3-夢喰いの印
夢薬庵の夜。リセは机に広げた師匠アルスの古い研究日誌を見つめていた。
紙は黄ばんでいるが、文字は鮮明に残っている。
「……“夢は、記憶の複製である”……」
リセは声に出して読み上げた。
胸の奥に冷たいものが広がる。
(もし夢が記憶の複製なら……私は?)
ノアが静かに近づき、言葉を選ぶように告げた。
「リセさん……あなたの出生記録には空白があるんです。戸籍も、家族の痕跡も……師匠アルスの研究所に来る以前の記録が、ない」
「……そんなはずはない。私は師匠アルスに拾われただけ……」
リセは否定したが、声は震えていた。
**
その夜―リセは夢に沈んだ。
夢の中で、自分にそっくりな“もう一人のリセ”が立っていた。
無表情で、冷たい瞳。
「……誰?」
「私は夢技師リセ・ファルナ。本物はどっちだと思う?」
偽リセが囁く。
リセは後ずさりし、胸を押さえた。
「違う……私は本物よ。私は人間……!」
「人間? あなたは師匠アルスの夢から作られた人格」
「記憶を複製して生まれた存在。……証拠は、あなたの記憶が他人に売られていること」
偽リセの声は冷酷だった。
リセの心臓が強く打ち、視界が揺れる。
「……嘘よ……そんなの……!」
「夢は嘘をつけない。あなた自身が夢なんだ」
リセの足元の風景が崩れ始める。
薬庵の床が割れ、師匠アルスの影が遠くに見える。
リセは叫んだ。
「私は……誰の夢なの……?」
涙が頬を伝う。
現実と夢の境界が曖昧になり、意識が溶けていく。
「リセ!」
声が響いた。
セイレンだった。
彼の手がリセの腕を掴み、強く引き戻す。
「戻れ! 夢に呑まれるな!」
リセは目を開けた。
現実の夢薬庵―セイレンの瞳が真剣に自分を見ている。
「……私は……誰なの……?」
リセの声は震えていた。
セイレンは答えず、ただ強く抱きしめた。
「君は君だ。それ以上の証明はいらない」
リセの胸に、深い疑念と恐怖が残った。
(私は……夢から生まれた存在? 本当に人なの?)
***
翌朝、夢薬庵―セイレンが駆け込んできた。
制服は乱れ、額には汗が滲んでいる。
「リセ! 夢技師が市庁舎の地下で拘束された。……だが、様子がおかしい」
リセは立ち上がり、夢晶を握りしめた。
ノアが不安そうに顔を上げる。
「様子……?」
「取り調べで、“市長エルマーの命令だった”と供述した……。 だが、彼自身も操られているように見える……」
市庁舎地下―拘束された夢技師は黒衣の男だった。
顔はやつれ、瞳は虚ろ。
リセが近づくと、彼は笑った。
「……夢を売るのは、俺の意思じゃない。命令だ。市長の……」
「エルマー市長が……?」
セイレンが低く唸る。
リセは夢晶を取り出し、男の脳波を解析した。
そこには奇妙な紋様が刻まれていた。
「……夢喰いの印。あなたも操られていたの……ね」
夢技師は苦笑した。
「俺はただ……記憶融合装置を使っただけだ。人の記憶を商品にするために……。だ
が、その技術は……アルスが封印したものだ」
「師匠……!」
リセの胸に冷たい衝撃が走った。
(師匠アルスの研究が、こんな形で利用されている……)
夢技師が震える声で続けた。
「……俺は駒にすぎない。真の黒幕は……別にいる。夢喰いは目を覚ます。ユーメリア全土が夢になる……」
その瞬間、夢晶が黒く染まり、男の意識が途切れた。
拘束されたまま、彼は眠りに落ちる。
「……夢に呑まれた?」
ノアが青ざめた声を漏らす。
リセは拳を握りしめた。
「黒幕は市長だけじゃない。もっと深いところで……夢喰いが動いている」
市場は閉鎖され、被害者たちの記憶は一部回復した。
だが、リセの胸には重い影が残っていた。
**
夜―リセが夢に沈むと、崩れゆく街が広がった。
師匠アルスの声が響く。
「リセ……まだ夢の中だ……」
リセは目を見開いた。
(師匠……あなたは……夢喰いなの?)
***
ユーメリアの街に、不穏な噂が広がっていた。
『夢が見られなくなる病』が蔓延し始め、人々は次第に感情を失い、やがて廃人のようになっていく。
「……リセさん、また新な患者です……」
ノアが夢薬庵の扉を開け、青ざめた顔の青年を連れてきた。
青年は夢晶を握りしめていたが、その光は弱々しく、ほとんど消えかけている。
「夢を……見られないんです。眠っても、何も……ただ、空白だけが続く……」
青年の声は乾いていた。
リセは夢晶を受け取り、目を閉じる。
だが、そこには途中で途切れた夢の記録しか残っていなかった。
「……夢が途中で切れている。まるで、誰かに食べられたみたい」
リセの言葉に、ノアが震える声で答えた。
「街では“夢を喰らう怪物”の噂が広まっています。……夢喰いって呼ばれてる」
その夜―リセは自分の夢診断に異常を感じた。
夢の中で、黒い影が現れたのだ。
「……誰?」
影は形を持たず、ただ囁いた。
「お前の夢は甘い……もっと寄越せ」
リセは息を呑み、必死に目を覚ました。
枕元の夢晶は黒ずみ、記録が一部欠損していた。
「……夢喰いは、実在する」
リセは確信した。
胸の奥に冷たい恐怖が広がる。
(この波形……師匠アルスが研究していた“夢安定核”と酷似している……)
翌朝―セイレンが夢薬庵を訪れた。
彼の表情は険しい。
「リセ。夢警団は患者増加を確認したが、上層部は噂だとして調査を中止した」
「……夢喰いは実在する。夢晶の波形が証拠よ」
リセは夢晶を差し出した。
セイレンは黙ってそれを見つめ、深く息を吐いた。
「……なら、俺たちで追うしかないな」
***
夢警団本部―セイレンは上層部に報告を終えたばかりだった。
だが、返ってきたのは冷たい命令だった。
「調査は中止せよ。夢喰いなど存在しない。市民を惑わせる噂を広めるな」
上官の声は硬く、反論を許さない。セイレンは拳を握りしめた。
「……夢を失った患者が増えているんです。放置すれば街が崩壊する」
「黙れ。市長エルマーの方針に逆らうな」
会議室を出たセイレンの顔は険しかった。
リセが待っていた。
「……止められたのね」
「上層部は夢喰いの存在を認めない。だが、俺は信じる。君の夢晶が証拠だ」
リセは静かに頷いた。
胸の奥に冷たい怒りが広がる。
(市長が圧力をかけている……何かを隠している)
その夜―ノアが裏ルートで入手した資料を広げた。
「……夢安定核の製造記録です。市長の夢管理局で量産されている」
「夢安定核……師匠アルスが研究していたもの」
リセの声は震えていた。
セイレンが資料を覗き込み、眉を寄せる。
「……夢を封じる薬、“ドリームシール”か。これを使えば、人の夢を永久に閉じ込められる」
「夢を閉じ込める……それは、夢を喰うのと同じ」
***
三人は夢管理局の倉庫に潜入した。
暗闇の中、薬瓶が並んでいる。
リセが一つを手に取ると、瓶の中から黒い霧が吹き出した。
「……っ!」
倉庫全体が悪夢空間に変貌する。
壁が歪み、床が揺れる。ノアが叫んだ。
「リセさん!!! リセさん、離れて!」
だが霧はリセにまとわりつき、囁いた。
「夢喰いは……お前を探している」
リセの心臓が強く打ち、視界が暗く染まる。
(私を……探している? なぜ……?)
セイレンが剣を抜き、霧を切り裂いた。
「リセ! しっかりしろ!」
リセは息を荒げながら霧から逃れた。
だが胸の奥に残る囁きは消えない。
「……夢喰いは、私と繋がっている」
リセの声は震えていた。
セイレンは彼女を見つめ、静かに頷いた。
「なら、次は直接確かめるために捕まえるしかないな」
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