第十二話 「天使」、有給
「ほう、珍しいね。君が有給をとるとは。」
「ええ、すみません部長。これから新人が入隊してくる大変な時期なのですが……。」
水色の“髪の短い”女天使は頭を下げた。
「できれば、君のぶんの穴はあまり空けたくないのだがね……。」
上司はほんの少しだけ顔をしかめたが、しかし、そこに嫌味など一切ない。純粋に、誰を穴埋めに使うか考えあぐねているだけである。
「そこをなんとか、お願いします。」
日本の企業と同じとは言わないが、やはり有給休暇をとるのは、天界軍で働いている者にも少し遠慮が必要なようだ。とりわけ優秀な女天使は、一人で五人分の働きをしているようなもの。めったに休まない彼女が有給をとるとは、まさに一大事があったのかと自然に思われる。上司もその一人であった。
「君は休日返上してまで、いつもよく働いてくれる。君が休むとは、よほどのことがあるのだろう? それが解決するまで、何日だって休んでくれ。ただ、明日からの7日間は君がいないとダメな任務がある。その後ならば構わないよ。」
「ありがとうございます。」
女天使はもう一度礼をした。
「うーん、まだ胃もたれがする気が……。」
腹をさすりながら、巽は少し白い顔でとぼとぼ歩いていた。昨日は調子に乗って作りすぎてしまったクレープを、強引に腹に押し込んだのだから無理もない。とりわけ、いつもは大好きな生クリームは、食べ過ぎるとろくでもないことになると巽は学習した。(さすがに台風は来なかったが)
「それより、あの時の悪魔……。」
巽は悪魔と邂逅したあの日から、一人になる度ずっと考えていた。思い出せそうで思い出せない、そんなもどかしさをいつも感じて、大体は終わる。そんな日々を繰り返していた。
「ザンヴィア――ダメだ、まるで聞き覚えないし……。ヴァイ……。紋章……。――紋章?」
サールエと女悪魔の会話で聞こえた単語を口にするうち、巽はピンとくるものを感じた。どこかで聞いたことがある気がする。
「紋章……。ティアマーレ……あれ!?」
――違う。こんなことはサールエもザンヴィアも言っていなかったはずだ。……何故、自分が?
「知ってる。僕は、何かを知ってるんだ……。」
サールエにその言葉の意味を訊くために、巽は家までの道を走り出した。
サールエは金の懐中時計を取り出した。残りの数字は「10」を示している。それを忌々しげに、青い瞳は見下ろしていた。
彼女はそれから視線を外し、ふと瞬きを一つした。そして、床に落ちている1通の封書に気付いた。それは瞬き一つの間に、現れたのだ。
「……手紙?」
サールエは天界から届いた封書を拾った。封筒は丁寧に封蝋で留めてあり、サールエの在校している西士官学校の校章が印璽で刻印してあった。それを開けると、サールエは手紙に目を通した。
「シュナイル教官からだ……。」
手紙には、こう書いてあった。
サールエ、下界での任務は順調のようだね。君の中間成績を同封したよ。
この調子なら、まず君がトップだろう。
もう一つの任務も成功するよう祈っているよ。
「教官らしいな。」
サールエは、ふと笑った。