◇仮令 死すとも敗けは許さぬ
「なにかしら?」
トランシーバーを持った男がジュリアンに話し掛ける。ジュリアンはパイプ椅子に足を組んだ状態で暗い顔をした人質たちを眺めていた。男がジュリアンに耳打ちする。
男の話を聞いたジュリアンは真っ赤なルージュをひいた口元に天使のような笑みを浮かべた。
「あらあら、そうなの。ちょっと、甘くみすぎてたわね」
そうしてすこし首をかしげて考え込むと、パッと顔を明るくして人質の群をつい、と指差した。
「テオを呼んで。私の息子よ。リリアンと同様、丁寧にあつかってあげてね!」
◇
蒼太の横に座っているテオは傍目から見ても顔色が悪かった。ジュリアン・マクニールと名乗った白いドレスの女は、テオの母親なのだろう。蒼太は詳細を聞いたことがなかったが、学校で保健室登校をしていた時の姿や、今のガタガタと震えるさまを見ていれば母親となにかあたということはわかる。
校長の後藤花子が、テオの伯母だったというのには心底驚いたが。
蒼太がテオになんと声をかけていいか迷っていると、銃を持った男が歩いてきてテオの頭にマシンガンの銃口を突きつけた。
「テオ・マクニールだな? テメェのママがお呼びだぜ。立ちな」
テオが真っ青な顔で男を見る。男は動かないテオの頭を銃口で小突いた。
「ほら、とっとと立ちな。キレイにドレスアップしてやるから」
テオの身体がガタガタと震えている。動かないのではなく、動けないのだろう。痺れを切らしたらしい男が一度舌打ちをして、銃口をテオから蒼太に向け変えた。
「それともさきにこっちをドレスアップしてほしいか?」
テオの眉がピクリと跳ね上がる。下唇を噛み締め、真っ青な顔で男を睨みつけて彼はフラフラと立ち上がった。
蒼太が声をあげる。
「いっちゃだめだ!」
テオが蒼太を見た。真っ赤なルビーのような瞳が一瞬だけ蒼太をとらえるも、すぐにそらされる。男がテオの背中に銃をつきつけた。
「ほら、とっとといくぞ」
テオは銃口におされるようにして、フラフラとステージへ向って歩いて行った。
◇
「交代か? 悪ぃな」
教師陣を見張っていた黒ずくめが肩を叩かれ、別の黒ずくめと入れ替わる。イセリタが新しい見張りをチラリと見た。
アレックスは、パイプ椅子に足を組んで座っているジュリアンを睨みつけていた。彼の視線を感じているはずのジュリアンは、暢気に鼻歌など歌っている始末だ。
やがて、黒ずくめの女が体育倉庫からでてきて声をあげる。
「ジュリアン、準備ができたわ」
ジュリアンが顔をパッと輝かせて椅子から立ち上がる。その様だけみると無邪気な子供のような愛らしい笑顔だ。
「本当!? 見せて見せて!」
まるで誕生日のプレゼントを目の前に置かれたようなウキウキとした表情で弾んだ声を出している。黒ずくめの女は
「ちょっと待ってて」
と言って、もう一度体育倉庫へひっこんだ。
――でてきたのは、黒いイブニングドレスを着た金髪の女と、黒いタキシードを着た男。
両人とも腕を拘束された状態でステージに上がってきた。アレックスが目を見開く。
「……リリ-、テオ……」
黒いイブニングドレスを着た女はジュリアンにひどくよく似ていた。ただジュリアンが自然の美を凝縮したのだとすれば、こちらは人間が作った美しさだ。等身大の球体関節人形のような、人の劣情をあおるためだけに作られた、常に微笑むことを強制されたうつろな美。ジュリアンに太陽や月の光が似合うのであれば、黒い女はガラスケースに閉じ込めてカーテンを締めきった部屋にいるのがよく似合う。不健康な飾り物のようだ。両耳で揺れるティアドロップのエメラルドピアスと同じくらいキラキラ光る瞳は、意志のない人形のように虚空をさ迷う。そうなると本当に、人形のようだ。
リリアン・マクニール。
後藤花子と名乗っていた、この花神楽高校の校長である。
黒いタキシードの男もパーツ自体はジュリアンやリリアンによく似ている。与えられる印象はジュリアンよりもリリアンに似ていた。髪をオールバックにまとめるといつもより大人っぽく思える。白いを通り越して青白い肌と銀色の髪に黒いタキシードを着ると、世界中で彼だけが色を忘れたようだ。ただ耳を飾る真っ赤なルビーと、そのルビーと同じくらい真っ赤な、炎のような瞳だけが際だって色彩を主張していた。真っ赤な目がジュリアンを睨む。目を合わせただけで焼き殺されそうな光が宿っていた。ジュリアンが人形であれば、こちらは悪魔のようだ。人の劣情を煽り、その隙につけ込む。受動的な印象を受けるジュリアンとは違い、攻撃的な印象を受けた。
テオ・マクニール。
花神楽高校三年の男子生徒だ。
彼ら二人の姿を見たジュリアンは
「きゃぁあああっ!」
とうれしそうな歓声をあげ、二人の手をとってぴょんぴょんと跳ねた。本当に、プレゼントを前にした子供のような反応だ。彼女は明るく無邪気な笑顔を浮かべたまま二人の手を引いてステージの中央に連れてくる。
「やっぱりよく似合ってるわ! 私の見立てはバッチリね! そのピアスも! 目の色に合わせて探させたのよ! すごくキレイだわ! 内包物も傷もほとんどないの! リリーのエメラルドはゴールドの台座にキャッツアイのエメラルドをはめ込んだのよ。あなたの目とよく似てるでしょう? Aランクのエメラルドの中でだって、そんなに透明な深い緑、なかなかないわ! しかもキャッツアイの5カラットよ! テオのほうも素敵よ! こっちは2ctくらいのピジョンブラッドなんだけど、プラチナの台座がちょっとぼったくられちゃったわ。でもでも、やっぱりよく似合ってるから、作ってもらってよかった!」
テオは無理にホラー映画を見ている子供のように無表情だった。うれしそうに笑う母親に向って問う。
「……いくらしたんだ」
するとジュリアンがクスクスと笑い声をあげた。
「やだ、値段なんて聞くものじゃないわよ! でもそうね、ふたつあわせて八万ドルくらいかしら?」
テオが喉の奥でクッ、と笑う。アレックスには無理やり口の端をあげているだけのように見えた。
「こんな石ころに、よくもまあそれだけ使ったものだな」
「やだ! 可愛い息子と妹のためよ!」
八万ドルということは、日本円換算では八百万といったところか。その金は一体どこから出てきたのだろう。ジュリアン・マクニールという女が今回の『舞台』にどれほどの金をつぎ込み、そしてそのつぎ込む金をどこから調達してきたのか、アレックスにはまったく想像がつかなかった。
十中八九、キレイな金ではないだろう。
ジュリアンは笑顔のままテオを抱きしめ、それからまじまじと彼の顔を見つめる。
「まだ何人か、ここに来てくれない人たちがいるの。テオ、あなた、お母さんに協力してちょうだい?」
テオがぐっと下唇を噛んだ。微かに震える彼の身体をそっと手で押さえて、ジュリアンが笑う。
天使の顔から、悪魔のような言葉が吐き出された。
「ここに集まって貰った方が、みんな怪我もなくすむと思うわ。血を見るのは私だっていやだけど、ちゃんと言うこと聞いてくれないなら、このさい仕方が無いじゃない?」
テオとリリアンの身体がビクリと震える。あの二人は脅されている。アレックスが身を乗り出すと、見張りの男が彼に銃を突きつけた。
テオはまじまじと母親の顔をみつめていたが、やがて意を決したようにゆっくりと口を開く。
「……まだ、捕まっていないやつの、名前を……全部、教えろ」
ジュリアンが笑顔のまま跳ねると、白いドレスのすそがふわりと揺れる。
「さすが私の息子ね!」
横にひかえていた黒ずくめが一枚の紙をテオに渡す。テオはそのプリントに目を通し、拘束されていない人間を確認した。
祐未、直樹、瑠美、リアトリス、隆弘、ツァオ、ユトナ、クレイズ、キール、ライラ、シギ、ライド、レイ、黒人。
「……購買部に2人ほど向わせろ。そこに恐らく2人か3人いるだろう。それと図書館の入り口にバリケードでも作っておけ。無理に体育館につれてこなくても、図書館の奴はほっとけば本を読んでいるだけだ。三階なら窓から飛び降りて脱走も不可能だろう」
ジュリアンが黒ずくめに
「連絡して、すぐ対応してもらって」
と言うと、1人がトランシーバーを取り出して仲間に連絡を取り始めた。その間に黒ずくめの1人がジュリアンに近づき、なにか話している。紙を男に突き返したテオにジュリアンが話し掛けてきた。
「テオ、さっそくお願いがあるわ。校庭の見張りと連絡がつかなくなっちゃったの。190cm越えの大男ですって。心当たりはある?」
「ああ」
「じゃあ、さっそく大人しくしてもらえるよう、お願いしてくれるかしら」
「わかった。手のバンドを外してくれ」
「もちろんよ」
黒ずくめの一人がテオの拘束を外す。自由になったテオがリリアンの腕を掴んだ。
「この女、つれてくぞ」
「あらテオ。あなたの叔母さんよ。ちゃんとリリーおばさんって呼びなさい」
「これから気をつける」
うつろな会話が緊張した空気の上を滑っていく。白いドレスを着たジュリアンが笑顔で
「ところで」
と言った。
「校庭にいるのは、キールっていう先生と、クレイズっていう先生の、どっち?」
テオが笑った。チラリとジュリアンを見て、すぐにめをそらし校庭に面する扉を開けるように指示した。
「西野隆弘。3年の男子生徒だ」
あら、とジュリアンが驚いたように口へ手をあてた。
◇
校庭にきたまでは良かったが、倉庫に近づいたあたりで見張りにはち会わせたのが運の尽きだった。バチバチと身体に当たる雨が体力を消耗していく。パパン、と背後で風船の割れるような音がしたので隆弘はまた走り出した。学校の外へ出ないよううまく誘導されている。途中、走高跳用のバーを使って五人ほど殴り飛ばしたが、それでも追手は増えるばかりだ。自分のほかに何人が逃げ延びているかもわからない。もしかしたら、自分以外は全員捕まってしまったかも知れない。
雨とは違う、嫌なものが隆弘の背筋を伝った。背後から銃声が聞こえてくる。
野球用のネットに寄りかかったところで、風にのって聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『隆弘、聞こえるか』
追われていることを一瞬忘れて隆弘は声のするほうを見る。電子音まじりだが、間違いない。同級生のテオ・マクニールの声だ。
体育館の扉の向うに、黒いタキシードを着たテオ・マクニールが立っていた。髪をオールバックにして、拘束はされていない。手にメガホンを持っている。横には金髪の、テオ似よく似た黒いドレス姿の女が1人。こちらは拘束されている。
どういう経緯でフォーマルを身に着けることになったのかはわからないが、もしかしたら体育館で学校側が形勢を逆転したのかもしれない。
息をのむ隆弘に、テオは拡張器を通して話し掛ける。
『……抵抗をやめて、大人しくしろ。この女の頭が吹き飛ぶのを、みたくなかったらな』
テオとは思えない、聞いた事もない、冷たい声色だった。
女の背後に黒ずくめの男が現れて、金髪の頭に銃を突きつける。
隆弘は自分の頭が急速に混乱していくのを自覚した。
――なにをいってる。
――その女は、誰だ。
――テオは、いったいどうなった。
テオが女の口元に拡張器を持っていく。銃で頭を小突かれた女が、ゆっくりと顔をあげた。金色の髪と、白い肌に、雨が伝う。
エメラルドの瞳は、つくりが驚くほどテオに似ていた。
『……西野』
女の発した言葉に、隆弘はますます困惑していく。
――そんな。
――その声は。
『……西野。お前に、怪我を、させたくない……』
――後藤 花子
忘れるはずはない、聞き間違うはずもない、花神楽高校校長、後藤花子その人の声だ。
恐らく、花子であろう金髪の女がまた俯くと、テオがまた拡張器で話し掛けてきた。
『お前なら、さっきの声でわかるだろう。校長先生のご厚意を無駄にしないためにも、両手を頭の後ろで組んで、膝をつけ』
隆弘がグッと息をのんだ。女の頭に銃口がつきつけられている。黒いドレスが風にたなびいている。
眉をひそめた隆弘は、一秒ほどその場で硬直していたものの、すぐにテオの指示通りその場で膝をつく。
黒ずくめに拘束され、体育館につれてこられた彼の顔は、今まで彼と交流した誰もが見た事のないような、迷子の――あるいは、膝をすりむいて、泣くのを我慢している子供のような、痛々しい表情を浮かべていた。
◇
校内放送が響き渡る。それは祐未に、直樹に、瑠美に、リアトリスに、ツァオに、ユトナに、クレイズに、キールに、ライラに……向けられた警告だ。
『現在校舎内で抵抗している全員へ告ぐ。これより10分間猶予をやろう。10分以内に体育館へ来て大人しく拘束されろ。
この指示に逆らった場合、10分後に拘束されている人間のうち誰かが死ぬ。
それ以降は貴様らが5分抵抗するごとに1人人質を撃ち殺す。
声でわかるとは思うが、この放送をしているのはテオ・マクニールだ。
ユトナ、ツァオ、祐未、直樹、瑠美、リアトリス、クレイズ、キール。このうちの誰が来なければ、誰が殺されるのか、明言しなくても理解してもらえると思う。
何人かの犠牲を覚悟で反抗しても構わないが、その場合貴様らの家族や友人は、今後町でさぞや肩身の狭い思いをすることになるだろうな。
それでは、10分後に会おう。
――諸君らの、賢明な判断を望む』