◇Somebody Told Me
「さっきの音、なんだよ?」
ガタガタと揺れる窓に額を押し当てたユトナが言う。ツァオは目当てのものをポケットにつっこんで廊下のほうを見た。
足音がする。静かすぎる足音だ。いつまでも返事をしないツァオを不審におもったのか、ユトナが近づいてくる。
「おい」
声をかえてくるユトナを、ツァオは乱暴に手で制した。
「黙ってろ」
「な、なんだよ!」
「誰か来る」
「はあ? 風紀委員とかじゃねぇのかよ」
「違うな」
ツァオが素早く扉に近づき、様子を伺う。磨りガラスに人影が映った。シルエットから判断して、どうやら銃を持っている。
ユトナが首を傾げた。
「なんだ? 教師の誰か?」
ツァオはユトナに言葉を帰さず、突然扉を蹴り開けた。丁度扉の前に居た人影は当然蹴り飛ばされた扉の下敷きになり
「ぐぇ!」
と蛙が潰れたような声を出す。
ユトナが焦った様な声をあげた。
「なっ、なにやってんだよお前!」
「非常事態だ」
「あぁ!?」
ツァオが倒れた扉を退かす。黒ずくめの服をきて目出し帽を被った、いかにも犯罪者という風の男が白目を剥いてノビていた。
背中にマシンガンを背負って、腰のホルスターに銃を入れている。
ユトナは思わず裏返った声を出した。
「なんだこいつ!?」
ツァオは眉一つ動かさず、ノビた男から拳銃とマシンガンをはぎ取る。ユトナはツァオの行動をみて余計に慌てたようだったが、聞こえてきた足音に反応してすぐさま階段に目を向けた。
「畜生、こっちでも一人ノビてやがる! テメェら、動くな!」
ツァオが扉の下敷きにしたのと同じ格好の男がユトナとツァオに拳銃を向ける。咄嗟に映画で見た通り両手をあげたユトナは、しかし足でツァオがどかしたばかりの扉を蹴り上げる。
突然目の前に壁が現れた黒ずくめは当然焦った様な声を出した。
「なぁっ!?」
浮き上がった扉の下をくぐれるように身をかがめ、相手が扉に意識をもっていかれている隙に距離を縮める。男の視線がグルリとユトナを捉えたが、彼が標準を定めるよりユトナが男の腹を蹴り飛ばすほうが早かった。
「どりゃぁっ!」
ドガッ、と鈍い音がして男の身体が壁に叩きつけられる。立て続けに脳天へ踵落としを喰らわせば彼は完全に意識を失った用だ。殴ったのは腹と頭なのになぜか鼻血が出ている。
一瞬やりすぎたかな、と思ったユトナだったが、すぐにまあ大丈夫だろうと思い直した。銃を二挺もったツァオがボロボロの扉を踏み越えて歩いてくる。
「体育館に集合しろってのは、こいつらの指示だな」
ユトナがツァオを見る。
「ってことは、先に体育館にいった連中は捕まってるってことかよ」
ツァオは答えない。ユトナは自分で『そうなのだ』と判断して俯いた。
「奈月とか、ティータとか、大丈夫かな……」
ツァオは相変わらず答えない。ただ彼も、誰かを心配するように微かに俯いた。
◇
煙草をトイレに流した隆弘はひとけのない廊下を歩いていた。窓が雨と風にうちつけられてガタガタと震えている。先程聞こえた銃声のような音はなんだろうか。裏門と正門に、それぞれ道をふさぐようにしてワゴン車が止まっていた。
ただごとではない。
肌をピリピリと焼くような緊張が漂っている。うなじを逆撫でされるような不快感が、さっき妙な音を聞いてからずっと付きまとっていた。
ふと、廊下の向う側から足音が聞こえてきて隆弘はとっさに身を隠した。
「……あ?」
そっと足音のするほうをのぞき見ると、黒ずくめで銃とトランシーバーを持った人影が歩いてくる。体格からして男だろう。180cmを越える女は滅多にいない。
トランシーバーを使って英語でやりとりをしている。かすかにアイルランド訛りがあるようだ。
「何人いないんだ? 11人? そんなにかよ、しょうがねぇな。見つけたら……あ? そっちにか? ああ、わかった。つれてくよ。怪我はこのさいしょうがねぇよな? オーライ」
男がトランシーバーを切る。隆弘に近づいてくる。物影にかくれた隆弘は極力音をたてないよう注意して、近くに武器になるものがないか見回した。備え付けの消火器は通路の向う側で、それには男の目の前をつっきる必要がある。
足音が近づいてくる。隆弘は諦めて、自分にむかって歩いてくる男の前に飛び出した。
男は一瞬目を見開いたが、すぐに腰のホルスターから拳銃を引き抜く。
「動くんじゃねぇ! 撃つぞ!」
さきほどの会話で拘束できなかった人間は極力『連れて行く』方針だというのはわかっている。銃口を向けられた隆弘は相手が自分に狙いを定める前に大きく一歩踏み出した。
「くそっ!」
黒ずくめが舌打ちして引き金を引くが、動く隆弘を撃つのは至難の業だ。しかも咄嗟の出来事で照準が合っていない。
パァン、と風船の破裂するような音が響く。銃弾が隆弘のすぐ横を掠めていったがかまわずそのまま男との距離を詰め、下から上に拳を振り抜いた。狙うは顎だ。ブォン、と空気を切り裂く音がして隆弘の拳が相手に突き刺さる。狙い通り顎にあたった拳は、男をそのまま仰向けに仰け反らせた。男の瞳孔が揺れ動き、ぐるりと廻る。白目を剥いた男がそのまま廊下に倒れた。
「銃声がしたぞ!」
「アナトールか!? おい、誰かいたのか!!」
どうやら仲間と一緒だったようだ。隆弘は一度舌打ちすると、廊下の隅に鎮座している消火器を手にとり、バタバタと足音のするほうにノズルを向ける。栓を取って相手が出てくるタイミングを見計らい、消火粉末をぶちまけた。
隆弘の狙い通り、銃を持って走ってきた黒ずくめたちは粉末に直撃して足を止めた。
「ぶっ!」
「ファック! くそっ、前が……っ!」
隆弘は全ての粉末を出し終わった消火器の胴体を持ち、白い粉じんにまみれている敵にむかって放り投げた。
「おらぁっ!」
腹の底から低い声を出して消火器を投げつける。鉄の塊が直撃した男達は
「ぐぇっ!」
と蛙の潰れたような声を出して廊下に倒れ込んだ。隆弘がその横を駆け抜けると、腹の上にのっていた消火器を乱暴に押しのけた男が声をあらげる。
「てめぇ! 待てコラ!」
パン、パパパン、と背後から銃声がしてくる。拳銃は狙いがつけづらい。相手が動いているなら尚更だ。
「クソがっ! 学校が、めちゃくちゃじゃねぇか!」
隆弘はなるべく照準が定まらないようジグザグに走りながら、雨の校庭に飛び出した。
「Bring it back down!(元に戻してもらうぜ)」
できるなら助けを呼んだ方がいいだろう。
隆弘は頬を叩く雨に痛みを感じながら、背後に追いかけてくる黒ずくめたちに向って乱暴に叫んだ。