山野下町編≪下≫
「世界破滅遊戯」
~山野下町編(下)~
ただならぬ事態となっている山野下町。小鬼共の撤退。仁助組の正体。全てが謎に包まれているが、善戒はどう判断し、行動するか。この事態を解決したとしても、屁の足しにもならぬが、果たして、山野下町はどういう結末を迎えるのだろうか。
「………」
善戒はしばらくその場で、立ち尽くし、唖然としていた。何がどうなっているのか全く理解が追い付かないからだ。
「…だから言ったろう?」
善戒は突然の声にビクッとし、声のした方へ振り向いた。
「仁助組には逆らうなとなぁ…。ひひひっ!」
「お、おめーは…」
善戒は、顔のシワと、ずたぼろの汚い歯でその人物を思い出すことに成功した。
「お、教えてくれ!一体どうなってやがる!?」
「ひひひっ!」
善戒は尋ねてみるが、その老婆は笑うだけで、まともに答えてはくれない。しばらく、何度も同じ質問を繰り返しても、笑い声のみが返答だった。
もう、老婆の笑い声に嫌気がさした善戒は、やりきれない気持ちと共にその場を立ち去ることにした。
「仁助組はなぁ…」
「もう、臭い息のかかる笑い声を聞く気はねえよ。じゃ「生滅霊と手を組んでいるのじゃ」
唐突な事実に、善戒の頭は真っ白になった。
「生物滅殺霊と手を組んだ…?」
特に意識していた訳じゃないが、いつの間にか、聞き返していた。
「そうじゃよ。ひひっ…」
老婆の笑顔は何時もよりも嫌らしいものであったが、善戒はその事実に気を止めてる余裕はない。
「そんな馬鹿な。生物滅殺霊は人間はおろか、どんな生き物とだって殺害以外で接触することなんざねぇはず」
「信じたくなければ、信じなければ良い。だけど、私はちゃんとこの目で生滅霊と油利様が交渉しているところを見たんだよぉ。ひひひっ!」
今度、老婆は体を激しく揺らしながら、大声で笑い声を上げた。
「生物滅殺霊と人間が…?そんな馬鹿な…」
老婆の言葉を信じる事を、常識が全力で妨げる。そんな、中で葛藤をし続けるしかない善戒を見て、老婆が更に追い討ちをかける事にした。
「馬鹿な事でも、真実じゃ。そうでなければ、暴れ回っていた小鬼共がすんなりと町から消えると思うかい?」
「小鬼共が消えた理由…」
「そうじゃ。詳しくは知らんが、仁助組の撤退の後、すぐに生滅霊の手下である小鬼共が消えよった。それでも、全く関係ないと本気で思うておるのか?」
「い、いや…」
「そうじゃろう」
確かに、酒場で町が生物滅殺霊から襲撃を受けているとは聞いていたが、その事が、やはりこの小鬼の襲撃と受けとるのが自然だろう。とすると、仁助組が生物滅殺霊と何らかの繋がりがあるのは否定出来るわけではなさそうだ。
しかし、今はそれよりも気になる事があるな…
「どうして、俺にそこまで情報をくれる?」
老婆はその質問を待っていたかのように、ニタっと口角を上げ、灰色の歯を露出しながら口を開けた。
「それはなぁ、息子が小鬼共に殺されたからじゃ。ひひひっ!ひひひっ!ひひひっ!」
老婆は壊れたかのように、笑い声を上げる。しかし、笑ってはいるものの、善戒は、その奥に悲しみが有ると見出す。何時までも続くこの汚い笑い声は、怒りや、悲しみを含み、何なら、自虐をも含んでいると善戒は思わずにはいられなかった。
「小鬼共がのう、小鬼共がのう、私の息子の両腕を引き裂き、頭を食ろうて、その場を息子の血で真っ赤にさせたのじゃ!ひひひっ!私の息子は小鬼の糞となるために産まれたと言う訳じゃ!ひひひっ!ひひひっ!」
善戒はただ黙って、老婆の悲痛の叫び声を聞くだけでいる。
「その時、私はと言うと、腰を抜かしながら、ただ、自分の息子が食われておる姿を見るだけじゃったよ!十年間必死で、育てた息子も、たったの数分で肉塊に身を変えよった!ひひひっ!どうじゃ!?素晴らしかろう!素晴らしかろう!ひひひっ!ひひひ…」
笑い疲れたのか、老婆はぜえぜえと息を切らしていた。しかし、息が整うとまた、全力で笑い、すぐに息をまた切らす。それを繰り返している内に、さすがに、老婆の顔色が変わって、かなり苦しそうな表情となる。
「さすがにもう、休んだほうが良いぜ…」
「駄目じゃ…。まだ笑うんじゃ。息子の最後の願いじゃ」
「最後の願い?」
「そうじゃ。ひひ…」
「なんだそれは?」
老婆が、それはなぁ、と言い、言葉を続けた。
「息子が小鬼共に食われながら言うたんじゃ。『母ちゃん、怖いよ、泣いちゃ嫌だよ!笑ってよ!』とな!」
善戒の胸が急に苦しくなる。
「だから、私はもう、泣くわけにはいかんのじゃ!」
「そうか…」
「ああ、そうじゃ。ひひひっ!」
明らかにもう笑える精神状態ではない。そんな老婆を目にし、善戒はただ、悲しみと、そして、段々込み上げてくる怒りに拳を固くしていた。
「俺に情報をくれた理由は、小鬼共を蹴散らすためで良いんだな?」
「それもあるんじゃが…」
老婆が今までに見たこともない、イカれ狂った老婆としてではなく、一人の母親としての表情をさせていた。
「何よりも、私はもう、疲れたわい。山野下町の平和な姿が、息子と過ごしたあの町の姿が、また見てみたいのじゃ…」
しばらく、場が静寂に包まれた。そこで、善戒は頃合いを見つけて、口を開ける。
「婆さん名前は何て言うんだ?」
唐突な質問に、老婆は少し驚きはしたもののいつもの調子で答えた。
「忘れた。そんなもんここじゃもう必要ないわい…」
「なら、今の内に思い出しておけ」
「何故じゃ?」
「これから先、名前ねえと不便にさせてやっからよ」
「………」
老婆が面食らう。
「息子と山野下町の仇、今、討って来てやらぁ」
善戒はそう言い残すと、老婆をその場に残し、怒りで我を忘れ、生物滅殺霊の拠点地、町の真北を目指し、全力で走ることにした。
しばらく走り、山野下町を抜けて、そこを跡にした。
町から出ると、突如、巨大な火山の山脈が善戒の目に写り込む。火山は、茶色一色に染めれられていて、その影響かは知らないが、地面も、土に覆われていて、茶色一色だ。そんな景色の中でも、一番目立っている、一際、巨大な火山が善戒の目を奪った。
「あれが、拠点地だろうな」
そうと、決めつけると、善戒はそこへ一直線で向かうことにした。土を踏み散らし、前へ進む。そんな最中、前方に突然、人の姿らしき物が善戒の目に入った。しばらく進んで、それが、十~十五人ぐらいの人の群れだと認識できる距離に至る。
「そこのお前、止まれ!」
そこから、声が聞こえたが、善戒は怒りで我を忘れているため、一々気に止めるつもりは無いらしい。これまで通り、一直線で巨大な火山へ向かう。
「止まらないと、殺すぞ!」
注意の声が一層大きくなったが、やはり、今の善戒には届かない。
「もういい!お前ら、迎え撃つぞ!」
「「「「おう!」」」」
そう言うと、前にいた人達が、善戒に向かって、走り出した。善戒の走りと、その人達の走りの方向がちょうど対となっているので、距離を縮めるのにそんなに、時間はかからなかった。
まず、先頭を走った、その集団の頭であろう人が、善戒に攻撃を仕掛ける。
走りの速度を活かしながら、右の拳を善戒の顔目掛けて、振り放った。
「邪魔だ」
その拳を、頭を下げることでかわし、善戒も走りの勢いを利用して、右の拳をその人の顔面にめり込んだ。
「ぐわっ!」
鈍い音が響き渡り、善戒の放たれた拳の威力で、その人は地面に倒された。
その間、善戒の走りは止まることはなかった。そして更に、走る。
「お頭の仇!」
「死ねえ!」
「おりゃあ!」
次は三人同時に、攻撃を仕掛けてきた。一人は跳躍し、上から善戒の頭を狙って、拳を降り下ろす。もう一人は、そのまま、走りながら、善戒の顔面に向かって拳を放つ。そして、最後の一人は、善戒の足元を狙って、地面に身体を擦り付けて滑り込みながら、蹴りを放とうとする。
前方の全ての方角の攻撃が善戒を襲う。
「しゃらくせえ!」
善戒は上に飛んだ人の首を素早く掴み、そして、それを、勢い良く下へ叩き付けた。そうすると、善戒の顔面に拳を放とうとした人と、滑り込んだ人が、上から叩きつけられた人に巻き込まれて、その場で、地面に伏すことで落ち着いた。善戒は三人を、飛び越し、更に、走り続ける。
次々と現れる人達を、拳一つで地面に叩きつけて、そして、いつの間にか、最後の一人となっていた。
「やっとで最後か…」
そう言うと、善戒はその、砂ぼこりに紛れた人影に向かって、拳を放つ。
乾いた音と共に、その人は地に倒れた。
「ぜ、善戒さん…」
その地に倒れた人から、聞き覚えのある声がした。
善戒は突然、走り出すのを止めにして、ゆっくりと、しゃがみ、その人の顔の確認をする。
「し…、白雪…」
「善戒さん…」
二人はしばらく見つめ合い、静寂の中にいた。しかし、善戒がふと我に帰り、どうしてここにいるのかと尋ねた。
「わ、私は仁助組として、生滅霊の拠点へ行こうとする人をここで食い止めるためにいるんです…」
「他のやつらもそうか?」
「はい…」
白雪が弱々しく答える。どうやら、善戒の放った拳が原因らしい。
「そ、そうだ。おめー、大丈夫か?」
「いえ…。私など、心配される価値は有りません」
「それは一体どういう「この有り様は一体何なんだ!!!」
善戒の声を遮って、聞き覚えのある声が響く。
「葉睛か」
「また貴様か!?この有り様はお前のせいか!?」
「そうだと言ったら?」
「二度も言わせるなよ」
「おもしれえ」
善戒はスッと立ち上がり、葉睛に向かって、走り出した。
葉睛も乗っていた馬から飛び下り、善戒の突撃を構える。
「おらぁ!」
叫び声と共に、善戒は走る勢いを利用しながら、地面に身体を擦り付けて滑り込んで、葉睛の足元を目掛けて、蹴りを放つ。
「甘い!」
葉睛は、それを飛ぶ事により回避し、そして、真下にいる善戒の顔面に向かって、重力がまま右の足を蹴り下ろす。
「っ!?」
ドンと鈍い音が響いたが、葉睛の足には善戒の顔面の手応えがなかった。
実は、善戒は瞬時にその蹴りを頭を横へ倒す事で回避し、そして、そのまま葉睛の股を潜り、滑りの勢いを手で殺した。更に、腕を使って、逆さまに自分の体を起こし、ちょうど、倒立しているような状態となり、そのまま、上がっている両足の右足で葉睛の頭を目掛けて、降り下ろした。
「がぁ!」
葉睛は後ろからの攻撃を見極める事など、出来る筈もなく、蹴りを完全に喰らい、衝撃で、地面に膝をついた。
善戒は蹴りを放った後、そのまま、倒立前転をし、逆さになっていた体を元に戻した。
善戒と葉睛はちょうど、今、背中合わせの状態となっている。
「そんなもんか?」
「ふっ、まだまだこれからだ!」
葉睛はそう叫ぶと、鞘に収まっていた剣を抜いて、振り向きながら、善戒へ向かって、剣を振った。
鋭い、空気を切り刻む音が響いた。
しかし、善戒は難なく素早く振り向き、後ろへ移動することで回避できた。
「死ねぇ!」
葉睛は叫びながら、善戒に向かって剣を上から降り下ろす。
「当たらねえよ」
しかし、善戒は体を半身にし、それを交わす。
「うりゃ!」
負けじと葉睛は、今度は剣を横へ振った。善戒は、それを後ろへ下がることで交わす。
今度は、突きを試みる。
善戒は、前へ一歩進んで、剣先をギリギリで交わしながら、葉睛との間合いを詰めた。
「馬鹿な!俺の剣が届かない!」
「終わりだ!」
間合いを詰めて、善戒は拳を作り、下から葉睛の顎を目掛けて拳を放ち、そして、鈍い音と共に、葉睛の顔が空を向いた。
「ぐわぁっ!」
葉睛の体はそのまま、少し宙を浮き、背中から地面に倒れた。倒れてすぐ起き上がろうとするが、足が全く言うことを聞いてくれない。
「やめとけ、脳を揺らしたんだ。しばらくは動けねえよ」
善戒はそう言うと、葉睛をそのままにし、白雪の元へ歩みを進もうとする。
「ま、待て!」
進もうとしたが、呼び止められたので仕方なく、進むことを止めとした。
「なんだよ?」
「き、貴様!何のつもりだ!」
「白雪の元へ行って、色々質問すんだよ」
「そんなことはどうでも良い!貴様、なぜ止めを刺さん!?」
「止め?」
「そうだ!止めをさせ!」
「馬鹿か?死にたきゃ勝手に死にやがれ。俺は殺さねぇよ」
「貴様、どこまで無礼するつもりだ!」
「うるせぇよ。俺は人を殺すために鍛えたんじゃねぇんだよ。俺が殺してぇのは、あの糞霊共だけだ」
「まさか、生滅霊のことか?」
「おめーには関係えねぇよ。そこでくたばってろ」
そう言うと、善戒は今度こそ白雪の元へ行き、しゃがみ込んだ。
「葉睛様は?」
「ちゃんと生かしてあらぁ。んなことより、色々答えてもらうぜ」
「は、はい…」
善戒はまず一番気にしていた事を質問する事にした。
「白雪、まずおめーの事からだ。おめーは、一体何で仁助組にいて、そして、何故山野下町におめーの名を言うと皆が可笑しくなるのか、答えてくれ」
―――――「それならば、私がお答えしよう」
またもや、突如、聞き覚えのある声が、響き渡った。
そして、その声は、この事態の最有力人物の声なのだ。
「油利様…」
白雪が、ふと呟いた。
「やっと顔を合わせることができたな」
「ふふ、君がここにいる私の部下全員を倒したと言うのかね?」
善戒は指を地面に指しながら、こう言い放った。
「ああ、そうだ。そして、事情を説明してくれなかったら、お前もこうなるぜ」
「ふふふ、威勢がいいやつめ」
油利は白馬に乗りながら、輝く金髪を風になびかせている。
「まずは、彼女の話しからだったな。実は、彼女は私の妹だ」
「な、なんだと?いや、それにしては随分ひでえ扱いしてる見てぇだが?」
「それは、君には関係の無いことだよ」
一瞬油利の目が鋭く光った。
「そうかよ」
そう言うと、善戒は立ち上がって、体を油利の方へ向ける。
「なら、やっぱり、やるしかねえみてぇだな」
「気性の荒いやつめ」
油利は、馬に乗ったまま、善戒に向かって走る。とてつも無い速さで、善戒との距離を潰して、そして、馬の上から槍を、善戒に振り下ろす。
善戒は、間一髪でそれを、後ろへ移動することで回避できた。しかし、善戒が後ろへ下がるや否や、いつの間にか広がっていた油利との距離が、もう無い事になっていた。
「馬に乗っている人間に勝てると思うなよ!」
馬の素早さに為す術なく、回避した後で、体勢がままならない状態のため、もう一度振り下ろされた槍を交わすことができず、善戒の胸から腹にかけて槍の刃が切り裂く。
「っ!」
切り裂かれた傷口から血がどんどん溢れてゆく。
「糞っ、はえーな…」
「まだまだぁ!」
そう言うと、油利は乗っている馬に、前足を上げさせ、そして、その足で、善戒を蹴り、吹き飛ばさせた。
「がぁっ!」
善戒はそのまま、蹴り飛ばされ、空中で弧を描いて、そして、背中から地面に倒れるや否や、そのまま、後ろへ回転し続けて、しばらく回転してから、やっとで落ち着いて、うつ伏せで地面に伏せていた。
「ぜ、善戒さん!」
白雪の叫び声虚しく、善戒はビクともしない。
「馬鹿だなぁ。大人しく話を聞いていれば、この町の状況を知れて死ねたものを。ふふふ、ふはははは!」
「油利様!もう、人を殺すのを止めにしましょう!!!」
「あ?」
遂に白雪の堪忍の緒が切れたのか、今までにない、叫び声を上げた。
「兄さまが変わることを信じて、私はずっと貴方のために色んな事をしてきましたが、もう、今日で終わりにします!もう、人が傷つくところを見たくないです!」
自然と白雪の目から涙が溢れる。
しかし、それを気に止める油利ではない。
「いつ私が、人を傷付けたと言うんだ?私は、山野下町の英雄だぞ。人を守ってやっているのだ」
「全部、演技じゃない!いつ貴方は戦ったと言うのよ!?」
「真の英雄は戦わないのだ」
「生滅霊と手を組み、その小鬼を使って、英雄を装ってるだけじゃない!もう、いい加減止めにしようよ!そんなことをしても、何も意味なんて無いわ!」
「うるさい!うるさい!貴様、この私に向かって、口が過ぎるぞ!いいか?私は山野下町の英雄で、仁助組の頭だ!私の妹だからといって、調子に乗るなよ!」
「どうして、分かってくれないの?」
「貴様だって…」
「いや、それ以上は止めて…」
「ふはははは!そうさ!貴様だって、私の命令とは言え、山野下町の連中どもに、黄金の花、いわば、麻薬を吸わせ、あいつらを廃人と化したではないか!」
「いやぁ!それは!」
「それはなんだ?ええ!?本心ではなかったと言うつもりか?それで、お前に人生をずたぼろにされた可哀想な山野下町の連中共が、納得すると思っているのか!?お前が摘んできたあの、黄金の花が、大勢の人の命を台無しにしたのだ!ふはははは!」
「嫌ぁ…」
白雪が、頭を抱え、目を閉じて、現実から逃れようとするが、目を閉じて見ると、今まであの黄金色の花を与えた人達の人ならざる表情が浮かび上がり、更に、胸を苦しめた。
「もう…」
「もう、殺せって言うんだな。分かった。ふはははは!お前は今まで良くやったよ!でも、私に無礼が過ぎた。一思いに殺してやる。ふふふ…」
そう言うと、油利は乗っている馬を白雪の方へゆっくりと向かわせ、そして、ちょうど槍が届く距離に制止させた。
「ふふふ、あの世で不甲斐ない親父に宜しく言ってくれ…」
「父様は不甲斐なくなんか「死ねぇ!」
白雪の心臓目掛けて、槍の刃が風を切り裂き、突き進む。
突き進み、刃の先が、白雪の左胸の肌にたどり着き、そして、それを、貫く。
痛みが走り、命を諦める。
走馬頭のように今までの記憶が頭を過る。
父の最後。
兄の笑顔。
そして、何より山野下町の住民の顔。
懺悔してもしきれない。
しかし、自分はもう死ぬ。
これで、少しでも許してはくれないだろうか。
――――――「許さねえよ!!!」
突如、白雪の胸を貫きそうになっている槍が、消滅した。
「な、何!?」
当然、槍の持ち主である油利は驚かずにはいられない。
「俺の前では、誰も殺させはしねぇよ」
「き、貴様ぁ!まだ息があったのか!?」
「ぜ、善戒さん!?」
白雪が、目の前の現状を理解できずにいる。
「白雪。悪いが、おめーには、まだ生きてもらう」
「き、貴様!どうやって私の槍を!」
「悪いが、時間がねえんだ。馬も消えてもらう」
そう言うと、善戒は油利の乗っていた馬に手を触れると、馬は嘘のように消えた。
油利が、ドンと馬の高さ分地に落ちる。
「痛っ!な、なな何だ?何が起こっている!?」
「そんなもん、お前には関係ねえ」
「い、いや。これは手品に違い無い!そんな馬鹿な!この私が地面に落ちるなど!ありえん!」
そう言うと、油利はさっき馬のいた空間に向かって、馬に乗る仕草をしては、地に落ちる。それを繰り返していると、遂には、尻が痛くなったのか、立ち上がれなくなっていた。
「おいおい…」
「う、うるさい!私を見下ろすな!私は英雄なのだ!」
「お前が英雄?」
「そうだ!」
善戒は油利の顔面目掛けて、蹴りを放った。
「ぐわっ!」
蹴りはそのまま直撃し、油利の鼻を折らせた。
「ああああああああっ!!!鼻がぁ!鼻がぁ!!!」
「お前の鼻なんざ、糞に等しい」
「な、なんだと!」
「何のためにやったか知らねえが、お前の英雄ごっこのために、何人の町の人達が死んだって思ってやがる?何人の人達が一生消えない心の傷を背負ってきたと思ってやがる!?」
「知れたことを!私の方が心の傷を負っている!私の方が可哀想なのだ!」
「あ!?」
「私の親父は、英雄だと思っていた。でも違った!なら、私が英雄になるしかないだろうが!」
「意味がわからん。どういう事か、最初から言え」
「ああ、言ってやるさ!もう私には、馬もいなければ、戦う槍もない!せめて、私の悲しい過去を話し、私にこんなことをしたことを後悔させてやる!ふはははは!ははははは!」
油利はしばらく笑い、しかし、飽きると、自分の過去を話すことにした。
「あれは、ちょうど十と八年前の出来事だ。私達がまだ、三歳の小わっぱだった時の事だ。当時、この山野下町はここら一体で一番栄えていた町で、私達の故郷だった。私達は何時ものように、外へ友達と遊びに行き、何時ものように両親の待つ、家へ帰るつもりだった。しかし、あの忌まわしい、出来事がそうはさせてくれなかった」
「あの出来事ってのは」
「そうだ」
油利は少し、悲しいような、悔しいような表情をする。
「世界破滅遊戯の宣言だ」
その言葉が、その場を静かにさせた。
「世界破滅遊戯の宣言を境に、ここは可笑しくなっていた。あそこに有るあの巨大な火山から毎日のように小鬼共が山野下町を襲撃して来たのだ。私達、山野下町の住民に為す術などなく、わずか、一週間でこの町は、栄えていた頃の面影を完全に亡くし、そして、廃人の住まう町となった。当たり前のように、私達の家は愚か、母までがこの世から消え去ってしまった。希望も何もない。私はただ、路上で親父と、そこにいる妹と横たわり、小鬼が来れば必死で逃げる毎日を送っていた。しかし、ある日、私達は久しぶりに気分が良かったのか、三人で談笑していたのだ。夢のような時間だった。母が死に、町は全壊という事実をその時は、すっかり忘れることが出来、昔のように家族の団らんをしていた。本当あの時の私達は、世界で一番幸せだったのではないかと、思えるほどに」
そう話していると、油利は急に恐ろしいような、悔しいような表情をした気がした。
「しかし、やはり、世界はそんな私達に嫉妬したのだろうか。あの町で、楽しい時間を過ごすと言うことは、油断していると言うことなのだ。そう、私達は油断をし、そして、いつの間にか、小鬼共に囲まれた。事態を把握出来ない内に、一匹の小鬼が私に向かって、攻撃を仕掛けてきた。その時、私はもう、すべてを諦め、そして、死ぬ覚悟をしたのだ。自分の殺される姿を見たくないために、目を閉じ、暗闇に身を任せ、死を待った。しばらく時が経ち、しかし、全く痛覚が反応しなかった。さすがに、変だと思い、目を開けると、そこには、英雄の背中が目に焼き付いた」
「英雄?」
善戒は、突如現れた英雄に疑問を抱き、質問をした。
「少なくとも、私の目にはそう、見えた。『白雪を連れて遠くへ行け』と彼は言い、私はそれに従うことにした。白雪の手を握り、その場から立ち去ろうとする。しかし、やはり、小鬼共はそれを許そうとはしなかった。逃げる私達に、小鬼が追い打ちをかけようとする。鋭い爪を露にし、それを私の背中に目掛けた。『愛する者に、もう指一本触れさせねえよ!』そう叫びながら、私の父が小鬼の手を掴み、もう片方の手で、私の背中を押した。その後、私達は何とか無事に小鬼共を潜り抜ける事ができ、安全な場所で小鬼共が去っていくまで、待つことにした。小鬼共が去って、しばらくその場で待機してから、私達は父のいた場所へ急いで向かった。全力で走り、そして、そこで、血だらけで横たわって死んでいる父の姿を見るだけだった。全身に切り傷が残って、所々火傷もあって、正直見るに耐えなかったが、何故か私には、そんな姿が、誇らしかった。その時は、父を亡くした悲しみは無く、逆に、良い気分がしていたのだ。それほどに、父の姿が、勇ましく、強く心に残っていた。その時はだがな…」
「その時?」
頃合いを見つけて、善戒が質問をした。
「そう、その時だけだ」
油利の顔が険しくなっていく。
「その時の私はきっと父は、町の皆に英雄扱いされるのではないかと、本気で信じていた。今思えば、自分の子供の命を救って死んだだけの屍だったのだが、その時の私はそれが理解できるほど賢くもなく、そして、幼すぎたのだ。その為に、間違いを犯してしまった」
「何をやったんだ…?」
善戒が少し緊張気味に聞いた。
「私は父の死体を持ち、町の人達に見せようとしたのだ。持っているかぶと虫を自慢する子供のようにな」
善戒は冷や汗をかいた。そして、段々気分が悪くなっていく。
「私は足を掴み、引きずり、最初に出会った人に近づいた。そして、高揚しながら、父の死体を自慢した。きっと、その人は認めてくれるだろうと。英雄だと、きっと言ってくれるはずだろうとな。私はそう信じて疑っていなかった。
しかし、返ってきた言葉は、意外にも、簡単に私の全てをぶち壊してくれた単純な一言だった。
『汚ならしい』
その時だった。
私が持っているのは、英雄なのではなく、ただの、血だらけの死体だと気が付いてしまったのは。私はすぐに、その死体から手を離した。離して、すぐに、その死体に触っていた手を地面に擦り付けた。その時、まだ地面の方が綺麗だと思えたのだ。自分の血が出るまで擦り付けたよ。父を、英雄を触っていた手をな。英雄だと思って、憧れた父は実はただ死体だったのだ…」
「兄様…」
黙っていた白雪が、悲しそうな油利を見て、声を上げずにはいられなかった。
「それで、そんな不甲斐なく思えた父に変わって、自分が本当の英雄になろとしたのか?」
「いや、違う」
油利は、善戒の質問にゆっくりと、頭を横に振った。
「英雄じゃなかった父親はただの死体で、私はただ、父を失っただけだったのだ。しかし、やはり頭で分かっていても、どこかそれを受け入れたくはなかった。父と母亡き今、もうこの世界に、私を愛してくれる人がいない事実が、死ぬほど怖かったのだ」
風が吹き、砂が善戒達に降りかかる。しかし、その場にいる誰もが、動こうとはしなかった。
「私はその恐怖を取り払うように、英雄を目指した。父の姿に憧れを抱いたのもあったが、何より、私を愛してくれる人を得るために、英雄になることを決意したのだ」
「そうなのか…」
「ああ、そうさ。そして、決意して、私は英雄になるのにはどうしたら良いか考え、そして、すぐに答えは出た」
「小鬼の退治って訳か」
「そうだ。小鬼を退治すれば、山野下町の全ての住民は私を英雄と認めてくれるのだろうと、そう結論付けた。しかし、当時私には、当たり前だが、小鬼を退治する力なんて持っている筈もなかった。だから、生滅霊の拠点地に行って、生滅霊と交渉を試みた。試みて、なんと寸なりと成功したのだ」
「本気で生滅霊と交渉をしたってのか?」
善戒は、老婆から話しは聞いていたものの、やはり、驚かずにはいられなかった。
「ああ、確か、生滅霊の名は来伝といったか…」
油利のその言葉で、善戒はビビっと来た。来伝と言えば、亜莉愛を誘拐したという、生滅霊だからだ。
「そ、そいつが、あの巨大な火山にいるってのか!?」
「あ、ああ。そうだ。直接話し合ったが、どうしたというのだ?」
「い、いや。何でもねぇ。続けてくれ」
善戒は高鳴る胸を鼓動を必死で抑えて、何とか話を聞こうとする。
「そ、そうか。なら、続きだが、私は交渉をしに行き、そして、私が現れると小鬼共が去って行ってくれるという、事を約束してくれた。しかも、私の好きなときに襲撃もしてくれたのだ。まあ、最近は、その襲撃の手はずは葉睛に任せていた」
「あの森での会話は、小鬼の襲撃の準備をしろって事だったんだな」
その善戒の発言で、油利は目を見開いた。
「き、貴様…。やはりあの時の物音は人間だったか!?」
「ああ、俺だ」
「そ、そうだったのか。また油断をしてしまったようだな」
油利は一瞬悲しそうな顔をするが、直ぐにいつも通りの表情に戻した。
「まあ、いい。その後は大体予想通りだ。小鬼の襲撃を止める英雄として、扱われ、そして私に憧れを抱くもので、仁助組を作った。それでも、私を英雄だと認めないやつには、白雪に黄金の花を取りに行かせ、そして、その人達に、吸わせた。そうすると、判断力を失い、簡単に私を英雄と認めてくれた訳だ」
「な、何て事を…」
「そうだな。私は自分の為に、山野下町の住民達と、唯一の家族を傷付けてしまった。途中で止めようともしたが、交渉の契約で、これを止めたら、私だけでなく、白雪も、町の人皆を殺すと言われたのだ。止めるに止めれなくなって、何よりも、やはり、英雄でいる優越感で、ここまで来たと言う訳だ」
「後悔してんのか?」
「そんなもの、とっくに忘れてしまったよ」
油利の顔からは、疲労感以外読み取る事ができない。目に生命力が無く、もぬけの殻状態だ。
「まあ、いい。話しは以上だ。私はもう疲れた。英雄気取るのも、人を傷つけるのも、もう懲り懲りなのだ…」
そういい終えると、油利は「それと…」と言葉を繋ぎ、そして、ゆっくりと、口を開ける。
「もう、偽物の愛には虚しさしか感じられない…」
「油利…」
善戒は、怒りや、油利に対する同情で感情を上手く制御出来ずにいる。それにも関わらず油利は
「私を一思いに殺ってはくれないか?」
と言い放った。
両手を広げ、目を閉じる。
あの時と同じように、全てを諦めて。
しかし、あの時と違うのは、痛覚が走った事だ。
「ぐっ!」
折れた鼻に一撃、拳が放たれた。
善戒は、油利の胸ぐらを掴み、そして、頭に頭突きを喰らわせる。
「っ!」
油利の頭に激痛が走る。
それもお構い無しに、今度は頬に蹴りを入れた。
油利は体勢を崩し、蹴られた方角の方へ吹き飛んだ。吹き飛んで、しばらく地面に転がってから、仰向けで制止した。
しかし、目はまだ、閉じたままである。
「油利、目を開けろ!」
「自分の死ぬ姿を見たくないのだ」
「おめーは、死なねえよ。死なせねえ」
「な、なに?」
「取り敢えず目を開けやがれ!」
油利はゆっくりと、目を開ける。
「おめーには殺された人の分まで生きて貰う!嫌とは言わせねぇよ。死ぬのはその後だ、糞っ垂れ!」
「い、生きろだと!?ふざけるな!私はもう生きる資格等無いのだ!」
「ああ、そうさ。おめーは、もう、自分の人生を生きるのはもう、俺が許さねぇ」
「な、なに?」
善戒が油利に近づき、胸ぐらを掴み、顔を近づけた。
「おめーは、これから、自分の為に生きるんじゃねえよ。見ず知らずの人の為に生きやがれ」
そう言うと、善戒は胸ぐらをパッと離し、顔を遠ざけた。
「ど、どうしろと言うのだ…?」
善戒は油利に背中を見せ、ゆっくりと、生物滅殺霊の拠点である巨大な火山へ向かう。
「おい!教えてくれよ!」
善戒は歩きながら答えた。
「おめーらで考え、おめーらで行動しやがれ。何が正しいのかを見出だし、それを行え」
「自分で考えろと言うのか」
「ぜ、善戒さん…」
「おめーらなら出来るはずだ」
「えっ?」
「ど、どういう事だ…?」
「かつての英雄がやったことを、本当の意味でそのまま、同じ事をすれば良い」
突如、二人の頭の中には、父の背中が映し出された。
あの、英雄を思い浮かばせるような父の背中が。
「まあ、その答えが気に入らなかったら、また、俺がぶっ飛ばしに来るから覚悟しやがれ」
善戒は笑いながら、そう口にした。
そう口にして、そして、徐々に背中を小さくし、二人の兄妹の視界からいなくなってしまった。
そして、しばらく時が経ち、二人は、何故か、気まずい空気の中にいる。
「ゆ、油利様…」
「もう、油利様はやめてくれ。私はもう、偽物英雄なんか止めにしたよ」
「そ、そうですね…」
「敬語も勘弁だ」
「え、ええ」
二人は更に、気まずくなる。
しばらく、二人は地面に座りながら、時を過ごした。尻に当たる砂の感触が何故か心地良い。
「兄様」
更にしばらく時が経った後、白雪は沈黙を壊すように口を開いた。
「何だ?」
「私、彼を追いかけるわ」
「し、白雪…」
その言葉に油利の胸が締め付けられる。何故かは、分からない。しかし、とてつもなく寂しい感情が沸いて出てきた。
「どこまで力になれるかは知らないけど、善戒さんの生滅霊の討伐を手伝おうと思うの」
「それがお前の償いか…」
「そう…」
白雪が、心地良い砂の感触を捨て、立ち上がる。
「兄様は?」
「まだ、分からないんだ…」
「なら、ここで「お別れだな」
油利が、白雪に向かって鬱陶しそうに手を振る。
「そうね」
そう言うと、白雪はもう、油利の方へ目をやることはなく、一直線に生滅霊の拠点地に向かった。
徐々に小さくなっていく背中に油利はただ、胸を締め付けられている。
「白雪…」
姿が視界から消えて、一滴の涙が頬を流れた。
「なるほど。どうやら、私は一から全てを間違えていたようだ…」
地面に手をやり、砂を握り締める。
「白雪の背中を初めて見たな…」
感情が上手く喋らせてくれない。
しかし、もう、誰にも届くことのない声は、止まることはなかった。
「こんなにも近くに、本物の愛があったなんて…」
それを境に、油利はもう、何も話すことが出来なかった。
地面へ落ちる涙は、砂に当たり、固くした。
しかし、時が経てば、またさらさらと姿を変える。
油利は、全てが無意味だとわかった今でも、涙を止めることが出来ず、いつまでも、心地の良い場所に居座るだけだった。