夢を診る薬師
ユーメリアの崩壊、そして、リセが裂け目に飲み込まれてから、もう数週間が経っていた。
リセの行方は依然として分からないまま。
そして、街は瓦礫と化し、夢塔の残骸が影を落としている。
かつて煌めいていた夢晶の光は消え、ただ冷たい風が吹き抜けるだけだった。
だが奇跡的に、人々は生きていた。
夢暴走で倒れた者たちは、深い眠りから目を覚まし、再び歩き始めていた。
「リセ……お前が救った人々は生きている。みんな、生きているんだ……。 お前はどこにいるんだ!」
セイレンは呟いた。
臨時の医療所を開いたセイレンは、傷ついた人々を治療しながら、街の再建を進めていた。
瓦礫の街に響く人々の声は、確かに生の証だった。
「セイレンさん! こっちの患者さん、熱が下がりました!」
医療所の臨時の助手が声を上げる。
セイレンは頷き、汗を拭った。
「よく頑張ったな……」
「悪いが、次はあの子を診てやってくれ。咳が止まっていない」
セイレンの声は疲れていたが、未来を見据えるような確かな力を宿していた。
一方、ノアは夢晶の残骸を解析していた。
彼の指が震える。
「……これは、リセさんの意識反応? 完全に消えてはいない……彼女は、まだどこかで我々を見ている?」
セイレンは目を見開き、ノアに駆け寄る。
「リセが……生きている?」
ノアは真剣な眼差しで頷いた。
「はい。夢核は崩壊しました。 でも、微弱な波形が残っているんです。まるで……彼女が街を見守っているみたいに」
セイレンは拳を握りしめた。
「……そうか。リセは、まだ戦っているんだな」
***
その夜―セイレンは夢を見た。
夢の中でリセが薬草をすり潰している。
彼女の背中は小さく、けれど確かそこに存在していた。
「ねえ、セイレン……。人は、夢の中でも心から笑えるのね」
彼女は振り返らずに微笑み、霧の中へ消えていった。
「リセ……待ってくれ!」
セイレンは必死に呼びかけたが、声は霧に吸い込まれ、届かなかった。
目覚めたセイレンの手には、夢の中で見た薬草の花弁が握られていた。
それは現実の花だった。
「……これは……」
彼は震える声で呟いた。
「リセ……お前は、向こうで笑っているんだな」
瓦礫の街にまた新しい朝日が差し込んでいた。
崩壊した夢塔の跡地はまだ冷たい影を落としていたが、人々の暮らしは少しずつ戻り始めていた。
ノアは夢晶の残骸を解析し続けていた。
彼の目は赤く、徹夜の跡が残っている。
疲労に染まった瞳の奥にリセを見つけるという熱意が宿っていた。
「……見つけた。リセさん……リセさんの記録映像だ」
セイレンが振り返る。
「記録映像?」
「ええ。夢晶の奥に残されていたんです。彼女の最後の処方……」
ノアが再生すると、淡い光の中にリセの姿が浮かび上がった。
彼女は穏やかな声で語り始めた。
「これを見つけたあなたへ。私は夢の終わりを告げた。でも、次の朝を迎えるのはあなたたち。」
セイレンは拳を握りしめた。
「……リセ」
映像の中で、リセは薬草を並べていた。
「この薬は《夢の種》と呼びます。飲んだ者は悪夢を払う代わりに、未来の夢を見るでしょう。人は夢を失っても、また新しい夢を育てられるのです」
セイレンは深く息を吸った。
「……夢の種か。リセらしいな」
ノアが頷く。
「彼女は最後まで、未来を信じていたんです」
セイレンとノアの二人は協力し、リセのレシピを完成させた。
薬草をすり潰し、夢晶の欠片を混ぜ、瓶に注ぎ込む。
淡い光が揺れ、薬が完成した。
「これで……人々に夢を返せる」
薬を街の人々に配ると、久しぶりに穏やかな夢が訪れた。
翌朝、誰もが語った。
「夢の中で、小さな薬師が笑っていた」
「可愛らしい薬師さんが、今日の一日を大事にしてと、話しかけてきたよ」
「薬師さんが『おはよう』って言ってくれたんだ」
人々の瞳に光が戻り、街に笑い声が広がった。
セイレンは空を見上げ、静かに呟いた。
「……ありがとう、リセ。君が救った夢を、今度は俺たちが守り続ける」
ノアも涙を拭いながら頷いた。
「リセさんの夢は、もう私たちの中にあります……」
街の人々もまた、新しい夢を語り始めていた。
瓦礫の中から芽吹く若葉のように、未来への希望が広がっていった。
***
数年後―再建されたユーメリアの街は、かつての瓦礫の姿をほとんど残していなかった。
夢塔の跡地には新しい広場が造られ、そこには若葉が育ち、子どもたちの笑い声が響いていた。
その一角に、小さな薬局が再び開かれていた。
看板にはこう刻まれている
──「夢を診ます 薬師代理:セイレン」
セイレンは白衣を羽織り、調合台に向かっていた。
過去の戦いの痕を抱えながら、彼の瞳はリセのための場所を守る強い意志を示していた。
「セイレンさん、今日も患者さんが多いですね」
ノアが研究資料を抱えて入ってきた。
彼は数年の間に、立派な研究者へと成長し、夢と現実の境界を研究する新技術を完成させていた。
「まあな。夢を診る薬局なんて、他にはないからな」
セイレンは苦笑した。
ノアは少し声を震わせながら言った。
「でも……本当は、リセさんがここに立っているべきなんですよね」
セイレンは静かに頷いた。
「そうだな。けど、あいつの夢は俺たちが持ち物続けている……だから、俺たちは、これからも、ここで生きるんだ」
その日、一人の少女が薬を求めてやって来た。
まだ幼い顔立ちだが、その瞳には不思議な輝きがあった。
「薬師さん……最近、夢の中で知らない女の薬師さんに会うのです」
セイレンは目を細めた。
「夢の中で……薬師に?」
「はい。小さな女の人で、いつも笑っていて……『楽しんで』って言ってくれるんです」
少女が差し出した、彼女の夢晶の中には、懐かしい声が響いていた──
「おはよう、セイレン、ノア」
セイレンは微笑み、静かに呟いた。
「夢の外でも、君はちゃんと生きているんだな…」
ノアが涙を拭いながら言った。
「リセさん、リセさん……やっぱり、まだ人々の夢の中にいるんですね」
セイレンは調合台に向かい、リセが残した“朝を告げる薬”をもう一度作り始めた。
薬草をすり潰し、夢晶の欠片を混ぜ、瓶に注ぎ込む。
最後の一滴を落とすと、陽光が差し込み、薬が淡く光った。
その瞬間、リセの声が静かに響いた。
「夢は終わらない。目を覚ましても、人はまた新しい夢を見るのだから。」
セイレンは瓶を見つめ、深く息を吸った。
「……そうだな。夢は続いていく。俺たちが生きている限り」
ノアが頷き、少女が笑った。
街の人々もまた、新しい夢を語り始めていた。
ー完ー
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