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◇グロテスクな街に眠れる君は王女

「ごめんなさい! 準備に時間がかかっちゃったわ!」


 重く張り詰めた空気とは対照的な明るい声が体育館中に響き渡り、その場にいた全員が扉に視線を向けた。

 純白のイブニングドレスを着た女が颯爽と歩いてくる。

 金糸でできたような金髪に白い花のコサージュをつけ、大粒のエメラルドのような瞳と真っ赤な口紅をつけた口が優しげな笑みを浮かべていた。秋のイチョウ並木が風にそよそよと揺れてるような、外灯のない場所で見上げた満点の星空のような、あるいはカンタベリー大聖堂のステンドグラスを目前にしたような、敬虔な気持ちになる美しさだ。心が洗われるというのはまさにこのことだろう。跪いて神に祈りたくなる。

 実際、生徒の何人かは助けが来たのだと勘違いしてしまったようだ。この状況でドレス姿で入ってくるのだから味方であるはずがないのに、女の容姿は人々に否応なく希望を抱かせた。

 そして生徒や教師の何人かは驚きに目を見開く。

 配色以外の容姿が不気味なほどテオ・マクニールに酷似しているのだ。与えられる印象はまったく違うが、美しいという点は共通しているし、パーツのひとつひとつがとても良く似ている。

 銃床で殴られ頭から血を流したアレックスが呻るように言った。

 

「ジュリアン……マクニールッ!!」


 深夜は驚いてアレックスを見る。この男が、これほどまでに憎悪をむき出しにした声を出すのは、深夜が知る限り初めての事だった。


 ジュリアン・マクニール

 

 話に聞く、テオの母親というのは彼女なのだろうか。もっとおぞましい雰囲気を持っているのだとばかり思っていたが、これでは――

 深夜がドレスの女をまじまじと見つめる。彼女はレッドカーペットを歩くように堂々とステージまで歩いてくると、黒ずくめの一人に手を取られ、悠々と壇上に上がってきた。

 ここでやっと彼女が味方ではないと気づいた生徒が何人かいたようだ。

 それだけで十分異常事態である。味方であるはずがないのだ。入ってきた瞬間武装集団が攻撃しなかった。敵であると判断にするのにはこの事実だけで十分なはずなのに、何人かは彼女の容姿に騙されて、決定的な証拠を出されるまで気づかなかった。

 

 なるほど、着飾って歩くだけでこれほど人を信用させられるなら、息子を虐待しても周囲にはバレなかっただろう。

 

 女が拘束された職員たちのほうを見てパッと明るい笑みを浮かべた。花がほころぶさまを倍速で見ているような気分だ。それだけみればミュシャの絵画のようでもある。

 ひまわりのような笑顔でパタパタと職員達にかけよった彼女は、白いスカートをふわりとなびかせてしゃがみ込んだ。

 深夜の真横――校長の、後藤花子が真っ青な顔で女を見つめている。

 女がよく通る、ハンドベルの音色のような美しい声を吐き出した。

 

「リリー! 私のリリアン! 会いたかったわ! まさかその若さで校長先生になってるなんて! さすが私のリリーだわ!」


 白く美しい指を頬に這わされた花子の肩がビクリと揺れる。呼吸が荒い。顔色が悪い。対照的に女の顔には幸せそうな笑みが浮かんでいた。

 

「久しぶりね! 元気だった? こんなにお化粧しなくても十分キレイなのに、目もカラーコンタクトをいれてるの? だめよ、折角キレイな目なんだから、隠したらもったいないわ!」


 花子の身体がガタガタと震え始める。呼吸が一段と荒くなる。アレックスがジュリアンを睨みつけた。

 

「リリーに触れるな。貴様、なにをしにきた」


 呻るような、低い声だ。声が、空気を切り裂いたような錯覚さえ受ける。いつもほがらかに笑っている姿からは想像もできない。生徒を怒っている時だって、花子の行動に呆れている時だって、これほどまでに敵意を含んだ声は出さなかったはずだ。能面のような無表情がいつもの笑顔とは対照的で、アクアブルーの瞳は氷のような敵意に包まれている。

 殺意に近い敵意を向けられても、ジュリアンは平然としていた。

 むしろ意外だとでも言いたげに目を見開き、状況にそぐわぬきょとんとした表情で首をかしげてみせる。

 

「妹と、息子に会いにくることがいけないことかしら?」


 花子がひっ、と小さく息をのんだ。

 妹。

 深夜は言葉の意味をゆっくりと咀嚼する。彼が理解する前に、ジュリアンはまた花子に向き直って髪を乱暴に掴んだ。聖母のような笑顔とは咄嗟に結びつかない、荒々しい行為だ。

 

「そうよね、リリアン。リリアン・マクニール。あなたは私の、可愛い妹ですもの」


 花子の身体が大きく傾き、床に倒れ込む。眼鏡がカシャン、と音を立てて床を滑っていった。髪の色がいつも違うから、花子の関係者は全員、それがウィッグであると知っていた。知っていたし、睫毛が金色なので地毛は金髪なのだろうと、深夜はわかっていた。

 

 ジュリアンが水色のウィッグを投げ捨てる。

 床に広がるのは、キラキラと光る金糸の束だ。

 いつも身に着けているウィッグより遙かに明るく、遙かに艶やかな金糸の束が花子の肌にかかる。濃いアイラインを引いた瞳がジュリアンを脅えた様子で見ていた。

 ジュリアンが笑顔のまま囁く。

 

「その目も、もったいないわよ」


 彼女は両手で花子の頬を固定するようにすると、むりやり持ち上げた花子の顔にゆっくりと自分の顔を近づけていった。赤い舌がニュルリと出てきて、花子の瞼を舐める。

 見てはいけないものを見たような気がして、生徒の何人かが顔をそらした。

 

 赤い舌が、花子の――リリアンの、右目を舐めあげる。左目には親指が押し当てたれた。グッ、と力強く押しつけられた指が、リリアンの目に激痛を走らせる。

 

「ぎっ、あぁああああああああああああっ!」


 ジュリアンが口からコンタクトレンズを吐き出し、手についた汚れを振り払うようにした。

 

「あなたの綺麗な目を隠すなんて、とっても罪深いわね。さあ、私に、よく見せて」


 激痛の走る目を無理やりこじあけられたリリアンは浅い息を繰り返しながらジュリアンをまじまじと見返した。

 ゴールドの台座に大粒のエメラルドが飾られた宝飾品同士が並ぶ。高級宝飾店のショーウインドウか、博物館のようだ。

 リリアンはガタガタと震えている。呼吸がどんどん荒くなっていく。間近でそれをみていた深夜がたまらず言った。

 

「……顔色が、悪い」


 ジュリアンがついと深夜を見た。エメラルドの瞳は宝石というより、朝露に輝く深緑のようだ。

 

「頼む、休ませてやってくれ。できれば看病がしたい。俺は、ここの養護教諭だ」


 ジュリアンがニコリと笑った。深夜は一瞬、自分の要望が通ったのかと思った。だがジュリアンの口元からは

 

「だめよ」


 という、否定の言葉が吐き出される。リリアンはまだガタガタと震えていた。

 純白のドレスを着たジュリアンが歌い慣れたウグイスのように、ハンドベルに似た声を響かせる。

 

「貴方、リリーが好きなんでしょ? 目を見ればわかるわよ! リリーはあいかわらずモテるわねぇ! とってもキレイだからしょうがないわ! 貴方ならリリーを大切にしてくれそう! でも、ダメよ」


 エメラルドの瞳が深夜を捉えている。キラキラ光る宝石に深夜の顔がうつりこんでいる。赤いルージュをひいた口元が半月型の弧を描く。

 

「貴方がリリーのことを好きなら、教えてあげるわ。リリーは恥ずかしがって、きっと教えてないでしょうから。あの子の初めてはねぇ、私の友人なの」


 リリアンが両手を拘束された状態のまま、身を守るように蹲った。天使のような笑顔から、吐き気を催す言葉が吐き出される。

 

「初めて生理が来てすぐにねぇ、してあげたのよ」


 深夜は自分の頭にカッと血が上るのを感じた。こんな感情は久しぶりだ。

 

「このっ……!!」


 思わず身を起こし、両手を拘束さらた状態でジュリアンにつかみかかろうとする。どだい無理な話ではあったが、深夜の身体は勝手に動いた。すぐさま見張りの男に殴られ、床に倒れ込んでしまう。

 リリアンが悲鳴をあげた。

 

「深夜っ!」


 ジュリアンは笑顔のまま、真っ青な顔色のリリアンを見ている。そしてつい、と視線を横に移すと、美しい所作で黒ずくめの一人を指差す。

 

「リリアンをキレイにしてあげて。大舞台には、それ相応の服装で望まなくちゃね」


「Noted(了解)」


 黒ずくめの――声から判断して恐らく女はジュリアンの言葉に頷いてリリアンの腕を掴む。リリアンが悲鳴をあげた。


「やめろ、はなせ! さわるなよっ!」


 深夜が霞む視界で彼女の声を追う頃には、リリアンは倉庫に連れ込まれた後だった。

 

 ◇

 

「なんなのよ……なんなのよぉっ……!!」


 2年の女子生徒、水梨が消え入りそうな声で言う。身体はガタガタと震えていた。今目の前で行われたことがにわかには信じがたい。水梨は漫画部に所属しているから、ほかの生徒よりもずっとショックだろう。いつもヘラヘラと笑って明るく振る舞っている校長の後藤花子が、リリアン・マクニールという外人で、三年生のテオ・マクニールの伯母だった。それ自体はこの状況でなければ驚きこそすれ笑って受け入れられたはずだったのだが、身近にいた大人の悲鳴が耳にこびりついて離れない。

 水梨のすぐ後ろにいたルカが小さな声で言い聞かせる様に話し掛けてきた。

 

「夏恵、大丈夫だよ……大丈夫だから、落ち着いて」


 なにが大丈夫なのかはルカにもわからない。ただ泣き続ける水梨に、ルカは必死に、意味もなく、意味もわからず、大丈夫だと繰り返した。

 

 ◇

 

 ティータはくるくると辺りを見回して、同じ学年の直樹と、瑠美と、リアトリスがいないことに気がついた。

 

「あれー?」


 まわりはそれどころではないようで、どこからか啜り泣くような声も聞こえてくる。ティータはすこし迷ったあと、隣に座っているヴァレンタインに話し掛ける。

 

「なおくんたち、いないねー?」


 思い詰めたような顔をしていたヴァレンタインがふっと顔をあげた。


「あ、ああ……そうだね……」


 そうして彼は、また思い詰めたような顔をして考え込む。

 

――ツァオくん、無事かな


 ティータはただ首をかしげるばかりだ。

 

 ◇

 

 奈月は2年のあたりにユトナが見あたらないことを確認して眉をひそめた。まさかどこかで危険に巻き込まれているのではないだろうか。

 

「無事ならいいけど……」


 ユトナの腕っ節は花神楽高校でもなかなかの部類に入る。それだけに、なにか危険に立ち向かって怪我をしていないかが心配だ。

 奈月の小さな呟きは、体育館の広い空間に溶けて消えてしまった。

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