表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

アウレリス戦記~追放された第三皇子は辺境から簒奪を志す~

掲載日:2026/03/22

 アウレリス大陸中央部。


 悠久の時をかけて大河が運び込んだ肥沃な土壌は、果てしなく続く広大な平原地帯を形成し、大陸に生きる人々の大半がこの豊かな土地に身を寄せている。


 この地の覇権を巡り、三つの強国が牙を剥き合っていた。

北方の軍事大国ウェントス。中央に盤踞(ばんきょ)するアウレリス帝国。そして南東の険しい山嶺に拠るペトロスである。


 中でもアウレリス帝国は、かつて大陸全土を平らげた統一帝国の正統なる後継を自任し、圧倒的な人口と国力を背景に大陸の盟主として君臨していた。


 帝国の中心部には、古の栄華を今に伝える帝都レギアが鎮座する。この巨大な都市を支えるのは、帝都を取り囲むように配置された主要都市と、それを統べる名門貴族たちであった。


 北西の軍事拠点、対ウェントス最前線であるヴァリス。南部に位置する交易港であり、大陸南方の物資が集まるマーリス。北部穀倉地帯、帝国の食糧庫を統括するケレース。東部の工業都市であり山脈から得られる鉱山資源を集積、加工するシデル。旧都であり、儀礼と血統の守護者を自認するアエティア。そして、物流の要であるフォルム。


 彼ら有力貴族は帝国の柱石であると同時に、寄生木の如く民から富を吸い上げ、中央の肥大化を助長する存在でもあった。だが、その支配は強固であり、帝都レギアを中心とする支配体制はそうそう揺らぐことはないと思われていた。


 ――そして、帝都の繁栄が眩しさを増すほど、その光の届かぬ地には色濃い影が落ちる。


 その影、帝国の東端、南の山岳国家ペトルスとの国境に要塞都市が存在する。


 要塞都市ポルタス。


 肥沃な平原が終わり、大陸中央にそびえるカルデラ山地が始まる境界の地。


 中央の貴族たちが歯牙にもかけぬこの辺境は、皇位継承の政争から遠ざけられた第三皇子、ルセリオンの統治下で、帝国のいかなる都市とも異なる異質な熱を帯び始めていた。





 ――ポルタス要塞、謁見の間。


 石造りの冷え冷えとした空間に、一人の男の怒鳴り声が響いていた。


 「繰り返します。貴領に逃げ込んだ我が領の農民、四十二名を即刻お引渡し願いたい。 これはアンビトゥス男爵閣下の正当な権利行使でございます!」


 男爵の使者は、机を叩いてルセリオンを睨みつけた。本来ならば男爵風情、ましてやその使者ごときに許される物言いと態度ではない。その背後には、国境付近に展開した私兵団を後ろ盾にした、隠しきれない傲慢さが滲んでいる。


 上座に深く腰掛けたルセリオンは、退屈そうに頬杖をついていた。その傍らには、首席参謀ヴルトゥスが書類を手に静かに佇み、反対側には副官のフィデリスが剣の柄に手をかけて控えている。ヴルトゥスの表情は常と全く変わりがなく、感情の乏しい冷めた目で使者を見遣っている。逆にフィデリスはその美貌を苦々しげに歪め、手を掛けた剣を今にも抜きそうな気配を放っている。


 「……ヴルトゥス」


 ルセリオンが面倒くさげな声で短く促すと、参謀は事務的に羊皮紙を広げた。


 「使者殿。当方の記録を再三確認しましたが、貴殿の主張するような逃亡者は、我が領内には一人も存在しません」


 「馬鹿な! 目撃証言はあるのだぞ!」


 「証言と言われましても。……重要なのは、我がポルタスの管理台帳にその名がないという事実のみですな」


 ヴルトゥスは冷徹な眼差しで使者を見据えた。


 「よって、現在国境を越えて侵入している貴領軍は正当な理由なき武力侵入――即ち、我がポルタスへの『不法且つ不当な侵略行為』と断定せざるを得ません」


 「な……何をふざけたことを――!」


 「使者、帰って主人に伝えろ」


 ルセリオンが初めて顔を上げ、使者の言葉を遮った。その瞳は冷たく輝いており、隣接する領の貴族に対する敬意は微塵も存在しない。


 「貴公が探しているものは、ここには存在しない。即刻退去せねば、侵略と見なし殲滅する。……返答はそれだけだ」


 使者が青筋を立てたまま追い立てられるように退室すると、謁見の間には重苦しい沈黙が戻った。ルセリオンは立ち上がり、壁に掛けられた大陸図を眺める。


 使者と入れ替わるようにして現れたヴェレリスとディヴィス、二十代半ば、二人の若き騎馬隊長が膝を突いた。


 「我が麾下の軽騎兵団、街道を外れ、砂塵に紛れて敵の背後に回っております。許可があればいつでも殲滅可能です」


 「同じく麾下、弓騎兵団。敵正面にて布陣を完了致しました」


 ヴェレリスとディヴィスが直立不動でそう答えた。それを見て、ルセリオンは満足げに一つ頷く。


 「よろしい。……ヴルトゥス、事後の処理は任せる。王都への報告書には『正体不明の賊を排除した』とでも書いておけ。……逃亡農民など最初から『いなかった』……良いな?」


 「はっ、了解いたしました」


 ルセリオンとヴルトゥスのやり取りを見ていたディヴィスが、皮肉気に口の端を歪める。


 「それにしても殿下、お人が悪いですな。かの逃亡民を発見、保護しポルタスへと護送したのは我が隊なのですが」


 「ディヴィス、貴公の手柄が無かったことになった。いずれ埋め合わせはしよう」


 ルセリオンがそう詫びると、ディヴィスは今度ははっきりと微笑を浮かべて答える。


 「構いませんとも。あの程度で手柄顔するなど武人の誇りが汚されるというものですから」


 「ふっ……ならば、『賊退治』で存分に手柄を上げよ。ヴェレリスの軽騎兵800と貴公の弓騎兵600。我ながら過大兵力だとは思うが」


 ルセリオンとディヴィスが顔を見合わせ、笑い合った。


 「それにしても、どうやって賊を退治するかよりも対峙した後、埋めるための穴を掘る手間の方が厄介ですな」


 ヴェレリスがそう言って、悩ましげな溜息を吐く。


 「ならば、半分は残してもかまわんぞ。捕虜にした敗残兵に掘らせてやれば良い」


 「ご配慮、感謝いたします」


 それからしばらく、詳しい作戦内容を打ち合わせて二人は退出した。ヴルトゥスも、そのあとに続くようにして部屋を出る。


 謁見の間には、ルセリオンとフィデリスのみが残された。フィデリスがティーセットを持ち出し、茶を淹れ始めた。その流れるような手捌きを見るとはなしに眺めながら、ルセリオンがポツリと呟いた。


 「帝都を追放されて二年だ。……長かったと言うべきか、案外早かったと言うべきか……」


 それは、ようやく動き出した事態に対する、ルセリオンの率直な内心の吐露だった。


 フィデリスがルセリオンにティーカップを差し出した。同時に、微笑を浮かべて口を開く。


 「わたくしにとってはとても短かったですわ。不便なことも多かったですけれど、帝都にいたころよりも遥かに充実していましたから」


 ルセリオンは差し出されたカップを受け取り、その熱を掌で確かめるように握り込んだ。立ち上る湯気が、先ほどまでのささくれ立った気分をわずかに和らげてくれた。


 「不便、か。……お前には苦労をかけている、フィー。華やかで煌びやかな帝都から、こんな砂埃の舞う無骨極まりない要塞まで付き合わせた。女の身には辛いことも多かっただろう」


 「あら、聞き捨てなりません」


 フィデリスはルセリオンの傍らに歩み寄り、指先で彼の肩にかかったわずかな塵を払った。その手つきは、副官としてのそれではなく、長い年月を共に過ごした者だけが許される、親密で、呼吸のように自然な動作だった。


 「わたくしは、望んでここにいるの。ルセリオン様……リオンはもう忘れてしまった? あなたのいない帝都で、どれほど煌びやかな服や宝石に囲まれてもわたくしにとっては何も意味がない……」


 「……お前らしいな」


 ルセリオンが苦笑混じりに茶を啜る。それを黙って見つめるフィデリス。


 普段は滅多に口にすることのない幼い頃に呼び合った愛称。二人の脳裏には、帝都で不安も悩みもなくじゃれあっていた幸福な日々の思い出がよぎっていた。


 二人の間に沈黙が落ちる。


 二人の間に、言葉を尽くさずとも通じ合う、静謐な空気が流れていた。幼馴染として、そして半身として、彼らは互いの欠落を埋め合うように生きてきた。ルセリオンの野心も、その裏にある冷徹な合理性も、フィデリスにとっては慈しむべき彼の一部に過ぎない。


 「先ほどの四十二人……今夜中には、新しい戸籍と家が与えられますわ。ヴルトゥス幕僚長が手配を終えています。明日からはポルタスの『新しい民』として、畑を耕し始めるでしょう」


 沈黙を打ち破ってフィデリスが口を開いた。ルセリオンも表情を改める。


 「ああ、そうか。男爵の手元で怯えて過ごすよりは、ここでの労働の方が幾分かましだろう」


 「ええ。ですが、これで本当にお始めになるのですね。……帝都への逆襲を」


 フィデリスの瞳が、ルセリオンをじっと射抜いた。そこにあるのは不安ではない。主が選んだ道の先を、共に見届ける決意だ。


 ルセリオンは、窓の外に広がるカルデラ――クラテリス山脈を見据えた。


 二年前、ほぼ着の身着のままで帝都を出たあの日、隣にいたのはフィデリスだけだった。彼女だけがルセリオンの傍にいた。居続けてくれた。


 「……嘘も貫き通せば事実になる、と言ったのはヴルトゥスだが……俺にとっての事実は、今も昔も変わらずお前が隣にいる、ということだけだ、フィデリス」


 ルセリオンがカップを置き、彼女の手首を軽く掴んだ。


 フィデリスは驚く風もなく、その温もりに身を委ね、悪戯っぽく微笑む。


 「光栄ですわ。でしたら、その『事実』が大陸を飲み込むまで、わたくしを使い倒してくださいませ。……ルセリオン様の手を煩わせる雑事は、すべてわたくしが引き受けますから」


 「ああ、頼む。……まずは、あの小賢しい男爵の私兵どもを、跡形もなく消し去るところからだな」


 二人の視線が交差する。


 主従を超え、性愛を超え、魂の深いところで結びついた二人。


 ポルタスの静かな午後、大陸の歴史を塗り替えるための、冷徹で親密な共犯関係が、そこにはあった。





 クラテリス山脈の頂上に薄く光が差し込める払暁。


 アンビトゥス男爵軍1,500とポルタス要塞守備隊ディヴィス弓騎兵団600が対峙していた。


 「弓兵なぞ、矢を射尽くせばただの案山子よ。踏み潰せ!」


 男爵軍の指揮官が剣を振り下ろす。重装歩兵を中核とした密集陣形が、土煙を上げて前進を開始した。


 対するディヴィス率いる弓騎兵600は、ゆっくりと距離を詰めてくる重装歩兵を前に微動だにしない。


 「良いか、狙う必要はない。当てることより足を止めさせることを優先しろ」


 ディヴィスの冷徹な号令。


 弓騎兵たちが矢を散発的に放つ。運の悪い敵兵が数名倒れるも目立った損害はない。彼らは矢を撃つや否や馬首を巡らせ、今度は走りながら背後の敵へ矢を放つ。放たれた矢は男爵軍の盾に弾かれるか、あるいは無防備な足元を刺し抜く。決定打にはならない。


 しかし、弓騎兵団は結果など気にした風もなく整然と後退を始める。


 一方、敵の後退を見た男爵軍の兵たちの間に、根拠のない全能感が広がり始める。


 「なんだ、あの腰抜けどもは! ろくに当てることもできず、逃げ回るばかりか!」


 「皇子の兵など所詮はこの程度か。追い詰めろ!」


 勢いに乗って追いかける敵軍を尻目に弓騎兵団は距離を取っては振り返り矢を放つ、あるいはろくに狙いもしない背面撃ちを繰り返した。


 苦し紛れの攻撃を繰り返す弓騎兵とそれを追い詰める重装歩兵。そんな展開に見えつつあった。


 戦術眼に優れる者がアンビトゥス男爵軍にいれば、ディヴィス弓騎兵団の後退が整然としすぎていることに疑いを持つことが出来たかもしれない。


 そして、徐々に逃げる弓騎兵団と追う重装歩兵団との距離が縮まる。


 男爵軍が一層追う速度を速めた。軽装の騎兵に重装の歩兵が追いつくという異常に、男爵軍は誰も気付かない。


 数度の斉射の後、ディヴィスはさらに大きく距離を取った。男爵軍指揮官の目には、それが焦りによる撤退に見えた。


 「好機だ!  全軍、突撃!  一兵たりともポルタスへ帰すな!」


 指揮官の昂った声に応え、歩兵たちが雄叫びを上げて走り出す。


 勝利を確信した1,500の集団は、もはや統制された軍隊ではなかった。追撃のために密集陣を解き、足の速い者から順に突出していく。長大な横陣には、あちこちに致命的な綻びが生じていた。


 ちらと背後を確認したディヴィスは口を歪めて吐き捨てる。


 「……馬鹿どもが。逃走と後退の区別もつかんのか」


 それは、あまりに手応えのない敵に対する怒りの表れであっただろうか。


 ディヴィスが腕を大きく振った。


 今度は、単なる後退ではない。馬を乱し、隊列を崩して潰走する。


 それを見た男爵軍の士気は最高潮に達し、さらに隊列は乱れ、前傾姿勢を強めていく。


 ――男爵軍の誰もが、自軍の勝利を確信していた。





 味方の弓騎兵団を必死になって追いかける男爵軍の姿を背後から見つめる一団がいた。


 ポルタス要塞守備隊ヴェレリス軽騎兵団800。整然と隊列を揃え、戦況を見守っていた。


 「……頃合いだな。始めるぞ」


 男爵軍の背後。クラテリス山脈の麓、窪地に潜んでいたヴェレリスが短く命じた。


 砂塵の中から、馬蹄の響きが湧き上がる。ヴェレリス率いる軽騎兵団800が、無防備に背中を晒した男爵軍の背後へと牙を剥こうとしていた。


 ヴェレリスは、短い合図で麾下を三つに分割する。


 「セレル、左翼後背を。フェロクス、右翼後背を。……俺は真後ろから突っ込み、中央突破を図る」


 腹心のセレルが300の騎兵を率い、男爵軍の左後方に食らいついた。同時に、同じく腹心のフェロクスが率いる300が右後方に突入した。


 「なっ、背後!? どこから現れた!」


 「伏兵だ! 反転しろ、反転――!」


 怒号が飛び交うが、一度前傾しきった1,500の歩兵が即座に反転することなど不可能だった。


 そこへ、ヴェレリス自らが率いる二百の精鋭が、男爵軍指揮官の陣取る中央後方へ最短距離で楔を打ち込んだ。


 阿鼻叫喚の地獄が幕を開ける。


 ヴェレリスは軽騎兵の主武装である湾曲刀を振るいながら敵将の姿を探す。


 「ちッ……負けと判断するや否や脇目も振らず逃げの一手か。まあ良い、予定通り中央突破だ」


 即座に逃げだした男爵軍指揮官をひとまず置いて、ヴェレリスは敵兵の殲滅に専念することにした。





 ――男爵軍の混乱を見て、前方で無様に逃げていたはずのディヴィスが完璧な統制で馬を翻した。麾下も即座に馬首を返し指揮官ディヴィスの元に集合する。


 「遊びは終わりだ。……本気で狙え」


 ディヴィスが低い声で命じた。


 即座に対応する600の騎兵。


 先ほどまでの適当な牽制とは打って変わり、弓騎兵たちの矢は正確に男爵軍の喉元や眼球を射抜き始めた。逃げ場を失い、前後から圧縮された男爵軍は、ただの肉の塊へと成り果てていく。


 「ヴェレリスが敵陣を割って出てくる。俺は迎えに行ってくるぞ」


 ディヴィスは剣を抜き放ち、弓を捨てて突撃を開始した。


 前方からディヴィス、背後からはヴェレリス、セレル、フェロクス。


 四方向から理詰めで追い詰められた男爵軍に、抵抗の余地は微塵もなかった。


 鉄と肉がぶつかり合う鈍い音が響き、平原は瞬く間に鮮血で塗り潰されていく。それは勇壮な軍と軍の決戦などではなく、ただの一方的な処理であった。


 ――やがて日が完全に昇った頃。


 激しい騒乱の代わりに平原を支配したのは、死臭を孕んだ沈黙だった。


 ヴェレリスは血濡れた手袋を脱ぎながら、馬を並べてディヴィスと視線を交わした。


 「殿下のおっしゃる通り、過大兵力にもほどがあったな」


 「敵より多くの兵力をぶつけるのは戦術の基本だ。間違ってはいない。――退屈ではあるがな」


 ヴェレリスとディヴィスの見詰める先には、武器を奪われ力なく地面に膝を突く数百名の敗残兵がいた。


 ヴェレリスは事務的な口調で、敗残兵たちに告げた。


 「……さて、ルセリオン殿下の慈悲だ。命が惜しいならば、死骸を埋めるための穴を掘れ。死骸を集めろ。――日が暮れる前に終わらなければ貴様ら諸共埋めることになる」


 怯えた表情で動き始める元男爵軍兵士。


 ――クラテリス山脈に夕日が沈むころ。戦場となった平地には男爵軍の流した血糊のみが残されていた。





 ――ポルタス要塞司令官執務室。


 積み上がった書類を片付けるルセリオンの元を、フィデリスが訪ねてきた。


 「ルセリオン様、戦場より伝令が」


 「……そうか」


 ルセリオンは生返事を返したきり、書類から頭を上げようともしない。


 「あら……お気になさっていたのでは?」


 「勝つことは分っている――ああいや、被害は?」


 ルセリオンが顔を上げてフィデリスを見る。


 「敵中に突入したヴェレリス軽騎兵隊にて、死者15名、重傷者30名、軽傷者100名です。ディヴィス弓騎兵隊は死者、重傷者なし、軽傷者5名。……以上です」


 報告を聞いたルセリオンは顔を伏せ、瞑目する。


 「楽な戦とはいえ、やはり無傷で、とはいかないか……。戦死者の家族は手厚く保障してくれ」


 「はい、いつもの通りに、ですわね」


 沈黙。


 書類を捲っていた手を止め、ルセリオンはしばらく顔を伏せていた。表情を消し、微動だにしないルセリオンはその整った外見もあり、彫像めいて見えた。


 フィデリスはそんな主を無言で見守る。


 「……俺は、甘い……のだろうな」


 やがて、ルセリオンがポツリと呟いた。フィデリスはそんな主を痛ましげな表情で見詰め続け、意を決したように口を開いた。


 「ルセリオン様……いいえ、リオン、あなたはね、ただ優しいだけよ。優しいから、味方には誰も傷付いて欲しくなくて、厳しい訓練を与える。だからこそ精強な軍が出来るのだけど……戦場ですもの。犠牲者なしなんてありえない。そうして戦のたびに貴方は心に傷を負っていく……。……ねえ、いっそすべてを捨てて逃げてもいいのよ? わたくしは、わたくしだけは最後まであなたの傍にいるから……」


 「……そうしたいけどな。しかし、自分で始めたことだ。こんな俺でも付いて来てくれる者はいる。ならば最後まで責任は持たねばな」


 フィデリスにとっては心からの願いだった。


 そしてルセリオンは、そうと知りつつもそれに背を向ける。二人の間では、もう何度と繰り返されたやり取りだった。


 「――今回の戦の結果を聞いて、六門卿はどう動くかな?」


 気を取り直すようにしてルセリオンは頭を一つ振り、いつものごとく不敵な笑みを浮かべてフィデリスにそう問いかけた。


 六門卿とは、帝都レギアの周囲を取り囲む六大都市の支配者たる大貴族のことである。


 「あの方々も、利害が複雑で一枚岩とはいきませんから……。一人か二人か。ルセリオン様を取り込みにかかろうとするお方もいらっしゃるでしょうね」


 「どうせ玉座に飾り付けるだけの存在ならば、多少は磨き甲斐があった方が良い――とでも考えているのだろうな、あの老害どもは」


 「お口が悪いですよ、ルセリオン様。……まあ、ルセリオン様の兄上方は……その……少々残念にお出来になっていらっしゃいますので……」


 フィデリスの台詞を聞いたルセリオンは、思わず吹き出した。


 「ぷっ……くくっ……おいフィー、お前の口も大概だぞ」


 笑い出したルセリオンを、フィデリスは凍り付くような視線で返答する。


 「……すまない、フィー……少々無神経だったな」


 「……リオンの愚兄様方がわたくしを見る目つき、ご存じですか? あの方々の這いずり回るような視線に耐えるくらいなら、ナメクジの方がまだいくらかましですわね」


 吐き捨てるような口調。


 同じ男として、極小ながら同情心を覚えるルセリオンだった。


 「ま、まあ、『午睡の夢は覚めにけり』というわけだ。これから忙しくなるぞ、フィデリス」


 ――アウレリス大陸全土を揺るがす動乱の時が、始まろうとしていた――

最後までお読みくださりありがとうございました。

とりあえずの短編投稿です。好評であれば連載化するつもりですので、面白いと思ってくださったなら星とリアクションをよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ