第八話 俺と彼女の告白
俺は彼女と別れた後、普通に帰宅した。俺の家は彼女の家から徒歩十分ほどの場所にある、ごく普通のマンションだ。
今日の今日まで、まさかあんな近所にお互い住んでいたなんて、全く気付かなかった。これからは一緒に登下校できるよう頑張ってみようと思う。
俺は夕飯のハンバーグを食べ終わると、すぐに自室に引っ込んだ。俺の部屋はあまり生活感がない。ベッドと机と小さな本棚ぐらいしかなく、全部モノトーンで揃えられているので、ひどく殺風景だ。
女じゃあるまいし、とは思うけど、何か飾りぐらいは必要かもしれない。
「波城……今頃何やってんだろ」
俺はベッドに仰向けに横になると、先程別れた彼女のことを考え始めた。
――まさか波城があの時村だったとはな……もっと早く気付けば良かった。
己の鈍感さを恨みつつも、やっぱり彼女のことが気にかかった。
なぜ、彼女はあんなにも自殺したがっているのだろうか? いじめか? いやいや、彼女をいじめる度胸がある奴なんて、中学時代はおろか、高校にだって存在しない。それとも家庭のことか? そこまでは流石に本人に聞かないとな……。
俺は一旦考えを中断すると、ふと部屋の窓から夜空を見上げた。俺の目線の先には、満天の星空、とまではいかないが、ちょっとした星空が広がっている。
夜空を見上げたのは、別に大した理由じゃない。ただ、俺は昔から考え事に詰まった時は、こうして夜空を見上げるのが癖だった。
――もっと田舎に行けば星が綺麗なんだけどな……。
そう思いながら目線を下げると、住宅街の一角が見えた。ここはマンションとは言っても三階だから、下もよく目を凝らせば見えないこともない。
いつもだったら、薄暗い住宅街にある、大して明るくもない街灯の光が道をささやかに照らしているところしか見えないのだが、今夜は違った。
街灯の下を、見慣れたセーラー服の少女が通りすぎた。
「あれは、波城か……?」
とっさに彼女ではないか、と思ったが、容姿などの細かい部分は分からなかった。もしかしたら、只の勘違いかもしれない。
俺はそう思うことにして、再びベッドに横になったが、どうもあの少女が気にかかった。
「……本当に、勘違いなのか……?」
考えだしたらさらに不安になってくる。昨日の件もあるし、彼女はまだ諦めないとも言っていた。そもそも、現在の時刻は夜の八時。女の子が一人であんな薄暗い所を歩くのは危険すぎるだろう。
――やっぱり心配だ。
もしあの少女が彼女じゃなかったとしても、心配なことには変わりない。
俺はあの少女を追うことにした。が、部屋を出ようとドアノブに手をかけたところで、重要なことに気付いた。
――あの子がどこに行こうとしてるのか、分からねえじゃねえか。
がっくりと肩を落としはしたが、気を取り直して少女の行き先を考えてみる。
仮に、あの少女が彼女だとしたら、どこに行くだろう? 少女が行った先にあるものといったら……。
俺はここまで考えたところで、ある結論を出した。
――そうだ、あそこがあったじゃないか。
「廃工場だ」
***
彼女と下校した際に話していた廃工場は、彼女の家からだと徒歩十五分。俺の家からだと徒歩五分かかるかどうか、という場所にある。
先程も言ったが、廃業二十年の埃まみれな所だ。確か廃業する前は、畳を作ってたんだっけか? まあ俺が生まれる前のことだから詳しくは分からない。
敷地内に入ると、手入れされてないために雑草が腰ぐらいまでぼうぼうと生えている。さっさとこの工場潰して、何か別のもの建てたらいいのに。できればレンタルビデオ店とか希望。
……そんなことはどうでもいい。それよりも、あの少女を探さなくては。
俺は気を取り直して、工場の裏口から中に入った。正面の扉は、誰も入らないようにと鍵がかけられている。……裏口が開いてるのなら意味ないけどな。
中に入ると、以前来た時よりもさらに埃っぽくて、若干むせた。マスクを持ってくれば良かったと、今更ながら後悔した。
中は思ったよりも明るかった。なぜなら、工場の上には、少し大きめの窓があるからだ。窓と言っても、ガラスはもう割れてしまってないのだが、そこから月の光が差してきて、明かりがなくても何とか歩ける。
俺は少女を探そうと、必死に目を凝らした。すると、工場内の隅に懐中電灯の小さな明かりを見つけた。
――まさか……。
「波城……って、おい!!」
明かりの側に、少女――波城かぐやはいた。ただし、彼女は低めの天井に付いている鉄パイプのような物に、太めの縄をくくり付け、わっかを作ってぶら下げていた。そして彼女はそのわっかに自分の首を通して――
ここまで言えば分かるだろう、いわゆる首吊りだ。
俺は当然のことながら、パニックに陥った。とにかく彼女を引きずり下ろさなければ!
すぐに俺は彼女に駆け寄って、側に転がっていた足場に乗って彼女の身体を抱え上げた。すると、彼女の首から縄が外れた。
途端に彼女は、まるでやっと正気を取り戻したかのように咳き込んだ。
「……おう、じ、さん……?」
彼女は苦しそうに眉を寄せながらも、俺の名を呼んだ。
――良かった……助けられた……。
俺はひどく安堵して、大きな溜め息をつくと、彼女を床に下ろしてやった。彼女は少し身じろいだが、特に抵抗はしなかった。大分疲れているらしい。
当たり前だ。短時間とはいえ、首を吊ったのだから。
「……なあ、いい加減教えてくれないか。なぜ、自殺をしたいのか」
俺は怒鳴りはしなかったが、心の底から怒っていた。今はまだ冷静に見えるかもしれないが、ふとした拍子に怒鳴り散らしてしまいそうなぐらいに。
怒りを抑えこもうと握りしめた俺の拳から、血が滲み出してきた。それが床に落ちて、埃まみれのコンクリートに赤黒い染みを作った。
それに気付いた彼女は、少し驚いた様子で目を見開いていた。
「……理由は単純ですよ。興味があるんです、"死"というものに」
「興味……だと?」
俺は彼女の言葉を聞いて、怒りに震えた。もう、我慢なんかできなかった。
パシンッ
「……っ!」
俺は思いっきり彼女の頬を打った。工場内に、乾いた音が響き渡った。
彼女は一瞬何が起こったのか分からない、とでもいうような表情をし、赤く腫れた左頬を押さえた。が、打たれた頬よりも、打った俺の方が気になるのか、俺の顔を目を反らすことなく凝視していた。
「……」
俺はしばらく何も言えなかった。ただひたすら怒りに震えながら、うつむいていた。
すると、痺れを切らしたのか、彼女から話をし出した。
「私が"死"というものに興味を持つようになったのは、小学校五年生の時でした」
彼女は頬を押さえたまま、淡々と抑揚のない声で、そう口火を切った。
「その時に、私の祖母が交通事故で命を落としました。私の大好きな祖母でした」
彼女はそう語りながらも、その表情には何の変化も見られず、ただ無表情だった。
「私は棺の中で安らかな表情で眠る祖母を見て、不思議と悲しいという感情は湧いてきませんでした。祖母の顔を見るまでは泣きじゃくっていたのに……なぜでしょうね」
彼女はそう言って本当に心底不思議そうな表情を浮かべた。俺はそんな彼女に言うべき言葉が見つからず、ただ黙っていることしかできなかった。
「私はその一件以来、ずっと"死"とは何なのか考え続けていました。"死"に関する本を読んだり、様々な宗教の信徒から話を聞いたり……しかし、どれも私を満足させてくれる答を持っていませんでした」
だから、なのか……? そんな理由で彼女は――
俺は彼女の言葉の続きを聞きたくなくなってきていた。
彼女は、普通の人間が死にたい、と思うような苦しみを味わったわけではない。それでも死のうとするのは、彼女が持っている疑問の答えを知るため……。
「"死"というものは、形はどうであれ、誰にでも必ず訪れるものです。他殺、事故死、病死、自殺……自分がいつどこでどのような形で死ぬのかなんて、誰にも分からないし、選ぶこともできません。唯一時、場所、手段を選べるのは自殺だけです」
「……だから、自殺なんて、したいのか……」
俺は正直言って、彼女の気持ちなんて、少しも分からない。"死"を知るために自殺をするということが悪いことかいいことか、というのも分からない。だが……
「私の考え、少しはご理解いただけましたか? ご理解いただけたなら、今夜はもうお帰りください。私はまた仕切り直しますので、貴方がここにいては色々疑われてしまいます。
――まぁ、万が一の時のために遺書も用意してありますけど」
彼女はそう早口でまくし立てると、うつむいたまま黙りこんでいる俺に背を向けた。そして最後にこう呟いた。
「……私が死んでも、誰も悲しんだりなんかしません」
「……!!」
彼女のその呟きを聞いた瞬間、俺の中で何かが弾けた。
「そんなわけあるか!!」
「……えっ?」
俺はまるで叫ぶかのように怒鳴ると、再び首を吊ろうと足場に乗り上げようとしていた彼女を後ろから抱きしめた。彼女は驚きの声をあげ、俺にだきしめられたまま硬直した。
「「……」」
しばらくはお互いに沈黙が続いた。が、その沈黙を破ったのは、俺だった。
「波城……お前が自殺しようとしている理由は分かったけどな、やっぱり、俺には理解できねぇよ」
「……」
俺の言葉に、彼女は無言だった。後ろから抱きしめたままだから、表情は分からないが、微かに動揺しているかのような気配があった。
「死んじまったら、もう何もできないんだぜ? 全部失っちまうんだぜ? これからあるかもしれない楽しいことも、何もできなくなる……もちろん、楽しいことだけじゃないってことも分かってる。
だけどさ、楽しいことも、辛いことも、全部あるから生きてるって実感できると思うんだよ。違うか?」
「……」
彼女は相変わらず黙ったままだ。しかし、彼女の身体は震えていた。
「……何より、一番俺がお前に言いたいのは、お前が死んだら、少なくとも確実に一人は悲しむ、ってことだ」
ここで一旦言葉を切った。
今から俺は一世一代の大勝負に出る。これに俺が負けたら、きっと彼女はそう遠くないうちに自殺してしまう。だから、絶対に負けるわけにはいかない。
俺は大きく息を吸い込み、そして――
「好きだ、波城」
「……っ!?」
告白した。
彼女は、俺が今までに見た中では一番動揺していた。その動揺が一体何を意味するのかは気にしないでおくとして、俺は言葉を続けた。
「俺は、波城が好きだ、愛してる。だからお前が死んだら、俺は悲しいよ」
「……うっ、嘘です。そんなことあるわけありません。だって、私は……」
彼女は動揺し過ぎて、俺の腕の中から逃れようともがいた。だが俺は彼女を離そうとはしなかった。
「本当だ、嘘じゃない。俺は波城が好きだ。だから、頼むよ……死なないでくれ、お前がどうしても死にたいって言うなら――」
その時、彼女は初めて俺の方に振り向いた。彼女の黒い瞳は、涙で濡れていた。
「俺も死ぬ」
そう言った瞬間、彼女の瞳から涙が零れ落ちた。
***
「王子さん、貴方は私のどこが好きなんですか?」
「へ?」
結局、俺はなんとか彼女を説得し、これからは一緒に登下校する、という約束を取り付けて家まで送った。
玄関先まで送ってやると、彼女の母親に遭遇してしまい、有らぬ誤解を招きそうになった。しかし、彼女の取り成しで、なんとか誤解されずに済んだ。
俺の方はと言うと、帰宅するなり母親にこっぴどく叱られた。(帰ったのは十ー時だった)
突然夜遅くに外出した理由を根掘り葉掘り聞かれたが、なんとか誤魔化すことができた。その後は精神的疲労のお陰で爆睡した。
今朝は母親に久しぶりにたたき起こされ、急いで彼女を迎えに行こうと走った。が、彼女はなぜか俺のマンションの入り口で待っていた。
……何で俺の家を知ってるんだ。
本当は俺が迎えに行きたかったのだが、まあ仕方がない。俺たちは軽く挨拶を交わし、歩き出した。
ここで冒頭の会話に戻る。
「どこが好きか、ねえ……」
俺は無表情ながらも、どこか興味津々な彼女を横目で見ながら、質問の答えを考えた。
「敢えて言うなら、全部、かな」
彼女はあからさまに不満そうな顔をした。どうやらこの答えは彼女のお気に召さなかったらしい。
「……それじゃ答えになっていません。具体的な理由を述べて下さい」
そう不満げに言って、彼女は頬を膨らませた。
――なんか可愛いんだけど。
「ん~っと、まず見た目が好みだ。それに普段は無表情なくせして、たまに不満げな表情をしてる時とかが可愛いって思う。無口に見せかけて、実はおしゃべりなところもいい。あと素直じゃないとことかも可愛いと思う。不良だった頃もなかなか美人だったけど、今の方が自然で好きだな。
あっ言い忘れてた。たまにドジ踏んだ時に顔真っ赤にして無理矢理無表情作って誤魔化してるとことか「もういいです!」……まだあるのに」
彼女は耳まで真っ赤にして俺の言葉を遮った。無表情なのに真っ赤なのがまた可愛いよなぁ。
俺がそう思いながら若干にやけていると、彼女は突然深刻そうな表情でうつむいた。
「……王子さんは、私にどうしてほしいのですか?」
そう言って、彼女は俺の顔を不安げな表情で見上げた。俺は少し考える素振りを見せて、彼女が安心できるように柔らかく微笑んだ。
「特に何も。波城がもう自殺しないって約束してくれるなら、俺は何もお前に望まないよ。ただひとつ付け加えるのなら、」
「?」
彼女は不思議そうに首を傾げた。
「俺はこれからも、波城が俺を好きになってくれるように、アタックし続けるからな」
「……!」
俺がそう言って笑いかけると、彼女は再び盛大に顔を真っ赤にした。それを見た俺は、やっぱり可愛いなぁと思いながら、これからどうやって彼女を振り向かせようか思案し始めた。
「……王子さんは、天然タラシです……」
彼女のその小さな呟きは、俺の耳には届かなかった――
第二章終わり