山野下町編≪中≫
「世界破滅遊戯」
~山野下町編(中)~
畜生の集まる、山野下町。栄えていた頃の面影は何処にもなく、豚の糞にも劣る現状は、何やら生物滅殺霊が原因だという。果たして、山野下町は、劣化を続けて朽ち果てるのみなのだろうか。底に至れば、後は上がるのみと言うが、山野下町は何時までも、みすぼらしく地に伏せている姿がお似合いだろう。
「ふう…」
善戒はしばらく森の薫りと、吹く風の心地よさに癒されて、何とか心の平穏を保つことが出来た。
「にしても、あれはいってぇ何だったんだぁ…」
酒場にて、白雪の名を発しただけで、只ならぬ事態になってしまった。一体白雪はあの事態と何が関係有るのだろうか。
「生物滅殺霊をぶっ倒しに行きてぇが、どうしたって山野下町のことも気になるからなぁ…」
どうしたものかと、善戒が頭を掻いていたら、静寂に包まれているはずの森に人の話し声のような、雑音が耳に届いた。善戒はそれが気になり、音のする方へゆっくりと、気付かれないように歩み寄った。一歩ずつ歩く毎に、音は大きくなっていき、そして、雑音が言葉として認識できる距離に至った。
「山野下町の村人の様子はどうだ?」
「はい、相変わらずでございます」
二人の男性の声だ。善戒は顔を認識するために、もっと、歩み寄り、その姿を把握した。一人は、背丈も肉付きも至って平凡で、長い髪をしているが、もう一人は、既に知っている人物であった。
「そうか。それは良いことだ。それで、葉睛、近々また、あれをやってもらうぞ」
「いつ頃に手配致しましょうか?」
「そうだな。今から二十四時間後によろしく頼もう」
「はっ。承知いたしました。油利様」
そう言うと、葉睛は深々と頭を下げた。
「あいつが油利って奴かぁ」
善戒は無意識に呟いてしまったのが仇になったのか、葉睛と油利がとっさに善戒がいる方角に目を向けた。それを一速く勘づいた善戒は、何とか、間一髪で近くにあった木に隠れることに成功した。
「何物かの声が聞こえた気がしたのだが…。気のせいか…」
「野性動物の鳴き声か何かで御座いましょうか…?」
「きっとそうだろう。しかし、もし人間であったなら、殺すしかなかっただろうな」
「ええ。この話を聞かれては、私達仁助組の立場が相当危うい状況になりますからねぇ」
「全くだ」
そう言うと、二人は何が愉快だったのかは知らないが、高笑いし続けた。善戒はこれ以上ここに居て、自分の存在を気づかれるのを恐れて、この場を静かに立ち去る事にした。
しばらく音を殺して、移動すること数分。善戒は、立ち止まり、木の側に腰を下ろす。
しかし、さっきの会話は、ただ事ではないと善戒は思った。
「二十四時間後に、何をするつもりだ。アイツら。ってかアイツらが仁助組だったのか…」
でも、聞かれたらヤバイって何の事だろうか…。今の山野下町の異常な状態に関係することなのか?白雪に関係することは間違いないが………。うーん。分からん。そう善戒は心の中に疑問に思い続けて、見えぬ答えをしばらく探した。しかし、何時まで考えても何も出てくることはなかった。
「どうもキナくせえな。だが、まあ、分からねえもん考えても仕方ねぇか。取り敢えず、二十四時間後に何が起きるかは知らねぇが、それまで、ここいらで待ってくことにすっか」
そう言うと、善戒は適当な木に登り、時間を潰すことを試みた。枝に寝っ転がり、飽きたら次は懸垂等をしていたが、思ったように時間っていうのは過ぎてはくれないもので、寿蛇から貰った時計に目をやってみても、まだ、一時間しか経っていなかった。どうしたものかと思い、木を降りた。
「残り二十三時間、何もすることねぇな」
そう呟いても、特にすることが見つかる訳ではないのは知っていたが、あまりの暇加減に、言わずには居られなかった。しかし、ブツブツ言うだけでは仕方がないと思い、森中を散歩することにした。
森中を散歩していると、自然と、昔の記憶が甦ってくる。亜莉愛と遊んだあの日々の記憶が。平穏だったあの日々が、善戒にとっては何よりの宝物だった。
『もーいいかい?』
静かな森の中で、無邪気な子供の声が鳴り響く。その音は誰にも届いていないと思わせるほど、場を更に静かにさせたが、やがて、それに応える別の音が鳴り響いた。
『もういいよぉ!』
その声に気付き、善戒は声のした方へと向かう。辺り一面は木しか無かったが、善戒は亜莉愛のいる木の側まで迷い無く、一直線に向かい、見上げて、言い放った。
『見ぃつけた!』
そう言われると、亜莉愛は渋々登っていた木から降りて、頬を膨らませながら、ちょっと不機嫌そうに、善戒の近くまで行き、言い放つ。
『善戒と隠れん坊するの詰まらないわ』
『えっ?ど、どうしてなのさ?』
『直ぐに見つけてくるからよ。実は私の行った木を見ていたんじゃないの?』
『ち、違うよぉ。僕は亜莉愛の居場所何となく分かっちゃんうんだ』
その言葉で、亜莉愛は少し焦りだした。
『えっ…、な、なんでよ…』
『亜莉愛の事が好きだからかな』
善戒は何も恥ずかしげもなく、素直に言い放った。それが、亜莉愛を更に揺さぶる事となる。
『…………』
亜莉愛の顔が突如、真っ赤に染められる。一瞬、間を置き、善戒に聞くことにした。
『ち、ちちなみに聞くけど…、な、何で、すす…す好きなのよ…』
動揺が過ぎて上手く舌が回ってくれない。それが、更に亜莉愛に羞恥を与えた。
『どうしたの亜莉愛?顔が赤いよ?』
『う、うるさい!早く答えなさいよ!』
『うっ、わ、わかったよぉ。怖い顔しないで…』
善戒が恐怖で半泣きになるが、何とか堪えて、言葉を続けた。
『あ、あの…』
『う、うん…』
『そ、そういうところだよ』
ただでさえ、静かな森がより静かになったように感じた。亜莉愛の頭の中に疑問符が大量に生産される。
『そ、そういうところ?』
『そうだよ』
いつの間にか、善戒は、目を充血させながらも、笑顔を作っていた。
『僕と話してくれるところや、遊んでくれるところ。後、怒りん坊で怖いけど、でも、それ以上に優しいところも好きなんだ。だって、僕と遊んでくれるのは亜莉愛だけだもん』
そう言い終える頃には、善戒は今までにないほどの清々しい、そして、ちょっと照れ臭い気持ちになっていた。
『そう…』
しかし、亜莉愛は、消え入るような声で、そして、何故かちょっと寂しいような、悲しいような顔をしていた。
しかし、直ぐに何時ものように眉に皺を寄せた顔に戻して、普段の調子で声を上げた。
『って、それだけなの!?』
『え、えっ?』
『美しいところとか、可愛いところとか、綺麗なところとか、いっぱい有るじゃない!』
『だ、だってぇ、亜莉愛は怒った顔しかしないから分かんないよぉ…』
『そんなわけ無いじゃない!善戒がちゃんと見てないだけよ!』
『見てるよぉ』
『うるさい!男が言い訳しないの!』
そう言うと、亜莉愛は善戒にデコピンを喰らわした。ちょっと乾いた音が響く。
『痛ったいよぉ』
『知らない!』
亜莉愛はそう言って、そっぽを向き、歩き出す。善戒も渋々それに続く。何時もの光景で、何時もの風景。その頃の善戒にはそれが、何時までも、続くと今日も信じていた。
善戒はまだ、しばらく散歩を続けていると、突然腹の虫が声を上げた。
「腹が鳴ってらぁ。チッと飯の調達でもすっかな」
そうと決まると、善戒は野性動物を探すため、地に鼻を置いて、臭いを嗅ぎ始めた。草の臭いに隠れる野性動物の臭いを探し当て、それを辿る。鼻を酷使し続け、ゆっくりと臭いの根元を辿って逝く。
「そろそろだな」
臭いが、強くなってきた。この臭いは…。
「まずいな」
善戒は直ぐにその臭いを辿るのを止め、その場で立ち止まった。しかし、時既に遅し。その、野性動物は善戒に気づいてしまったようだ。
「ギャアアアアアアアァオォォ!!!!!!」
森中にその鳴き声が鳴り響いて、あまりの鳴き声に、善戒は地面が揺れたのかと錯覚した。
「くそっ。出てきやがったな。化け物めぇ」
善戒の前にいる野性動物。それは、森の番人として人々に恐れられている
「大熊…」
大熊とは、名の通り馬鹿でかい熊の事だ。一度遭遇した人間は確実に死ぬ。逃げようとしても、大熊は走る速度は、平均的な人間の全速を大きく上回っており、木の上に逃げようとしても、大熊は、簡単に木を破壊する事が出来る。森中どこへ逃げても、人の足では到底逃げる事ができず、故に森の番人と名を付けられた。
そして、善戒はその番人に発見されてしまった。
「めんどくせぇ」
大熊が、善戒を発見するや否や、凄まじい速度で、善戒に突進をする。地を鳴らし、草を踏み散らしながら、善戒一直線に高速で移動する。その姿には、迫力しかなく、善戒も圧倒するほどだった。
「師匠に止められてるし、あんまし、使いたくはなかったが…、大熊じゃ仕方ねぇよな」
善戒は圧倒されたが、それだけだ。恐怖は微塵もなく、逆に相手に対する情けが感情として出てきていた。
「チッと卑怯だが、まだ、こんなとこで死ぬわけにはいかねえから。わりぃが、命をもらうぜ」
大熊は、遂に善戒に牙が届く位置までに達することができた。大熊は、その勢いのまま、牙を剥き出し、善戒の首元を狙う。牙が首の皮に到達し、後は噛み千切るのみとなった状況。そんな時に、大熊の頭が粉々の肉片と化した。
事態は一瞬だった。並みの人間には何が起こったのか、全く分からないほどに。
「飯の調達は終了だな」
そう言うと、残された大熊の体は死んだことを思い出すかのように、重力に従って地を鳴らしながら、その場に倒れた。
善戒は、それを持っていた包丁で、食いやすい大きさに揃え、火を付け、調理した。
その香りに他の野性動物が寄って来はしたが、大熊の死体を確認するや否や、直ぐに逃げて行ってしまった。
それを気にする訳でも無く、善戒は淡々と食事を済ませ、欲求がままに、食後の睡眠を取ることにした。
森の風に当てられながら、ゆっくりと睡眠を続ける。その夢の中では当然空は青く澄み渡り、呂の伊や、師匠、亜莉愛が、皆がただ、笑っている。そんな単調な夢ではあったが、善戒にとってそれが、全てだ。そのためには、師匠との辛い修行の日々は例え百年でも堪えられる気がしていた。近くにある、一番大きな山を一晩で登山、下山したり、精神統一の座禅を飲まず食わずで三日間行ったり、一日中ただ筋肉強化の練習のみをさせられたこともあった。そう、思い返すと、やはり、百年は無理であると、善戒は思った。
――――「た、助けてくれー!!!」
急に遠くから、人の叫び声が聞こえた。善戒は直ぐに目を覚まし、声のした方角を確認する。
「仁助組はどこだあ!!!」
声の方角はどうやら山野下町の方角らしい。善戒は直ぐに、山野下町へ向かう事にした。走る途中、善戒は時計を確認する。
「いつの間にか、時間が来てた見てぇだな」
そんなに離れていた場所にいなかったため、善戒直ぐに山野下町へ辿り着く事ができた。
到着して唖然する。
「どうなってやがる…」
何と回り一体が、この世で見たことがない、小さな赤色の鬼と言うべきだろうか、に町の人達が殺されていた。その小鬼は、牙で噛みついたり、強靭な爪で引っ掻いて、終いには、口から炎まで吹いて、人を襲っている。そんな姿に、善戒は戸惑うだけでいる。
「こんなやつ、見たことねぇ。どうやったら倒せんだ…」
しかし、一匹の小鬼が善戒の姿に気が付いた。気が付いて、早速、善戒に攻撃を仕掛けた。
「ギギギッ!」
小鬼は凄まじい跳躍力を持っていたらしく、背丈が善戒の膝までであるのに、突然目と目が合う位置までに達していた。そして、その位置になると、小鬼は頬を膨らませたと思いきや、突如、善戒の顔面目掛けて、炎を放った。
火炎放射が善戒を襲う。
「やべぇ!」
善戒は、目の前に起きていた現実をやっとで認識出来るようになって、火炎放射を間一髪、体制を後ろへ倒す事で回避できた。綺麗な炎が、空を景色に、僅かな温もりを残し、善戒の顔面を勢い良く通り去った。
善戒は倒した体勢を、素早く前へ戻し、小鬼が地面に到着する前に、攻撃を仕掛ける事にした。
右足を上げ、小鬼のこめかみを目掛けて、鋭い蹴りを放った。
「ギッ!」
その蹴りは見事命中し、小鬼は、蹴りの威力がまま、空中で回転しながら、蹴りの放った方角へ吹き飛んだ。
吹き飛んで、そのまま頭を人家に打つけて、即死した。
「以外と軽いな…」
それに、弱点は他の動物のように、どうやら頭らしい。それだけ知れば、もう、善戒に迷いはない。
善戒は、近くにいた人を襲っている小鬼を目掛けて、走る。距離を詰め、又もや、小鬼のこめかみを狙って蹴りを入れようとするが……
「邪魔だ!」
それよりも先に、突如現れた葉睛が持っていた剣を降り下ろし、小鬼を縦一直線に真っ二つにした。
「おめー…」
「町の者共安心せい!我らが、仁助組のお頭、油利様がいらっしゃったからにはもう、山野下町は安全も同然だ!」
善戒の声を遮り、葉睛が叫ぶ。それに答えるかのように、町の人達が雄叫びを上げた。
「油利が来たぞ!」
「仁助組か!?やった!助かった!」
「やっと来たか!待ってたぜ、英雄!」
そして、次々と安堵の声を叫んだ。気が付けば、さっきまでの、町の人達の絶望的な表情は綺麗さっぱり、なくなり、希望や、憧れで輝いていた。
「すげぇな、油利ってやつは。現れるだけで、こうも人達に安心感を与えるとはな」
いつの間にか、善戒は場の空気に飲まれ、油利という人に感心を抱いていた。
「皆の者!下がりたまえ!後は私が何とかしよう!」
そう言いながら、油利は馬に乗って、颯爽と現れるや否や、町の人達が応援の声を上げていた。
長い金髪は、白馬に良く映えていたと善戒は素直に思った。
「さぁ、危険だから何時もの場所に下がりたまえ!」
「おい、油利がああ言ってんだ!とっととずらかるぞ!」
「おう!」
「油利頑張れよ!」
その油利の一言で、町の人達は町の南側にある、地下へと繋ぐ階段へ急いだ。どうやら、そこに避難用の広場が作られているようだ。
しかし、善戒はそんなことを知るはずもなく、ただその場に立ち尽くすだけでいた。
「貴様もさっさと避難しろ!」
そんな善戒を目障りに思ったのか、葉睛が怒鳴った。
「いや、俺も戦えるからよ。手伝うぜ?」
「貴様の助けなど要らん!とっとと立ち去れ!」
「何だと?」
「良いから、目の前から消え失せろ!」
「………」
善戒は何か、葉睛の様子に違和感を感じた。
この慌てよう…。何か有るのか?
「分かった。言う通りにしてやらぁ」
「さぁ、行け!」
葉睛が、鼻息を荒くしながら、叫ぶ。それを背中で受けながら、善戒は兎に角その場を立ち去ることにした。
善戒はしばらく移動して、そして素早く、ちょうど油利達から死角になる人家の裏に隠れる事に成功した。
「行ったのか?」
「ええ。少々手こずりましたが…」
油利が聞き、葉睛が少し疲れたように答えた。その間でも小鬼達は人家を壊しながら、暴れている訳だが、油利の次の発言で、善戒は自分の耳を疑う事になってしまった。
「では、帰るとしよう」
そう言うと、油利は馬の手綱を引いて、馬を走らせた。葉睛も、自分の馬に乗り、油利に続く。二頭の馬が並び合い、徐々に姿を小さくさせ、その場から消え去ってしまった。これだけでも、善戒は相当な衝撃を受けていた訳だが、しかし、まだ驚くには早かったようだ。
「ど、どうなってやがる…」
驚くべき事に、さっきまで暴れまくっていた小鬼共が、何と、列に並び、町の北の方角へ一斉にこの場から去って行くではないか。その動きは規則正しく、まるで、操り人形劇を見ているような錯覚に陥ってしまった。
そんな、現象を前に、善戒はただ、最後の小鬼がその場から消え去るまで、ずっと我を忘れて見入ることしか出来ずにいた。