第56話〜60話
第56話
偶然の再会
日曜の午後は毎週恒例のように郊外に出来た大型ショッピングセンターに行く。
と言っても別にいずみが行きたいわけではない。買い物するだけなら激安で買える近所のスーパーでいい。
そんないずみを無理矢理連れて行くのは愛情も冷め切った亭主・権現京二だった。
彼は外面がすごくいい。近所に愛想を振りまき、挨拶も丁寧だ。
こうして出かける今も、隣の住人が庭に出ているのを確認してから満面の気持ち悪い笑みで挨拶を交わし、そのあとわざとらしい口調でいずみに声をかけて車の助手席までエスコートする。
「まぁ、いつも仲の良いご夫婦だこと。」
隣の老夫婦の奥さんが言う。
「あはは!そんなことないですよぉ。」
ホントにそんなことないのに、ご近所はまんまと権現の話術にハマっている。
いずみたちが完全に仮面夫婦と化しているとは全く気づかずに。。
目的地に着くと最低な亭主は、自分勝手に次から次へと価格も気にせずにショッピングカートに放り込んでゆく。食べたいものを好きなだけ。まるでエサを求めて本能のままに行動する豚のように。
いずみは思わず忍び笑いをした。
『そうよ、この男は豚よ!この半年で体重10キロ以上は増えてるわ。』
カゴには肉類を中心に、できたての惣菜など、すでに山盛り状態になっている。
いずみ自身は何も品物を手にしない。カートを押して進んでいるだけなのである。
はた目には夫婦揃って仲むつまじく買い物をしていると誰しも思えることだろう。
事実、今までに同じ町内に住んでいる家族連れとバッタリ出会ったりして、好印象を与えている。まさに権現の思うつぼだ。
こんな状態の中でいずみが家を出たとしたら、完全に世間は権現京二に同情するだろう。いずみが一方的に悪者になるのは間違いない。
『なんかもう・・どうでもいい・・疲れた。。何もかも。。』
そんな中いずみは、ある視線が自分に注がれているのに気づいた。
ふと視線の方向に目をやると、小さな子供がじっとこちらを見ている。
まだ3歳か4歳の男の子。。
いずみはその子に頭をかしげて微笑んで見せた。するとその子はいずみを見つめたまま、なぜか後ずさりをし始める。
しかも悲しそうな目で。。今にも泣きそうな目で。。
そしてクルッとその男の子は反転するや、いずみに背をむけて走り出した。
何気に気になったいずみは彼を目で追っていたが、権現によって遮られる。
「おい、次は魚コーナーだ!まぐろの解体ショーがあるらしい。早く行こうぜ。」
「え、ええ。。」
いずみは嫌々ながらも、先にどんどん歩いて行く権現の後ろをついてゆこうと、5,6歩足を運んだそのときだった。
「一星、どこ行ってたの?迷子になったらどうするの?さ、帰るわよ。」
いずみの背中の方向で小さな声だが確かにそう聞こえた。振り返るいずいみ。
「( ̄□ ̄;)!!!!!!!」
少し離れた所に見覚えのある顔があった。
「一星、お前どうして泣いてるの?」
母親らしいその女性は、その男の子を抱きかかえて足早に去ってゆく。
あまりに突然の衝撃にいずみは声が出なかった。
「し・・静子・・さ。。」
「おい、いずみ!早く来いったらっ!」
と、またしてもあの豚亭主に阻まれた。
「カートがないと買えねぇだろが!グズグズすんなっ!」
徐々に遠くなって行くあの親子連れ。。。
いずみはポツリ呟いた。
「一星・・・そうよね。。大人のはずないものね。。」
偶然に会えた衝撃も大きい。でもそのあとにやって来た感情は嬉しさでも感動でもなく、悲しさのみだった。。
「私たち・・これでもう・・別々の道を行くしかないのね。。」
第57話
遠ざかる幸せ
「もしもしいずみ、元気してる?」
「あ、お母さん・・そうでもないかな。。」
「なによ。体調でも悪いの?」
「そうじゃないけど・・ちょうど良かった。話があるの。」
「え?・・お母さんもいずみに話があるから電話したのよ。」
「そうなんだ。。」
平日の午後7時、いずみの母・栗山尚代が電話をかけて来た。
もちろんいずみがこの時間には仕事から帰宅しているのを知った上でのこと。
外面亭主・権現京二はまだ仕事から帰宅していない。
どうせ今日も飲んでから帰って来るのだろうと察しはつく。
「いずみはどんな話?」
「お母さんからでいいよ。かけてきたんだから。」
「そう?じゃ言うわね。びっくりさせて悪いとは思うんだけど。。」
「??そんなに驚くこと?」
「実はね・・お母さんたち、離婚することに決めたの。」
「は?」
「だからね、お父さんと離婚するの。」
「・・・そうなんだ。。」
「あまり驚いてないようね?理由は聞かないの?」
「いろいろあるんでしょう?私が聞いたところで変わらないんなら聞かない。」
いずみは正直、親の離婚話には何のショックもなかった。」
今自分が置かれている虐げられた環境の方が比重が断然に重い。
それにいずみ自身も権現との離婚は考えていたから、親に『考えなおしたら?』などと言う気もさらさらなかったのである。
たとえ両親のことであっても、いい大人同士。娘が介入しなくても解決はできるはずだと思った。
だが、母の尚代の方は、言わずにはいれなかった。いずみに聞いて欲しかったのだろう。
「お父さん、浮気してたのよ。今まで黙って2年間も。」
「へぇ・・もう55歳なのにやるわねお父さん。」
「なに感心してのよ!」
「感心なんかしてないけど・・お母さんそれでこれから大丈夫なの?」
「慰謝料たっぷりもらうからいいのよ。」
「一人で寂しくならない?」
「そりゃ寂しいわよ。お母さんは一人じゃ無理。誰かいい人探すわよ。」
「(⌒-⌒;前向きなのはいいけど・・お母さん52歳でしょ?そう簡単には。。」
「お母さん、自慢じゃないけどまだまだ美貌を保ってるつもりよ。」
「それって自慢じゃない?(-_-;)」
「お父さんが浮気するならこっちだって!」
「ハムラビ法典じゃないんだから。。(^_^;)」
こんな状態になっても明るく前向きに話す母親の声を聞いて、いずみはある意味尊敬の念を抱いた。
『私は凹みすぎかもしれない。お母さんのように強くならなくちゃ。。』
「いずみには心配かけるけど・・でも心配してないみたいね?」
「だってお母さんなら大丈夫だってわかるもん。」
「少しは親を心配しなさいよ!」
「お母さんが下着の上からエプロンしてたときはいつも心配してたよ。」
「((ノ_ω_)ノバタ・・もうそんなことして・・あ!」
「(*^m^*)ムフッ。今そうなのね?」
「い、いいえ!違うわよ。見てないのに言わないで。」
「( ・ー・)むふふ。。」
「また詳しいことが決まったら電話するわ。ところでいずみの話ってなに?」
「え?あぁ・・別に私のことはいいよ。」
「言いなさいよ。あとから聞けなくなるかもしれないでしょ。」
「あのね・・ちょっとそっちの実家にしばらく行ってもいいかなって。。」
「どうして?京二君とあんなにうまくいってるのに?」
「・・・・」
そう、権現京二はいずみの母・尚代にも、得意の外面話術で好印象を与えていた。
尚代はまさに彼のお世辞やおべんちゃら的な術中にまんまとのせられているのだ。
「ケンカしたんなら早く仲直りしなさい。あんないい人めったにいないわよ。」
「親子でダブル離婚て面白いと思わない?」
「いずみ!!冗談はやめなさい。お母さんだってホントは泣きたいのよ。長年連れ添った仲だもの。すんなり決断できたわけじゃないの。わかる?」
「私はまだ何年も経ってないもん。」
「まさか本気で離婚する気じゃないでしょうね?」
「さぁ・・」
「1度や2度のケンカなんてお互い意地張らないで折り合えばいいのよ。」
「私は意地なんて張ってないんだけど。。」
「とにかく、うちはまだゴタゴタしてるからまだ来ないで。どうしてもって言うならお母さんの実家に行きなさい。おばあちゃんのとこ。そう遠くないでしょ。」
「うん。。」
それから数週間が経ち、いずみの両親の正式離婚が決まり、とりあえず母の尚代は実家に一旦戻ることになった。
それに合わせるように、いずみも身支度を整え、書置きをし、権現が仕事に行っている間に家を出て、祖母の家へ向おうと決心する。
そしてまさにいずみが家を出ようとする瞬間、1本の電話が鳴った。
権現本人だったら、取らないつもりでいた。だがそれは見知らぬ番号からだった。
「もしもし、権現京二さんのお宅でしょうか?」
「はい。そうですが。。」
「奥さんでらっしゃいますか?」
「はい。。一応。」
「あの・・落ち着いて聞いて下さい。」
「???」
「こちら○×△◇救急医療センターですが・・」
「病院・・?」
「そうです。実はご主人が・・お亡くなりになりました。」
「。。。。。。」
第58話
時を隔てて
「幸村先輩、ずっと前から先輩が好きでした。良かったらアタシと付き合って下さいっ!」
高校の帰り道、幸村一星がひとりで細い路地裏に通りかかったときに、待ち伏せていたであろう後輩の女子からいきなり告白された。
「ごめん。それはちょっと無理・・かな。」
少しうつむき加減で申し訳なさそうに答える一星。
「・・・彼女が・・いるんですか?」
「いや・・えと。。悪いけど俺、今誰とも付き合いたくないんだ。」
「は、はぁ。。。」
「ホントにごめん。気持ちは嬉しい。ありがとう。でも・・そういうことだから。」
たたずむ後輩を尻目に、足早にその場を立ち去る一星。
帰宅するとすぐに自分の部屋に入り、制服も脱がずにそのままベッドの上で大の字になって天井を見据えた。
「何やってんだろ俺は。。」
天井を見つめたところで何もない。それなのに、はるか昔の記憶では天井にアイドルのポスターを貼りつけていたことを思い出していた。
「ほしのあき・・だったかな。。」
一星は長年、ふたつの記憶を持つ自分に苦しんでいた。
忘れたくても忘れられない過去。いや、別な人生を歩んでいた世界。
『俺はあの日を境に忘れようと決心したはずなのに。。それなのに。。』
15年前、一星は母・静子とショッピングセンターでいずみと偶然の再会を果たした。
『最初俺はいずみを見かけたとき、喜び勇んで彼女に近づいて行った。でも・・途中で気づいたんだ。。俺ははまだ3歳の子供で、いずみは大人の女性。しかも亭主と仲良く夕方の買い物。。』
ベッドで深いため息を漏らす一星。
『そうだよな。。別におかしかぁないよな。。でも権現とだなんて。』
3歳の一星には、それから15年が経過した今も、トラウマとなって彼の神経をむしばんでいたのである。
何度も何度も忘れようと努力しても、いずみの面影が付きまとう。
高1、高2のときにクラスメイトの女子と付き合ってはみたが、どうしても相手が子供に思えて続かなかった。
だから高3の始め、友達の紹介で年上の5つ年上のOL女性とも付き合ってみたが、いずみのような人なつこさもなく失敗。
まぁ大人の女性が高校生に甘えるはずもなく、一星の浅はかな行動が浮き彫りにされただけだった。
それ以来もう当分の間、誰とも付き合う気もしなくなったというのが一星の今の心境だろう。
だが、この一連のことは、母の静子には決して言うまいと決めていた。
母は自分の人生をやり直すため、そしていずみをこの世界で存在できる人間にするために起こした正義の行動。
それに形はどうであれ、父を探し出して一星を無事に産むことができた。つまり有言実行を達成した勇気ある尊敬すべき母親なのだ。
『部屋にいたら余計な回想しちまうだけだ。。ぶらっとしてくるか。。』
私服に着替えた一星は、自転車を当てもなく走らせていた。
何キロ走っただろうか・・
一息入れようと立ち寄った公園。
一星はベンチの前に自転車を止め、大きな伸びをしてからベンチに横たわる。
さわやかな風がとても心地よかった。
「テト。お前は今日からテトだよ。いい?」
突然近くから聞こえて来た声に一星はハッとして起き上がる。
『テト・・?』
一星が少し離れたとなりのベンチを見やると、自分と同じ年齢くらいの女の子が、ペットの入ったカゴを抱えて座っていた。
横からよ〜く見ると、そのカゴの中のペットは1匹のリスだった。
『まさか。。』
一星はゆっくりとその女の子に近寄って行く。
するとその子も人の気配に気づいて一星の方へと振り向いた。
まだ幼な顔だが、明らかに一星の記憶を蘇らせる顔。。
「あの・・君って・・もしかして水口和代・・ちゃん?」
女の子はびっくりした顔と不思議そうな顔を同時に表現していた。
「はい・・そうですけど。。?」
「ガ━━ΣΣ(゜Д゜;)━━ン!!なんでだぁぁぁ??」
第59話
沸きいづる思い
「アタシとどこかで会いましたっけ?」
「いやちょっと・・」
当然ながら一星には説明のしようもなかった。
時のひずみを超えて起こった出来事など、どう話したところで納得されるはずもない。
「あのぉ、お母さんは尚代っていう名前ですか?」
「ええ、そうですけど・・母のこと知ってるんですか?」
「いやちょっと・・」
和代は少しムッとした。
「あなたねぇ、『いやちょっと』じゃ全然わかんないんですけど?」
「すみません。。」
一星にとってはそんなことより、なぜ和代がここに存在しているのか、その理由の方が気になって仕方なかった。
いずみと和代は同じ世界には存在しないはず。
母・尚代が栗山に嫁いで産まれたのがいずみ。違う世界で水口に嫁いで産まれたのが和代だからだ。
「あなた高校生?」和代の方から質問させる一星。
「あ、はい。和代・・ちゃんもそうでは?」
「ちょっとねぇ、まだ仲良くないのに『ちゃん』はつけなくていいし。(^_^;)」
「あ、ごめんなさい。」
「それにアタシ、思いっきり童顔だけど高校生じゃないから。」
「Σ|ll( ̄▽ ̄;)||lええっ!!?」
「何よ!その驚き。それこそ失礼だわ!れっきとした24歳ですが何か?」
年下相手の高校生に、すっかり和代の丁寧語は消えていた。
「なんだかわけわかんないけど、何か用?アタシ早くテトと一緒に・・あ、テトってこのリスの名前のことだけどね、とにかくもう帰りたいから。」
「あの・・じゃあ聞いてもいいですか?」
「さっきからずっと一方的に聞いてるじゃない!」
「そうでした( ̄ー ̄; ヒヤリ」
「で、何なの?死んだ母のこと?」
「Σ('◇'*エェッ!?死んだって・・栗山尚代さんがですか?」
「水口尚代ですけど・・なぜあなたが母の以前の姓を知ってるの?」
「いやちょっと・・」
「もうっ!そればっかり!いい加減にしてよ。」
「すみません。。どう説明したらいいかわかんないんです。。」
「あっそ。じゃあもうアタシ行くから。」
和代はリスのいるカゴを持ってベンチから立ち上がった。
「あの・・あの、待って下さい。もうひとつだけ教えて下さい。」
「ヤダ。」
「栗山いずみって人は知ってますか?」
「だからヤダって言ってるのに聞いてるし・・」
「そうですか。。ごめんなさい。じゃあ僕も帰ります。ご迷惑かけました。。」
一星は和代に一礼して背を向けた。
和代は彼のなんとなく寂しそうに去ってゆく背中が気になり、不意に呼び止めた。
「待って。」
背中越しに振り向く一星。
「栗山いずみは・・アタシの姉よ。」
「え?・・・姉?」
「ええ。でもアタシよりかなり年上なの。」
「でもいずみは・・いや、お姉さんの姓が栗山なのはなぜ・・?」
「あぁ、アタシが水口だからでしょ。それはね、お互い父親が違うの。」
「は、はぁ・・」
「ヤダ、アタシったら知らない高校生に何でもかんでもしゃべちゃったわ・・」
和代は少しバツの悪そうな表情を浮かべていた。
「姉と知り合いなら、あとは直接会って話し聞いてね。じゃアタシはこれで。」
一星は慌てた。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ。お姉さんは元気にしてるかどうかだけでも。。」
「さぁ・・わかんない。だいいち姉とアタシは一緒に暮らしてないもん。」
「あ・・そうですよね。お姉さんはもう結婚してるんですよね。。」
「いいえ、姉はパソコンおたくの独身よ。たぶん今も一人暮らしのはず。」
「たぶんて・・」
「姉とはあまり連絡とってないし、交流もないのよ。姉に何の用があるか知らないけど、あなたのお母さんくらいの年齢よ。もう40の後半だと思うけど。」
「それは別にいいんです。わかってますから。」
「あっそ。じゃ今度こそアタシはこれで。君けっこうカッコいいね。アタシのタイプだけど年下はちょっとねぇ。。さよなら。」
「さ、さよなら。あははは・・(^_^;)」
ひとときの間とはいえ、かつてはつき合っていた水口和代からダメ出しをされたようで、一星は何ともいえない妙な気分になった。
一星は帰宅してからもいずみのことを思い出していた。
姿形は知りもしないのに、あんなに楽しく話した日々。。
これが相性なんだとつくづく感じ、益々彼女に引惹き込まれていった日々。。
何度も思い返しながら自分のパソコンに目をやる一星。
『このモニターの中で話した時間が懐かしい。。』
(゜〇゜;)ハッ!!
一星は突然、さっき和代から聞いた言葉を思い出した。
”姉はパソコンおたくの独身”
『も、もしかしたら。。』
一星はパソコンの電源をONにして、急ぎチャットを立ち上げる。
そしてPM画面に、あるIDを入力してみた。
robin830
そして自分はponsukeと名乗ってメッセージを一言入れてみる。
一星の鼓動は高鳴っていた。
ponsuke:ロビン、もしこれを読めたなら君と話したい。返信待ってる。
一星は送信ボタンを押した。
第60話
会いたいのに会いたくない
いずみは長い孤独の日々を送っていた。
ゆく年来る年、何も変わらずただ生きているだけの毎日。
以前テレビで明石屋さんまが好きな言葉に、
”生きてるだけで丸もうけ”というフレーズがあった。
常に前向きで素晴らしい言葉だと思う。
でもそれは生きている幸せを感じている人の言うセリフだ。
充実した人生を送っている人の言える言葉なのだ。
いずみにはこのフレーズを好きになる要素が全く見当たらなかった。
亭主の権現京二が肝硬変で死んでから早15年。
いずみは権現家とも絶縁して独り身になり、再婚することもなく黙々と働くだけの日々を過ごしてきた。ただ生きるためだけに。。
何の目標も夢もあるわけでもなく、誰かの助けを求めることもなく、そして好きな人を見つけるわけでもなかった。。
いずみはこれまでの自分の境遇といい、人生にはすでに失望していたが、自分の命だけは粗末にするまいと決めていた。
”時のひずみ”の向こうでは、存在すらできなかった自分に比べると、今の自分には体がある。人と会話できる。食べたり飲んだり睡眠もできる。
これもきっと一星の母・静子のおかげだと思うと、辛くても苦しくても生き抜いていこうと決心していたのである。
46歳独身の栗山いずみ。交流する女友達もほとんどいなくなっていた。
まわりは皆、一般主婦である。話す話題も子供のこと、学校の行事のことが中心。
家庭の持たないいずみにとって、ついてゆける話ではない。
そうした中で彼女は更に孤独になっていった。
この日もいずみは仕事から帰宅後すぐ、テレビとパソコンの電源を無意識に入れる。
もうそれが帰宅後の習慣にもなっているし、何より第1の理由として、家に独りでいる静けさほど大嫌いなものはなかったからでもある。
いずみは部屋着に着替えてテレビに目をやる。
「何も大した番組やってないわね。。」
そして次はパソコンのモニターへ。。
Σ( ̄□ ̄;えっ??!!!!
そこにはPM画面が開いていた。
だがそれだけでいずみはこんなに驚かない。相手先のIDに仰天したのだ。
ponsuke:ロビン、もしこれを読めたなら君と話したい。返信待ってる。
「一星・・・どうして今更私を。。」
いすみが瞬時に思ったことは彼との年の差だった。
ずっと昔に偶然ショッピングセンターで出会ってから、かなり時は経っているが、生まれ変わった一星はまだ未成年のはず。
親子ほど年齢の離れた現実にショックを受けたいずみは、一星を“幻の思い出”として封印していたのである。
だがそれが今、一星の意志によって突然呼び戻された。
いずみはためらったが、ハヤる気持ちを抑えきれない。
権現京二との見誤った結婚。そして彼の死。その後はいかなる男も受け入れず、黙々仕事に打ち込みながら日陰のように生きてきた。
今、一星とチャットしたところでどうなるものでもない。それはわかっている。だが心のよりどころのないいずみにとって、最後の支えとなり得る可能性を秘めた存在は、幸村一星しかいないと思った。
『話したい。。一星と一言でも。。』
いずみはチャット画面に向き直り、返信をキーボードで打ち始める。
robin830:PMしてくれてありがとう。ずっと記憶が残ってたのね。。
1分ほど経ってから返信が来た。どうやら気づいたようだ。
ponsuke:やっと話せた!今すっげぇ嬉しいよ俺!超お久しぶり!!
robin830:ホントお久しぶりね。どれくらいぶりかしら?
ponsuke:15年ぶりだよ。俺が3歳のとき街でいずみと会ってるから。
robin830:覚えてたのね。。
ponsuke:忘れるわけないだろ。
robin830:でも一星が生まれて良かったわ。あなたのお母様ってすごい。」
ponsuke:今も俺は母さんには頭が上がらないよ。感謝してる。
robin830:お母様元気?
ponsuke:ああ。それよりまずいずみと会いたいよ。
robin830:えっ?
ponsuke:会ってたくさん話したい。
robin830:・・・一星、わかってるでしょ?私・・もう若くないの。
ponsuke:そんなの知ってるよ。関係ないじゃん。
robin830:幻滅するよ。オバサンだもの。。
ponsuke:だから関係ないって。
robin830:ガッカリするだけだよ。
ponsuke:しないって!俺が見た目で人を判断すると思うなよ!
robin830:だって・・それにあなた、未成年でしょ?
ponsuke:18歳さ。ここまで長かった。長すぎた。
robin830:どうして?彼女とデートしたりしてないの?
ponsuke:俺には・・無理だったんだ。。年は18でも精神年齢は26だ。
robin830:以前の世界の記憶も全部残ってるのね。。
ponsuke:3歳のとき、いずみと会うまではわからなかったんだ。
robin830:えっ?
ponsuke:でもあの時、会った瞬間全ての記憶がが一気に蘇ったのさ。
robin830:そうだったの。。
ponsuke:それなのにいずみは権現と一緒に楽しく買い物をしていた。あの時、どんなにショックだったことか。。俺は泣いて母さんの元へ走って逃げたんだ。
robin830:そう。。でもね、あの時は私、全然楽しくなかったのよ。。
ponsuke:???事情が色々あるようだね。だからとりあえず会って話そうよ!ねぇ!
robin830:そうね・・どうしようかしら。。
ponsuke:会って話せば、お互い知らなかったことや、ひょっとして勘違いしてたことなんかもわかると思うんだ。
robin830:・・・・・わかったわ。会いましょう。。
こうして“時のひずみ”を越えて、幸村一星と栗山いずみの初対面が実現することになったのである。
だがいずみの心境は複雑なものがあった。
『会いたいけど・・会いたくない。。こんな私を見せたくない。。』
それでもやはり、高鳴る気持ちは抑えられないでいる。
『でも・・会おう。会って今の自分に決着をつけよう。。』




