僕らはその夜星を眺めていた
僕は目が覚めた。目覚めのいい朝だ。
そうだ。僕は……。昨日のことを思い出す。僕は結局今もここにいる。何が起こっているかは分からない。けれど、ここでやることが見つかった。今はそのことに集中する。
辺りを見渡すが柚葉の姿はない。どこにいったんだろう。外に出ると、まだ日が浅い。かなり早くに起きたみたいだ。大きく深呼吸をする。空気がおいしい。
畑を見渡すと一人の少女がいた。柚葉だ。どうやらもう仕事を始めているらしく、僕はすぐさま鍬を取り出し柚葉の元へと向かった。
「おはよう。柚葉」
「あ、起きたわね」
「朝早いんだね」
「少しでもやっておかないと本当に終わらないから」
「これ終わるかな」
辺り一面が耕す範囲。相当でかい。機械があれば一瞬なのだろうが、そんなものはなく手作業でやるしかない。考えるだけでしんどくなってくる。
「今のうちに頑張るしかないわ。学校が始まったら終わりだもん」
「学校あるの?」
こっちでも学校あるんだ。でも柚葉って。
「いちようね。ただ、学校って言ってもほとんど労働だけど。それに……」
「どうかした?」
「ううん。なんでもない」
やっぱりそうか。僕らとは学校の意味が違う。柚葉の言いかけた言葉が気になったけど、何か聞いちゃいけない気がした。
「学校っていつあるの?」
話を戻した。
「一週間後よ」
「そうなんだ。それまでにこれ……終わるかな……」
「あなたもいるんだから終わるわよ。絶対終わらせるの」
「終わらなかったらどうなる?」
答えは分かっていた。でも聞いてしまう。
「殴られる」
「だよね……」
柚葉は当然のように言った。今までがそうだったように。例外なんかない。そういう感じだ。
「やるしかないのよ。あなたも奴隷になったならこの常識に慣れることね」
「一つ聞きたいんだけどさ。これ本当に使うの?」
「使わないわよ」
あっさりと。
「え……じゃあ、なんで耕してるの?」
「さあね。何か理由はあるんでしょうけど、私も聞かされてないわ。まぁ、どうでもいいんだけど。毎年の習慣みたいなもんだし」
「そう……なんだ」
これほんとに何に使うんだろ。何か植えるって言っても僕らの仕事は耕すだけみたいだし。その後はどうするんだろ。なんで柚葉は気にならないんだろ。すっごく気になる。奴隷が仕事に口出しするのは御法度なのかもしれない。僕の立場でもまずいかな。殴られたくないし。でも気になる。どうにか聞きだせる状況を作りたい。
「とりあえず流花も手伝いなさい。少しでも進めないと」
僕は柚葉と耕し始めた。黙々と作業を続けていく。結構しんどい。でも、柚葉は淡々と耕していく。さぼるわけにもいかない。僕は気力を振り絞った。
一時間は経っただろうか。喉がカラカラだ。柚葉から貰った水も空になった。僕らは作業を中断し、水を汲みにいくことにした。親父さんはまだ寝ている。今は6時過ぎ。朝にしては少し早い。
山を登る。水まで遠い。弱音を吐けばキリがない。柚葉は毎日これを読んでこなしていると考えると凄いとしかいいようがなかった。
「流花大丈夫?水入ったら倒れちゃいそうね。しっかりしてよね」
「分かってる。でもちょっとまずいかも」
水を運ぶ前なのに既に疲労を感じていた。柚葉の言う通りこれはまずいかもしれない。このボトルに水が入ったらどれだけの重さになるか。想像が倒れる方向にしか思い浮かばなかった。
山の中へと入り、道がない場所を柚葉はどんど突き進んで行く。そして、水源へときた。
そこには滝が流れていた。しかし、柚葉はその滝に目もくれずその横にある道から滝の中へと入っていった。中は洞窟のようになっていた。水が張ってある。
「着いたわよ」
僕はその水を飲んだ。おいしい。体の中に浸み渡っていく感覚。疲れが吹き飛ぶ気がした。
「これ、おいしい」
「そりゃあ、おいしいわよ。とっておきだもの」
「この水って他と違うの?」
「ここの水は特別なのよ。飲めば疲れが取れるって言われてるわ。この山の所有者と大同さん繋がってるから」
「親父さんなんだか凄い人だったり」
「地位の高い人の友人みたい。性格はあんなんだけど」
「あははは……」
さっそくボトルに水を汲み、リュックに詰めていく。結構重くなった。
「流花大丈夫?体持ってかれてるわよ」
「う、うん……ちょっと重いかも」
「無理しなくていいから。少し貸しなさい」
意地を張ったけど情けなかった。いくつかボトルを渡す。柚葉は相変わらず凄かった。僕が持てなかった量を軽々と運んでいる。
僕らは家へと戻った。
そろそろ親父さんが起きる頃だ。柚葉は朝飯を作り始める。僕は補助役に回った。やばい。料理できない。僕は柚葉の慣れた手つきを見ていた。
「あなたもいつかできるといいね」
「教えて欲しいかも」
「任せて。誰かに教えたことはないけど教えるのに自信あるから。慣れたら簡単だから大丈夫よ。私もいることだし」
柚葉はさっと作ってしまった。
「さあ、持っていくから手伝って」
「うん」
柚葉は食卓に料理を運ぶ。親父さんの分だけ。僕らは別か。
親父さんの料理を運んだ後、僕らは料理を持って外へと出た。
料理は食べてもいい。でも、家の中では許可なく食べてはいけないらしい。
「さあ、食べてまた頑張るわよ。まだ始まったばかりなんだし」
僕は柚葉の作った料理を口にした。美味しかった。率直に。柚葉の料理スキルは高い。自分より歳下だと思えないスキルをたくさん持っている。なんか自分が情けなく思えるほど柚葉は完璧に見えた。奴隷じゃなかったら、この世界じゃなかったら、どれだけ尊敬されていたんだろう。絶対幸せになれた。そう思えるほどだった。
「美味しい?」
「すっごく美味しい。毎日食べたいくらいだよ」
「言われなくたって毎日食べさせてあげるわよ。それが私の役目でもあるんだし」
「そっか。それもそうだよね」
「流花のために作ってあげる」
「えっ」
「気持ちよ気持ち。あの人のためなんかより流花のためにって思った方が気分良いじゃない」
「そういうことね」
「そういうこと」
途中、掃除とか夕食の買い出しとかをこなしつつ僕らは今日も働いた。そして夜。僕らは仕事を切り上げ空を眺めていた。
「星ってこんなにも綺麗だったんだ」
僕の住んでいた世界ではあまり星を見た記憶がない。外に出ないってのもあるけど、ここみたいに綺麗に見えるわけじゃない。だから、たくさんの星を見るのは新鮮な感じだった。
「そうね。とっても綺麗……」
「柚葉?」
「ねぇ、流花。私の悩み聞いてくれる?」
声からどこか悲しい雰囲気を感じた。
「私ずっと思ってたことがあるの。でも、誰にも話す人がいなくて。流花になら聞いてもらえるかなって」
「聞くよ。だから話してみて。何か言えることがあるか分からないけど」
柚葉は少し間を置いて、話始めた。
私は星を眺めるのが好きだった。星を眺めたところで何かが変わるわけじゃない。でも、私はいつも眺めていた。ただ、好きだった。
どこまでも広がる空に小さな光がいくつもあるその光景は私の心を穏やかにした。でも、ある日、私は思ってしまった。この時間に何の意味があるのだろうって。
星を眺めることに意味はない。そんなこと分かってる。じゃあ、この時間はいったい何なんだろうって。私は星を眺めることで心が穏やかになる。なら、私はこんなことをいつまでも続けてていいのかって。だって私はこのままじゃ星を眺めないと心が救われないようになってしまう。それじゃあ、いつか星が見れない日が来た時、私はダメになっちゃうんじゃないかって。
それから私は星を見なくなった。大好きだったことが好きになれなくなった。ぽっかり空いた時間を私はどうすればいいのか分からなくなってしまった。変えなくちゃいけない。
星に助けを求めてる自分は弱いんじゃないかって今までの時間は無駄だったのかもしれない。そう思い出したら、涙が出た。何をすればいいのか分からない。好きなことってなんだろう。好きでも何かの意味がなければ意味ないじゃん。
でも、私の心はすぐに辛くなってしまった。星を眺めることは自分の弱さなのか。意味があるとかないとかなんで気にするんだろう。でも頭から離れない。どう生きたらいいんだろう。星を見なくなった私は、本当に幸せなのだろうか。浮いた時間は悩む時間に変わっていた。また無駄な時間ができてしまったって。私は強くならなくちゃいけない。誰の助けもいらない。何かに支えられているようじゃまだまだなんだって思えて。
「そんなことないと思う」
「あるわよ。流花には分からないだけ」
「分かるよ。僕もそう思ってた時があったから」
「流花はどう思うの?」
「僕も落ち込んだよ。この時間は無駄なんじゃないかって。でも、それが好きならいいと思う。自分の好きなことに意味って必要なのかな。初めて好きだって思えた時の気持ちは、ただそれが好きだったから。それだけだった。誰かにとか、このことに意味がとかじゃなくって自分の心がわくわくするから。それだけ」
「でもそれだけじゃ……」
「うん。意味ないよね。でも、この好きだって想いは幸せなことだと思う。それに、好きだって思う気持ちが誰かに伝わったらもっと楽しい。それは今はできることだけど、そうじゃなくても、好きならいいんじゃないかな。星を眺めて、思い出して、また頑張ろうとか思えるなら意味のあるものになるんじゃないかな。眺めることは弱さじゃない。何かに頼ることも弱さじゃない。弱いのは自分を信じないことだと思う。自分の心は幸せにしてあげなよ」
誰かの相談なんかしたことない。だから僕にはこれが正しいのか分からない。ただ、僕が思ったことをそのまま柚葉に伝える。
「自分の時間は自分だけのものだよ。繋がらないかもしれないけど、それをしたから今があるって思ってもいいんじゃないかな。心ってのは何かを経験して変化するものだし。僕は柚葉の気持ち好きだよ。それは柚葉が毎日星を眺めて、悩んだ結果だと思う。だからもう星を眺めてもいいんじゃないかな。今は僕がいる。これからは一緒に眺めようよ。僕も星は好きだから。僕に星の良さを教えてよ。何より柚葉と一緒に眺めてるこの時間が好きだから」
「そうね。私なんでこんなことに悩んでたんだろう。星を見なくなったその日から本当は辛かった。でも見たら弱いって。その心が渦巻いた。私は強くなるどころか弱くなっていった気がする。流花の言葉を聞いて分かった。星を眺めていいんだって。弱さじゃない。私は強くなるために星を眺めるんだって」
「それが答えだと思うよ。そう考えてもいいと思う」
「ありがとう流花」
「柚葉の悩みならいつでも聞くから。僕が先に相談するかもしれないけど」
「その時は私が流花を導いてあげるわ」
「お願いします」
「ふふっ」
柚葉の心が晴れたならこれで良かったのかな。思ったことを口にしただけ。僕も経験した悩みだから気持ちは分かる。なんだか自分を見ているようで懐かしかった。
空に輝く無数の星。暗闇に照出す希望の光。手は届かなくても光がそこにある限り、僕らはまた頑張れる。この星を見るためだけに今日も働いた。そして明日も。全てが終わったこの時間だけが僕らの安らぎだった。明日もあるから寝なくちゃいけない。でも、僕らは寄り添いながら暫く星を眺めていた。




