替え、高級感溢れるゆったりとしたドライバズーシートを倒して身をゆだねた。

深呼吸する・・・。

一息いれ、またハンドルを握った。

この車体との一体感、マニュアルは、だから止められない。しばらくはこのままでいい。いずれ離脱地点ではオートドライブに切り替わるのだ。


トンネルを抜けた! 山脈、砂漠、海洋、そして大都市やその夜景が次々に現れては消え・・・いやそのど真ん中を突っ切る!


見えているスペクタクルな光景は、実は隣接する異なる世界。パソコンのお絵描きソフトで言えば多層構造のレイヤーのような世界だ。そのうちのひとつにこれから入るのだが、視覚領域を超えた危険な電磁波がかなり飛び交っていると、アラウンドビューアプリがステアリングパネル(STP)に表示していた。

可視領域を広げるサングラスを胸ポケットから出してかける。


つまり幾つもの時代や空間がレイヤーとなって揺らぎながら重なる、いわばそのすき間を、今、飛んでいるのだ。


重力場と時間軸の大きな山はさっきのトンネルでくぐり抜けた。今、深紅のリンカーンは、離脱ポイントに接近し、速度を落としつつも、さらに次元空間を次々に飛び越えて、そのタイム・ハイウェイを疾走していく・・・。


だがそのハイウエイは、実は他のパラレルワールド、つまり類似空間の投影画像だったのだ。消してみた。

地面のない浮遊感!


ハイウェイはいわばルートを分かりやすくさせ、不測の事故を回避のための映像だったのだ。慣れてきたら、ルビー色に光るガイドライン(軌道直線)一本で充分だ。


グラビティ(重力)系GPS解析モニターは、次第に近づく離脱地点を“アルベイン基点多角図法”とその軌道線によって、多角的な視点からカラフルなデザインで3D表示していた。


この図法は、ビックバンの中心点---アルベインの点のひとつ---を基点として、そこから乙女座のスピカ方向に向かって伸びる仮想直線をA。これをアルベインの基準線という・・・これは、彼のひとり娘スピカが、近衛兵騎士団の一人として戦死した時刻の恒星スピカの位置を基準にしているとも言われている。


彼の発明は、彼自身の壮絶な人生の悲しみの中から生まれたのだ・・・彼の生きた未来は、現在の政治家の無策で歴史のクオリティが後退し、再び戦乱の中世レベルにまで落ちてしまったのだった。


その基準線Aと、その基点から伸ばしたもうひとつの、測定したい位置あるいは確認したい位置を通過する仮想直線Bが作る角度。


この角度と、さらにビックバンが膨らむ仮想球体上の拡縮表層面Cとの交差する点により目的の時間と位置を特定しようとするもの。


アインシュタインの光円錐(light cone)にも類似性があるが、この図法はアルベイン独自の全く異なる発想によるものである。


なぜなら彼の直線は、言わば三次元空間の歪みによる山脈の表面を走って行くアインシュタインの光の山道に対して、その地下を貫通する真っ直ぐなトンネルの道に引かれた直線のようなものだからだ。常に揺らぎ、歪む重力場の凸凹面上を走らないため、アルベインの仮想線に沿って走るトンネルを利用すると、光より速く目的地に到達することさえ出来る。


光より速く、突然空間を突き抜けて現れるというこの現象は、時間軸も凸凹な空間の層に沿っているため、それが特に短い距離だと、三次元に生きる我々の目には、それを利用した人は、トンネルの入口と出口に同時に存在して見えることになる。というか、3次元空間においては、彼は実際にその2ヶ所に存在するという不思議なことになるのだ。彼自身に流れている時空間の環境自体は、何ら変わってはいないのだが・・・。


で、さらに各次元ごとに決めたアルベインの点を基準にし、組み合わせることで、多次元においても確認したい位置の特定が出来、立体動画地図化することにアルベインは成功した。


その多次元地図により、量子の不確定空間における同時存在にも対応できる、優れた位置確認地図が完成。西暦2082年アルベインが発明した。


簡単に言えば、いわゆる放射状の多層球体式多次元動画地図である。


この車に搭載しているいるバージョンはいわば未来型オーパーツといえる。つまり、本来、ここにあってはならないもの、未来から拝借したアイデアを、使ってしまったということなのだが・・・。このリンカーンの中は、あらゆる時空間から独立している、いわば“治外法権”だから出来ることなのだ。


それは今、画面のなかで回転しながら角度を変え、急に跳び跳ねるようにズームイン・アップを繰り返した。正確性を期するため、前回とのずれを確認して、現在地の再特定計算をしているのだ。


画像が再び安定すると、そのナビゲーションモニターの動画上に、スコープレーダーが認識し始めた、人の眼が見える領域の映像が自動的に重ね合わせられ始めていた。


その時、突然車は次元の雲海から飛び出し、視界がパッと広がった。


ワォ・・・こ、これは? うあぁぁ、最高だ!


前方は視界いっぱいにに広がる水平線。吸い込まれるような青空と紺碧の海。その上空を飛んでいるのだ。背後には突き抜けたばかりの白い巨大な雲海・・・。思わず感嘆の声を上げていた。


「1945年の太平洋。この美しさは何度見ても感動するわ。でもあの水平線の向こうで、世界対戦が行われているんだわ。空母のレーダーは(あなど)れないわ。察知されないようにね。」

背後から声がする。

「はい・・・。」


そうだった、いつもここで次元のぶれが起き、20年ほどさらに過去にタイム・スパンするのだった。すぐに軌道修正が行われ、また時空の雲海に突っ込む。前回より2秒ほど早い・・・つまり、タイム・ハイウェイは修理されつつあるということだ。


カウントダウンが始まった。次元ハイウェイ離脱は70秒後だ。

これから先は人間の操縦では無理。

オート・ランに切り替える。


ハンドルから手を離し、肩の力をもみほぐした。

手袋をはずした左手を、牛革でカバーしたハンドルにあて、ソフトな感触を味わいながら、改めてぐっとぎってみる。


「だけどやっぱ、僕はデロリアン系だな。」


左ハンドルの運転席、右手をステアリングの越しのフロントパネルに伸ばす。そこには各種デジタルデバイスのアプリがズラリと表示されている。動きを察知した行動予測センサーが働き、くるくると飛び交い、組み換えが起こる。いくつかのアプリが選択されパネルに表示された。そのひとつにタッチする。


“タイム・ループレコーダー”だ。

それによると過去3回例のゾーンで、危険に遭遇した記録が出た。

今回の環境パターンにおける危険度とその類似性をチェック・・・共に関知無し。だが突発的不確定要素を考慮、確率は20パーセントと表示された。


その“危険”とはMain Route(幹線)離脱時に、まるでフラッシュバーストウィンド(銀河中心核の超巨大爆発による電磁波及び重力波風)に出くわしたかのような、強烈な衝撃波に襲われる現象だ。


その領域はルートを遮蔽するシールドの外に広がっていてfluctuation belt(時の揺らぎ帯)とも呼ばれ、時間と空間が陽炎(かげろう)のようにゆらいでいる。


その領域は、例えば巨大な大河の無数の波に比せられていて。その波ひとつひとつは、その流れに引き伸ばされて、細長く揺らいで見えるが、よく見ると蜂の巣状の空間になっている。それらはそれぞれの別々の世界を形成し、異なる色彩を放ちながら、大河の波となって幾重にも重なり、遥か彼方までうねりながら流れてゆく・・・。


そこに飛び込み、抜け出なければならない!


だから“確率”を的確に把握し、うまく予測して進まないと“同じ過去には戻れない“まさに“不確定領域”なのだ。


“その危険”は、穏やかにたゆたっているそのゾーンの中から、突如として、狂暴な牙を剥いて襲いかかって来る。


それは例えば磁石の反発に似ている。

僕らは本来ならば異なる時空にいるはずの存在なのだ。全ての物体はそれぞれの“場”があるからこそ、それなりに存在しえるのだ。だからもしそれが他の時空間に移るとしたら、その“場”もワンセットで移動しなければならないが、異なる時空の“場”をそのまま切り取って挿入すると、いわゆる“異物”のために空間がゆがみ、つぶれたり切れたり、下手をすると、その世界自体が破壊されてしまうことになりかねない。重力場に負荷がかかり、存在間で生じたギャップのために、互いが激しく反発しあうからだ。


この領域は特に他の次元への異物の混入を強烈な衝撃波で排除しようとしているセイフティベルトとも言え。多次元を含めたこの全宇宙を仮にひとつの生命体と捉えれば、さしずめ免疫細胞か白血球を大量に放っている領域ということになるが・・・、今のところこの件に関する研究者はまだ少なく、定かではない。


とにかく、“異物”と見なされたら一貫の終わりと言っていい場所。非常に危険な領域なのだ。


だからこの領域の自然な“ゆらぎ”に逆らうような時空ドライブ。彼らに見つかるようなわずかな判断ミスも赦されない。この車体もろとも木っ()()(じん)に破壊される事になる。

仮に運よく破壊から逃れたとしても、押し寄せる衝撃波で、何処とも知れぬ、遥かな多次元空間の彼方に吹き飛ばされてしまうことだろう。


過去に3回の遭遇に、過去の僕らはどう対処したのか・・・。いや、リサーチの時間はない。それに今のドライブに集中させよう。


この“リンカーン”に搭載したニューロンネットブレインの思考回路をフル活用する。


ファジイ演算と認識トラックセンサーを搭載した五次元コンパスで進行方向の判断を誤らないよう、なんとかここを“突破”しなくてはならない。降りるべきターゲットの時間と場所を再度チェック。正確にロック・オン。


「よし。」


セッティングは完璧だ。あとはこの車のオートドライブを信頼するしかない・・・・。


次に“心の準備”だ。


通過する間、自動的に“リンカーン”のフロントグラスはワイド・モニターに切り替わり、そこに映像が広がる。


そこには、タイム・ループで今までに修復されて来た事項の違いが、左右比較表示や、レイヤー表示による重ねズレや、色彩強調、↙形の矢印、あるいはズームアップなどで流れ、この時代に降り立つ際の予備知識の再確認として次々に表示されていく。


ポイントとなる事項をナレーションモードに切り替えた。それはトラベラーがより自然にその時代に溶け込むよう開発した音声説明システムだ。映像は、無論それに関連する映像となる。


今回は特に“着地”周辺の最近の情報をこのタイム・サーフ・カーのブレインコンピューターがさりげなく話してくれる新しいモードを選んだ。


それはその時代の雰囲気をもつ仮想上のリファレンサーである“私”を設定し、その“語り”により、その時代や方言を自動検索し、馴染み安い口語体バージョンによって、わかりやすく情報を提供してくれる機能だ。つまり、自然に“そこ”に溶け込むことが出来るモードである。


「えー‥‥このあたりの駅前食堂は、浅草なんかよりも、田舎ではありますが、朝8時頃からモーニングセットをやっております。この頃あちこちに流行り始めた若いアベックの行く、おしゃれな喫茶、主にアンティークな感じのジャズ喫茶ですが、だんだんと増え始めたことが影響していますねぇ。


まぁ、コンビニはあと数年経たないと現れませんから、特にお気楽なサラリーマンたちにとっては、駅前で朝食が取れるなんてのはとても重宝したものです。その需要を当てこんでのモーニングセットがヒットした訳ですよ。


とにかく、フォークとナイフで朝食、そこにもしも彼女なんていたなら、最高にかっこよかった。あ、いや、ま、女性と並んで歩くこと自体がまだまだタブーなこの時代ですよ。それは大方の特に、若いサラリーマンたちにとっちゃ、妄想に近いものだったかもしれないスなあ。


で、テーブルの上にあったものは、厚切りトーストの半切れとスクランブル・エッグ、はたまた目玉焼きか、それとも塩をひとつまみそえたゆで卵か、ま、それにスライスハム、そこにホットコーヒーがつく程度のもの。


たった20年足らずで戦後復興を見事に果たしたと、東京オリンピックで世界にアピールした日本ではありますが。ここはその直後の昭和40年、本当の経済成長はまだまだこれからというところですかねぇ。


ちなみに“語り”の私はまだこの世に生まれて10才、見えるかな、ほら川向こうの屋根とグランド。みそっ()とハナタレ)小僧で擦りきれたトレパンに膝宛(ひざあてを)縫ってもらって、元気よく小学校に通っている少年だ。あ、いや、じゃなくて、少年の持っている、ほらあの小型計算機だ‥‥。少年の父はあのカシオン計算機の創業者・・・。


そう、経済成長はまさにこれからッスねぇ。だからテレビや映画で盛んにやっていた、全てが豊かに見えたあの憧れのアメリカの生活のイメージ。それとちょっぴり重なってね、いやぁ、テーブルの上のモーニングセットの“景色”はとてもおしゃれだった。


駅前商店街のアーケードをくぐってから、さらに奧に入った細長い裏通りには、妖しく“エロチック”な看板がひしめく飲み屋街が広がっています。


夜はそこが大人の歓楽街。ネオンの色とりどりの電飾がきらめき、パチンコ、バー、キャバレー、スナックにナイトクラブ等々‥‥大人の世界のいわばアダルト・ランドがテーマパークのように広がってにぎわってます。


駅前の蕎麦(そ ば)屋やラーメン店では、そうした飲み屋街から千鳥足で最後の〆(しめ)で食べにくる酔っ払いのサラリーマン目当てに、深夜過ぎまで開けている店がけっこうありますな。


中には午前様(御前様)と言って、そのまま(うち)に帰らず出勤する強者(つわもの)のサラリーマンもいたほどだ。


この頃の日本の商店街は、駅を中心にして、わんさかと人が行き交い、一日中活気に溢れていた・・・。」


「‥‥あと、30秒で降下、タイム・インします。」

今度はナビゲーターシステムの女性の声。

「時間軸の最終波が来ます、震動に注意してください。意識を確保して下さい。」


この時代、駅前の広場やバス停のあるロータリーなどからふと見上げると、それなりの駅には、だいたい入口の一番高い所に大きな丸い時計があった。


列車の入線の音や駅前広場を行き交う雑踏の中、アーケードの商店街を見下ろすようにして、この街の駅にも大時計があった。特にここの“国鉄”の駅には律儀な管理人がいたため、手で調節する全くのアナログ(もちろん当時は一般の市販においてはアナログしか出回っていないが‥‥)ながら、秒単位の狂いもないほど正確だと街ではもっぱら評判の時計だった。


今日もその時計の長針はいつものように正確に時を刻み、11時半へカチッと動いた。だが、その直後、なぜか映像がダブルように、そのあたりの景色が歪み、再び赤い秒針が現れ、さっき過ぎていったばかりの秒針の後を追った。


それは滑るように文字盤の上を回転しながら、真下の「6」に向かって落ちていく‥‥。しかしその不思議な光景に気づく者は誰もいなかった。


「多美ちゃーん、レジお願い。お客さんお帰りだよ。」

厨房の奥から店長の甲高い声。あわててレジに走る多美。あの、でかくて重たい、押すのに力のいるキーがズラリと並んだ昭和のレジだ。おかげで彼女も(けん)(しょう)(えん)になりかけている。

「お勘定ですね。えーと‥‥。」


背を向けていたスーツののっぽがふりむき、いきなり胸のポケットから小切手を取り出すと、さらさらっとペンを走らせ、チラッと懸命に働く少女を見る。


「あ、可愛いい‥‥きれいだっんだね母さ‥‥。あ、いや失礼。」

「え?」


思わず見上げると、瞳の涼しいイケメンがにっこり!!


「あなたに6億円!」

その時、突然あたりの空気が波打つように揺れ、ドドンと衝撃が走った。多美はくらくらっとめまいを感じ頑丈なレジ台をつかんだ。そのあと揺れるような余韻と突風!。


「な、何?」

我に返った彼女の目の前には6億円の小切手 !


衝撃は、イケメンが小切手を突き出し、レジの多美にぐっと近づいた瞬間起きた。ぶつかってもいないのに、まるでふたりを(はじ)くかのように、多美とイケメンの間の空間からドドンと広がった!


それは水面の一点が丸い波の輪となって幾重にも広がっていくように現れ、ふたりに向かってぱっと広がり、ぶつかった‥‥。


そして、それはさらに風を巻き起こしながら彼らを突き抜けて拡散した。臓物(ぞうもつ)ごと波を乗り越える感じ!


ふたりの髪の毛は揺れるように靡いた。レジ回りのチラシや壁に張ってあったメニューも激しい風にバタバタと音をたて、いくつかははがれて舞った。


多美は目の前にふわりと浮かんだ伝票を見つけて、咄嗟(とっさ)にそれをつかみ、レジを打とうと確認する‥‥。青年の差し出した小切手の方は全く無視‥‥。


(今日はやけに風が強い日ね‥‥)と胸の中で呟く多美。


でも、多美にとっては、奇妙な風がいきなり吹いてきてドドンとぶつかったこととか、その風で伝票が不自然に舞ったこととか、ましてあやしい6億円の小切手がどうとか、そんなことよりも、今日初めて現れた、目の前の青年のことの方がずっと気になって仕方がなかったのだ。


初対面なはずなのに、なぜかたまらなく懐かしく感じるのだ。なんだか胸の奥がきゅっとなって‥‥多美はそれだけで、もう頭の中がいっぱいになっていた‥‥。レジを打つ手が震え、いつしか多美の頬っぺたは真っ赤になってしまった。


(確か新築のマイホームは300万円ってテレビでやってたけど、6億円っていったいどれだけ? それとも、この人、私の気を引きたいのだけかしら‥‥まさか、ばっかみたい。でもいい男‥‥やだ、私ったら。でも、あぁ、このドキドキ感は何なの?‥‥。これって‥‥まさか初恋?)


「あっ、あの、店長おすすめの“()(こめ)()ラーメン”ですわね。100円です。」


「あ、はい? 100円?。安いな‥‥。」

「え、それ高い方ですけど‥‥。」

「あ、そっか今は昭和のしかもまだ前半か‥‥ま、とにかくこの小切手はあなたのものですから、受け取ってください。ここに置いときます。では。」


「ちょ、ちょっと困ります!」

あわててレジに現金を仕舞うと、カウンターの上の小切手を取り、のれんをくぐって出た若者を追って外に飛び出た。が、すでに青年は駅前の雑踏にまぎれていて、見つけるくことができない‥‥。


「彼女に渡した? ね、どうだったケン?」

ロータリーの噴水の向こう、赤レンガのビルと土木工事中の大きな丸い土管の間の陰にひっそりと止めた真紅のリンカーンに戻ったケンと呼ばれたイケメンは、ハンドルを握ると、ふうっとため息をつき、正面を向いたまま薄暗い後部座席の声に答えた。


「ええ、全く小切手には興味を示しませんでしたよ。」

「あぁ‥‥よかった。これで一気に状況は変化するはずだわ。」

「‥‥それにしても、あの風圧はなんだったんだ‥‥。」


“タイム・ループ”のためにリメイクしたリンカーンのドライブパネルが、ケンの目の前、彼の握る牛革でしつらえたステアリング越し、フロントガラスの下に広がっていた。


各種計器類や、点滅しながら飛び交う色とりどりの光のデジタル表示を慎重にチェックし、(いと)おしそうに彼自身が設計したその斬新なデザインのシステムに目を細めた。


このシステムは TSC(タイムサーフカー)として、ほかのスーパーカー、例えば、あの有名な映画バック・トゥ・ザフューチャーに出てくる“デロリアン”のような車に装着して、自由に時空間を飛ぶのがケンの夢だったのだが‥‥。


「大丈夫? なんだか、あなたぐったりしてるわ‥‥。」


闇の中に細長いパイプを燻らす妖艶な婦人の声‥‥。その時、彼女のブルーレッドジェルの唇が艶かしくキラッと光った。


「あ、ええ、なんだか確かに疲れました‥‥でもやけに体が重かったな‥‥あの風圧‥‥まさか、時空間異常が起きたのか?‥‥やっぱりあの接近は危険だったんだ。」


ケンは決心したように言った。

「僕は大丈夫です(かあ)さん。それより‥‥僕らのしてきたことなんですが‥‥確かに気の遠くなるような繰り返しでした。えっと、カウンタ・データでは‥‥そうか、今の僕らは5,263回目ってことか、フゥ‥‥。」

ケンはため息をつきながら言葉を続けた。


「このシステムは、原理的には、タイム・ループにカウンターを付けただけのアイデアでした。けれど、それによって、完全なループ、つまり同じことの繰り返しではなく、いわば“閉じた輪”が“螺旋”のように少しずつ変化しては流れていく‥‥。新たな輪は幾つもの層を作って、類似のループはするものの、本当に少しずつ変化し、少しずつずれて‥‥でも確実に変化していく‥‥。


それをしっかり観察し、“しっかり思って”生きること。それだけで、確かに少しずつですが、全てがその僕らの念ずる“意志”の方向に傾き、変わっていくんです‥‥。


だっていまの僕らの存在自体がそれを実証しているじゃないですか! 僕の理論をは正しかったんです。いいですか、だから母さん、僕らはこれ以上焦って、彼女に接近すべきではないんです‥‥。」


婦人はもう彼の理屈はいいと聞き流しながら、無言のまま車のウィンドーを少し開けて、彼女が十代の頃生活していた回りの景色を懐かしんだ。悲しい笑顔で‥‥。


多美は店の外に飛び出した(あと)、さらに角の信号まで行ってみたが諦めて戻って来た。何があったのか、外に出てきた30代そこそこのエプロン姿のシェフ兼店長。最近でっぷりと出始めたその腹に、多美は半分怒ったように紙切れをぶつけて渡すと、店に戻っていった。


その時、まだ店の外にいて、しきりに回りを見渡している店長と一瞬目が合ったような気がしてはっとし、婦人は思わずめをそらした。


(‥‥え? まさか‥‥あれは“羅微(ら び)?‥‥”。私の時にはいなかったわ、あんな人‥‥。店長はもっと白髪で、やさしい、痩せたお爺ちゃんだったわ)


「ケンもっとバックして。この車あの塀の陰へ完全に隠して。(まさか‥、きっとそら似よ。タイム・ループの副作用、いい方向への変化だわ‥‥。)」


「あ、はい。‥‥で‥‥このループは、あの女の子、いや、あの“若い母さん”が完全に“あれ”と縁が切れるまで続きます。そして縁が切れて、あなたの人生がすっかり変わったとき、この果てしない繰り返しの、このタイム・ループから開放されるんです。」


婦人は、なぜかたまらない悪寒(おかん)に身震いしていた。


「ええ、あなたの今までの説明。“記憶の想起”。何度も聞いているわ‥‥だからこそ、私、分かったのよ‥‥。」


「何が、ですか‥‥。」


多美は心の中でつぶやいた。

(そう、それでは遅すぎるのよケン‥‥。それによる“記憶の累積”が起きるのは、ほんとに私たちふたりだけかしら‥‥。もし強い血縁が作用してそれが起きたのなら、その作用は夫、つまりあなたのお父さんにだって起きるはずだわ。


それに、あのタイム・ループに飛び込んだとき、もし、誰かが私たちを見ていたとしたら、あなたのいう“記憶の想起”は全く他人の、その人にも起きるかもしれない‥‥。


それどころかこの世の中には、私たち以上に強く過去を変えたいと思っている、狂信的な人だってきっといるのよ。


仮にタイム・ループで“記憶の想起”や“記憶の累積”が起きるのが、私たちふたりだけだとしても。未来の方向を決めるのは、決して私たちの意志だけではないのよ。


私‥‥とても嫌な予感がするの。“観察”と“思念”。私たちはこのリンカーンから出てはいけないという。あなたの今までの方法では、きっと、きっと“私の改善”には、間に合わないわ‥‥。)


「でも今回、僕らはしてはいけない“禁”を犯してしまったような気がします‥‥。


前回まで、僕らのして来たことは “observer effect”いわゆる「観察者効果」という現象‥‥つまり、例えば、電子の位置を観察しようとして“見る”だけで、光子が電子の位置を変えてしまうという、それと同じ現象を、時間の流れに対して応用しているんです。


母さんには何度も話しましたが、これからの“僕らの安全”のためにも、もう一度整理して、今までの経緯を、よく考えてみましょう。


まず、時の流れに“閉じた輪”つまり“ループ”があることを発見した僕は、ひょとしてその繰り返しに番号を振るだけで、量子論的な一種の“観察”と“区分“が起こり、変化するのでは?ということに思い至った‥‥つまり“過去を変えられる”ことに気がついた。これがはじまりです。


このアイデアが浮かんだとき、僕は18才、あなたは48才だった。


どんなリスクがあるかもわからないのに、まさかそのループにほんとに飛び込むなんて‥‥。でも、母さんはまったくためらわなかった。僕は迷いました。でも、僕も自分の理論を立証したかった。


リスクと言うより、一種の副作用として、僕らふたりには、やはり不思議な現象が起きた。


それは、このアイデアに気づいたその年齢までは、この件に関しては無意識で暮らすけれど、それ以降は、それまで自分たちの経験した全ての記憶の累積が、意識上に想起されるという点です。


やがて、このタイム・ループを成功させた僕らの人生は少しずつ変化しました。


僕の場合は5,221回目になったとき、今までずっと抜け出したかった、あなたたち親への反抗心や、それまでに僕自身どっぷり浸かってしまっていた悪の世界‥‥実はそれはあの“羅微(ら び)”が背後で糸を引いていたんですが‥‥から、僕はやっとなんとか脱することができた。


歴史は一遍には変えられない。でもその“揺らぎ”を利用し、ほんの少しずつならきっと可能だと、その一念で僕はこのシステムを密かに開発した。そしてループするごとに、いわば五千人を超える“新たな僕の積み重ね”で、ほんとに少しずつ僕は僕の人生を改良してきた‥‥。」


「私もずっと、口に出せないほどつらい日々だったわ‥‥。でもそれって、すべて私の、あの時の欲望から始まったことなのよ‥‥。だからタイム・ループの、ほんとの始まりも、私の“あの時”なんだわ‥‥。


そう、“あの時”そもそも“一番始めの私”は、あの店で拾った宝くじの束に6億円の当たりがあるって気がついて、そのまま猫ババしたのが始まりよ。

だから私は、今までの私がしてこなかったことを直接することにしたの。落とし物をした客に、それとなく気づかせ、それを落とした本人に戻すこと。


そして、同じ現象が起きないように、あの時の多美自身が拒否するようなかたちで、大金を渡そうとすること。それをあえてあなたにしてもらったのよ。


これまでは、“その時”は、ずっとあなたの仕掛けたタイム・ループで色々なバリエーションに少しずつ変化して来たわ。


ある時はバックの中の現金だったり、ある時はテーブルに置き忘れた本に小切手が挟んで?%

初めての、一般公開です。

批評はお手柔らかに。

皆様、今後もよろしくお願い申し上げます

APAEPA


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