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善戒修行編≪番外編≫

「世界破滅遊戯」

~善戒修行日記 (番外編)~




時は遡り、十数年に渡る、寿蛇と善戒の修行の毎日の一日。この日は、善戒にとっても、寿蛇にとっても心に刻み込まれる体験をした、そんな一日だった。




『お腹減ったぁ!』

『うるさいよ!』

ゴンと鈍い音と共に、少年の頭に拳が叩きつけられた。

しかし、何故か少年は、何時ものように痛がる素振りを見せないでいる。

『もう、五日も御飯食べてないから、痛くもなんともないよ。あはは…』

今の善戒には、いつもの元気がなく、まともに食事も摂れていないため、顔色が悪く、かなりやつれている状態だ。

『善戒…』

そんな善戒の様子を見て、寿蛇は胸を締め付けられる思いでいた。

『なら、早く魂の制御出来るようにしな!出来ないなら、いつまでも御飯抜きになるから』

『う、うん…』

『全くもう。私は御飯作ってくるから、それまで修行サボるんじゃないよ!』

『あぁ…』

善戒の覇気の無い返事を背中で受け、寿蛇は早々と自宅へ向かった。

『くっ』

善戒はもう堪えられなくなったのか、地面に膝を付き、そのまま、うつ伏せで倒れた。

顔に当たる小石がなぜか、心地がよかった。

『もうだめだぁ…。動けない』

魂の制御というのは、相当難しいもののようで、善戒は相当に追い詰められている。

ただでさえ、体力や精神力を酷使する修行であるのに、御飯も食べられない状況で善戒は体を動かすことが出来ずにいる。

それに加え、この匂いだ。

『今日は炊き込みご飯か…』

美味しそうな香りが更に食欲を増大させる。

ゴーッと腹の虫が悲鳴を上げる。

もう、この音は聞き飽きてしまった。

『寿蛇ばかりずるいなぁ。僕も炊き込みご飯食べたい…』

人と言うのは、自分が窮地に立たされた場合まずは、その原因を探り、そしてそれを恨む生き物である。

当然、それは善戒も例外ではない。

『寿蛇は僕の事、嫌いなのかな…』

そう一人で呟くと、何故か涙腺が脆くなるのを感じた。

『こんなことして、すぐに怒るし…、何回も僕を殴って…。やっぱり…』

気付けば、善戒の瞳は涙で一杯になっていた。

『赤の他人だからなのかな…』

そう言い終えると、善戒の瞳から不意にポツポツと滴がこぼれ始めた。

そして、そのまま静かに目を閉じ、その場で寝ってしまった。






しばらく、時が経ち、善戒はふと目を開ける。

『やっと起きたか?寝坊助は変わってねぇ見てぇだな』

目を開けて、直ぐに見えるものを疑った。

まさか、彼がそこにいようとは思いもしなかったからだ。

『うっ、うう…』

腫れた目に更に涙が流れる。

『泣き虫も昔のままかぁ?』

善戒はその声の元へ抱きつき、更に涙の勢いを加速させた。

そう、善戒にとって最も近い存在。

『ろ、呂の伊ぃ!』

『わははぁ!でかくなったなぁ善戒!』

『う、うう…うわーん!!!』

『わはは、耳元で叫ぶんじゃねぇ』

善戒はしばらく呂の伊に抱きついたまま、泣き疲れるまで泣き喚いた。

そして、もう涙は出ないであろう時を見定めて、呂の伊は口を開いた。

『どうだ?調子は?』

『う、うん…。修行頑張ってるよ』

『………』

呂の伊は、少し善戒から距離を離して、舐めるように善戒の体を見渡した。

『痩せ過ぎだぜぇ』

『う、うん…。御飯食べられなくて…』

『何だとぉ!?』

『修行上手くいかないからって、寿蛇が…』

『あいつめ、こんなことだろうと思ったぜぇ』

呂の伊は突然首からぶら下げていた鞄のひもを噛み千切り、地面に落とさせた。

『この中に材料が入ってっから、一緒に料理作って食うぞ』

『う、うん!』

善戒達は鞄の中から材料を取り出し、薪を集め、火を付け、材料を炒め始めた。

久し振りに呂の伊との料理に心が踊る。

しかし、善戒は材料を炒めてる途中、不意に胸が痛みだした。

その正体はもうわかっている。

『魂の制御まだ出来てないのに、御飯食べて良いのかな…』

そして、ふと呟いた。

『良いも何も、飯食わねぇとまともに出来るもんも出来なくなるってもんだ。それに…』

呂の伊が途中で言葉を止めたから、不思議に思った善戒が視線を呂の伊に向けた。

『餓鬼ほったらかして、自分だけ飯食うなんざ、寿蛇がおめーの事好きじゃねぇ証拠だ』

『………』

『嫌われてるやつの言うことなんて、聞く必要ねぇよ。なんなら、聞かない方が良い。ありゃ、間違いなくおめーを知らないうちに殺そうとしてるぜぇ』

その言葉が善戒の胸に重く突き刺さった。

心当たりがあるだけに、否定が出来ない。

なんなら、この腹の虫がそれを肯定しているまでもある。

『でも、安心しろ』

『え…?』

『俺が守ってやるから』

『呂の伊…』

無意識の内に善戒は一歩、後ろへ下がっていた。

『善戒!』

突然聞き慣れた声が、響き渡る。

その声のした方へ振り向く。

『何をしている!?』

そして、当たり前のように拳骨が飛んできた。

しかし、やはり痛みは感じない。

『寿蛇…』

『知らない間に随分と面白い事をしてるじゃないか!ふん!』

そういうと、寿蛇は目の前の調理されている途中の料理を蹴り飛ばし、料理はそのまま地面にばら()かれた。

『ああっ!ぼ、僕の御飯がぁ!寿蛇何するんだよ!』

『うるさい!取り敢えずお前は家に上がりな!後でこっぴどく叱ってやる』

寿蛇は、自宅の方へ指さし、善戒に命令した。

『…や……だ…』

それに対し、善戒は消え入りそうな声で、全身をワナワナと震わせて、小さく呟いた。

『なに?!』

『やだ…』

『お前、あたしに逆らうつもりかい?!』

善戒は拳を握り締め、寿蛇に向かって、叫ぶ。



『どうせ寿蛇は僕の事が嫌いなんでしょ!?なら、ほっといてよ!僕は僕のやり方で強くなる!寿蛇に殺されてたまるかぁ!』



そう叫ぶと、善戒は涙目でハァハァと息を切らす。

怒りと悲しみに満ち溢れた目が、真っ直ぐ寿蛇を射抜いている。

『善戒…』

そんな、善戒に寿蛇はただただ、胸を締め付けられるだけでいる。

余りの胸の苦しみに、ただ突っ立っている事しか出来ない。

そんな寿蛇を横目に、呂の伊が口を開けた。

『そう言うことだ。悪いが善戒はもう、おめーに付いていく気はねえんだ』

『………』

寿蛇は呂の伊の方へ目を向けた。

『何にも返す言葉はなしか…。善戒行くぞ』

『う……ん…』

呂の伊が寿蛇に背かを見せ、そして、善戒もそれに続く。

トボトボと歩いて行く二人を見ている内に、寿蛇の中に沸々(ふつふつ)と怒りが煮えたぎっているのを感じ取った。

『がぁッ!』

『呂の伊!』

そして、気が付いたら、呂の伊は背中からの打撃で、前へ吹っ飛んでいた。

『じ、寿蛇なん『お前か…』

善戒の言葉を(さえぎ)り、寿蛇が静かな、しかし、よく透き通る声を発していた。

『痛ってえなぁ。何すんだ、寿蛇?』

『お前が善戒に要らない事を吹き込んだから…』

善戒が、寿蛇に目をやった。

『えっ…』

目をやって、そらせなくなっていた。

何故なら、そこにいたのはいつもの厳しくも優しい寿蛇ではなく、ただ、殺戮本能がままに獲物を睨み付けるだけの人の形をした獣だった。

『怖い怖い。見ろ善戒、あれがやつの本性だぜ。言った通りだろ?』

『ぶっ殺してやる!』

呂の伊が、静かに立ち上がる。そして怒りがままに、叫んだ。

『調子に乗るなよ小娘がぁ!』

呂の伊はそう叫びながら、寿蛇の方へ一直線に走る。

走って、距離を縮め、寿蛇の首元目掛けて飛び付いた。

鋭い牙を露にし、高速で首との距離を縮めていく。

『……甘い』

そう言いながら、寿蛇は呂の伊の迫る頭へ、右の拳を放った。

『甘いのはテメーの方だぁ!』

しかし、そう来ると読まれていたのか、呂の伊は今度は首ではなく、寿蛇の右腕に標準を合わせて、牙を向かわせた。

とてつもない速さで寿蛇の右手と、呂の伊の牙の距離が潰されていく。

このままいくと、寿蛇の右手は噛み千切られてしまう。

『ふっ!』

寿蛇は咄嗟に右手を引き下げようとする。

『遅せえよ!』

しかし、それよりも速く呂の伊の牙が寿蛇の右手にたどり着いてしまった。

噛みさえすれば、引き千切れる状態だ。

『引いて駄目なら…』

『お、おめーまさか…』

呂の伊が突然冷や汗を掻く。

しかし、寿蛇は対照的に口角を上げている。

『押せばいい』

『ぐわッ!!』

寿蛇の拳が、呂の伊の口を突き通して、喉の奥まで達していた。

これには、呂の伊も堪らず咄嗟の判断で、両方の後ろ足を寿蛇の顔面へやり、勢いよく蹴って、距離を取る事に成功した。

『ゴホッ、ゴホッ、グワァッ!』

喉への衝撃で、呂の伊はむせずにはいられなかった。

軽く呼吸困難に堕ちいている。

そして、寿蛇も無事ではないようだ。

寿蛇は蹴りの威力がまま、後ろへ吹き飛ばされ、そして、そのまま地面に倒されたままでいる。

『呂の伊!寿蛇!』

そんな二人の姿に、善戒も冷静では居られず、思わず叫んでいた。

『ゴホッ、善戒あれが奴の本性だ。殺すことしか考えねぇ化け物さ』

『じ、寿蛇…』

善戒は倒れている寿蛇に目をやった。

『おめーの事も、じわじわと苦しめて楽しんでたんだよ。おめーだって気付いてるんじゃねえのか?』

『そ、それは…』

ぐーと腹の虫が音を上げた。

栄養失調の体が、力なく震えている。

何よりも、善戒は余りの空腹で思考能力が欠落している。



もう、何も分からない。



何も信じたくない。


『うわー!!』

善戒はそう叫びながら、全力で家に向かって走り出した。

全てから逃げるように。

『ぜ、善戒…』

寿蛇は、ぎごちなく、弱々しく、ゆっくりと立ち上がった。

『おいおい。そんなに強く蹴った覚えはねぇぞ?』

呂の伊が、そんな寿蛇の様子を見て、嘲笑う。



―――『弟子も弟子なら、師匠も師匠だな』



寿蛇は、立っているだけで精一杯だが、目の光は死んでいない。

目の前の下衆を殺す光が。

夢喰獣(ゆめくいじゅう)如きに言われる筋合いはない』

呂の伊、ならぬ、夢喰獣はわざとらしく、驚くふりをした。

『気付いていたのか?』

『人の夢を喰らい、その中の記憶を我が物にする獣如きには分からんだろうが、呂ノ伊は間違ってもここには来はしないさ…』

寿蛇は、何かを思い出したのか、少し悲しそうな表情をした。

『それはしくじったなぁ。あの餓鬼の記憶からはこの畜生の顔で一杯だったから、こいつにしか化けられなかったぜ』

『そうか』

『そうだ』

夢喰獣はニヤリと厭らしく、笑みを浮かべた。

『お前の顔は一欠片も見当たらなかったぜ』

『……っ!』

『おめー相当あの糞餓鬼に嫌われてんな』

寿蛇は、両拳を力強く震わせている。

『でも、良いじゃねえか。あんな、小心者の小僧。おめーをほっぽらかして直ぐに逃げてったぜ。ろくなやつじゃねぇ』

『……ま…れ…』

寿蛇は何かを呟くが、夢喰獣は聞こえなかったか、更に言葉を続ける。

『すぐ泣いて、すぐ逃げて。ああいう奴は、何も抱えず、だだ悠々(ゆうゆう)と自由気ままに生きてきたんだろうな。なに不自由なく、すべてに恵まれ、本物の涙を知らねぇんだ』

『………』



『糞っ垂れだ』


――鈍い音と共に、夢喰獣の顔面に重い衝撃が走った。


夢喰獣はそのまま、衝撃がままに、吹っ飛ばされ、空中で回転しながら、地に落ちた。

『がッ!』

顔面に蹴りが入ったと気が付いた時には、もう、奥歯も何本か折られていて、口の中が血だらけになっている状態だった。

『ハァハァ…』

しかし、寿蛇の方も何故か、無事ではないらしい。

息が切れ、両足も言うことを聞いてくれない。

寿蛇はそのまま、膝を地面に付き、息を整える。

『くそっ…』

夢喰獣は口の中の血と歯を吐き出し、ゆっくりと立ち上がった。

『お前ら二人を仲違いさせ、殺し合わせるつもりだったが、もういい。今ので完全に頭に来た』

夢喰獣は、一歩ずつ、寿蛇に近づいていく。

『ふふふ…』

『何が可笑しい?』

『お前の作戦だ』

『なに?』

寿蛇は笑いながら、夢喰獣を睨み付けた。

『私達は仲違いする事はあっても、殺し“合う”、事はない』

『おめーがあの糞餓鬼が好きだから手を出さないってか?それを利用して、憎ませるのが俺の仕事だぜぇ』

『違う。私は殺すかもしれないが、あの子は絶対に私に手を上げない』

『わははっ!あの糞餓鬼が?あいつなら、あと一歩でお前に襲いかかるぜ。俺にはわかる』

寿蛇は更に笑い声を上げた。

『お前はあの子を見くびりすぎだよ』

『あの糞餓鬼を見くびるのは当然だと思うが?』

夢喰獣は寿蛇の家の方に目線をやり、ニヤリと口角を上げた。

『何かとすぐに泣き、諦め、今もこうしてお前を置いて、いや、俺達を置いて、自分だけ尻尾巻いて逃げていった。ただの腰抜けだ』

『ふはははははっ!』

寿蛇は今までにないぐらいの笑い声を上げた。

笑いすぎて、目に涙を浮かべている。

『な、何が可笑しい!?』

『さっきはつい、怒ってしまったけど、やっぱりお前は呂ノ伊の格好をしてもあの子の事なにもわかってないみたいね』

『ど、どういう事だ!?あいつはただの腰抜けだろうが!』

寿蛇は、ゆっくりと立ち上がり、そっと口を開いた。

『あの子はそんなんじゃないさ…』








『ハァハァ…』

善戒は走って家まで着き、中に入った。美味しそうな炊き込み御飯は今は食べる気になれず、真っ直ぐ自分と寿蛇の部屋へ向かった。

もう、何も考えたくない。

善戒は力無く部屋に入り、寝床に身を委ねた。

身を委ねてみると、ふと一番最初にここへ来た日を思い出した。



『今日からここがお前の家だ』

寿蛇は両手を広げ、歓迎してやると言わんばかりの表情をした。

『ここが、御飯を食べるところで、ここが風呂。ここが手洗いで、そして、ここがお前と私の部屋だ』

寿蛇は家の中一通り案内してくれたあと、最後に部屋を案内してくれた。

『狭い家だが、我慢してくれよ』

そう彼女は言うと、少し照れたような、嬉しそうな顔をした。

一通り部屋を見渡す。

狭いが片付いていて綺麗だ。

しかし、部屋の片隅に小さな宝箱がある。

不思議に思ったから、それを寿蛇に尋ねてみた。

『あ、あれは修行日記だ。まだ書いてないが、見てはダメだ。恥ずかしいからな』

修行日記?

マメなことをするものだなと思った。

『とにかく、明日からは厳しい修行に入る。亜莉愛ちゃんを助けるためと、生物滅殺霊を倒し世界を救うためだ。我慢できるか?』

その時、僕はあまり深く考えずすんなりと頭をたてに振ったのだった。

『そうか、そうか』

彼女はそう言うと、何故かは知らない。

しかし、嬉しそうに拳骨を僕に喰らわせた。





『あの時の拳骨痛かったなぁ…』

不思議と善戒の顔から、笑みがこぼれていた。

何故かは分からないが。

『そう言えば、あの時の日記…』

善戒は小さな宝箱に目をやった。

『でも、寿蛇あの時読むなって言ってたし…』


嫌われてるやつの言うことなんて、聞く必要ねぇよ


ふと呂の伊の言葉が脳裏を過った。

『そうだね…。…どうせ寿蛇は僕の事が嫌いなんだ。無茶な修行ばかりされて、すぐ殴って、褒められたことなんて一度もないや!言うことなんか聞くもんか!』

善戒はその宝箱の元へ向かった。

『どうせ僕の苦しんでいる姿が書いてあるに違いないんだ!』

善戒は怒りを感じ、少し自暴自棄になりながら、宝箱を開け、日記を取り出した。

表紙には。

[善戒の修行日記]

と書かれている。

表紙をめくり、読み始めた。

[七十五年 五月 十日

今日は、呂ノ伊に続き、二人目の弟子、善戒を初めて家へと上げた。善戒は、終始浮かない顔をしていて、やはり、呂ノ伊との決別にまだ立ち直れていない様子です。時折見せる泣きそうな表情に胸を締め付けられそうになります。でも、呂ノ伊から善戒を奪ったこの私には同情する資格なんてありません。だから、今日のこの日記に心を鬼にする事を誓います。この世の、善戒の将来のためなら、何でもすることを誓います。]

善戒は、次の(ページ)をめくる。

[七十五年 五月 十一日

今日は、善戒がここへ来て二日目となりました。やはり、まだ寂しそうな表情をしています。でも、心を鬼にすると誓った身。気付かないふりをして、善戒を基礎作りのため走り込みをさせました。思っていたよりも、早く終わらせてきたので、つい嬉しくて拳骨をしてしまいました。褒めてやりたいのですが、褒め方がわかりません。痛そうにする善戒をただ見るだけしかできませんでした。本当にごめんなさい]

次の頁へ。

[七十五年 五月 十二日

今日も、走り込みをさせましたが、帰ってきた時少し違和感を感じました。善戒の顔は真っ赤に染められて、おでこに手を当ててみると、すごい熱を帯びていました。きっと風邪でしょう。私は、直ぐに善戒を寝かし付けて、お(かゆ)を食べさせました。もう少し暖かい格好をさせてから走らせるべきでした。善戒の苦しむ寝顔を見て、己の不甲斐なさが身に染みます。もう、この子に風邪をひかせるような真似を絶対にしません]



善戒は、次は、ペラペラと頁をめくることにした。



[七十五年 六月 一日

善戒がやっと笑ってくれました………]

[七十五年 七月 七日

善戒と喧嘩をしてしまいました……………]

[七十五年 十一月 八日

善戒が……………………]

[七十五年 一月 二十三日

善戒……………………………]

[七十五年 四月 九日

善………………………………………]


『ど、どいうことだ…』


めくればめくるほど、善戒の文字が浮かんでくる。


『寿蛇は僕の事が嫌いで…、僕を殺そうと…』


[七十六年 五月 十日

今日は善戒がここへ来て、ちょうど一年目となります。楽しい日々であっと言う間に過ぎてしまいました。一年前とは比べものにならない位逞しくなり、そして、これから、一年後どう成長するか楽しみで仕方がありません。ここまで頑張ったご褒美に、内緒で善戒の好きな炊き込み御飯を作りました。美味しそうに食べてくれて嬉しかったです]


『ぼ、僕には御飯を食べさせないで自分だけ食べて…』


[七十七年 五月 十日

今日は、善戒がここへ来て二年が経ちました。しかし、私はとある理由でそれすらも、忘れそうになっています。それは、五日前から行っている、魂の制御の修行のせいです。これだけは、やらせたくはなかったのですが、善戒の自信に満ち溢れた眼差しを見たら、ついやらせてしまいました。この修行はとても危険で、残酷なものです。自分の魂の制御をするということは、自分の魂を不安定な状態にするを意味します。そんな、制御しきれていない、不安定な魂のまま、物を食べれば、その物の魂が自分の魂と混雑して最悪の場合死ぬことになります。そんな事実を善戒に知られたら、あの子ならきっと怖がって、修行に支障が出ますから、言えません。ただでさえ危険な修行です。私が善戒を守らなければいけません。しかし、あの子の苦しそうな顔を見ると、二年前の誓いが揺らぎそうになります。それでも、やはりこれも善戒のため。今の私に出来ることは、一緒に苦しみ、そして、善戒が修行を為し遂げた時に、お腹いっぱいに御飯を食べさせることだと思います。そして、今日で私が物を食べていないのは三十日目となりました。あの子の苦しみと比べれば、何て事はありませんが、あの子だけ腹を空かせたままには絶対にしません。これが私のできる唯一の償いだと思っています。]

ここで、日記が途切れている。

今日書いたものだろう。


『……………』


そして、その日記にポタポタと、涙の滴が降り注ぐ。



――『僕はバカだ…』


寿蛇の行動は全て僕の事を思っての事だったなんて。


御飯を食べさせてくれなかったのは、僕の命のため。


拳骨は、愛の裏返しで、


褒めないのは、褒め方を知らなかったら。


毎日の美味しそうな匂いは、僕の帰りをずっと待っていた証。


どの日記を見ても善戒の文字がない頁がない。


寿蛇がこんなにも僕の事を想ってくれている。


それなのに、僕は…


あんな酷いことを…



『うっ……、うう…、寿蛇ぁ、ごめん……なさい…』

そう言うと、もう、善戒の涙は止まらなくなっていた。

まさか、今までの全てが善戒のためを思ってやっていたことだったなんて、思いもしなかった。

善戒は、暖かい気持ちに包まれて、しかし、自分に嫌気を感じながら、しばらく、その場で、涙を流す事しかできずにいた。











『偉そうなことほざいて、所詮そんなもんかぁ?』

夢喰獣が寿蛇を踏みつけながら、勝ち誇ったように笑みを浮かべた。

『う、うるさ…がぁッ!』

寿蛇の顔に、蹴りが入る。

『おらおら!さっきまでの勢いはどうした!?俺を殺すんじゃねぇのか!?』

そして、更にもう一発蹴りを入れる。

『ぐっ!』

『わははははははっ!弱いにもほどがあるだろ!』

夢喰獣は蹴っては、踏みを繰り返し、高らかと笑い声を上げる。

寿蛇は、あまりの疲労と空腹で、なす術なく、ただなされるがままにいる事しかできない。

『今日は良い日だ!餌が二匹も食える!』

『や…めろ』

『聞こえねえよ!』

『ぐわぁッ!』

顔面にまたしても蹴りが入る。

『ぜ、善戒には…、手を出すな…』

寿蛇は血だらけの顔で、全身の痛みを我慢しながら、何とか声を上げた。

『この期に及んで、まだあの糞餓鬼を生かそうとするのか。認めろよ。あいつは最低の根性無しだってことをな!』

『うっ!』

寿蛇はみぞおちに衝撃を受けた。

まともに呼吸ができない。

それでも…

『ぜ、善戒は…、根性無し…なんかじゃ…ない』

『わははは、笑わせるな。直ぐにピーピー泣いて、目先も考えず逃げて、こんなにも想ってくれてるお前を信じてやれない。そんな奴のどこが根性無しじゃないってんだ?』

寿蛇は、もう動くはずのない体を起こし、フラフラの両足で、立ち上がった。

『ば、バカな!おめーはもう、ボロボロのはずだ!立てるわけが…』

『立つさ…』

寿蛇は今にも崩れそうな体を無視し、真っ直ぐ夢喰獣を睨んだ。

『あ…あの子は、どんな修行の時でも…、弱音は吐いても……泣いても………、必ず……』

寿蛇の消え入りそうな微かな声がその場に響く。

『必ず……立ち上がって……来た。だから、…師である私が…』

寿蛇の膝がガクッと折れたが、何とか持ちこたえる。



『立たない訳には……いかないんだ…よ…』


倒れない。


『………』

夢喰獣はただ、その姿に目を奪われるだけている。


『ぜ、善戒は…誰かを傷つける前に…泣き、殴る前に…逃げる』

弱々しく、寿蛇が言葉を続けていく。


『ただただ…優しい……子なんだよ…。何も……知らない……お前が……善戒を馬鹿に……す……る…な…』

視界が歪み、もう、音も認識できる状態じゃなくなっている。

もう、体が完全に言うことを聞いてくれていない。

そして、寿蛇は立ったまま眠るように気絶した。




『ふ…、ふふ…、ふわはははっ!立ったまま気絶するやつなんざ初めて見たぜ。気絶してる今の内に腹にぶち込んどくか。だが、安心しろ。おめーの気迫には負けたよ。おめーの弟子を食うのは…』

夢喰獣は笑いながら、寿蛇へと向かう。


『頭だけにしてやるよ』


徐々に近付き、寿蛇の元へたどり着いた。


口を大きく開け、寿蛇の首まで牙を持っていき、噛み千切るため、勢い良く口を閉じた。






キーンと乾いた音が鳴り響いた。



『…っ!?』


…感触がない。


というよりも、寿蛇がもう、目の前にいなかった。





『師匠には触れさせない!!!』



『お、おめーは…』


そこには、寿蛇を抱えた、善戒の姿があった。


『ごめんなさい、師匠。遅くなっちゃって…』

『ぜ……善戒…』

混沌とする意識のなかで、寿蛇は善戒の声を聞き取れていた。

『に……逃げな…さい』

善戒は、ゆっくりと寿蛇を地面に置き、手を握った。

『もう師匠を置いて、逃げるもんか…』

『ぜ…善戒!』

寿蛇の呼び掛けを無視し、善戒は立ち上がり、夢喰獣の方へ向いた。

『善戒、そこをどけ。そいつは俺が殺す』

『ダメだ』

『親の言うことが聞けねぇのか?』

『僕の親は、呂ノ伊だけだ』

『そうだ。だからそこを『お前は呂ノ伊じゃない』

夢喰獣が、ビクッと驚く。

『な、なんだと?』

『呂ノ伊は師匠をこんなに傷付けない』

『なんだ、そんなことか。それは、おめーのために…』

『それと…』

善戒は、沸いてくる怒りを感じている。




『呂ノ伊は自分の事を、''俺''と呼ばない!』




『……ちっ』

夢喰獣は舌打ちをした後、ため息を漏らした。

『大正解』

『お、お前は誰だ!』

『おめーが知る必要はねえよ。とにかくそこをどけ。俺はまず女の方から食いてえ。今なら、大分弱ってて肉が柔らかそうだ』

そう言うと、夢喰獣の口からヨダレがだらっと垂れていく。

『だ、だめだ!許さない!』

そんな、夢喰獣の姿に善戒は恐れを隠せないでいるが、確固として寿蛇の前から離れようとしない。

『なんだと…』

そんな、善戒の姿を見て、夢喰獣は怒りがまま、叫んだ。

『調子に乗るなよ。おめーみたいな泣き虫の腰抜けた糞餓鬼に何ができる!?子供の分際で、この俺に敵うと思ってんのかぁ!?』


今の怒鳴り声で、善戒がビクッと驚く。

『ぜ、善…戒…』

寿蛇が心配そうな声を上げている。


師匠、大丈夫だよ。


確かに、子供の力では到底敵いそうな相手ではない。


いくら空腹で弱っていたとしても、師匠をここまでにした相手だ。


間違いなく僕は殺される。


だが、


それでも…


―――『これ以上僕の大事な人を傷付けることは絶対に許さない!!!』



『ならば、師弟共々死にやがれ!』

夢喰獣が、凄まじい速さで善戒に向かって走る。


身体中から冷や汗がダラダラと流れ落ちる。

余りの恐怖と迫力で、体の震えが止むことを知らない。

何も考えられない。


気が付けば、夢喰獣の牙が目の前だ。


後ろには師匠が。


死ねない。


死ぬわけにはいかない。


守る。


絶対に守る。


―――『守るんだぁ!!!』


夢喰獣が、善戒の頭を牙で捕らえた瞬間。

その瞬間、夢喰獣の頭が粉々の肉片と化し、身体はそのまま、地に落ちた。









『ハァハァ…。し、師…匠…』




『どう……した?』




『ど、どう…だった?修行の…成果…』




『ふふ、あ…あ。合…格……だ』


『よ…良かった…。こ、これでやっと…師匠……御飯…食べ…られ…るね』


そう言って、善戒は眠るように気絶した。
























[七十七年 五月 十日 (改)

今日は善戒が来てからちょうど二年目となりました。炊き込み御飯は冷めて

いましたが、善戒は美味しいと言ってくれました。もちろん嬉しかった訳ですが、善戒が成長して少し遠くへ行ったように感じてしまって、寂しい気持ちも無かったと言ったら嘘になります。この日記が少し濡れている事に関係しているのかと一瞬思いましたが、きっと違うでしょう。今日改めて知りましたが、善戒は強い子です。だから、二年前の誓い。ここで、撤回します。心を鬼にするのではなく、悪魔にします。いや、今の善戒なら大魔王でも問題はないでしょう。それと、もう拳骨は止めます。もうあの子にも、私にも必要ありませんから。そして、最後になりますが、善戒が自分から私の事を''師匠''と呼んでくれた今日という日、一生忘れません。]

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