山野下町編≪上≫
「世界破滅遊戯」
~山野下町編(上)~
世界破滅遊戯の宣言から、十と七年。人類は幾度も生物滅殺霊に戦いを挑んでは、殺され、返り討ちにされてきた。生物滅殺霊の強さは並みではなく、倒すどころか、指一本も触れる事が出来ない状況であった。やはり、人類は為す術など鼻っから無かったのである。
「世話になったなぁ。もう、行ってくらぁ」
「あ、ああ」
「寂しそうな顔すんなって」
寿蛇の顔が紅潮した。
「ば、馬鹿言うんじゃないよ!ほら、さっさと出てお行き!」
「あははは、わかったよ」
そう言うと、善戒は寿蛇に背中を見せ、家から出ていった。
家から出て、善戒は何故かちょっともの寂しい、しかし、晴れやかな気持ちになっている。
「遂にこの時が来たか」
そういわずにはいられない。この十と二年、寿蛇に怒られ、殴られ、そして誉められながらこの日を待ちわびていたのだ。
「まずはどこへ向かうつもりだい?」
いつの間にか、寿蛇も家から出ており、善戒に話しかけていた。
「そうだなぁ。先ずは、情報を手にいれるためにちょっくら、ここいらで一番でけぇ町、山野下町を目指そうと思う」
「そうか。山野下町はここから、東の森を突っ切ってずっと真っ直ぐ行ったところだから、気を付けていきなよ」
「えへへ、分かってるってぇ。心配いらねえよ。誰に鍛えてもらったって思ってやがる?」
「それもそうだな」
「嗚呼。ちょっくら、世界救ってくらぁ」
そう言うと、今度こそ善戒の背中が徐々に小さくなり、気が付けば、視界から消えていった。
「いつの間にか、話し方も呂ノ伊そっくりになっちまいやがって。この時を待っていたが、まさかこんなに寂しくなるなんてなぁ」
寿蛇はため息を吐く。
「ったく、師匠も楽じゃないねえ…」
そう言い捨てると、寿蛇は一人、静かな我が家に力無く入っていった。
そんな、寿蛇の姿とは対照的に、善戒の心の内はと言うと、それはもう、好奇心で光っている。
「家と、師匠ん家以外行ったことねえからな。チッとばかし、山野下町って所が楽しみになってきやがったぜ」
そう言いながら、善戒は森の中を歩く。回りを見渡せば、幼少で有った頃の木の迫力は無くなり、ただの棒にしか見えてなかった。善戒は幼心を無くしたと悲しむ反面、自分は成長したと喜ぶ複雑な気持ちの中で歩いていた。
しかし、森にはどうしたって拭い切れない心の痛みが残っている。
「亜莉愛…」
十と二年間片時も忘れる事はなかった。幼き日々の唯一の友。空が紅色を捨て、白銀色に輝いたあの日、亜莉愛は嘘のように消えてしまった。あの後、来伝と名乗る男が誘拐したと言っていたが、それ以外の情報は特に耳に入っていない。助けに行きたい、しかし、己の力の無さを自覚しては落ち込み、修行に明け暮れる。そんな日々を過ごして早、十と二年。
「あいつ、ちゃんと生きてんだろうな…」
不安で仕方がない。気が付けば、いつの間にか、山野下町へ向かう足が一層急いでいた。
「少しでも早く情報集めてあいつを助けやらんとな…」
そうと決まれば、話は早い。善戒は歩くのを止め、走ることにした。
「やっとで、おめーを助けられる力を手に入れたんだ。死んでくれるなよ」
善戒は、迫り来る木々を避け、一直線と目的地山野下町へと向かう。
その頃、同時刻。
とある、闇深き洞窟での中で四人の人影が声を発しているのが耳に届く。
「十と七年ですか。後、たった一年。その間、期待の人類共は結局、指一本も触れる事が出来ませんでしたね」
「つまんないね」
「ええ、全くです」
「ふふふふはははは。心配するでない。手はちゃんと打ってあるだろう?」
「貴方が、気に入っていらっしゃるあの者ですか?」
「そうだ。確か今日のはずだが…」
洞窟の方に足音が徐々に近づいてきて、大きくなってきた。
「只今戻りました」
足音が止み、洞窟に声が響いた。
「おおっ、君か。疲れただろう?」
「有り難う御座います。しばらく休ませて頂きたいです」
「うむ。存分に休みたまえ」
「では、失礼をします」
そう言うと、影は洞窟のさらに奥底に行き、そこで姿を消した。
「兎に角、今日集まってもらったのは他でもない。遂にこの時が来たと知らせるためだ」
「そうで御座いますか。しかし、果たしてあの者は無事に全ての拠点に辿り着いてくれるでしょうか?」
「あー、それなら心配要らないよ。俺が何とかするから。そうだろ?お頭?」
「ああ、その通りだ」
「それならば、安心で御座います」
「ふふははは。今日はめでたい日だ!一人の若者の旅立ちの日!その若者に幸あらんことを!」
「「「「幸あらんことを!」」」」
影達の声が洞窟内で響き渡り、何時までも消えることは無かった。
一時間ぐらいだろうか。
善戒がしばらく走っていると、突如目の前に、人の姿が見えた。
善戒は走るのを止め、慎重にその人の元に歩を進める。一歩一歩音を消しながら歩いていると、いつの間にか手が届く距離まで詰まっていた。
「女子か」
「いやっ!」
その女の人は突然の予期せぬ声に驚き、善戒から遠ざかり、顔を見るため振り向いた。
「こんな所で何してんだぁ?」
「えっ、あ、あなたは誰ですか?」
質問が重なり合った。
「それもそうだな。名も名乗らずに人に質問しちゃあ、失礼ってもんだな。俺はぁ、善戒ってんだ。宜しくな」
「ぜ、善戒さん?」
「そうだ。そんで、おめーはこんなとこで何してんだ?」
「えっ、あ、お花を摘みに…」
善戒が急に顔を赤らめて、挙動不審になった。
「お、おっと。こらぁ、失礼したぜ。何、直ぐ行くからよぉ。続きを宜しくやっててくれな。んじゃあ」
そう言うと、善戒は直ぐに、その女性の前を通りすぎようとするが…
「ち、ちょっと待ってください!勘違いです!」
顔が紅潮し尽くしてあるその女性に止められた。
「うおっ!手洗ってから触ってくれよ」
「ち、違います!」
「何が違うってんだぁ!離してくれぃ!」
「便をしていたのではなく、本当にお花を摘んでいるんです!!!」
「へ………」
善戒が彼女の言葉を理解するのに、掛かった時間がそのまま、その場の静寂になっていた。
「こんな森の中で花摘んでんのか?」
「はい!これがそのお花です」
彼女は、持っていた袋から金色に輝く美しい花を出し、善戒に見せた。
「これはまた、綺麗な花だな」
「そうでしょう?これでわかってくれました?」
彼女の照れが少しずつ怒りに変わっていることを悟った善戒は、何かしら言って話題を変えねばならぬと察知した。
「でも、どうしてこんな所で花なんか摘んでるんだ?そりゃあ、可笑しいぜ。あははははは」
善戒は場を和ますために、無理して笑っている。
「こんなところまで来て、便を出してるって認識する方が可笑しいです」
「はははぁ…。すまん。悪かった」
善戒は笑うのを止め、頭を下げることにした。
「もう、良いですよ。面を上げてください」
「そっか。わかった」
「でも、そんなにすんなり上げられては何か勘に触ります」
「どっちなんだよぉ…」
善戒の滑稽な姿にその女性が笑った。それにつられ、善戒も笑う。しばらくその二人のいる空間は、薄暗くて汚い空を、無視するかのように、和やかで、明るいものだった。
二人はしばらくその場で笑い合って、笑いが止んだ頃には、善戒が、疑問に思っていたことを口にした。
「そーいやぁ、おめーの名前は何ってだ?」
「そう言えば、言ってませんでしたね。私の名前は白雪です」
「白雪かぁ。いい名前だなぁ。俺はぁ雪なんて見たことねぇけどな」
「えっ、無いんですか」
「おうよ。俺はぁ気が付いた時から、この汚ねえ空で生きてっからよ。太陽すら見たことねぇんだ」
「そうだったのですか。俗で言う記憶喪失ってことでしょうか?」
「そーかもな」
「色々大変何ですね…」
「あはは、そーでもねえさ。俺には、白雪の方が大変そうに見えっけどな」
「えっ…」
「目を見りゃあ分かる。疲れきった目をしてらぁ」
「………」
白雪は図星を突かれたのか、下を向くだけでいる。
「話してくれねぇか…。俺はぁ、坊主に生きるもんじゃねえが、助けてやれるかも知れねぇ」
「そ、そうですね。実は…」
「おい白雪、そこで何していやがる!」
突然、馬に乗っている騎士らしき者が現れ、白雪の前まで行って、馬から降りた。
「葉睛さん………っ!」
森中に頬叩かれた乾いた音が響いた。善戒は突然の事で、理解するのに時間が掛かったが、理解したからには、声を荒げずには居られなかった。
「おい、てめー何し…」
「大丈夫ですから!」
声を荒げたかったが、白雪に制止された。
「何者だこいつは?ってまあ、いい。それより、何でお前帰りが遅いんだ!言ってみろ!」
「お、お花の居場所を探すのに苦労しまして…」
「そんな言い訳になるかあ!」
再び森中に乾いた音が炸裂した。その音で善戒は完全に頭に来た。
「どんな事情かはしらねぇが…」
善戒はゆっくりと立ち上がる。
「戦う意思の無い人を傷つけてるところを黙って見る訳にはいかねぇんだ」
「何だ貴様は?まさか、貴様が、白雪をたぶらかしたから帰りが遅くなったのか?」
「そうだと言ったら?」
騎士が腰に装着していた、剣を抜き取った。
「空色に刻んでやる」
「おもしれぇ」
「止めてください!!!お花を持って行くのが遅れたのは私の責任です!それに、早く油利様にお花を持って行かなくても良いんですか!?」
一触即発の間合いの中を白雪が、割って入って、喧嘩を制止した。
「ちっ、分かってる。とっとと行くぞ」
そう言うと、葉睛は善戒に後ろ姿を見せ、白雪の胸ぐらを掴んで、引っ張りながら馬へと乗せた。
「貴様命拾いしたな」
そう言い捨て、馬に乗り、走り去って行ってしまった。
去ってしまうと、何だかさっきよりも森が静かになった気がした。
しかし、善戒の心の内は晴れてなどいない。
「葉睛の馬の走らせた方向は山野下町の方角だな。丁度良い。亜莉愛の情報も聞けて、白雪がどうなってんのか知れるし、一石二鳥だぜぇ」
そうと決まると、歩いている暇はない。善戒はさっきよりも、速い足取りで山野下町へ向かうことにした。
善戒はしばらく走って、村らしき物が見えてきた。
「なんじゃ、こりゃあ」
しかし、目に写ってきたのは、予想していた賑わった感じの町などではなく、ただ、人が廃墟に住んでいるようなところだった。
村に入ると、人家があちこち壊されていて、死体もそこら中に転がっている。臭いも堪えられる物じゃない。特に、犬並みに鼻が利く善戒には更に苦痛でしかない。
「ここは一体どうなってやがるんだ…」
「余所者かい?」
気が付けば、善戒の近くに一人の老婆が近づいていた。
「そうだが…」
「なら、一つ忠告しておくよぉ」
その老婆は灰色でボロボロの歯をニヤリと露出させて、言葉を続けた。
「ここではなあ、仁助組に逆らったら、死ぬよぉ…。ひひひひひひひひっ!」
そう言うと、その老婆は狂ったかのように笑いながら、またどこへと消え去った。
「おっかねえ婆さんだぜ。それにしても、仁助組ねぇ。何もんだろぉな」
善戒はこの状況が意外すぎて、頭が回らなくなっていた。
「どうしたもんかなぁ…」
途方に暮れ、頭を掻く。しかし、有る過去の記憶を思い出した。
「そーいやぁ、昔ガキんちょの頃呂ノ伊に教わったけな。情報が欲しけりゃ先ずは、酒場に行けって」
人間嫌いの呂ノ伊が何故それを知っていて、そして何故子供の頃の善戒にそれを教えたのか、善戒はやっとで答えを知り、呂ノ伊に感謝しながら、酒場を探すことにした。
鼻にキツく当たる腐敗臭を我慢しながら、町を歩く。しかし、歩けば歩くほど不快感が込み上げてくる。次々と横たわる死体を避け、絡んでくる死んだ目をしている村人達を一々無視しながら進む。山野下町は昔、人が活気付いていて、賑わっていると聞いていたが、この現状は何だ。この町は腐ってやがる。
善戒は痺れを切らして、まともそうな人を探し、そして、その人に酒場の居場所を訪ねてみた。
「酒場…………あそこ…………ふひひっ…………ひひ…………」
「あ、ありがとうな」
その人は酒場の位置を指でさし、そして、何かを叫びながら何処かへ走り去った。
兎に角、善戒は教えてくれた通りの酒場へ行き、扉を開けた。
「…………………」
「…………………」
「…………………」
開けた瞬間、そこで飲んでいたであろう人達が、一斉に善戒の方へ視線を飛ばした。
そこには、死体と間違えそうなほど酔い潰れて熟睡している人や、屈強な男、更に顔が傷だらけの女の人までいた。
兎に角、居心地を悪くした善戒は、マスターの前に有るカウンター席に座ることにした。座ると、マスターがすっと濁って、変な臭いのするお冷やを出してくれた。
「あ、あのよ。チッと聞きてぇんだが…」
善戒がそう言うと、マスターは拭いていたグラスの手を止めること無く、一瞬だけ善戒に視線をやった。
何だか良く分からないけど、質問をして良いんだろうなと善戒は察した。
「この町は昔は栄えてたよなぁ。どーしてこんなになっちまったんだ?」
「あんた、余所者かい?」
「そうだけど…」
「なら、知らないのも無理はないな」
マスターは拭いていたグラスを一旦仕舞い、別のグラスを手に取りさっきと同じ容量で拭き始めた。
「この近くに生滅霊の拠点が出来たんだ。それで、この町はそこから来る化け物に度々襲撃されている」
「生滅霊ってまさか…」
「生物滅殺霊の事だ」
善戒は、ビビっと来た。まさか、もう生物滅殺霊に会えるとは思っても見なかったからだ。そして、善戒はその生物滅殺霊の拠点を聞き出し、この町の真北に有ると言う情報を手に入れた。
「しかし、それを聞いてどうするんだ?」
「い、いやな。ちょっとした好奇心だ」
善戒は、倒しに行くと言う目的を話せば、止められるか、バカにされるのを面倒くさがって、嘘を吐く事にした。
「そうか。俺はてっきり倒しに行くって言うと思ったよ」
「あははは。まさか」
「そうだろうな。そんなことをしでかす奴なんて、仁助組位なもんだ」
そう言うと、何故かマスターは誇らしげに笑いを上げた。
「仁助組ってのは、一体どんな奴等何だ?」
「何だお前さん知らねーのか?」
「無理はないよ余所者何だからよ」
善戒が、仁助組について聞くと、さっきまで黙っていた酒場にいた人達が、急に声を上げ、気付いたら酒場はざわめいていた。
「まあ、簡単に言うと仁助組って言うのは、俺達を生滅霊から守ってくれる、謂わば、正義の英雄見たいなもんだ」
「正義の英雄かぁ。言えてるぜ」
「何せ、あの化け物共の襲撃を止めてくれんのはあいつら位だからなぁ。足向けて寝れねえや」
「お前足ねえじゃねえか」
「それを言うなよぉ」
この会話で酒場中が爆笑の渦に巻き込まれた。
しかし、この会話の流れを整理すると、山野下町の近くに生物滅殺霊の拠点があって、そしてそこから、度々化け物が現れて、町を襲う。しかし、そこへ仁助組という、謂わば、英雄集団が現れて化け物を追っ払い、村人達を守ってくれているって訳だ。取り敢えず、やることは決まった。しかし、善戒はもう一つ大事なことを聞かなければならないと思い出した。
「最後に聞くけどよぉ。白雪って女子知ってっか?」
瞬間、その場の空気が、凍てつくように寒くなったのを感じた。
マスターのコップを拭く音さえも消えてしまった。
「し、し………し………白雪ぃ…………」
マスターが涎を垂らしながら、白雪の名を呼ぶ。
「お…………お花………お花………花あ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「何処だ!!?花は何処にある!?」
「お花の姉ちゃんがいるのかあぁぁ????どこぉ!!??どこにいるのぉ!!?」
元々ここの酒場はただならぬ雰囲気ではあったが、それが可愛く思えるほど、今の光景が見苦しい物になっている。一人残らず涎を垂らしおり、善戒の視界一杯に人間ならざる行為をしている。失禁、嘔吐、そして、それらを満面の笑みで食らっている者。正に、地獄絵図。こんな光景に堪えられなくなって、善戒は全力で酒場から脱出した。
「な、何だ今のはっ!?」
心臓の高鳴りが止まらない。ドクンドクンと鳴り響いて、血管を破裂させる勢いで血が流れる。
「ここは一体どうなってやがるっ!」
善戒はあまりの出来事に、完全に冷静さを失っていた。それに気がついて、落ち着くために、深呼吸を試みる。深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。しかし、やはり、鼓動が落ち着くことはなかった。
「白雪、お前は一体何者なんだ…!?」
当然、その答えが出てくることはなく、取り敢えず、善戒はこの町から出ていき、一旦森の中で休むことにした。