わだいがない 3
黒戸さんの場合
学生時代にどこかの男が言った。
「永久就職すれば、女は働かなくてもいいもんなぁ!」
そんな昔のセリフを思い出して、私はため息をつく。まぁ、昔の話だと言い訳をしても、そのときはそれがすごいセリフに思えた。しかし、20代が過ぎ去った自分が考える現実は「永久就職先も見つからない」が正解である。
黒縁メガネのスーツ姿のおじさんは、言った。
「それでは、あなたのアピールポイントはなんですか?」
え?自己アピール?そんなもんないわよ。普通に高校行って、大学行って、単位取るだけとって、バイトもそれなりにして。アピールできるようなもんはなんにもないっつーの!一応、みんなに合わせて資格取ったけど、使ったことないっつーの!はぁ?うちの会社を受ける理由?!近くて、休みもそこそこあって、社員になれそうで、給料もそこそこ。つぶれなきゃいいのよ!ほかにどんな理由があるっつーのさ!
と、言いたい気持ちを我慢して、にっこりと笑った。
「自己アピールポイントは……。」
「はぁ。終わった……。」
面接が終わったのか、内容的におわったのか、おそらく両方を表しているに違いないが、なにはともあれ、終わったのだ。青い空を見つめて、ため息をついた。あとは、野となれ山となれ、結果次第に任せるしかない。
ここまでくるために、インターネットで引いた地図を見ながら、駅までの道を確認し、歩き出した。
翌日。学生時代の友人と昼食だけ約束をした。
「ひさしぶりー。」
遠くからやってきた友人は、昔と変わらない笑顔でにこやかに話しかけてきた。もちろん、歳をとっているがそんなものはお互い様だ。
「おーひさしぶりー、明君、こんにちはー。」
その横にいる息子にも声をかけた。
「こんにちは。」
「なんか見るたびに大きくなってるねぇ。」
「なってるのよ、もうすぐ小学校よ。」
「そーかぁ。」
「さ、お昼、行こう。」
「うん。」
学生時代からの友人たちは、二手に分かれていく。学生時代の終わりに結婚するメンバーや、20代最後までに結婚していく組と、彼氏の有無に関係なくまったく結婚をしない組と。
会社に入ってからできたもっと高齢の友人は、「30代後半になると、まったく結婚式の話がでなくなるんだけど、40代になるとぽつぽつ出てくるのよねぇ。男性人の」と、言っていた。もう離婚している友人もいる。私は独り者。
「ほら、ちゃんと座って。」
昔の友人は、すっかり母親だなぁと、にまにま笑いながらその様子を見ていた。
「なに、笑ってんの。」
「いやいや、お母さんだなぁと思って。」
「まぁね。ほら、落ちるから!」
子供を持つ母親の目玉は、基本的には子供を見つめていて、注意も会話の遮断も気にせずに、繰り返される。
「小学生かぁ。早いよねぇ。」
「そうなのよ。早いよねぇ。あたしらも、歳をとるはずよ。白髪も増えるしさぁ。ほら、水をこぼさないでよ。」
私は笑った。
本当に、普通に高校に行って、大学に行って、バイトをして、就職活動をして、派遣で仕事をして、派遣から社員で働けるところを探すだけなのに、こんなに大変だとは学生時代には思いもしなかった。この友人が、彼氏を見つけて、子供と作り、結婚に至るまでに自分はなにをしていたんだろうと思うことがある。なにかをしていて、時間がつぶれていたことは確かだが、振り返っても、今の手の中を見つめてもなにもないことにため息が出るのだ。
「そういえば、仕事はどうよ?」
「んー。次のところ、探し中。」
「見つかるといいねぇ。ほら、ご飯粒!」
友人には、友人の世界がある。
「そっちは?お母さんは?」
「もー、だんなのほうはさ、両親でケンカしてるしさ、まぁ、あたしのところには、寄り付かないからいいんだけど。うちのはボケ始めてるしさ、大変よ。ホント。」
愚痴の内容も、お母さんだ。
「もうすぐこの子も小学生だから、荷物をそろえなきゃいけないし、名前も書かなきゃいけないし、すぐに大きくなるから服もどうにかしなきゃいけないしねー。ほら、みそ汁は両手で持って。」
「そういや、最近、いじめ問題がテレビでやってるね。」
「ねー。あたしも心配で。でも、モンスターペアレンツって、本当にいるしねー。ママさんの付き合いも大変よー。普通に、「なんでうちの子と遊んでくれないの?」って言ってくるしね。なに?」
子供が彼女をつっついていた。
「もっと食べる。」
「はいはい。野菜も食べないさいね。」
「うん。」
きっと男の子が母親とその友人と食事につきあってくれるのなんて、あと数年だろう。その数年後、私にはなにがあるというのか。
「これわかるー?」
その息子がなにやら、カバンから出してきた。
「ん?」
「食事中はしまっておきなさい。」
「はーい。」
「なんだい?」
「カードよ、カード。1枚、100円以上するのよ!それを何枚も何枚も買ってさー。子供同士で遊ぶのよ。どうやって遊ぶのかはよくわかんないんだけど。」
「へぇ。いまのはお菓子とかは付いてないんだね。」
「付いてなくても、高いのよ。あんな、濡れたら終わりなしょぼいもんに、何千円と!でもねぇ、持ってないと仲間にも入れてもらえないし。子供にも子供の付き合いってもんがあるしねぇ。」
「へぇ。」
「ライダーが変われば、次のライダーものが欲しくなるしさ、いまのこのカードゲームだってキャラクターが変わったら、カードの内容も変わるだろうしさ。そもそも、いつまでカードで遊ぶのかもわかんないんだけど。そのうち、絶対にゲーム機になるのよ。そのあとはパソコンが、とか言い出すんだろなぁ。」
奥さんになると、相手との家族の付き合いが増加する。お母さんになると、子供とその親との付き合いが増加する。
それにともない、情報量がどんどん増えていく。自分には無縁のカードゲームの内容、見たことのない日曜の朝のアニメ、行ったことのないキャラクターショップの場所、子供がはしゃいでも平気な店、病院関係にどんどん詳しくなっていく。
自分は、会社と家の往復で、なにもない。
「そういえば、しいちゃんがねぇ、自分にあの仕事、向いていないかもとかこの間、言ってたなぁ。」
「え?なに、言ってんの?あの子、社員じゃん!4年以上勤めているのに、いまさら向いてないとかないでしょ。」
「だよねぇ。バリバリのキャリアウーマンじゃんねぇ。そのせいか、この間、えらくヘロヘロな状態だったけど。その分、稼いでるよー。」
「あの子も頑張っているなぁ。」
「ねー。なに?トイレ?待って、あたしが連れてくから。ちょっと、……」
「ああ、いい、荷物見とく。」
「ありがと、待ちなさいよ。」
お母さんは大変なのだ。
私は窓の外を見つめながら、ぼんやり見ていた。結婚しなくても、バリバリ働いている友人もいる。だが、自分がそうなのかと問われるとそうでもないところが、自分のダメな部分なのだ。
「ただいま。」
「ああ、はいはい。あ、そうそう、忘れるところだった、ハイ、これ。」
私は自分の横にあったカバンを渡した。
「あー、漫画!」
「そうそう、貸すって言ってたのに、遅くなりまして。」
「いーのいーの、ありがと。」
「じゃ、出ようか。混んできたし。」
「そうね。」
「じゃ、ここで。」
「うん、またね、今日はありがとう、あ、これ、走らないの!じゃあ、またね。」
「うん、またね。」
私は手を挙げたが。ふと、考える。今回は漫画を貸すという理由があった。次回は返すという理由が発生するだろう。だが、その次にどんな会う理由があるというのだろうか。共通の話題もなくなり、お互いに知らない知人や、友人も増えていく。いつのまにかきっと連絡も取らなくなっていくのだろう。
「ま、そんときは、そのときだな。」
ポツリとつぶやいて、私は帰る道を歩きだした。