第61話〜65話
第61話
たどり着いた瞬間
数日後、待ち合わせ場所に先に到着したいずみは極度の緊張状態にあった。
会って一星にどう思われるか気が気でならなかった。
それもそのはず。18歳と46歳ではまるで親子同然。
長い時を経て初めて対面するというのに、自分はあまりにも年をとり過ぎた。
会うのに承知はしたものの、ここにきて不安は募るばかりだった。
『せめてあと10年早かったら・・』
いずみがそう思ったところでどうなるものでもない。
自分は一星に会ってどうするのか?何を言いたいのか?
いずみはこの日までずっと考えていた。
だがいくら考えても結論としては、この対面で全てを終わりにすることしか選択肢がなかった。
一星はまだまだ若い。将来がある。自分と釣り合うはずもない。
未練がないと言えばウソになる。いずみはずっと一星を思い続けてきた。
権現との結婚生活の中にも一星はいずみの心の中で生きていた。
ひょっとしたら権現はそれに気づいて自分に辛くあたってきたのかもしれない。
彼が死んで13回忌も終わった今、いずみは当時を振り返ることができる。
『だとしたら・・私は罪人。。人の心を傷つけた。。この罪を償うためには・・やっぱり一星と縁を切らなきゃ。。』
携帯で時間を見るいずみ。待ち合わせ時間ちょうどになった。
そういえば、一星は自分の顔もいでたちも知らない。携帯番号は交換したので近くに来たらかかって来るかもしれない。
あるいは遠くのどこかから自分を見て確認しているのかもしれない。
緊張のあまり、つまらぬことまで連想してしまういずみであった。
ふと遠くをみやるとカップルが何組か、思い思いのペースで歩いている。
どの組を見ても笑顔があって楽しそうだった。
そんな中、ひとりの青年らしき男性が、遠くからまっすぐにこちらへ歩いて来るのが見えた。彼女らしい連れもいない。
『もしかしてあれが。。』
いずみの胸は激しく脈を打ち始めた。
明らかにその人物はまっすぐ向って来ていた。しかもわき目も振らずに。
『い、一星だっ。。』
まだ表情がよくわからない距離ではあったが、いずみは直感で確信を得た。
徐々にその青年は早歩きになって近づいて来る。やがて表情もわかるくらいの距離になると、彼は白い歯を見せながらいずみの元へ直進して来るのがわかった。
『なぜ私がわかるのかしら。。見た事もないはずなのに。。』
いずみの目にも彼は明らかに18歳に見えた。顔もまだ幼い青年。
まさに“時間のひずみ”の向こう側にいた26歳の幸村一星をそのまま若くした感じだ。
そしてついにいずみの至近距離まで近づくと、彼が笑顔でありながらも目が潤んでいるのがわかった。
『一星・・なぜ。。』
いずみが心でそう呟くや否や、いきなり彼の両手でギュッと抱きしめられた。
「えっ!!?」
あまりの急な出来事にあぜんとするいずみ。
「会いたかった・・・ずっとずっと・・何年も何年も。。。」
一星は強い力でいずみを抱いて離さない。
いずみがあぜんとしたのは一星の突然の行為に驚いただけでなく、明らかに大人の男性にしかできない大きな包容力のある抱き方だったからだ。
強い力で抱かれながらも、優しく包み込むような柔らかさを併せ持ち、まるでその中に溶け込まれていきそうな。。。愛が伝わる抱きしめ方。。
いずみは抵抗せずに、18歳の青年にそのまま身を任せた。
二人は行き交う人の波を気にも留めずにしばらく抱き合っていたのである。
第62話
年齢のギャップ
「一星、おなか空いてる?何か食べる?」
長い抱擁後に口を開いたのはいずみからだった。
「いや、あんまり。。なんか胸いっぱいでさ。」
いずみは嬉しかった。こんなオバサンになった自分を見てもたじろぎもせず、胸いっぱいだと目を潤ませている。正直、予想すらできなかったことだ。
「じゃあ外は寒いし、軽くお茶でもしましょ。」
「うん。。」
二人が腰を下ろした店には人影もまばらで、プライベートな話をするのにもうってつけのタイミングだった。
それでもいずみは、一星と差し向かえで座るだけで恥ずかしくてならない。
彼に面と向って顔を見られるのにはまだ抵抗があった。
うつむき加減で彼と目を合わせられないでいるいずみ。
「どうしたいずみ?チャットみたいに普通でいいんだぞ。」
「え、えぇ。。」
あまりに堂々と話している彼にいずみは驚いた。
普通の高校生なら家族以外には丁寧語で接するはず。それなのに一星は28歳も年上の女に遠慮なくタメ口する。
いずみは思い切って聞いてみた。
「一星・・私を初めて見た第1印象はどうだった?」
「どうって・・一言では言えないなぁ。」
「そうよね。。私、もうオバサンだものね。本当ならこんな私をあなたに見せたくなかったんだけど。。」
「いやそういう意味じゃない。どうしてそんなこと言うんだ!いずみは綺麗だよ。全然オバサンだなんて思えない。」
「ウソ!誰が見たって今の私と一星は親子よ。」
「あのな・・」
ちょうどそのとき、この小さな店の女主人と思えるエプロンをした女性が二人のテーブルにやって来た。
「ご注文はお決まりですか?」
「俺はアメリカンでいい。」
「アメリカンおひとつ・・そちらのお母様は?」
「え?・・・・・その。。」
いずみが一番言われたくないことを見事に言われてしまった。
苦笑いするいずみを見て、一星は突然声を荒げて抗議する。
「お母さんじゃないです!失礼でしょう!勝手に判断しないで下さい!どんな人でもお客様と呼ぶのが商売の鉄則じゃないんですか?」
「す・・すみません。。つい。。」
店の女性は何度もお辞儀をして謝った。
いずみの方もいたたまれなくなって声をかける。
「いいんですもう。。そんなに頭下げないで下さい。あ、私にはカプチーノお願い。」
「はい・・すぐに。」
女性はもう一度一礼してカウンターへ去って行く。
「きっとあの人、俺のこと超生意気なクソガキだと思っただろうな。( ̄ー ̄ )」
「でもね一星・・あの人は素直にそう見えたから言ったことなのよ。逆に正直。仕方ないことだわ。」
「誰がそう見えても俺は違う。いずみ、今彼氏とかいるのか?」
「いないよそんな人。。この年ではもう難しいわ。」
「じゃ決まりだ!俺とまた付き合おう!今度は堂々とリアルで会ってさ!」
「ちょっと待って。一星、あなた本当に私でいいの?別に気を使わなくていいのよ。」
「何でだよ。俺は子供からやり直してやっとここまでたどり着いたんだぞ!俺はこの瞬間のために生きて来たんだ!」
いずみは深いため息をついた。気持ちは嬉しい。こらえ切れないほど嬉しい。
だがいずみにはどうしてもこのお互いの立場を考えると素直に受け入れられなのだった。
「一星、あなたにはあなたの将来があるわ。過去を引きずって生きてはダメ。」
『(゜〇゜;)えぇ?どうしてそんなこと言うんだ?」
「現実を見て。あなたはまだ18歳。私は46歳。これから世間を渡って行くには難しすぎると思うの。」
「意味わかんない。」
「萌え上がる感情は今一瞬だけのものよ。それが覚めたらあなたは私を必要としなくなる。きっとね。」
「そんなこと考えたこともない。大丈夫だって!」
「いい?10年経ったとして、一星が28歳のとき私は56歳よ。あなたが42歳でまだまだ仕事もバリバリこなしている時、私はもう70歳なの。この意味わかる?」
「。。。。。」
「私はあなたの人生のお荷物にはなりたくないの。確かに一星との思い出は一生忘れられない素敵な過去だった。そして今日の出会いも心に刻まれると思う。。」
「俺だってそうさ。だからこれからだって。。」
「それは・・やっぱり無理よ。リスクが大きすぎる。」
「いずみ・・これまでに何があった?権現といつ別れたんだ?随分ひどい目に遭ったんじゃないのか?」
「・・彼は死んだのよ。心臓発作で。もう13回忌も終わったわ。」
「じゃあずっといずみは未亡人だったのか?」
「いいえ。間もなくしてから権現家とは縁を切って姓を栗山に戻したの。母も再婚して新しい生活をしてたから私が帰る場所もなかった。。」
「そうだったのか。。お母さんが再婚した相手が水口って男だったわけだ。」
「ええ。でもそれが自分の寿命を短くしたのよ。」
「??どういうこと?」
「再婚した母は49歳で出産したの。高齢出産でかなりの難産だったの。」
「それで産まれたのが和代だった。。」
「そう。そして母はそれ以来体調が回復しないで・・その3年後に死んだわ。」
「・・・・・」
「私は天涯孤独になった。もう独りで生きていくしかないと思った。結婚にも失望したし、男を信用する気にもなれなかった。今までずっとね。」
「そっか。。。辛いことばかりだったんだな。。」
「でも今は違うよ。この18年間で今が一番素晴らしい日。一星と会えて最高に嬉しかった。さっきまですごくこんな自分が恥ずかしかったけど、今はそう思わなくなったよ。」
「だったら・・・」
「でもね、これは今日だけだから素晴らしいの。一星とまた巡り会えるなんて思ってなかったしね。なんか吹っ切れたみたい。」
「・・・・」
「今日をきっかけに、これからはお互いの道を別々進んで行きましょう」
数分間、沈黙が続いた。店のママがコーヒーをふたつ置いて足早に去ってゆく。
やがて、ゆっくりと話し出したのは一星だった。
「あのさ・・せっかく会えたんだからさ・・これっきりはちょっと寂しすぎるよ。」
「でもその方がお互いのためには・・」
「もう一度、別な日に会ってくれないかな?」
「えっ?」
「俺もまだ色々考えたい。結論をそう簡単に出したくないんだ。俺にも今までいろんな事情があったんだ。いずみも大変だったんだろうが、俺のことも少しは知ってくれないかな?それから改めて結論を出してほしいんだ。」
「・・・・わかったわ。じゃあ、一星の都合のいいときに連絡してちょうだい。」
「ありがとう。嬉しいよ。」
第63話
ロビンとポンスケ
独り暮らしの家に戻ったいずみには、自然にこぼれる笑みがあった。
その理由の一つとして、一星に会うまでの極度の緊張感から解き放たれたこともある。
またそれと同時に会えた喜び、そして彼が18歳とはいえ、心の中身は以前の世界のままの大人だったこと。年をとった自分に対して変わらぬ愛情を注いでくれたこと。
どれをとってもこれ以上の嬉しさはない。
『すっきりした。。これでもう悔いはないわ。』
一星に、もう一度また会ってから決断してほしいと言われて返事はしたが、いずみの気持ちは固まっていた。
潮時のタイミングは今しかないのだと。これで優しい気持ちで終止符が打てると決意していたのである。
鏡で自分の表情を見るいずみ。晴れ晴れとまではいかないが、何かが吹っ切れたあとの軽い表情になっているのが自分でもわかった。
『私は一人で生きていこう。私には素敵な思い出がある。たくさんの嫌なことより、一つの素晴らしい経験の方が何倍も何百倍も勝っている。心に刻んで生きてゆける。』
いずみはベランダから星を見上げながらそう心に誓った。
一星は再びいずみと会う約束を一週間後に取り付けたものの、とてもそれまで我慢できる精神状態ではなかった。
翌日と翌々日の二晩、チャットを立ち上げてみてもいずみのONはない。
オフラインメッセージで話しかけても入れても返信はなかった。
三晩目の夜、一星は話しかけるメッセージではなく、いずみに伝えたいことを直接書いて送信した。
ponsuke:いずみ、俺の気持ちは全く変わらない。前の世界の時からずっとね。
自分の気持ちを更につらつらと書き連ね、幾度も送信を繰り返す一星。
『今夜はここまでにしよう・・』
一星がチャット画面を終了しようとする寸前、ついにいずみから返信が来た。
robin830:一星・・ありがとう。とても嬉しい。でも・・
ponsuke:やっと返事くれたね。無視されてるかと思った。
robin830:ごめんなさい。どう返信したらいいかわからなくて。。
ponsuke:どうして?しつこい俺が嫌いになった?
robin830:そうじゃないよ。一星が本気なんだってよくわかったよ。
ponsuke:ならなぜ躊躇するんだ?年齢差がそんなに気になるのか?
robin830:当然のことだわ。一星にとって一生のことなのよ。
ponsuke:わかってるさ。そんなことくらい。
robin830:いいえ、わかってない。一星は今しか見えてないでしょ?二人でずっと暮らすということはそう容易いものじゃないの。
ponsuke:あのさ、世の中には年の差カップルなんてたくさんいるじゃないか!
robin830:でもそれは男の方が年上の場合でしょ。
ponsuke:女だっているよ!
robin830:ごくまれなケースよ。
ponsuke:俺が平気だって言ってるのにどうしていずみが気にするんだ?
robin830:だって・・私は一星のために何もしてあげられないと思うから。。
ponsuke:なんでそう思う?
robin830:私はもう・・子供も産めるかどうか。。
ponsuke:バカだな。俺たち二人の問題に子供なんて関係ない。
robin830:でも欲しいでしょ?子供。
ponsuke:それは結果論として出てくる問題だ。本題じゃない。
robin830:同じことなのよ。人の子供の成長を目にする度に絶対自分も欲しくなるもの。でもそれが叶わなくなったら・・あなたは私に幻滅するわ。
ponsuke:あのなぁ・・・
一星は頭をかきながらため息をついた。
『いずみは相当俺に気を遣っている。今までの彼女の道のりを思えば疑心暗鬼になるのも仕方ないかもしれないが。。』
ponsuke:なぁいずみ。無理して強がってないか?
robin830:そんなこと・・ないよ。
ponsuke:かたくなに自分に言い聞かせてるだけだろ?
robin830:・・違うよ。
ponsuke:年齢の見合った男を探すのか?
robin830:そんなことしないよ。もう独りでいい。
ponsuke:そんなの世捨て人だ!
robin830:それは世の独身女性に失礼な発言よ。
ponsuke:それは違う。独身にも色々あるだろ。目標に向けて努力してる人や、結婚よりも大事だと思う価値観を持っている人。理想の結婚にたまたま縁がまだない人。そういう人のことを言ってるわけじゃない。
robin830:・・・・
ponsuke:いずみに何か目標はあるのか?生きがいはあるのか?
robin830:それは。。。
ponsuke:俺はね、何も今だけの感情で言ってるわけじゃないんだ。見た目は18歳でも精神年齢は昔の大人の俺だ。その俺が言ってることなんだぞ。
robin830:・・一星。。もういい。なんかもう悩みたくない。
ponsuke:・・・わかった。今日はもうやめよう。
robin830:ごめんね。
ponsuke:いいんだ。俺こそ言い過ぎたかもしれない。ごめん。
robin830:ねぇ・・私たちってこのチャットで初めて会話したじゃない。
ponsuke:あぁ・・そうだったな。遠い記憶だけど懐かしいな。
robin830:私たち・・またあの時と同じでいいんじゃないかな?
ponsuke:どういうこと?
robin830:ネットだけの世界。この二人だけの世界の中でなら年齢差もリアル社会での障害も関係ないわ。
ponsuke:・・・本気で言ってるのか?
robin830:私もそれなら一星とこれからも普通に話せると思うの。
ponsuke:そりゃ俺だっていずみとチャットもしたいさ。でも・・でも・・
robin830:やっぱりそれだけじゃダメ?
ponsuke:俺は・・俺はずっといずみとネットの恋人同士でありたいし、そう願って来た。でも。。
robin830:でも?
ponsuke:やっぱり俺はいずみと結婚したい!ネットの婚姻サイトなんかじゃなくてリアルで一緒にいたいんだ!
robin830:そう・・・じゃあもう一星とチャットもできなくなるのね。。
ponsuke:えっ・・?
robin830:さよなら。。一星。
ponsuke:ちょ、ちょっと待って!約束通りもう一度会ってくれるんだよな?
robin830:・・・ごめんなさい。わからなくなった。。じゃあこれで。
いずみがチャット画面から落ちた。
一星はただ呆然とパソコンを眺めているだけだった。
『なんだよ。これで完全に終わっちまったのかよ。。そんなバカな。。』
一星は暗い部屋の中で眠るのも忘れてむせび泣いていた。
第64話
思い出に変わらない
あれから二年の歳月が流れた。
いずみは今に至っても、ふとした瞬間に一星のことを思い出しては落ち込んでいた。
結局あのとき、彼と二度目に会う約束を破棄してしまった。
いずみのかたくなな決心が、待ち合わせ場所に足を運ばせなかったのである。
悔いはないはずだった。そのつもりだった。
だが一方で、本当にそれでいいのか?と常に自問自答する自分もいた。
『私は意地を張ってただけなんだろうか。。』
そしてまた深く考え込んでしまういずみ。
『世捨て人か。。』
星に言われた言葉が何気にふと浮かんだ。
『そうよね。。当たってるかも。。』
いずみはこの二年間、ただ黙々と仕事をして来ただけの人生。
人に話せるプライベートな趣味も持たず、自分に磨きをかけるためのエクササイズなどを取り入れて来たわけでもない。
決して後悔はしないつもりだったのに。。
いずみが公私共に充実している日々を過ごしていたならば後悔はしていなかったかもしれない。だが、今のいずみにとって心の安らぐ瞬間は、一星と過ごしたチャットでの時間でしかなかったのである。
そしてそれと同時にその事実は、いつまでも消えぬ苦しみにもなっていた。
いずみの日課と言えば、毎晩帰宅後にパソコンを立ち上げること。
あちこちのブログを巡って、たまに自分と波長の合いそうな人を見つけると一言コメントを書いたりする。でも自分のブログは持たない。何も書くことがないからだ。
だから余計に人のブログはうらやましく思った。
『いいなぁ・・みんな色々あって幸せそうで。。』
一星からのオフラインメッセージもこの二年プッツリ途絶えていた。
いずみが会う約束を守らなかったあの日以来ずっと。。。
内心、いずみは一星がしつこいくらいに何度も何度もメッセージを送信してくると思っていた。
『もしあと数回、メッセージで強く押されたら・・』
と優柔不断な考えもよぎったりしていた。
でもその甲斐もなく、結局は彼からの連絡は完全になくなっていったのである。
もちろん、いずみから話かけることなど到底できるはずもなかった。
『すべては終わったことだわ。。早く気持ちを切り替えないと。。』
もう何度もそう思ったことなのに自分が情けなくてしょうがなかった。
その夜、いずみは夢を見た。女性の姿が曖昧にぼやけて見える夢。だが目だけはハッキリ見えている。せつなそうな目。。何かを訴えようとしている目。。
自分に近づいて来るわけでもなく、ただ遠くからこちらを見ているだけ。特に怖くもなかった。夢はその後何の進展もなく、いずみからその女性に近づいていこうとすると、かすかに彼女が微笑んだような気がした。そしてその幻影は自然に消えてゆき、いずみが我に返って目覚める頃には朝になっていた。
ゆっくりベッドから上半身だけ起こすいずみ。そして何気にパソコンを見る。
「あ、私寝る前にパソコンの電源落としてなかったんだ。。」
すぐに立ち上がってパソコンの前まで来るいずみ。まさにそのとき、突然PM画面上に開いた。
ponsuke:俺の母さんがいずみに会いたがってる。来てくれないか?
一星から突然の申し出に戸惑ういずみ。しばらく返信しないでいると再び彼からのメッセージが画面に飛び込む。
ponsuke:頼む。場所は教えるから。俺の母さん・・もう長くないんだ。。
第65話
二十年愛(前編)
幸村静子は自宅の部屋から穏やかな海を見ていた。
遠くから聞こえてくる静かなさざ波に耳を傾けていると、今までの慌しい自分の人生がまるでウソのように思える。
色々あった。。あり過ぎた。。でもそれは全て自業自得。自分の責任に他ならない。
そんな自分がここまで生きられたことには悔いはない。充分だ。今年69歳を迎えた静子はそう思っていた。
ただひとつ悔やむとしたら、自分のせいで人生を台無しにしてしまった子がいたこと。
あの子は今幸せになってるんだろうか?いや、なっていて欲しいという願いが静子の脳裏からいつまでも離れないでいる。
あの世界ではずっとひとりぼっちで誰にも気づかれずに生きていたあの女の子。
『いずみさん・・』
21年前、静子は必死だった。あの時間のひずみを通ってやって来たこの世界。
海のそばで暮らしたいと願っていた夫・幸村の言葉をヒントに、懸命になって捜した。
そして来る日も来る日も足が棒になるほど歩きまわり、ついに奇跡が身を結び、夫となるべき幸村にたどり着いたのだ。
突然押しかけた静子に彼は、以前と同じように理由は何も聞かず、ごく自然に優しく受け入れてくれた。もちろん彼にしてみれば、以前と同じようにと言っても、そのようなことをした記憶などあるはずもない。
きっと幸村の人柄なのだろう。静子は彼に運命的なものを感じた。
だが目的はそれで終わったわけではない。静子には幸村と結婚して一星をこの世に誕生させなければならない使命がある。
結果的には幸村の優しさに包まれながら、一星を産むことはできた。
高齢出産のリスクを背負い、かなりな難産だったために長く苦しみ抜いた末の出産だった。その上、その後遺症からか片耳が聴こえなくなり、回復しない体調も慢性的になった。
それでも子育てと苦しい生活を乗り越えるのに内職をしながらも必死な毎日を過ごしここまで生きてきた。
時のひずみを超えてやり直そうとやって来た静子だが、世の中はそんなに甘く迎え入れてはくれない。
更に夫・幸村の死・・・彼と一緒に暮らして9年目のことだった。
静子は以前の世界と合わせて、愛する幸村を2度も失う辛くせつない経験をすることになってしまったのだ。
挫折感に苛まれる静子。何のために時のひずみを超えて来たのかわからなくなった。
何度も死のうと思った。だが一星はまだ幼い。自分ひとりのために一星を巻き添えにすることだけはできない。今、自分が生きることを放棄したら以前の世界よりも悪い結果になるだけだ。
『何があっても一星だけは成人まで育てないと・・』
その後、生活保護を受けながらも静子は弱っていく体の中で必死に働いた。
そんな母の姿をずっと見てきたせいか、一星は中学卒業後、進学せずに働くと言ってきかなかった。彼の学力からすれば、県内屈指の進学校へも入学できる成績であるにも関わらずに。
静子にとっては涙が出るほど嬉しい言葉だが、それを承知するわけにはいかない。
「一星、高校だけは出なさい。これから社会人の人生の方が長いのよ。大きな企業は高卒でさえ採用されないのに、中卒ではいくら努力しても限界があるの。それ以上の上は望めないのよ。」
親のために子供にここまで考えさせる自分が情けない。
結局一星は、高校進学はしたものの、学費の安い公立高校を選択した。そしてこのことでも静子は心を痛めたのだった。
『私の生きて来た道は・・人に迷惑しかかけていないのではないだろうか。。』
窓際に横付けしてあるベッドから、上半身を起こして海を眺めている静子。
今までの過去を思い出しながら回想していると涙がひとしずく頬を伝う。
その後数時間、静子の中でも“無”の状態が続いた。。。
ただ海を眺めているだけの時間。。そして目を閉じて波の音だけを聴いている時間。。
やがて静子はその目を開けた。その表情はキリッと引き締まっており、数時間前とは一変していた。
『まだ間に合うかもしれない。私ができる最後のこと。。』
数ヶ月前、静子が体調不良を訴えて検査入院しているときに、一星が病室でポツリと言ったことがある。
「母さん、実はいずみと会ったことがあるんだ。」
「(゜〇゜;)えっ?いずみって・・尚代の娘の。。」
「あぁ。栗山いずみ。」
「おおっ!」静子は絶句した。
「良かった。本当に良かった。ちゃんと尚代の子として産まれてたんだねぇ。」
「まぁそうだけど。。」
「・・どうしたの?何かあったの?」
「ずっと隠しててごめん。今の話、もう2年前のことなんだ。」
「Σ('◇'*エェッ!?そんな前なの?なんでその時に教えてくれなかったの?」
「もういずみは46歳だったんだ。。俺は全然気にしてないのにいずみの方から離れていったんだ。それっきり会ってない。」
「・・なんでそんなことに。。」
「俺たちは時間のひずみの向こうでずっと付き合ってたんだ。姿は見えなくてもネットで繋がってたんだ。」
「!!!!」
「いずみは一度結婚してたけど、ずっと前に旦那が死んで以来、ずっと独り暮らしだったよ。でも俺との気持ちは絶対に繋がってたと思う。」
「・・・・」
「ごめんな母さん。早く言えば良かったんだけどさ・・なんかあと味の悪い終わり方をしちゃったもんだから言いそびれてたんだ。年の差がそんなにネックになるなんて思ってもみなかったんだ。」
静子はこの時、猛烈に悔やんだ。一星といずみが以前の世界でそんな仲だったとは思いもしていなかったからだ。あの世界ではお互いが一緒の次元にいることは決してできない立場だった。
それゆえに、自分が時間のひずみに落ちることで、二人とも復活できることだけを考えていた。一星といずみが恋人関係で、この世界ではかなりの年の差が生じることなど考えもしていなかったのである。
そして今静子は自宅で療養の身。
そんな中、彼女は一星に頼みごとをした。
「一星・・」
「ん?」
「いずみさんと連絡とれる?」
「ネットを見ててくれたらなんとか。。」
「お願い。いずみさんをここに呼んで。母さんが会いたがってるって。」
「でもさ・・」
「お願いだから。母さんはもう長くない。自分の体のことはよくわかってる。」
「・・・・」
「母さんの最後の頼みだと思って聞いてくれない?」
「・・・わかったよ。なんとかする。」
静子は決心していた。私がこの子たちにしてあげられる最後の仕事。
今はただ、一星がいずみをここに連れて来ることだけを願ってベッドにいる。
『私は・・このままでは絶対に死ねない!!』
(続く)




