第十一話 俺の焦りと彼女の気持ち
「私、犯人に心当りがあります」
***
俺はあの放課後デート(?)の後、彼女を家まで送り届けた。帰宅中の彼女は、俺がどんなに話しかけても全く口をきかなかった。
犯人の正体ももちろん教えてくれなかった。もしどうしても俺に言いたくないんだったら、せめて警察にぐらいは言えよ、とも言ったんだが、彼女に俺の言葉が正常に聞こえていたかどうかは怪しい。
結局俺は、もやもやとした気持ちのまま帰路についた。帰って来るなりどんよりとしたオーラをまとった俺を見て、母さんは奇妙なものを見るかのような目付きでこう言った。
「あんた、背後霊が憑いてるよ」
「んなわけあるか!!」
母さんの意味が分からないボケはさておき、俺は普通に夕飯を食べて、風呂に入って自室に籠った。時計を見ると、ちょうど八時をまわったところだった。
――事件はこの時間帯に起こったんだよな……。
俺はそう思いながら、ベッドに横になった。寝るには早すぎるが、まぁいいだろう。そういう日もある。
俺は目を閉じた。……が、
「〇〇ー! 電話よー、波城さんだってよー!」
「はあ?」
俺は閉じようとしていた目をこじ開け、自分でも思うくらいにまの抜けた声を出した。
――何でこんな時間に波城が?
俺は慌ててベッドから抜け出すと、部屋を出て受話器を母さんから受け取った。
母さんは気持ちが悪いぐらいにニヤニヤしていた。どうせ面白がっているんだろう。
俺は気を取り直し、母さんに背を向けて声をひそめた。
「……もしもし?」
『……王子さんですか?』
「ああ。どうしたんだ? こんな夜中に。何かあったのか?」
俺がそう聞くと、彼女はいつもどおりの淡々とした声を出した。
『私、王子さんにもう一つ言っておかなければならないことがあったんです』
「何だ?」
彼女の声は、よく聴くと、いつもどおりを装った感じで、どこか焦っているような気がした。
『以前、私は言いましたよね。自殺したいのは、"死"というものに興味があるからだと。本当は、もう一つ理由があるんです』
「え……一体どういうことだよ……?」
俺は声を荒げることはなかったものの、動揺は隠しきれなかった。おそらくは、俺の背後にいる母さんも不審に思ったことだろう。
『私は今から、昨晩に会った通り魔に会って来ます。決着をつけたいんです』
「……!? 意味が分からねえよ! 何でそこで通り魔が出てくるんだよ!?」
俺は彼女の言葉を聞いて、我慢できずに怒鳴るように聞いた。しかし、彼女は特に動揺することもなく、言葉を続けた。
『私には今回の事件を終わらせるという義務があります。私がやらなければならないんです』
「何で……何でお前がそこまでしなくちゃならないんだよ!?」
俺の問いかけに、彼女は少し躊躇うような雰囲気を出しながらも、また話し出した。
『先程、話しましたよね。私は小学五年生までは佐賀にいたと。その当時、私には入学した頃からの親友がいました。彼女の名前は、鈴木裕子といいました。』
彼女はどこか懐かしむような感じだった。しかし、それと同時に寂しげな雰囲気だった。
『五年生になった時のことです。私は初めて彼女とクラスが分かれてしまいました。必然的に、彼女と過ごす時間は少なくなってしまいました。そのせいで、私は気づくのが遅れてしまったんです』
「何に、だ?」
俺は取り敢えずそう聞いたが、本当は聞かなくてもなんとなく、彼女の次の言葉を予想できていた。
『彼女は、いじめに遭っていたんです。あの三人によって……』
「そんな……」
俺はその言葉を予想していたものの、少しショックを受けた。きっと、彼女も相当なショックを受けたであろうことを想像したら、胸が痛んだ。
「……ということは、その鈴木裕子が通り魔の正体なのか……?」
正直言って、そんなことはあってほしくないと少なからず思っていた。しかし、聞かずにはいられなかった。
彼女は軽く溜め息をつくと、簡潔にこう答えた。
『いいえ、違います。彼女が犯人ではありません』
「……へ?」
俺は思わず間の抜けた声を出してしまった。おそらく今の俺は、端から見たらさぞ間抜けに見えることだろう。
『……そもそも、彼女には物理的に不可能です。……彼女はもう……この世には……』
「……そう……なのか」
彼女は酷く辛そうな消え入りそうな声で、そう言った。
『私がいじめに気づいたのは、私が福岡に引っ越すことに決まった頃でした。その頃には、いじめは相当酷かったそうです。私はいじめに気づいてすぐに、先生に話したんです。でも、先生は何もしてくれませんでした……』
「何だよ、それ……。教師のクセに、いじめに遭ってる生徒を助けないなんて……」
俺は彼女の話を聞きながら、加害者の三人と、その教師に対する怒りに震えていた。
『私は結局、彼女のために何もできないまま、引っ越してしまいました。そしてそれから数日後、彼女……裕子は自殺してしまいました。マンションの屋上から、飛び下りて……』
「……」
俺は何も言えなかった。彼女の苦しそうな声を聞いても、何の励ましの言葉もかけられなかった。
彼女は微かに泣いているような嗚咽まじりの声を出して、また話を続けた。
『私、裕子のお葬式に出たんです。彼女が眠る棺桶を見ても、私はなぜか涙を流すことができませんでした……。ただ茫然自失になって、家族の方々が涙を流しているところを見ていることしかできませんでした……』
「……波城……」
彼女の言葉は、消え入りそうなぐらいに弱々しく俺の耳に響いた。
これが電話じゃなくて、直接会ってしている会話だったなら、俺は多分、彼女を抱き締めずにはいられなかっただろう。
俺は、今すぐに彼女に会いたいと思った。いつも無表情で、感情を表に出さない彼女が、こうして俺に自分の気持ちを必死に伝えてくれている。だから俺も、彼女のために何かをしてやりたかった。せめて、彼女の傍にいてやりたかった。
「波城、今どこにいるんだ? 今からすぐにそっちに行くから、教えてくれ」
『……』
俺の問いかけに、彼女は無言だった。しかし、少し間をおいて答えた。
『……雪の坂公園……K高から徒歩十分程度の場所です。王子さんの家からだと、走っても三十分以上はかかるでしょう』
「くっそー少し遠いな……。チャリで行くか」
『いえ、来ないで下さい。危険です』
「はあ?」
あまりの発言に、一瞬呆然としてしまったが、なんとかすぐに立ち直った。
「何言ってんだよ!? 危ないのはお前のほうだろ!? 通り魔に会うとか言ってたじゃねえか!!」
『はい。件の通り魔……いえ、きちんと名前をお呼びするべきですね』
彼女はそう一旦言葉を切り、こう続けた。
『裕子のお兄さん――鈴木晶さんに会うつもりです』
「……っ!! 通り魔の正体は、鈴木裕子の兄貴だったのか!?」
俺は驚きのあまり、怒鳴るような声でそう聞き返した。
『はい、全ては彼の犯行でしょう。』
「何で分かったんだ?」
彼女はまた軽く溜め息をついて、俺の質問に答えた。
『二週間ほど前のことです。突然私にある人から電話がかかってきました。その人とは、裕子のお父さんでした』
――裕子の父親が今さら何の用だったんだ?
俺はそう疑問に思いながらも、口を挟むことなく耳を傾けた。
『裕子のお母さんは、一年前に心労で亡くなってしまっていたそうです。今では二十歳の息子……つまり晶さんと二人暮らしをしていたそうなのですが、最近突然行方を眩ませたとのことでした』
「だから、その兄貴が犯人だと思ったのか?」
俺がそう聞くと、彼女が電話越しに頷いたような気がした。
『そうです。ご丁寧にFAXで写真まで送っていただきましたから、間違いありません』
「……それは納得したけどよ、お前、どうやってその兄貴に会うつもりなんだ?」
俺は、実は結構初めのほうから気になっていたことをとうとう聞いた。彼女は全く狼狽えずに、事務的に答えた。
『裕子のお父さん経由で連絡をとりました』
「連絡とれたのかよ!」
俺のツッコミには、彼女は無反応だった。
『……とにかく、私は晶さんに会って話をするつもりです。だから王子さんは来ないで下さい』
「いやいや、それは無理な相談だろ!! 今すぐそっちに行くからな!! じゃあ切るぞ!!」
『待って下さい!』
俺はいい加減強情な彼女に痺れを切らして、電話を切ってすぐに彼女の元に駆けつけようとした。だが、彼女の制止の声を聞いて、受話器を置こうとした手を止めた。
『最後に、貴方に伝えたいことがあります』
彼女はそう切り出した。その声は、なぜか緊張しているような気がした。
『私は、王子さん……いえ、もうそう呼ぶのは止めにします』
――王子と呼ぶのは止めにする? それってまさか……?
俺は期待半分、困惑半分な気持ちで、彼女の次の言葉を待った。
『私は、姫宮冬夜さんのことが大好きです』
彼女のその言葉は、俺の思考を驚きと感動で一時停止させた。
『冬夜さんの、優しくて温かいところが、私は大好きです。ですから――』
俺は彼女の言葉に反応を返せずに、ただその場に呆然と立ち尽くしていた。
『私が死んでも、貴方は生きて下さいね』
その時、電話の向こうの彼女が、少しだけ微笑んだ気がした――